第4話彼女を取り返せ
「……チャムチャック、ここが奴らのアジトがある場所か?」
イブシェードとラインバルトがたどり着いた場所。そこはかつては小さな漁村のある場所――の、はずだった。
「ぐけけっっ!」
「……そうか。間違いないか」
そして今現在は、どこからどうみても漁師なんかに見えない如何わしい連中の闊歩する危険地域だった。
「なぁ兄ちゃんよ。本当にここか?」
ラインバルトも何とか体力を回復させながら、イブシェードに聞いた。
「えぇ間違いないですよ。いくら海賊連中でも母港にしたい場所は欲しいでしょうからね。
――あれを見てください」
現在二人が隠れて様子を窺っている海岸の岩場――。その影からイブシェードが指を差す。
彼の指差す先を見やるラインバルト。そこには入江になった崖の所だった。
そしてその先には、入江に隠すように帆船が鎮座していた。
「……ありゃ、帆船か?」
ラインバルトの問いに、
「えぇ。間違いなく奴らの――ドーマ海賊団の船ですよ」
イブシェードが双眸を細め答える。
「あいつらは結構極悪な海賊団ですからね……海軍の連中もまともに手を出せないみたいなんですよ。おまけに付近の役人連中に賄賂まで贈って悪事を隠蔽していますしね」
手配書に載っていたのにどうりで見つからないわけだ……とイブシェードはため息をついた。
「ど……どうすんだよ兄ちゃん……!」
ラインバルトは冷や汗をかきながら、イブシェードに尋ねた。
「俺は奴らの船に乗り込みますよ。さらわれたハルカちゃん……でしたっけ? を助けないといけませんし」
イブシェードの答えに迷いは無い。
「ラインバルトさんはどうしますか? 俺一人じゃ守るのは難しいかも知れませんが――」
「い、いや俺も行くぞ兄ちゃん!!」
震えた声が、辺りに響く。
「し! 奴らに聞かれますよ!!」
イブシェードが口に人差し指を当てる。
「あ、あぁすまねぇ……」
「しかし無茶は感心できないですね? いくらなんでも何でもない貴方が着いてくるなんて……」
「だがよ、兄ちゃん。さらわれたハルカちゃんをこのままにしとく訳には……」
「足が震えて脂汗まみれでも、ですか?」
イブシェードの射抜くような双眸に、はっとなるラインバルト。気づいた両足はガタガタと震えており、服もしっとりと湿り、さらには失禁しそうな程に恐怖が心を塗り潰している事を。
「く……くそ! くそっっ!!」
バシバシと膝を握り拳で叩いて震えを鎮めようとするラインバルト。もちろんそんなもので治まるはずはない。
「あ、あぁそうだよ! 怖いものは怖いさ!! でもよ! ハルカちゃんは独りぼっちで頑張って来たんだ!! 俺だって助けたいんだよ!! ダサいかよ!? かっこ悪いかよっっ?!」
震えながらも早口で、彼を眺めるイブシェードに声を上げるラインバルト。
「……そんな訳ないでしょう」
イブシェードは静かに返した。
「それならますます、何とかしてハルカさんの所に案内しませんとね……。おおよその検討はつきますが……。
――!!」
刹那、勢い良くイブシェードが振り返る。同じように振り向こうとしたラインバルトだったが、
「へへへ……誰だぁお前ら?」
振り向かなくても、状況を悟る。奴ら――ドーマ海賊団の連中にバレたのだ。
ゆっくりと脂汗まみれの顔を振り向かせるラインバルト。そこには当然、ならず者達がカトラスや手斧、こん棒やナイフ、ピストル等を得物に囲んでいたのだ。
「に……兄ちゃんどうするよ……」
恐慌寸前まで震えながら、ラインバルトは尋ねる。
「……ラインバルトさんはチャムチャックを追いかけてください」
イブシェードは烏を指差し告げた。
「彼はユウキさんの通信用の烏。彼の居場所はどこにいても把握できるはずです……早く!」
「だ、だがよ! 兄ちゃんは……」
「早く!!」
難色を示すラインバルトに今度は強い口調で叫ぶイブシェード。ラインバルトは残るべきかどうか真剣に悩んだが……。
「わ、悪い兄ちゃん! すまねぇ!!」
烏と一緒に、岩場から飛び出したのだ。
「オイオイ、二手に別れたって死ぬのが長引くだけだぞ?」
「そうか?」
イブシェード、海賊の脅しにも屈さず煙草にマッチで火を点けた。
「あん? なに呑気に煙草なんぞ吸ってるんだ?」
ふぅーっと紫煙を吐くイブシェードが気に入らないのか、海賊の一人が噛みつく。
「多分あれだ。死ぬ前に一服したかったんだぜ!」
ギャハハハハッッと下品に笑いあう海賊連中。イブシェードは何も答えない。
「じゃああれだ、殺す前に聞かねぇとな?
一服はしたみたいだが美味い飯は食ったか? 良い女は抱いたか? 酒はしこたま呑んだか? 何せこれからお前は死ぬんだからな!」
高笑いしながらカトラスを振り上げるリーダー格の海賊。
ドドンッッ!
