第2話港町フォーニー
それから一日後、港町に二人は着いた。本来ならもう少し到着は早かったのだが……帆の破れが酷かった為か速度が出なかった事と、あの幽霊船のような見てくれでは接岸は難しいと二人は判断した為、港町から離れた場所で錨を降ろしてラインバルトの乗っていた小舟に乗り換えて港町に入港したのが原因で遅れてしまったのだ。
「う、わぁ……! 大きな港町ですね……!!」
「あぁ。この港町『フォーニー』はここらの地域でも有名な場所だからな」
微笑みながら町を吹き抜ける潮風を一身に浴びるハルカを見つつ、ラインバルトは空を見上げて答えた。
港町『フォーニー』。ここは海の拠点として有名な町だ。ずっと昔から大型の貿易船を係留出来る港や造船所を有し様々な交易品や海の幸を干物に加工して内陸部へと出荷している問屋も数多い。
「……このフォーニーなら、ハルカちゃんの新しい仲間や船もきっと見つかるはずだ。良かったな」
辺りに満ちる生乾きの魚の干物の匂いを吸いながら答えるラインバルトに、
「はい……!」
彼女は嬉しそうに、ラインバルトに返した。
「……しかしどこに行こうかね……?」
きょろきょろと見回すラインバルト。彼は外洋航海の知識は絶無だった。だから当てがある訳でも目端が利く訳でも無い。何を揃えたら、とかどんな船乗りが、とかは全く判らなかった。
「……そう言えばこの港町の名前はフォーニーでしたよね?」
「? あぁそうだが」
「……でしたら私、『お兄さま』に会いたいです!」
ハルカは力強く答えた。
「お兄さま?」
「はい。この業物のナイフを下さった私の一族のお兄さまです! 元々は行商人でしたが……今はフォーニーという港町でお店を開いているのだと手紙で聞いていました。お兄さまでしたら色々な取引先と『契約』していますから、どんなものでも揃えてくださるはずです!」
……なるほど、彼女の話を聞く限りどうやらお兄さまはかなり信用のある商人みたいだ。腰から鞘ごとナイフを取って見せるハルカを見て、ラインバルトは確信する。
「そこなら船に必要な物は手に入るって訳か……。よし、探してみるか」
親指で先を促す彼に、
「はい! ラインバルトさま!」
ハルカはついてくる。
「……まぁしかしだ。新しい船とか装備とかは整うだろうが船乗り仲間まではさすがに無理だろうな。ハルカちゃんもしっかり船着き場で船乗り仲間は探すんだ――」
笑いながらラインバルトが独り行動指針を述べていた時、
「……あの! ラインバルトさま!!」
彼女が町を吹き抜ける風に負けない大声を上げた。
「ん?」
目を見開いて振り返るラインバルトに、
「ラインバルトさま……私と一緒に船乗りになってくださいませんか?」
ハルカは顔を赤くして双眸を閉じながら、必死にローブの裾を掴んで尋ねた。
「……はい?」
少しばかり間を置いて、聞き返すラインバルトに、
「あ、で、ですから私と一緒に船乗りを……」
もう唇か頬か見分けがつかないぐらいに真っ赤な顔で、両手を慌てふためかせながら。ハルカは再度尋ねた。
「いや待ってくれ。何で俺だ? 確かに俺は漁師だし海にはそこそこ慣れているが……船の心得は全くねぇぞ?」
そう。ラインバルトは船乗りだがあくまでも小舟で漁をする漁師なのだ。帆船の乗り方や外洋の航海術などの知識はなかった。
「……それでも私、ラインバルトさまと海の冒険がしてみたいです! どうか……どうかよろしくお願いいたします……!!」
……しかしハルカは本気らしい。必死に言葉を紡いで勧誘してきた。
(いや待ってくれ。何で俺だよ?)
