再誕者の庭 The revenant garden

二月 ロク

レヴナント・ガーデン



 死の匂い。

 鼻に付く焦げ臭さと、死者へ添える白い花の香り。埋葬された土の匂いと、こびり付いて乾いた血の匂い。微かだが、それらが大通りの人混みの中に漂っているのを僕の鼻が敏感に察知した。僕の嗅覚が特別優れているだとか、そういうことではなくて。単純に、嗅いできた回数が圧倒的に多いからなのだろう。

 不死者レヴナントは既に死を経験しているため、潜り抜けてきた葬送の香りをずっとその身に纏わせているのだ。そして生者の中へと戻ってくる。彼らにはほとんど記憶も理性も残ってはいないが、無意識化で蓄積された経験が、まだ人間であった時と同じような行動を彼らに取らせる。けれど不死者はすでに呪いで身を蝕まれた存在である。それをみすみす放置するわけにはいかない。

 禁忌魔導管理局・八課セクター・エイト、通称〈不死狩り〉の末端構成員である僕は、不死者を地獄へとしっかり送り直してあげるという崇高で高尚な仕事を仰せつかっている。そして、今はその仕事の真っ最中だ。

「ノイン、ぼうっとしないで。対象が尾行に気が付いた」

 すぐ後ろから囁くような声。声の主は音もなく、影のような静かさで僕の隣へと移動した。真っ黒なマントを着て、フードですっぽりと顔を覆い隠している。そのぼろぼろの黒布の隙間から少しだけ見える、病的なまでに白い鼻筋。顔を全て見ることができなくとも、その美しさを想像出来る。

「シキ。これは、泳がせてるってやつだよ」

 僕はシキへとそう返事をした。それは隣にいる相棒の名前だ。僕の肩くらいの高さにあるシキの頭がこちらを向く。年若い少女の美しい顔。幼いが、どこか艶かしい気配を感じる。そんなシキは赤い目でじっとりと疑うような視線を僕に投げかけてきた。

「嘘。どうせ姿を確認できなくて探している最中なんでしょう」

 図星だった。

 ここは街で一番人の多い通りだ。大量の人間たちの中のどれかが不死者なのは分かってはいるが、誰かまでは分かっていない。

「五人先のコートの男。帽子をかぶっている。一見武器は見えないけど、コートの中に重たいなにかを隠している。右手は腕甲ガントレットを装備していて、左手には何かの紙片を握っている」

 シキがすらすらと目標の情報を言い並べた。悔しいが、察知能力で彼女に勝てる気がしないので逆に探す手間が省けたと考え自分を慰めながら、僕は腰に差した短剣を取り出した。頼りないといつも色んな人から言われるけど、これが僕の主武器だ。

 短剣のつばは十字型になっていて、十字杖剣クロス・クリスと呼んでいる。銀の刀身は肉厚で、刃には装飾的ながあり、斬れ味は恐ろしいくらいに良い。柄頭から銀のチェーンが伸びている。

「早足になった。殺気に敏感なようね。ただの小物じゃないみたい」

「だけど、大物でもない。気付いて即座に対処しないなんて、人間だとしても三流だよ」

「まったく、一体どの口が言うのかしら」

 シキは僕に向かって呆れを含んだ声でそう言った。けれど、僕だって相手をただ泳がせていたわけじゃない。しっかりと手は打ってある。

 十字杖剣の鎖は何も飾りの為だけにあるのではない。鎖はとても長く垂れ下がり、足元の地面にまで伸び、それから更に蛇のように道の先へ。鎖の先端は尖った三角形の楔型をした手裏剣のようになっており、その切っ先が意思を持つみたいに獲物の元へと向かう。それを操っているのは、もちろん僕だ。

「〈しばれ、銀の蛇〉」

 小さくその鍵咒キー・ログを口にする。その瞬間、鎖の先端は一気に突き進み、人の足の間を潜り抜け、コート姿の男の足首に巻きついた。楔の刃が肉に喰らい付き、対象を離すことはない。

