古書の香り

本はいい、紙に記されたインクを目で追うごとにその世界にのめり込んでいく。

そうすることでここではないどこかに気軽に、そして手軽に行くことができる。

昨今電子書籍が台頭し、誰でも手元に本棚を持ちあることができるようになった現代だが、その流れに抗うように私は紙の本にこだわる。脳科学的に紙のほうが記憶残りやすいなど様々理由はあるが、私にはそういう理由はなかった。


起床後、朝の支度をする、朝食と最低限の化粧を済ませ職場へと向かう。私の職場は街の隅、賑わいから身を隠すようにひっそりと佇む。知り合いには不評以外の言葉はなかった。


「好きなことを仕事にしたのはいいコトなのは理解できるけどさぁ、まだ若いんだから、こんなとこで仕事してたら身も心もカビとホコリまみれになっちゃうよ?」


「ははは・・・でもお客さんはあんまり来ないし、仕事はないわけじゃないけど、まぁ楽だよ」


「けどさぁ、そんな店、採算取れてんの?」


「利益は、全然だよ。でも店長が趣味の延長線だって。別口で収入があるみたいだからお給料はちゃんと貰えるし」


「まぁアンタがやりたいって言うなら」


彼女は苦虫を噛み潰した表情でコーヒーを啜る。こんな感じのことは言われ慣れている。

でも私は本が好きだから、この仕事は天職だと思っている。


いつものようにカウンターでページを捲る。1日のうちに客が来ないともザラにある。人によっては退屈だとも感じるかもしれないが、本を読んでいれば時間は勝手にすぎる。そうやって変わらない日々が過ぎていた。


週も終わりを迎えようかとしている今日、茜が空から沈むころにその人は訪れた。

「すみませ~ん、本の買取り・・・を・・・」

ダンボールを抱えて硬直した彼はまっすぐにこちらを見つめいていた。


後の彼を考えればこの時は静かなものだった。作業中はこちらをチラチラと見るような視線はあったもののおとなしいものだった。


「あの!明日、もしご都合がよろしければ、お茶などいかがでしょうか!」

本の状態や数の確認を終え、会計を済ませると、今まで黙っていた彼が口を開く。

私は今ナンパされているのだろうか。こんな物好きしか寄らないような場所で?

そうやって目を白黒させているうちに、思わず首を縦に振ってしまった。


翌日、昼過ぎに彼の誘う喫茶店へ足を運んだ。そこでの彼は本への思いを生き生きと語った。思い出の作品、好きなジャンルや作者などを連ねるように話していった。


「――さんはなにかありますか?好きな本、ジャンルとかって」


「そうですね、官能小説なんかが好きです」


瞬間、今までブレーキを知らなかった彼の口が凍って固まった。


「冗談です」


カップをこちらへ方向けぬるい紅茶を流し込む。苦笑いで溶かした口を再び回す。

彼が話している様子を傍らに古書の頁をめくる。少し騒がしいがラジオの代わりくらいには、と話半分に指でなぞるようにして文字を追う。そうして幾ばくか経った頃だろうか、ひとしきり語った彼はこちらへ話題を向けた。


「古書、ですか?今読んでるのって」


「そうですね」


「なにかこだわりとかってあるんですか?勤めてらっしゃるのも古書店なので…」


「こだわり、ですか」


そういったものはないと、答えた後少しの会話とともに店を出、帰路につく。

こだわり、そういったものはないと思っていた。ただ漠然と雰囲気がすきで読んでいた。だがこれを改めて言語化しようとすると案外難しい。帰路の途中そのことについて頭を悩ませた。

家につく頃には胸にストンと落ち着く答えが出ていた。


私はきっと古書の香りが好きなのだと。時間の経った紙と僅かばかりの埃の匂い。本自体の歴史や足取りを思わせるソレを感じながらめくるページの感覚、それらが一層私を本の世界を引き込んでいく。新書や電子書籍にはない古書の魅力。懐古的とも取れる”こだわり”に私は惹かれていた。

それを理解してから読みすすめる本は少し違った趣を見せた。

歳月を重ねた昼下がり、また彼の声を聞き流しながら古書をめくる。

紅茶に桜のジャムを添えて

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シーンアルバム やきざかな @yakizakana11

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