第5話彼女のお兄様


 チャムチャックという烏に付いてゆき岸にあった小舟をこっそり拝借し。ラインバルトは今、カルク船の死角に隠れていた。


「ご主人の居場所はここか? チャムチャックとやら?」

「ぐけけけけっっ!」

「……どうもよく判らんがここみたいだな」


 ラインバルトは船の縁を見上げながら呟く。この烏の言葉は自分には判らないが……烏は間違いなくこの帆船を見ていた。


(唯一気になるのが、こいつが飛び立とうとしないところぐらいかな……)


 確かあの兄ちゃんはこいつに「ご主人の居るところに連れていってくれ」と頼んだはずだ。ここにあのオニヘビがいるのなら気配を感じて飛び立っても良いのに……。


「まぁいいや。とにかく乗り込むか……」


 そう呟くと、ラインバルトは小舟に隠されていた鍵縄を手に取り。ひゅんひゅんと風切り音と共に振り回して力を溜める。


「こういった物は使い方がいまいち判らんが……仕方ない」


 少し自信無さげに呟きつつも、ラインバルトは鍵縄を縁に向かって投げ込んだ。初めてにしては上手くいったみたいだ。縄を引いても落ちないのを見て安堵する。


「よし。登るか」


 ラインバルトは鍵縄を辿って甲板に上がる。

 甲板に見張りがいるのかと思ったが……誰もいなかった。


(……こんな大きい船なら船番とかいそうな物なんだがな……?)


 自分の想像していた状況と違い、ラインバルトは首を傾げた。まぁでも、いないならいないで構わない。こっそり忍び込むには適していると、ラインバルトは先を進む。この船は初めてだが……間取りはあのオンボロ貿易船を覚えていたのである程度なら判る気がする。


「……? なんか騒がしいな?」


 ラインバルトは甲板を進みながら眉根を寄せる。良くは判らないが船内で何か起きているような、ざわざわした空気がある……。この雰囲気は漁の時に感じる海鳥や魚のそれに似ていた。


(乱闘でも起きてるのかな? 船乗り連中は酒が入ると暴れる奴も多いからな)


 それならそれでますます好都合だと、ラインバルトはそっと先を急ぐ。

 刹那。船内に向かう扉が勢い良く開かれ。


「もう! しつこい人達です!!」


 小柄な少女の影が飛び出してきた。


「ハ、ハルカちゃん?!」


 ラインバルトはその影に向かって名前を叫ぶ。そう、宝石のように艶やかで長い黒髪の見知った美少女は間違いなく如月ハルカだった。


「ラインバルトさま?! どうしてここにいらっしゃるのですか!?」


 ローブの襟元を押さえながらハルカが驚愕する。それはそうだろう。一般人がこんな所まで来るはずなどないのだから……。


「ハルカちゃんが海賊にさらわれたって聞いて追いかけて来たんだよ!!」


 走り寄りながら叫ぶラインバルト。


「何て無茶をするんですかっ?! 一歩間違えたら死ぬかも知れないんですよっっ!!」


 咎めるハルカに、


「それでも放っておけないだろっっ!!」


 ラインバルトは渾身の勢いで叫び返した。


「ハルカちゃん無事か……? って怪我が酷いな……!!」


 辿り着いた彼女の全身を見て絶句するラインバルト。無理もない。ハルカはローブの下からぽたぽたと大粒の血液を滴り落としていたのだから。


「大丈夫です。さっき捕まりかけて何とか逃げ出しただけですから……」


 弾む息を静ませながら。ハルカは答える。かなり怖かったのだろう、顔色も優れない。ラインバルトはそれを感じつつ離れた事を後悔した。


「いや大丈夫じゃねぇだろ? あいにく傷薬とかは無いけどよ……早いとこ脱出して治療しよう」


 ラインバルトは親指で先を示して促す。


「そうですね。先を急がないと――」


 その瞬間。ハルカの肩に矢が突き刺さる。


「ハ、ハルカちゃん?!」


 肩を押さえて崩れ落ちるハルカを慌てて介抱するラインバルト。うぅ……っと激痛に顔をしかめるハルカはとても痛々しい姿だ。


「へっへっへ……やっと追い詰めたぜぇ……!」


 刹那。声が響く。

 厭らしい声のした扉の方を向くと、そこには海賊の親玉らしき奴がクロスボウを手に立っていた。


「まさか魔法使いとはな……どうりで一回捕まえたが逃げられたわけだ。だがもう終わりだぜぇ? その怪我じゃご自慢の魔法も使えないだろ?