「捕まえ——」

「逃げるぞ!」

 人混みの先にいた目標の不死者が駆け出した。彼はちらりと後ろを振り返る。その眼は狂気に満ちていたが、理知的な輝きがほんの少し混じっていた。両者がせめぎ合っているのだ。そして、そんな奴が一番厄介だ。

 コート男はものすごい勢いで逃げ出す。驚いた人々が道を開けるが間に合わず、男は両手で無理矢理押しのけた。男のコートが筋肉で盛り上がる。怪力が人間を易々と吹き飛ばす。

「おい! 待て!」

 果たして逃げる相手に待てと叫ぶのは意味がないのではとずっと思っていたのだが、こう言う場面ではとっさにその言葉が口から出てしまうものだ。男が人を掻き分けてくれたおかげで、僕の方も走りやすくなった。一気に距離を詰め、そして相手の足に絡みついた鎖を巻き取る。

 鎖の動きは魔導マグスと呼ばれる技術によって高度に制御されている。意志によって動作し、より複雑な動きは鍵咒キー・ログと呼ばれる定型命令文によって呼び出すことができる。

 足の固定を維持したまま巻き取り、そのまま思いっきり引っ張った。

 バランスを崩した男は転倒、煉瓦敷きの路上を滑るように転がる。一気に追いつこうとしたその時、男がコートの中から何かを取り出す。

「銃だ」

 シキが言った言葉が耳に届いた時にはすでに弾丸が放たれていた。僕にではなく、彼の足首の方に。高硬度ダンタルサイト魔導合金製の鎖にはちっぽけな弾丸など傷跡にもならないのを知ってか知らずか、男は自分の肉体の方を破壊することにしたようだ。

 目論見通り、彼の足首から下は半分ほど吹き飛んだ。血と肉片が弾け飛び、遅れて悲鳴。白昼の街中が一瞬にして地獄に変わる。

 男は銃撃によって変形した足から即座に鎖を抜き、再び歩き始めた。手には丸薬状の即効性回復剤が握られていて、走りながら服用。一体どれほど高いグレードの回復剤なのだろう。一瞬で再生を始め、片足が地面を蹴る合間に完全に治癒した。

 それにしたって異常な精神状態である。狂いかけはこれだから、と舌打ち。冷静に鎖を外そうと対処する姿勢は間違いなく理性を感じるが、その方法に関してはまったく狂っている。だがこの場では正しい判断なのだろう。

 銃声を聞き血を見て興奮した民衆が一気に恐慌パニックに陥り、僕の行く手に押し寄せる。やってくれた。コート男は恐るべき脚力で飛び上がり、商店の屋根の上に登って逃げ始めた。逃すものか。

「シキ、ちゃんと着いてきなよ!」

 相棒に一言声をかけ、僕は鎖を操って斜め上へと伸ばした。男が登った屋根の側に立っているポールへと巻き付く。そのまま身体ごとたぐり寄せた。弾丸の勢いで急上昇、それから柱が撓む勢いに合わせて鎖を回収、押し出されるままに飛び上がった。下を見るとシキがするすると人混みを抜けている姿が目に映った。彼女は彼女でどうとでもする。僕がいなきゃ彼女は何もできないと言うわけではないし、逆もまた然りである。

 屋根の上を高速で跳躍し続ける男を追いかけ、こっちも全速力で移動する。鎖を駆使し、屋根の隙間を飛び越える。コート男は自分の肉体の力のみで移動し続けているが、僕と彼との間は縮まるそぶりを見せない。おそらく先ほど飲んだ丸薬は肉体活性薬の効果も含まれていたのだろう。治癒力を高め、筋繊維の限界まで力を引き出す薬。

 僕はその手の薬を使った試しがない。感覚が鈍る気がするからだ。しかし、そんなことを言ってみすみす逃すわけにもいかない。こちらも次なる手を出す。

 十字杖剣が鎖の〈操作〉を取り消し、別の魔導の術式を展開する。正面に掲げた十字杖剣の先端に青い燐光。魔導を媒介する霊子クオンの励起光だ。燐光は回転しながら一つの形状に収束する。径一二・七ミリメートル、長さ九九ミリメートルの円筒型金属塊が生成され、円筒の中心を軸に高速回転。そして音速をはるかに超越した初速で放たれた。

