笑顔の代償

春風月葉

笑顔の代償

 どんなに辛く苦しい時にでも、遠野絵美は笑っていたと思う。

 彼女の両親が離れてしまった時も、彼女の母親が過労で世を去った時も、親なしの子だと酷く罵られた時も、どんな時にも彼女は笑っていたと思う。

 会社の昼休み、缶コーヒーを買おうと寄った自販機の前で私は絵美に出会った。

 数年ぶりの再会だったが、私は正直なところ彼女に会いたくはなかった。

 高校三年生の冬まで、私は愚かにも彼女へのいじめに加担していたからだ。

 久しぶりに会った彼女は目の下に不健康なクマを作っていたが、相変わらず不気味なほとんどへらへらと笑っていた。

 高校生の頃の私はきっとその顔が気に食わなかったのだと思う。

 知らぬふりをしようとしたが、絵美の方から話しかけられ私の考えは消えた。

「佐藤さんだよね。久しぶりだね。」

 絵美は私に笑いかけた。

「遠野さん、久しぶりだね。」

 私は彼女の顔を見ないように俯いて言った。

「佐藤さんもこの辺りに勤めているの?」

「うん、まぁ。」

「そっかぁ、知り合いが近くにいて良かったな。」

「うん、そうだね。」

「佐藤さんはお仕事大変?」

「うん、そこそこ。」

「そっか…。」

 沈黙が流れる。

 原因は確実に自分だろう。

 不意に絵美が吹き出した。

 私は驚いて彼女の方を向いた。

「安心した。佐藤さんは変わらないね。」

 私は少しむっとなって彼女を見た。

「みんな私のことなんか忘れてる。きっと、今私の周りにいる人達も私の作り笑いと一緒に私にしたことも、私のことも、なにもかもを忘れていく。」

 彼女は笑っていた。

 涙を流して笑っていた。

「作り笑いも崩せなくなってしまったの。」

 歪んだ笑みがこちらを向く。

 私はそれを真っ直ぐに見る。

「滑稽でしょ?もう、気持ちを伝えることもできないんだよ。」

 絵美は俯いて、震える声で続けた。

「佐藤さんが変わっていなくて良かった。私だけじゃなかった。」

 私は違うと思った。

 彼女は笑ってなんかいなかった。

 張り付いた笑みの裏で悲しんでいる。

 私は彼女の顎に手を添え顔を上げさせた。

 彼女は相変わらず笑っている。

 でも、私はその裏側に隠れた顔を知っている。

 私は彼女に向かってにこりと笑いかけた。

「ごめんね。」

 缶コーヒーとハンカチを置いて会社に戻った。

 苦い…、もうコーヒーは不要だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笑顔の代償 春風月葉 @HarukazeTsukiha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る