ラインバルトには彼女の考えが読めなかった。自分には外洋航海の知識は絶無だ。何で彼女が必死になって勧誘してくるか検討がつかないのだ。
「あ、あの……?」
真っ赤な顔でおずおずと見上げ、震えながら返事を待つハルカに、
「あー考えとくわ。
とりあえず二手に別れて探そうか。俺はあっちだ。夕方までに見つからなかったらあのオンボロ船で集合な」
ラインバルトは無理やり話を変えて別の道を歩いていった。
「あ……!」
ハルカはそんな彼を引き止めようとして手を伸ばし……何も掴めないまま空を指先で掻いたのだった。
◇◇◇
彼女と別れてちょっとして。ラインバルトは路地裏を早足で歩きながら後悔していた。彼女のお願いにまともに答えなかった事、意図的に彼女から離れてしまった事が、彼に忸怩たる気持ちを湧かせていたのだ。
(有り体に言って見た目も中身もかなり器量良しの娘さんなんだよな……)
そう。ハルカはかなり良く出来た娘さんなのだ。うちの漁村にいたら嫁に迎えたい奴らが後を絶たないだろう。俺みたいなしみったれのしがない漁師崩れなんかと一緒に居ていい理由なんかないのだ。あの娘にはあの娘の、目指すべき世界があるのだから……。ラインバルトはふとむず痒くなった眼を擦り何故か濡れていた事に気づく。
しかしあれだ。別れちまったのは失敗だったかな。ラインバルトは石壁の影から空を見上げて呻く。そう、二手に別れてハルカちゃんの兄貴の店を探す予定だったのだが……肝心の姿を自分が知らないのだ。これじゃ探すものも探せないし、本当に迂闊である。
(……らしくねぇな)
ラインバルトは嘆息した。本当に、らしくない。
……ふと、その時。『ナニか』が走っていった。
「あん?」
猫か? とラインバルトは目で追ったが……捉えきれなかった。普通ならどうでもいいのだが……今は少し、気になる。ちょっと追いかけてみた。
「確かあっちの奥だったな……」
ラインバルトはその影が曲がった方に向かってゆく。もっとも影がどんな物でどっちに行ったのかは知らないから……適当に当たりをつけるしかないのだが。
「あの角かな?」
ラインバルトは多分こっちだろうと直感で曲がる。
そしてその先に、その『店』を見つけたのだった。
◇◇◇
「……何だこりゃ?」
一言でその店の特徴を表すなら、確かにそれが相応しい。
それは確かに看板を掲げた店だった。
しかし。それを『店』かと尋ねられたら首を傾げただろう。
まず最初の特徴は、ここだけやたらと薄暗いだ。まだ昼過ぎだっていうのにやたらと暗い。ついでになんか、寒い。
そして肝心の『店』はというと、付近が石造りだというのに曲がりくねった木造であちこちが歪んでおまけに黴が生えている……。
生き物の気配を感じラインバルトが辺りを見回すと。そこにはカラスと黒猫が居てこちらを見つめていた。
「ぐけけけけっっ!!」
「くきゃきゃきゃきゃっっ!!」
そして二匹共、こちらと目が合うと鳴き声を上げて逃げた。……もっとも、カラスも猫もそんな鳴き声は出さないはずなのだが……?
ふと気配を感じると、足元に光る玉が転がってきた。ラインバルトは知らないが……これは古代の遺物の一つ『ミラーボール』だった。何故かそれがラインバルトの足元に転がってきて、ラインバルトに気づくと慌ててドリフトで逃走を図る。なるほど、俺が感じたのはこいつの気配らしい……らしい、らしいのだが、何でこいつが動いているのかは想像の外側にある。
それを訝しげな眼差しで見送ったラインバルト見上げた店の看板にはこう書いてある。
……『何でも屋』と。
「ヤバいな……帰ろう」
一目見て五感が告げる。ここはアウトだ。いたらロクな目に合わない、そんな場所だ。
くるりと回れ右して立ち去ろうとしたが……。何か気になった。後ろから裾を引っ張られる気配に立ち止まる。あの時ハルカちゃんの想いを無下にして立ち去った分、なおの事だ。そして気になったら……やっぱり気になる。
だから意を決して、ラインバルトはその扉を開いてみた。
◇◇◇
中はかなり狭く、天井まで所狭しと品物だかがらくたなのか皆目検討のつかない代物が積んであった。恐らく地震でも起きたら物の雪崩れで一発だろう。
そして……薄暗い。窓から光があまり入ってこないのか、足元がかろうじて見える程度の明るさしかなかった……。
まるでがらくた達の墓場だなと。ラインバルトは感じた。
「だからイブシェードさまよ! いくら俺っちの店でもこんな代物は流せませんぜ!!」
不意に店奥から声が響く。
驚きラインバルトが奥まで行くと、そこには一人と一匹の影が煙の中にいた。
「そこを何とかしてくれよ『ユウキ』さん。試作品なんで買い取り手はここぐらいしかいないんだよ」
一人は艶の無い癖のある黒髪の青年だ。野生の一匹狼のような鋭い眼差しと雰囲気の、白衣をコートの代わりに着込んでいる咥え煙草の青年だ。
「嫌ですぞ! イブシェードさまの試作品は試作品のレベル超えていますからな!! こんな代物が一点物なんて逆に商売になりませんぞ!! 売り込むのもよだきぃですし!!」
対するカウンターには一匹の蛇が葉巻を吸いながら座っている。頭の下が平べったい、古代のオシャレアイテムである『グラサン』をかけた柄の悪そうな大きな蛇だ。
(……ってありゃ『オニヘビ』じゃねぇか)
ラインバルト、カウンターの椅子に腰かける蛇の種族名を思い出す。奴らはオニヘビという種族で行商をしながら諸国を渡り歩いて生きている生き物だ。
後は……そう、世界が滅んでも何となく生きていけそうな面の皮が厚い――もとい、しぶとい生命力が最大の生き物だ。とは言え、うちの漁村にも良く来ては格安で色んな物売ってくるので、漁村内では自分を含めて人気が高い。
(……そんであの兄ちゃんはどっかでみたような……?)