……轟音が響いたのは、その時だった。
「……へ?」
刹那。周りの海賊連中が片眼から血を噴き出して倒れてゆく。
「は……? へ……?」
理解が追いつかず、ぱちくりなるリーダー格。
「……ふむ。音がずれたか。ちょっと腕が鈍ったかな?」
ゆっくりと声のした方に視線を這わせるリーダー格。
「あまり最近戦わなかったからな。仕方ない」
キンキンキン……と筒状の金属が六つ地面に落下する中で、死神みたいな静かな声が響く。
彼の双眸が捉えた先。そこには変わったピストルを持ったイブシェードが立っている。銃身を中で折り、蓮根のような六つの穴の空いた弾倉に弾を装填していた。
「俺をそこらの錬金術師と同じように見られちゃ困るな」
ぱちりと中折れ銃身を填めて。再度構え直す。
……彼らは知らない昔話がある。錬金術の国『アスカラナン帝国』と四つの海を支配した『エステリア帝国』との戦争。その中の一つである『イスタルバ防衛戦』でエステリア軍を壊滅に追い込んだ銃使いの少佐『
……そしてその黒狼の名前が『イブシェード・バガー』という事を。
「さて……。
美味い食事はたらふく食べましたか? 心ゆくまで一服は? 良い女はしっかり抱きましたか? 酒はしこたま呑みましたか? もしやり損ねて心残りがあっても忘れなさい。何故なら――」
一旦区切り、イブシェードは鎖の装飾が彫り込まれた愛銃『グレイプニル』の擊鉄を上げ、
「貴方がたは今すぐ、全員処刑台に登るのですからね」
静かに死刑宣告を、した。
「く……くそ! やっちまえ!!」
リーダー格が下っぱ達に命令。近接武器の奴らはイブシェードを囲んで一斉に飛びかかる。
しかしイブシェードは正確に眼窩に弾丸を撃ち込み。一発一発で丁寧に命を奪ってゆく。
やがて弾丸が尽きて排莢。さらに弾丸をポケットから取り出して装填。
「ギャハハ! これでどうだ?!」
その瞬間リーダー格の声。イブシェードが顔を上げるとそこには、ピストルを向けた奴らが横一列に並んでいた。
「撃てぇ!」
合図と共にトリガーが引かれ、フリントロックのピストルが火を吹いた。一斉発射の影響か、濃霧のような硝煙の幕が立ち昇り。イブシェードの姿が見えなくなる。だがあれだけ撃てば蜂の巣は間違いないと、リーダー格は踏んでいた。
しかし。ガン! や、ギィン!! 等の金属音しか硝煙の中から起こらない。明らかに人体の音では無いので怪訝そうになるリーダー格。
やがて晴れた煙を見て、状況を悟り、絶句した。
「終わりか?」
煙草を咥えたイブシェードが、無傷で立っていたのだ。足元に散らばるは鉛弾。ついさっき自分たちが撃ち込んだ弾丸達だ。どうやらイブシェード、銃身で弾丸を弾いて叩き落としたらしい。
「この野郎ぉぉおおっっ!」
雄叫びを上げて突撃してくる集団に、イブシェードはグレイプニルを向けて正確に急所に弾丸を撃ち込む。さらに排莢、弾丸を込める。当然そんな隙だらけの状態を奴らが黙って見ているはずはなく。不意打ち気味にでも襲いかかる。しかしイブシェードは横蹴りや甲蹴り、前蹴りで鳩尾や顔面を蹴りつけて怯ませつつ装填を終えて。再度弾丸を撃ち込む。
轟音が止んだ時にはもう、誰一人立ってはいなかった。全員が全員、流れ出た血の淀みの中に沈んでいる……。
「……?」
一瞬怪訝な顔になるイブシェード。
しかし彼はグレイプニルを白衣の下にしまうと、
「……早くラインバルトさんを追いかけませんとね」
煙草を一服しながら先を急ぐ。
(へへへ……引っかかったな馬鹿が!)
そんなイブシェードを横目で見送りながら、カトラスに手を掛けるリーダー格。実は彼、不意打ちを仕掛ける為に弾丸を食らったよう見せかけ、死んだ振りをしていたのだ。
イブシェードは気にせず先を急ぐ。そんな彼の背後でカトラスを持ったリーダー格が音も無く起き上がり、刀身を振りかざす。
(死ねやスカしたクソ野郎が!!)