 〈生成〉と〈操作〉を組み合わせた複合魔導。大口径の弾丸は高威力で、分厚い鉄板すら用意に貫通する。それが柔らかい人体に命中したならば。

 放たれた金属弾がコート男の腰に着弾。

 瞬間、水の詰まった風船のように、男の身体が弾け飛んだ。人の身体は殆どが液体と柔らかい肉と脂肪質で構成されている。高エネルギーの飛翔体が人体へ突入した際に、衝撃によってそれら全てが流体的な振る舞いをし、一気に弾ける。

 腰から下を完全に失った男は屋根の上に着地する事が出来ずにべちゃりと衝突、斜めになった屋根の上を転がり、狭い路地へと落下。

 すぐにそれを追いかける。鎖を駆使して谷のような路地の底へと降り立ち、駆けつける。

 コート男の超再生力は、すでに骨格を再構成し始めていた。粉砕された骨盤が再生され、両足の大腿骨が現れている。男は起き上がろうともがいているようだったが、近付く僕の姿を見た瞬間に足の再生を早めた。再生する部位を片足に絞り、大腿骨から脛骨を完成させた後、即座に筋繊維と神経を通す。それから、男は不完全な足で体を起こし、僕に銃口を突きつけた。

 銃口が火を噴く。

 僕の目の前が光で埋まる。

 避けられない、そう直感した。


「この死にたがり」

 放たれた弾丸が空中で静止する。氷の結晶が僕の顔の前に現れ、弾丸を押しとどめていた。鉄の塊はあと少しで僕の眼窩を打ち砕き、脳を四散させていたところだった。

 〈氷壁〉の魔導を放ったシキが、僕の背後から姿を現わす。

「油断したでしょう」

「助けてくれると思ってた」

 彼女の小言に僕も軽い言葉で応じる。それは本心だったが、彼女は僕が適当な言い訳をしているのだと切り捨てた。

 コート男の再生力は足を片方不完全に蘇らせた段階で尽きていた。仰向けに倒れたまま、顔だけをこちらに向けている。銃を再び僕へ向けようとしたので、鎖の刃で肘から先を斬り飛ばした。

「オーフェ・ディオール、だね? 名前だよ、君の」

「お、おれ、のなまえ?」

 哀れだ。すでにこの男は自己認識すら失っている。不死者の末路はいつも悲惨だ。死を繰り返した成れの果て。

 十字杖剣を彼に向ける。男は観念したように、ぐったりと動かなくなった。

「こ、こ、ころ、ころして、くれ」

 かつてオーフェ・ディオールだったものは死を懇願する。だけどそれを聞き入れる気は無い。なぜならば、彼らは不死であり、ここで殺したとしてもすぐに蘇ってしまう。

「その願いは叶えられない。君には死ぬことすら許されていない。零度の牢獄で、この世の果てまで眠りにつくといい」

 僕の言葉が終わると同時に、シキが彼に手を伸ばす。彼女の赤い目には悲しみと、憐れみが浮かんでいた。

 男の身体が一瞬で凍りつく。氷の彫像と化したオーフェ・ディオールは輪廻の輪から切り離され、もう二度と死ぬことも生きることもない。

 彼の手から、握りしめていた紙片がこぼれ落ちていた。それは褪せた写真だった。戦友と肩を並べて酒を飲み、笑いあっている写真。僕はそれを彼の凍りついた手の中にそっと戻した。

 オーフェをその場に放置し、僕とシキは路地から離れた。七課セクター・セブンの回収班たちが後でやってきて、氷漬けの彼を北方の不死監獄へ移送する手筈になっている。


 

