『異世界に生まれた101人目の人間』

@eleven_nine

『異世界に生まれた101人目の人間』

『異世界に生まれた101人目の人間』


 かつて現実世界とは異なる世界――異世界に転移した100人の人間がいました。

 彼らの内、何不自由ない満ち足りた生活を満喫したものもいましたが、それと同様に自身の欲望に従った行動に走る者も少なからず存在しました。

 死ぬことがなく感情の起伏に乏しい群像集合体である異世界人は、彼ら人間を観察し、彼らが望むものを与え、彼ら人間が望むことを奉仕しました。

 転移した人間にとってはそんな満ち足りた生活ではありましたが、やがて彼らは気付いてしまいました。

 確かに満ち足りています。しかし満ち足り過ぎているからこそ、彼ら人間は次第にその生活に虚無感を覚え始めてしまったのです。

 望んだものは全て手に入り、何をやっても許されてしまい、自殺や望んだ死以外では死ぬこともできない彼らは、自分たちの存在意義について疑問を持ち始めてしまったのです。

 そして時期はそれぞれ違えど、最終的に彼らは全員、自分の存在の無意味さ、儚さを悟ってしまいました。

 それを悟った人々に未来はありませんでした。

 彼らは全員、それぞれの方法にて自ら死を選びました。


 100人の人間が死に絶えたとき、彼らを招待した異世界人は程度は低いながらも悲しみました。

 しかしそれは人間が死んだことに対する、死に対する悲しみではなく、自分たちが楽しむ娯楽的対象が消えてしまったことに対しての悲しみでした。

 異世界人は彼らが作った、人間世界で言うところの『テレビ』によって招待した人間たちを観察して楽しんでいたのです。

 人間がいなくなってしまったという事実に対する悲しみという点では同じでしたが、やはりそれは人間が通常抱くような死への悲しみとは違うのでした。

 もちろん、中には親しくしていた人間が死んでしまったことに対する悲しみを抱いた異世界人もいたかもしれませんが……。


 それはさておき、そんな悲しみに暮れる異世界人たちはとある発見をしました。

 異世界に招待されて自殺を遂げた女性の中の一人に、子供を宿していた者がいたのです。

 その子供は臨月に達しており、異世界人たちは彼らの技術によって死んだ女性の身体から子供を取り出すことに成功しました。

 異世界人たちは喜びました。

 もちろんそれは新しい生命が誕生したことに対しての喜び、ではなく、観察対象がまだいたことに対する娯楽的喜びでした。


 しかし異世界人は困りました。

 生まれたばかりの赤ん坊は言葉を知りません。ものに対する知識もありません。自分が人間であるということすら認知していません。

 ただ泣くばかりです。

 それまで転移した人間の願いを叶えてきた異世界人は、彼らの願いを全て彼らの言語を通じて知り得てきたのです。もちろん人間の赤ん坊を育てた経験などあるわけがありません。

 そこで異世界人たちはその人間の赤ん坊を育てて、観察して楽しむために、色々と試行錯誤を始めました。

 まず取り掛かったのは、言葉を話せない赤ん坊の思考や欲求を読み取ることでした。

 それは比較的簡単にできました。異世界人たちは人間の言葉を理解するために専用の翻訳機を開発しており、それを人間の赤ん坊のために応用しただけで済んだからです。

 赤ん坊の思考や欲求が分かれば、後は簡単でした。お腹が空いた、暑い、寒い、狭い、広い、寂しい、など赤ん坊の欲求に合わせたものを提供すれば良いからです。

 もちろん赤ん坊は言葉を知らないため、それらの欲求は思考としては成り立っておらず、あくまで抽象的な、概念的なものに過ぎませんでしたが。

 異世界人にとっては、例え概念的な欲求であっても、理解できればそれで充分でした。

 そしてだからこそ、異世界人たちは赤ん坊に、人間が使っている様々な国の言語や、自分たちが使用する異世界言語を教えませんでした。

 赤ん坊の欲求さえ理解できればそれで良いのですから、当然と言えば当然でした。

 それに付随して、人間界や異世界における科学や数学、歴史などの学問的知識や技術なども教えませんでした。

 その人間の赤ん坊を観察できればそれで良いのですから、当然と言えば当然でした。

 むしろ、無知無能の赤ん坊が成長して、何を考えて何をするのか、いままでの人間ではまず観察できなかったその状態を綿密に見ることができるため、大いに喜んだりもしました。