 ……? 誰だお前?」


 矢を突き刺したハルカと介抱するラインバルトを交互に見やりながら、船長は疑問符を浮かべる。その合間にもわらわらと海賊達が集結し、周り全てを囲まれてしまう。

 絶体絶命だ……! ラインバルトは絶望した。自分はまだいい。しかしハルカちゃんだけは護らないといけない。しかしどうすれば良いのか……?


「まぁ誰でもいいか。とりあえず死ね。そのムカつく亜人の商品もな!」


 クロスボウで狙いを定める船長と得物を構える海賊達。


「亜人……? ハルカちゃんがか?」


 しかしラインバルトには、恐怖より別の疑問が湧いてきた。


「あ? てめえ知らねぇのか? そいつは亜人だよ!! 上手く人間に化けてるが……蛇の化け物なんだよ!!」


 慌ててハルカの身体を眺めるラインバルト。良く見てみたら確かにそうだ。この白い蛇革のローブ、ハルカちゃんの身体にぴったりくっついている。対するハルカは青ざめ半泣きの、知られたくなかった事を知られて絶望している表情だ。


「しかしこんだけ痛めつけたら亜人としても売れそうにない。仕方ないが死んでもらうぜ?」


 はっと二人が気づいた時には。すでにクロスボウが構えられていた。

 そして矢が、飛んで来る。


「――!」


 覚悟して双眸を閉じるハルカ。

 ……しかし。いつまで経っても激痛は来ない。


「……?」


 恐る恐る眸を開いて見ると。

 そこには矢を腕に受けたラインバルトがいた。


「ラ、ラインバルトさま……? どうして……?」

「お前らに一言言っておく……」


 ハルカの問いにラインバルトは答えず大きく息を吸って、


「ハルカちゃんは商品でも化け物でもねぇぞ馬鹿共がっっ!! てめえらみてーな人でなしが!! 人生台無しにさせていいような娘じゃないんだよっっ!!」


 思いっきり。怒鳴り返したのだ。


「まぁいいや。とりあえずお前も死ね」


 しかし海賊には通じない。クロスボウに矢をつがえ、再度死を告げられた。


「……すまねぇハルカちゃんよ……俺はこんな事言い返すだけで精一杯だ……! 本当にすまない……!!」


 ラインバルトの眼から、悔し涙がぼろぼろと落ちる。ハルカは「ラインバルトさま……」と呟いて彼にしがみつくだけで、何も答えない。


「おやおや? なァんの騒ぎですかいな?」


 腐敗したパンのようなねちっこい声が飛んできたのはそんな時だった。


「オニヘビか?」


 ラインバルトが振り向き尋ね、


「……もしかしてお兄さまですか?」


 ハルカが双眸をぱちくりしながら振り返る。


『へ?』


 全員の声が重なり、そしてゆるゆると一点に視線が寄る。


「おぉ良く見れば妹よ。元気か? 手足は長いか?」


 見ればそこには。葉巻を吸う一匹の蛇――オニヘビのユウキがいた。

 いや。問題はそこじゃない。


「あ、はい。私は今人間ですから手足は長いですよ」


 妹? 今何て言った? 妹って言ったのか? 妹……妹?

 ハルカちゃんが……あの、オニヘビの――妹……!!

 ぐるぐる渦巻く思考が一つの解答に至った時、この場にいるハルカ以外の全員が。だらだらと脂汗をかいて震えていた。


「それは何よりだ――

 ってお前、その怪我はなんだ?」

「え、あ! いやお兄さまこれは別にっっ!!」


 怪訝そうなユウキに、ハルカは胸元を押さえて慌てる。しかしこれはいけない。真実を告げたようなものだからだ。


「……そうかそうか。つまりはあれか? ドーマさぁんよぉぉおお!! あんたらうちの妹をさらっただけじゃなくてぇぇええ、乙女の身体をキズモノにしたと!!」


 うんうんと怒りの青筋を浮かべながら頷くユウキ。刹那、雷火のような魔力がオニヘビの身体から迸り。海賊船の甲板を破壊してゆく。

 逆巻く空気と迸る雷火の中で双眸を細めていたラインバルトは確かに見てしまった。

 オニヘビが――あの蛇みたいな奴が、何と筋骨逞しい青年の姿に変貌を遂げたのを!