むむむ……と唸るラインバルト。
「おや? お客さんかね?」
「お客様みたいだな、ユウキさん」
ラインバルトの気配を察知して、二人がこちらを向いた。
「いぃらぁしゃぁあい! 俺っちの『何でも屋』にようこそぉ!」
にぎにぎと揉み手みたいな仕草で(器用な奴だ)尻尾を振るオニヘビ。聞いたら耳から離れない、腐敗して蛆虫の湧いたパンのようにしつこく後を引く――なのだが少しだけ、爽やかな口調で。葉巻を一服しながらオニヘビはラインバルトを招く。
「あ、あぁ……すまねぇ……」
ラインバルトは頭を掻きつつオニヘビの方に向かう。
「ここは……何の店なんだ?」
「由緒正しき何でも屋! 東西南北の裏表を問わず珍品を取り扱っております!」
超いい笑顔で答えるオニヘビに、
「後は
しれっと咥え煙草の青年が付け足した。
「ちょっとイブシェードさま! かっこいい呼び名は止めてくださいよ!」
照れたように尻尾をぶんぶん振るオニヘビに、青年はやっぱり君たちだなぁと言いたげな生温かい眼差しを送っていた。
「……故買屋?」
「盗品を売買する店です! 盗品と知りつつ買うのですよ!」
オニヘビは葉巻を吹かしながら満面の笑顔だ。どうやら今まで会ったオニヘビと違い、こいつはくだけた口調に人当たりの良い性格らしい。
「……それ? いいのか?」
「故買は悪い事ではありませんぜ旦那! 俺っちは何も知りませんぜ! 流れてきたから何も聞かずに買う! 無くて困っている人に売る! それは正義の所業ですぞ!!」
……でもやっぱり、オニヘビはオニヘビだった。
「あんたは……店員か?」
「いえ。俺は客ですよ。ユウキさんに製品を卸しに来ていた錬金術師の『イブシェード・バガー』と言います。よろしくお願いします」
煙草を消して灰と吸い殻を懐から取り出した袋の中に入れながら、イブシェード青年は手を差し出した。
「あ、あぁ……よろしく……」
しどろもどろに手を握り返すラインバルト。イブシェード……錬金術師……? はて? どこかで会ったような……?
「あれ? あんたうちの漁村で確かこの前子どもの義足造っていた兄ちゃんじゃねぇか?」
「そう言えば貴方、この前の漁村ですれ違いましたね。あの時の方でしたか」
お互いに記憶が一致する。そう、ラインバルトは彼とすれ違った事があった。彼はだいぶ前に村の医者から頼まれて、足を無くした子どもの為に義足を造ってあげていた錬金術師の兄ちゃんだった。孤高の狼みたいな雰囲気だが気さくで生真面目で誠実な仕事をする兄ちゃんで、漁師仲間も一目置いていた。
「何であんたがこの店に?」
ラインバルトの疑問に、
「試作品を造ってみたからオニヘビに売ってもらおうと思っていたのですよ」
イブシェードは静かに答えた。
「だから嫌ですって! イブシェードさんのは試作品って出来じゃないから!!」
それを聞いたオニヘビ君、激しく嫌がる。
「酷いな、ユウキさん」
イブシェードは嘆息している。
「……この兄ちゃんの試作品ってな、そんなに出来が悪い物なのか?」
「違いますぜ旦那! 逆に出来が良すぎてしかも一点物だから売りようがないのですよ!!」
なるほど、出来が良すぎでしかも世界に一つじゃ買いたい奴ばっかで商売にゃならないなとラインバルトは合点した。それ以外にこの誠実な仕事の兄ちゃんの製品を買わない理由が思い至らないのだから。
「ところでお客さんは俺っちのお店に何しに来たんですかな?」
「船に必要な物を買おうとしたら、ここに行き着いたのだよ」
変なミラーボールの影を追いかけてきたのは伏せておいた。
「……舟に必要な物ですか? ここのところ魚は不漁気味だと聞いていますが、生活に必要なお金は大丈夫なんですか?」
イブシェードが気遣いながら尋ねてきた。どうやらうちの村不漁なのを知っていて気を回してくれているらしい。
「あぁいやいや。違うよ錬金術師さん。俺のおんぼろ小舟じゃなくて別の――たまたま知り合った船乗りさんの船なんだよ」
だから彼を安心させる為に、ラインバルトは訂正した。
「たまたま知り合った船乗りさんですか?」
イブシェードは気になるのだろう、さらに踏み込んできた。