 一昔前、といっても五十年も経っていない程度には昔、この国は異界から勇者を召喚した。

 異界というのはこの世界、宇宙の外側に無数に存在するとされている別の宇宙のことで、詳しくはどうやったのかは知らないが、とにかく国は優秀な魔導士を掻き集めて世界の壁を超えて戦士を呼び出したのだ。

 けれど、彼らは魔導士や国の重鎮たちが思っていた姿とは違った。世界を何度も救ったという歴戦の戦士たちを呼び寄せたつもりだったのだが、現れたのはただの一般人たちだった。

 実を言うと、彼らはとあるファンタジー系のゲームをしていたゲーマーというだけで、彼ら自身が強いわけでも、本当に何かを救ってきたわけでもない。

 ところが、ここに召喚されてから、彼らは戦い続けることを定められてしまっていた。それは呪いのようなものだ。

 彼らが与えられた恩恵は、再生リスポーンというものだった。つまり、何度死んでもやり直せる。逆に言えば、死ぬことを許されていないということ。

 さらに悲しいことに、勇者たちの敵ははっきりと示されていたわけではなかった。魔種ましゅと呼ばれる超常の力を持った獣、勇者たちの言葉で魔物モンスターと呼ばれるそれらの怪物を討伐し、戦時下にあるこの国の兵力と一つとして前線へ送られたり、迷宮という古代遺構の攻略をしたり、様々だった。

 勇者たちは自由だった。それゆえに、戦いには終わりがなかった。最初の十数年は喜んで世界を駆け巡った勇者たちも、戦いを続けていくうちに分かってきた。

 そしてもっと悪いことに、再生リスポーンの奇跡は完全ではなかったということが発覚する。勇者は一度死ぬと、数時間のタイムラグを経て予め決めておいたポイントに再び現れるのだけど、そこで再生された肉体は完全であっても精神は完全ではなかった。死ぬたびに精神が摩耗していくのは恐怖だった。記憶をなくし、人間性を失い、それでも人のために戦い続け、狂っていく。

 完全に狂ってしまった勇者を不死者レヴナントと呼ぶ。彼ら不死者は狂気に犯されたまま、今度は人に猛威を振るった。この世界の住民は勝手だと分かっていながら、呼び出した身にもかかわらず不死者たちを処分し始めた。

 それが禁忌魔導管理局・八課セクター・エイトである。

 僕はその組織に雇われた不死狩りの一人。そして、元勇者だった。


「ノインは勘違いしている。私はあなたの子守役じゃないし、部下でもないの。ただ利害が一致して共闘しているだけ」

「分かってるって。貸し一つって事で許してよ」

 八課の事務所のソファで寝転んでいると、シキが上から顔を覗き込んできて、なにやら文句を言っていたので適当に返事をした。もうっ、と溜息をつきながらもシキはソファの端に座り込む。僕は彼女が何だかんだ面倒見がよく、心配してくれていることを知っている。シキは優しいのだ。それでいて、僕に同情を寄せてくれている。

 シキと出会ったのは、僕がまだ勇者として各地の迷宮を転々としていた頃だった。その頃、この再生という仕組みに気が付いた僕は、自暴自棄になって不死者に堕ちる直前まで荒っぽい生活を繰り返していた。その時迷宮内で出会ったのが彼女だ。

 シキはもちろんただの女の子じゃない。死神のような姿の服を着た人形のように綺麗な少女は、僕らと同様に不死性を秘めた化け物である。といっても勇者ではない。彼女は高貴なる真祖しんそと呼ばれる、この世界に古くから住んでいる神秘なる存在である。吸血鬼、悪魔、魔人とも称された彼女は、突如現れた勇者という悲しき不死の若人たちを憂い、僕とともに彼らを処理する仕事に就いたのだ。