「ドーマさぁぁんよぉぉおおっっ! ひぃとつ言うぜぇぇええっっ!!」


 魔力の嵐が止んだその場所で、人間の姿になったオニヘビがマストを思わせるような太い腕で葉巻をポイ捨てし、


「俺っちの妹に手ェ出したんだ!! あの世に逝けよ腐れゴミ虫野郎共がぁぁああっっ!!」


 石畳のような分厚い胸板を反らせて高らかに、死刑宣告をした。


「ひ、怯むな!! こうなったらやけくそだ!! 殺せぇ!!」


 完全な恐慌状態だが、何とか命令する船長。それに応えてか船員達も、ピストルを構え発砲する。

 しかしユウキはグラサンを人差し指で上げてなおすと、丸太のような脚で横蹴りを放ち――何とマストを蹴り砕いたのだ。


「……は?」


 全員大口を開けて絶句する中で、ユウキはロープを引き千切りマストを振り回し弾丸を打ち落とした。


「てめぇらぁぁああっっ!! 全員死ねやああっっ!!」


 思いっきりマストを振り下ろして甲板と船室を破壊するユウキ。


「ぎゃああっっ!! 無茶苦茶だぁぁああっっ!!」


 そして逃げ惑う海賊連中。ユウキはまさに凶戦士の如き気迫で、マストを振り回して船を破壊し尽くしてゆく。


「ど、どうしましょうか……」


 狼狽えるハルカの問いに、


「んなモン判るか! とにかく逃げるぞ!!」


 ラインバルトは叫ぶ。


「って逃がすかぁ!」


 その時一人の海賊が二人に迫るが。ドンッという音と共に甲板に沈む。


「大丈夫ですか? ラインバルトさん?」


 見上げたそこには。あのイブシェード青年が銃を構えて立っていた。


「ああすまねぇ兄ちゃん助かったよ……!」

「怪我は酷いようですが何よりです。

 ……それより何故ユウキさんが暴れているんですか?」


 不思議そうなイブシェードの問いに、


「もしかしてお兄さまの知り合いですか?」


 ハルカがきょとんと尋ねる。


「え? 妹ですか?」


 イブシェード青年、咥えていた煙草がぽろりと口から落ちる。


「はい。私はユウキお兄さまの妹の如月ハルカと申します」


 深く頭を下げるハルカに、


「俺はユウキさんの知り合いで錬金術師のイブシェード・バガーだ。……確か昔、ユウキさんには妹がいるとは聞いていましたが……そうでしたか。ドーマの連中もとんだ貧乏くじを引いたものですね……」


 状況とハルカを交互に見ながら、イブシェードは深々と嘆息。


「とにかくそれなら止まらないでしょう。今の内に脱出しますよ」


 イブシェードは親指で先を示す。


「死ねやああっっ!」


 ……向こうでは。ユウキがまだ暴れていた。


「い、嫌だぁ! もう勘弁してくれぇっっ!!」


 完全に血の気の引いた青ざめた顔で、船長はぶんぶん首を左右に振る。


「ほー……。嫌か?」


 ユウキは左目を歪め右目を見開いた左右非対称の顔で尋ねる。


「い、嫌だ! もう勘弁してくれ!!」


 涙を双眸に湛えて、更に首を振る船長。


「そうか……マストは嫌か……」


 しかしユウキ。何を勘違いしたか、マストを振り下ろして船首を破壊すると『それ』を空中に打ち上げた。頑丈な鎖に繋がれた半円形の金属の塊――それは間違いなく、船の錨だった。