刀身をイブシェードにめり込ませようとしてカトラスが虚空を走る。
しかしイブシェードは踏み出した左足で落ちていたカトラスを空中に跳ね上げて。そのまま空で柄を握ると反転し、相手の懐に飛び込んで身体の中央に突き刺したのだ。
「かは……!」
口から小さい悲鳴を出すリーダー格に、
「……風穴なら小さい方で満足するといい。痛さはどちらも変わらんよ」
イブシェードは静かに告げた。
そのままどさりと倒れるリーダー格。
「……さて、早くラインバルトさんを助けに向かいませんと」
彼の絶命を見届けてから、イブシェードは駆けていった。
◇◇◇
「何するのですか! 離して下さい!!」
鎮座する帆船の船長室に、縄で縛られたハルカの声が響く。
「船長。今回の獲物は中々でしょう?」
ついさっきハルカをさらった海賊の一人が、船長にゴマをすっていた。
「あぁ確かに。これならオニヘビの奴に売りつけたらしばらくは遊んでられるな」
その船長――まぁ船員と似たり寄ったりな布を頭に巻いていて、略奪品なのかちょっとサイズの合わないコートを羽織り。カトラスを腰に提げている若干筋肉質な中年が下品な笑みを浮かべた。絞まりの無いとても品の無い笑みだ。特にハルカのローブの下から覗く、滲み一つ無い綺麗な両脚――その間を嘗め回すように眺めているし。
う……っと青ざめて引くハルカ。
「しかし手が出せねぇのが辛いなぁ……何せオニヘビの野郎、「手を出したら無料で引き取る」なんて言いやがったし……」
「下手したら「一生人間に生まれた事を後悔させる」とか言っていましたし……」
「あのオニヘビ連中だからな。怒らせたらうちの海賊団ごと壊されるぞ……」
二人共、震えていた。
(……つまり、今は私には手が出せないみたいですね)
少しだけ、勝機を見出だすハルカ。それなら次の方針は何とか脱出しないといけない訳だ。このまま黙って待っているのも得策だ、確かにそうだ。取引先を聞いてハルカは安堵すらしたのだから。
しかし。それと脱出策を練らないのは話は別だ。この飢えた獣みたいな奴らがいつ自分に手を出さないか判らないのだし……。
「な、なぁ。ちょっとだけなら食っちまっても問題無いだろ?」
その話が出てきた瞬間、ハルカはローブの『中』から鞘に収まったナイフをこっそり取り出して、手の中に隠し覚悟を決める。
「船長?! オニヘビ怒らせたらマズいっすよ!!」
「ちょっとならバレねぇだろちょっとなら。だいたいこんな器量良いような女なら手ぐらいつけたくなるってもんだしそれに――。
この上等なローブも脱がして別に売らないとな?」
船員の言葉を無視してじりじりとハルカに近づく船長。
「い、嫌です。来ないで下さい……」
まずい。まだナイフは鞘に収まったままなのに。何とかバレないように鞘を抜こうとしながらハルカは後退る。
「おいおい、そう逃げるなよ?」
さらに近づく船長に後退るハルカ。
やがて彼女の背中がどん、と壁にぶつかる。
「もー逃げられねぇぞ? ほー蛇革か……中々珍しいローブだ――」
そして彼女のローブの前を力ずくではだけさせようとしたその瞬間だった。
「い、痛いっっ!!」
突然ハルカが激痛に耐える人間のような苦悶の顔で絶叫を上げた。
「は?」
きょとんとなって船長は彼女の胸元に眼を下ろす。身を刻まれたような彼女の顔の下。型の良い乳房とローブはそれぞれお互いにぴったりと張り付いていて、そこが千切れて血が滴っていたのだ。
改めて蒼白の船長がローブ全体を見てみると、臀部から脚部は誤魔化すように身体から離しているが、背中から胸部や腹部を覆うように張り付いている。その様子は……まさに皮膚が衣服にそのものになっていると言っても過言ではない。
「まさかこいつ……亜人か?」
船長が驚愕した刹那。ハルカのナイフの鞘が外れ、縄を切れた。そのままハルカは思いっきり船長の鳩尾を蹴り上げ、
(早く逃げないと……!)
脇目も振らない全速力で扉を体当たりで開けて逃走する。
「商品が逃げたぞ! 追え!! 亜人で美人なんぞさらに値段が上がるかも知れねぇ!!」
下衆を極めた命令が廊下に響く。
「何とかして逃げ出さないと……!」
ハルカは自分を追ってくる海賊達を睨みながら逃走する。間取りは何となく判る。この船はカルク船だ。元々は貿易等に使われていて乗員は千人程度。船室の位置は船長室が最後尾の階段を下がった所にあるから甲板にでるにはまっすぐ走っていけばよい。船員がどこに潜みどこから飛び出してくるかも船室の間取りから予想は出来る。
(食糧庫はこの下で、ここは中間ぐらいかな? だったら階段か梯子を見つけないと……!)
ハルカはまだ鮮血の滴り落ちるローブを撫でながら、走る。後ろからは怒号が津波のように押し寄せて来ている。
「白露よ集え、迷宮を築け。彼の者達を永遠の迷いに導け」
ふわっ……と魔法の霧が船内に満ちる。この魔法は方向感覚を狂わせ幻影を見せる霧を発生させる魔法。狭い船内なら十分凶悪な威力の魔法だ。ハルカは霧に閉ざされた廊下を一気に駆け抜けつつ階段の場所を突き止めた。
「よし。アブサラストの光よ。我が傷を癒し加護を与えたまへ」
怪我を治す呪文を唱えつつ、階段を上がるハルカ。
「ラインバルトさま、私は必ず何事も無かったように帰ります。貴方には絶対に心配をかけさせたくありませんので」
決意を新たに、脱出を急ぐのだった。
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