「ノイン」

 立て板に水を流す如くに文句を言い並べていたシキは、突然押し黙って僕の名を呼んだ。

「なに?」

 僕が彼女に問いかけると、シキは扉の方を見て、言った。

「客だ」

 彼女はそれだけ告げて、奥の部屋へと消えて行った。現在、僕と彼女とそれからほとんど顔を出さない上司一人だけしかいない八課の事務所は狭い。街の片隅にある集合住居の一室を借り上げただけの空間には、応接室兼職務室と、その奥にある仮眠室兼僕らの住居しかない。訪問者の相手をするのは僕の役目で、その間シキは奥へと引っ込んでいる。長い間人間たちと血みどろの争いを繰り広げてきた化け物の姫は、その存在を忘れられて久しい現在でも人間と話すのを避ける。

 単に面倒ごとが嫌いなだけかも知れないが。

 その時呼び鈴が鳴った。

「はーい」

 適当に返事をして扉を開ける。

 そこにいたのは一人の女性だった。二〇代前半か、柔らかな雰囲気のある普通の女の子。花屋の店先とかで働いていそうだ。

 僕が扉を開けると、女の子は驚いた顔をした。僕の顔を見て何かを言おうとする。

「あれ? も、もしかして、ノイン君?」

 女性は僕の名を言い当てた。はて、と記憶を探る。

「えーと、どこかであったことありましたっけ」

 首元で揃えられたブラウンのショートヘア、ぱっちりした眼、どこか小動物の雰囲気がある憎めない顔は可愛い女の子といった感じ。彼女の顔、どこかで見たことあったなと思いながら、なにか思い出せる特徴はないかとじろじろと視線を行き来させる。その間に女の子の表情はどんどん冷たいものになっていき、終いには泣き出しそうなほどになってしまった辺りで、ようやく思い出すことが出来た。

「ユナ?」

 瞬間、女性の顔がパッと明るくなる。正解だったらしい。

「やっぱり覚えててくれた! ノイン君、会いたかったんだから! 今までどこに居たの? いつのまにか部隊パーティから居なくなって、そのあとは何処にいるのかもわからずみんな探してたんだよ」

「えーっと、まあ色々」

 ユナは僕がかつて所属していた部隊パーティのメンバーで、回復支援役をしていた。要はヒーラー兼バッファーといったところで、遊撃手を買って出ていた僕と彼女は部隊パーティの指揮役として特に仲が良かったことを思い出す。というか、どうして忘れていたんだと自分に文句の一つでも言いたくなるくらいの付き合いだった。

 けれど、僕が彼女の問いに言葉を濁した理由は別にあって、その部隊パーティが解散した事と密接に関わっているのだが——。

「って、こんな悠長に会話をしている場合じゃないの!」

 ユナはとても焦った表情でそう訴えかける。けれど、焦っていても何も僕に伝わらないので、とりあえず落ち着いてもらいたい。

「中に入って、最初から話を聞くよ」


「実は、ある人の行方がわからないの」

 依頼人ユナはそう語る。一応職務という事で僕は調書を取りながら会話に応じていた。

「ある人って?」

「ローハンという人なんだけど、勇者として共に召喚された中の一人で、ついこの前まで部隊パーティを組んでいたの」

 あいにく、その名は聞いたことがない。召喚された勇者は全体で万を超えるほど大人数だったというし、そもそもあまり社交的ではない僕には知る由もない。

「ノインが部隊からぬけだして、すぐにみんなも散り散りになったあと、私みんなを探して旅に出たの。私は弱いから、一人じゃ戦えない。だからもう一度人を集めて戦おうって。でも、あの頃一緒に魔種と戦ってくれたエリーゼもクラウンダスクも、ねこじぃも、アルファ君も、そしてノイン君も姿が見当たらなくて途方にく暮れていた時に、ローハンさんに出会ったの」

「それで、一緒に旅を?」

「もちろん二人だけじゃなくて、そこから新しい仲間を見つけたりして、大型の旅団クランだって作ったんだよ! 〈暁の旅人〉っていうの。聞いたことない?」

 〈暁の旅人〉。その名前は聞いたことがある。その栄光ではなく、その危うさを。課の上司から届く危険団体リストにその名があった筈だ。不死堕ちの予備軍として。

 彼らは勇敢な姿勢でいくつもの迷宮を踏破し、魔種の大発生スタンピードを一〇も討伐し、二五の獰猛な竜種を打ち倒している。しかし、そんな彼らだからこそ死亡回数は多く、そのリーダーは一五〇〇回を超えていた筈だ。身を捨ててまで敵を打ち倒す、本物の英雄。そしてたしか、その名前はローハンと言った。