「んじゃ錨ならいいよなぁ?! マストじゃ無くて錨ならよぉぉおおっっ!!」


 落下した錨の鎖を踏み砕いて、今度は錨を担ぐユウキ。


「そっちじゃねぇぇええっっ!!」


 完全に抜けた腰で、脱走を図る船長及び船員達。


「贅沢抜かすなクソ野郎共がぁぁああっっ!!」


 そんな可哀想な連中に、ユウキは文字通りの錨を強大な怒りを込めて何度も何度も叩きつけたのだった……。


◇◇◇


 ……綺麗な夕日の沈む入り江の中に、帆船『だった』残骸が散らばっている。


「とりあえずお前の金を全部寄越せ。後お前ら全員首に付いた金は貰うぞ。そんでもってお前ら全員は鉱山に売り付けて一生働かせてやる。判ったな?」


 そんなどこか牧歌的な美しい風景の中、ユウキが葉巻を吸いながら半眼で船長の首根っこを掴んで不粋な要求をしていた。


「り、りょーかひ……」


 顔中青あざとこぶが出来た痛々しい顔で呻く船長。


「よし。なら許してやる」


 対するユウキは煙を吹きかけて――もはやどっちが海賊か判りゃしない事を言っていた。


「あ、あのお兄さま……。私は大丈夫ですから……」


 何とか健気にお兄さまをなだめようとするハルカちゃんだが。


「あん? 華の乙女をキズモノにしたんだ。これぐらいしねーと俺っちの気が収まるかよ」


 ユウキはしっかりとそう言い返したのだった。


「しかし……ハルカちゃんがオニヘビ種族とはな……」


 ラインバルトも小舟の上で、信じられない事実を受け止めていた。


「あ、はい――

 ……気持ち悪いですか?」


 視線を斜め下に落としながら、ハルカが尋ねる。ローブの裾を掴んで震えている事といい、知られたくなかった事なのだろう。


「ハルカちゃんはハルカちゃんだろ? 控えめだけど元気があって、海と船が大好きな如月ハルカちゃんだろ? それで十分だぞ」


 そんな彼女に、ラインバルトも本心を告げる。


「……そうですか? 嬉しいですっっ!!」


 ハルカは心からの笑顔を向けると、ラインバルトに抱きついた。


「おいおい勘弁――

 いや! マジで離れてくれハルカちゃん!! 見てる見てる! お兄様がすっげぇ殺意のこもった目と錨を持ってこっちを見てるからっっ!!」


 歓喜の顔で抱きついているハルカちゃんと、その背後でぱしぱしと錨を手のひらにぶつけて音を出してる半眼のユウキがいた。


「……ったく。まぁいい。今回は奴隷を買って里親探しは出来ませんでしたな……」


 何とか眸で謝罪していたラインバルトに対して、ユウキは深々と息をつく。


「奴隷? 里親探し?」


 ハルカのきょとんとした問いに、


「あぁ。今は色んな所から人がさらわれて売られている時代だからな……。こうやって裏から手を回して人を買い取って、大切にしてくれる所に売り付けているんだよ」


 ユウキは頭をかいてそう答える。なるほど、それがイブシェード兄ちゃんの言っていた人身売買の理由か……。以外とまっとうな理由があった事に驚きを隠せないラインバルトだ。


「いつものお兄さまですね」


 そんなユウキの話に、苦笑しながら答えるハルカだった。


「ところでよ。ハルカちゃんは船乗り仲間は見つかったか?」


 ラインバルトの質問に、


「……」


 ハルカは俯いて、答えなかった。


「……すまん」


 その様子で、ラインバルトは察する。


「ラインバルトさまは」

「ん?」

「ラインバルトさまは、私と一緒に船乗りをやってみませんか?」


 二人の間を、海風が吹き抜ける……。


「前も思ったが……何で俺を誘うんだ? 俺よりいい奴はいっぱいいただろ?」


 ラインバルトの質問は、至極まっとうものだった。他にいい奴や船乗り向きの人間なんかいっぱいいるのに何で自分なのか……? それは一番気になるところだった。


「ラインバルトさまは」


 最初に一言そう言ってつっかえて。ハルカは深呼吸して、


「ラインバルトさまはきっと大海原を冒険する姿が一番似合うからです。広い海が、果てしない蒼い海が一番似合う方ですしそれに――」


 一息でそこまで言って、一旦区切り。


「……これは私の身勝手なのですが、ただ単に私は貴方と一緒に大好きな海を旅してみたかっただけなのです。……ごめんなさい」


 ローブの裾を掴んで。俯くハルカ。


「……そうか。今の海は不漁だからな。どこ行っても変わらんか」


 そんな彼女に向き合って、

 

「いいぞ。俺が最初の船乗り仲間で」

 

 ラインバルトは、告げる。


「えっ?! 良いのですかっ?! 嬉しいですっっ!!」


 またしても感極まって。ハルカはラインバルトに抱きついた。


「甘酸っぱいですね。

 ……あーユウキさん、ちょっと落ち着いて」


 今にも食い付きそうなユウキの肩を掴むイブシェードに、


「判ってますってぇ。妹が選んだ男なんですからなぁぁああっっ……!!」


 オニヘビのユウキは、錨を親指だけで握り潰しながらぎりぎり歯ぎしりしながら答えたのだった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る