新写実主義
最寄駅の喫茶店に入った。別に元々入る積もりでは無かった。
先ずコンビニで菓子を買おうか迷って、そうだ、折角外に出たんだし、隣の駅へ定期券を使って遠征しガッツリラーメンを食おうかと思ったものの、定期券を服のポケットに入れ忘れてしまった事に気付き、やっぱり菓子を買おうとコンビニに行く途中でそういえばと気になっていた喫茶店が目に留まり、其処に入った。
外に出されていたメニュー看板を入る前に見たが、どうやらカレーとオムライスが有るらしい。他にも書いてあったが憶えていない。どちらにしようか、カレーの方が気になるが余り辛い物だと喉に来るし…と悩みながら「こんにちは」と言いつつ店内に入るや否や、ドアの上部分から繋がる紐に引っ張られて動く仕掛け人形のお出迎えを受け、たじろいだ。
人形は猿だか人間だか分からないような見た目をして居り、ともすると黒人差別時代の戯画を思い出すような見た目だ。スーツを着て居り、手と帽子にドアからの紐が繋がって、入口を開けると人形の手が動いて帽子を脱ぐと言った仕掛け。
面喰らいつつも店内を見回すと、客は2人居た。入口から見て1人は左手、1人は右手の、どちらも手前側の端に座っていた。左側奥は厨房スペースがせり出してカウンターとなっていたため、テーブル席の空間は右奥だけ誰も居なかった。店内には前衛的なジャズが鳴っていた。奥の方から「いらっしゃいませ」とだけ聞こえてきたので、好きな所に座っても良いのだと解釈し、右奥端のテーブルに座った。
座ると、店主が店の奥から少し驚いたように此方へ遣って来た。禿げ頭で、藍色のエプロンをして居た。穏やかそうな見た目だったが、一方で人形の仕掛けをお披露目しそうな悪戯っぽさも何処となく漂わせて居た。店主は分厚い木の折り畳み式のメニューを2つ渡し奥へ引っ込んだ。1つはドリンクで1つはフードのメニューだった。
何方もちらりと見たものの、完全に食事目的だったので、フードのセットメニューを頼む事とした。焼きカレー、キーマカレー、チーズオムライスで少し悩んだが、やはり辛過ぎる事を憂慮し、チーズオムライスを注文する事にした。
それほど大きな店では無いので、大きな声を出しにくいな…と思いつつ、小さな声で「すみません」と言うと、声が籠っていたのか客にしか聞こえていない様で少々気不味かった。
少し大きな声で「すみません」と言い、店主が「はいー」と言い少し経ってから出てくると、チーズオムライスのセットを注文した。店主は「コーヒーとアイスコーヒーと紅茶のどれになさいますか」と尋ねたが、コーヒーを飲めないので紅茶を頼んだ。
店主は了解の旨を伝え、メニューを下げてさっと奥へ引っ込んだ。そこで改めて店内を見回すと、恐らく今流れているであろうジャズのLPジャケットがカウンターに立てて置いて有るのが最初に目に付き、入口近くには十数冊の本と最近のであろう新聞雑誌が置かれた本棚があった。
入口から見て右手前側に座っている客の前を恐る恐る通りながら本棚に近付き、ラインナップを確かめた。新聞雑誌は興味が無かったので見向きもせず、本は絵画に関する本が多かった。「ホッパー」という題字の本の表紙に描かれた絵が気になった。広いバーの様な場所で、店の人と話す男女が描かれた絵だ。其の本を取り席に戻る。
戻ると、サラダとカトラリーが出て来た。一緒に通されたお手拭きで手を拭き、本を机の奥に置いてサラダを食べる。
サラダは少しの量で、直ぐ無くなってしまったので、本を手に取る。ホッパーはジャクソン・ポロックと同時代の新写実主義の画家、と言う様に紹介されて居た。初期の絵画を見て印象派の影響を受けて居るのかなと思ったら、ホッパーは若い頃はフランスに居り、其の通りらしかった。
少し読んだ所で、オムライスが出て来た。中くらいの丸皿の上に、同じ大きさの植物(竹だろうか)で編んだ四角い鍋置きの様な物が敷かれ、其の上にオムライスが入った厚めのパン(ブレッドでは無い)が乗って居た。
オムライスの上面は卵で覆われ、其の下にライスが入って居るのだった。卵はわざとと見られる焦がし方をして居て、中身は柔らかかったが、所謂半熟と言う物では無かった。
一昔前の半熟オムライスブームに辟易して居た身としては、有難かった。浮付いて居ないオムライスだった。トマトソースがライスと卵の間に掛かって居り、スプーンで掬って食べると、流行りのコテコテの味付では無い素朴な味がした。所謂「昔ながらの喫茶店の味」なのかも知れないと思った。
オムライスと同時に民芸調の陶器のカップに入った紅茶が来て、お代わり用の紅茶も円柱形のコーヒーポットに入れられテーブルに置かれた。砂糖壺が隣の空いて居る机から移され、プチフールのクッキーが2つ乗った小皿も出された。
オムライスを食べつつ、紅茶を飲みつつ、本を読んだ。ホッパーの中年時代の作品はシュルレアリスムのダリとの比較がされていた。また、絵の中に描かれた窓から見える自然が評価されていた。ジャズの音楽は、飾られて居るLPジャケットが変わって居ないので同じ演奏家の物だったのだろうが、曲調が穏やかな物に移っていた。
カップの紅茶を飲み干したら、コーヒーポットに入った紅茶を注ぐ。全部注ぐと、丁度カップ1杯分だった。
壺から紅茶カップへ砂糖を運ぶ時、壁に肘が当たって意図せずテーブルの上に溢してしまった。閉じて居た本の表紙の上に掛かったのは少しだったので先ず其を払い、テーブルの上の物は少しお手拭きで拭いた。コーヒーソーサーの上に1番多く溢していたが、それは気にしない事にした。
テーブルの上の物の位置を調整し、再びカップに砂糖を入れた。今度は溢さずに済んだが、動きがゆっくりだったためスプーンに付いた砂糖に多くの蒸気が吸われた気がした。
残り少なくなっても、オムライスは温かいままだった。試しにパンをちょんちょんと、指で2回触ってみた。ほんのり温かかった。最後まで自分のペースで口に運び、オムライスを完食する。
オムライスの皿を脇に避け、少し残って居た紅茶を自分の目の前に持って来る。プチフールの皿を其の隣に置く。クッキーの1つはチョコのよく有る味だったが、もう1つは少し強い柑橘系の風味で、驚かされた。紅茶の残りを飲んだ。
厨房の方をチラチラと見て、意を決して「ご馳走様でした、お会計…お会計をお願いします」と言う。「はいー」と声が聞こえて店主が遣って来る。千円札を出してお釣りが100円。
本を机から本棚に戻そうとしたが、「あ、良いですよー」と店主が戻した。コートを着て、店を出る。人形がお見送りをする。外は暗くなっていた。もう1回来れると良いな、まだホッパーの本を全部読んで無いし、と思った。
掌編 @highredin
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