「そうだ。まだ若いのに船乗り仲間が全員海賊にやられた挙げ句に積み荷も全部盗まれて……船もズタボロにされててな。可哀想で仕方ないんだよ」
「それは災難ですね……」
首肯しながら返すラインバルトに、イブシェードもまだ見ない船乗りさんに深く同情していた。
「なぁオニヘビの商人さんよ。何とかならないかな?」
ラインバルトはカウンターに身を乗り出して、オニヘビに問いかけた。
「出来ない事も無いっすけど……金が問題っすよ?」
「やっぱりそこか」
「この時代、無報酬で働きたい奴なんていませんよ。先立つ物が無くっちゃ話にゃならないですからね」
オニヘビのばっさり口調に頭を抱えるラインバルト。何とかハルカちゃんの力になりたいのだが……先立つ物は確かにない。
……なのだが。
「頼むよオニヘビさん! 俺のなけなしの全財産――銛とか網だって家とかだって売るから! 何なら俺だって売り飛ばしてくれても構わない!!」
ラインバルトはカウンターにぶつける程に頭を下げて、財布の中から貴重な銀貨を一枚オニヘビの前に置いた。
「お、お客さん! 出会って間もない相手に何でそこまで頑張るのですかなぁ……?」
「……あの子はまだ十六歳なんだ」
狼狽えているオニヘビに、ラインバルトは絞り出すように答えた。
「……十六歳で遠く離れた故郷から一人で頑張って飛び出してきて、心を許せる仲間達とやっと出会えたのに、海賊の略奪なんかで全部無くしたんだ……! 頼む! もう一度でいい! あの子に夢を掴ませてやってくれ!!」
ハルカの眩しい笑顔を脳裏に思い浮かべながら、ラインバルトは必死に無心した。
「……まぁ口では何と言ってもですね、私だって悪い奴じゃなきゃ何とかしてあげたいのは普通の気持ちですがね」
そんな彼を見やりつつ、オニヘビはちらりとイブシェードに視線を向ける。
「……ユウキさん。俺が船の具合を診てこようか?」
彼の気持ちを察して、イブシェードが微笑む。
「試作品を割り増しでお買い上げしますので――」
「半額を彼に、か? それなら良いかな」
「え? え?」
以心伝心で勝手に進んでゆく話に、ラインバルトはついて行けない。
「色々すみませんなぁ」
にぎにぎと尻尾を振るオニヘビに、
「この店内に居るんだ。俺も商品みたいなものだろう?」
イブシェードは煙草にマッチで火を点け一服。紫煙が薄暗い店内を揺らがせながら霧散する。
「えぇそりゃもう。目玉商品ですが♪」
「それは嬉しい評価だな。
さて、ラインバルトさん。船に案内してくれませんか? 船の査定をしたいですから」
イブシェードは扉を開きつつ、片眼を閉じて悪戯っぽく笑う。
「ま、待ってくれ兄ちゃん!」
ラインバルトも何とか彼を追って出ていく。
「やれやれ……情に絆されるとは。俺っちにしては今日は何か妙な一日ですなぁ?」
二人を見送りながら、オニヘビは葉巻を吹かした。
「ぐけけけけけけっっ!」
そんな時、店内に一羽の烏が舞い降りる。
「おやチャムチャックボンバービングリンド、どうしましたかな?」
その烏に親しげに話かけるオニヘビ。……しかし、名前が絶望的に何か嫌だった。
そのチャムチャック……長い。とにかく烏は何かしきりにオニヘビに向かって頷き続け、オニヘビもまたうむうむと頷いて、
「ははぁ。生きの良い『生』の『商品』ですかな? 若い娘さんなら高値が付きますかな♪ どれどれ、さらった海賊連中はどいつですかな?」
……信じられない事に、会話が成立していた。
「ぐけけけけ、ぐけ、ぐぐけけけけっっ!!」
「ほほ~♪ 『ドーマ海賊団』ですか♪ それなら中々期待できますなぁ♪ チャムチャックボンバービングリンド! 遊んで『キズモノ』にされない内に買い取りますぞと伝えなさいな♪」
「ぐけけけけけけけけっっ!!」
オニヘビの指示を受けて、烏は飛び立ってゆく。
「さて……今日はお休みですかな♪」
オニヘビは金貨の詰まった唐草模様の風呂敷を背負い、『本日臨時休業』の札を扉にかけて出ていったのだった。
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