 赤ん坊は成長して子供となり、大人となり、中年となり、やがて老人となりました。

 その101人目の人間は、それまでの100人の人間たちとは違って、何も疑問に思いませんでした。

 自分の存在について、異世界人の存在について、自分の周りの世界について、自分が住んでいる部屋の外にはいったい何が存在しているのかについて――全く何も疑問に思いませんでした。

 生まれたときからそうだったその人間にとって、それが当たり前だったからです。知識も技術も全く身に付けていない空白の人間にとって、そこにあるもの、存在しているものが全てであり、それ以外の全てはどうでも良かった……というよりも知りようがなかったからです。

 もちろん、自分が本来帰属するべきはずの人間世界の存在など、露ほども思い至りませんでした。

 異世界人たちも特に聞かれなかったため、教えませんでした。両者の平行的な態度は、当然と言えば当然でした。


 やがて老人となった赤ん坊の身体は衰えていきました。

 異世界では人間の身体は自殺や望んだ死以外では活動を停止しませんが、老人となった赤ん坊はそれを知りません。

 ただ綺麗で白いベッドの上で横たわる老人が漠然と考えたのは、このまま眠ったらどうなるのだろうかということでした。

 老人は『死』という概念すら知りません。

 しかし人間の本能とも呼ぶべきものなのでしょうか、その老人は次に自分が眠ったとき、二度と目覚めることはないだろうな、と、漠然と思いました。

 また老人は思いました。

 ――それもまた悪くない。

 ただ一つ、最期の眠りに就く前のその老人にとある感情が芽生えました。

 ――このまま独りきりで眠るのは寂しい。誰か一緒についてきてほしい。

 と。

 そして老人はまぶたを閉じて、最期の眠りへと落ちていきました。


 老人の最期を見届けた異世界人は悲しむと同時に困りました。

 老人の最期の願いを叶えてあげたい。しかし群像集合体であり、人間とは違う身体構造をしており、『死』という概念から解き放たれている彼ら異世界人は自ら『死』ぬことができません。

 また群像集合体の一部では、異種族の老人のために自分たちが死ぬなどということは馬鹿げている、と考える者もいました。

 『死』を望む者も、望まない者もいましたが、それでもやはり老人の願いを叶えてあげたいという部分は一致していました。

 彼ら異世界人たちは、群像集合体による綿密な評議と、万全な公平を期した採決をおこないました。

 その結果、老人の願いを叶えられるとともに、誰にとっても明白な一つの案が採択されました。

 異世界人たちは101人目の人間のことも含めて、その採択について人間界の人々に話しました。

 それを聞いた人間界の人々は、ほとんど全員が猛烈に反対しました。

 異世界人たちは、なぜ同族である人間が死に際に思った願い事なのに、彼ら人間界は反発するのだろうと疑問に思いました。

 彼ら人間界の人々は、持てる限りの知識や技術、化学兵器や生物兵器を用いて、その願い事を阻止するための戦争を異世界人たちに仕掛けました。

 しかし100人もの人間を自分たちの世界に招待させることができ、彼らよりも高次元に位置する異世界人たちに、それら人間たちの反抗が通用するはずもありません。

 全ての力を出し切り、疲労困憊、満身創痍の人間界に、異世界人たちは告げました。

 ――それでは101人目に生まれた人間の願い事を叶えたいと思います。

 と。

 そして、異世界人たちは自分たちが持つ最も安価で簡単な兵器を使って、人間界を攻撃しました。

 そのようにして、人間界は滅んだのでした。




















 いかがでしたか?

 以上が、長年にわたって私たちが関わってきた、とある人間界の顛末です。

 お楽しみいただけましたか?

 お楽しみいただけたのなら、幸いです。

 伝えた甲斐があるというものです。




 さて。

 それでは次の世界を探すとしましょうか。



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