「うーん、聞いたことがあるかもしれない。それで、その旅団は今どうなった?」

 僕はあえてそのことを伝えなかった。はぐらかし、話の続きを促す。

「……つい先日、ローハンが解散を宣言したの。それで、突然過ぎるって言ってみんな彼に説明を求めたけど、ローハンは次の日家に行った時には既にいなくて、必死に探したんだけど、旅団のみんなはどんどん離れていっちゃって」

 ユナは悲痛そうな顔をした後、僕に言った。

「お願い、ローハンを探して。このままじゃ、取り返しのつかない事になりそうな予感がするの。もう二度と彼とは会えないような……。ねえ、もしかして、ノインなら彼の気持ち、わかる?」

「分からないよ。会って、直接聞けばいいさ」

 もちろん、まともな返答が返ってくるとは思えないが、という嫌味な言葉を、間一髪のところで飲み込んだ。


 ユナの旅団は随分前からこの街を拠点に活動をしていたらしい。たしかに、この街は大きく、かつ周囲に魔種の巣や迷宮がいくつも存在するし、敵には困らない。僕たち勇者は死に切ることはないが、死ぬ事ならある。餓死が最も嫌な死に方だと知り合いの勇者は口を揃えていった。僕たちは仕事がなければ死んでしまうのだ。だから暮らしやすい街に集まるし、不死者を討伐する八課もまたこの街に設置された。

 その日、ユナを家に返してからすぐに行動を開始した。ユナは共に捜索する気でいたが、言葉強めに断った。なぜなら、この八課は対外的には〈不死狩り〉という名前ではなく、〈勇者課〉というどこか間の抜けた名前が付けられているからである。その理由は、不死者レヴナントの存在自体が極秘で、一般の人間に知られてはいけないからだ。だって、いままで自分たちを助けてくれた勇者が今は人に仇なす化け物に成り下がっているなど、聞いたとしても信じたくはないだろう。それは、勇者であるユナたちに対してもそうで、だから僕は申し訳なさを感じながらも、ローハンが既に不死者レヴナントという理性のない化け物になっているかもしれない、なんてことは伝えられなかった。

「それは優しさじゃなく、ノインの弱さよ」

 隣を歩くシキが痛いところを突いてくる。図星だったので無視して歩いた。

 街の裏通りを行く。

 ユナが帰った後、すぐにこの街から出た記録を漁ったが、そこにローハンの名前はなかった。関所を無理に通り抜けた可能性も十分あるが、ひとまずはこの街から捜索をしていく。ただ、闇雲に聞き込みをしたりするのは嫌だったので、知っていそうな人物の元へ行く。

 裏通りの奥、貧民街スラムにほど近い治安の悪い地区へとやってきた。暗がりに隠れた酒場のような建物へと入る。

 店内は薄暗く、嫌な煙が漂っていた。ヤクの煙を手で払いのけ、薬中の胡乱な目をした社会の爪弾き者の合間を通り抜け、店内のさらに奥へ。

「お客さん、何用です?」

 陰気なギャルソンが僕の前に立ち塞がるようにして、問い掛けてきたので、いつもの答えを口にする。

上物じょうものを出してくれ。三日前に入ったとびきりのヤツ」

 ギャルソンは目で了承の旨を返し、そっと店内奥の扉を開けた。ズカズカと足を踏み入れる。勇気のように音もなく入り込んだシキが後ろ手に戸を閉めた。

 奥の部屋では一人の男が煙を燻らせていた。眼鏡を掛けた狡猾そうな人物。どこか小物っぽさも感じるそいつは情報屋である。

「ユリシス、ローハンという男の行方を、経歴から全て調べてくれ」

 開口一番、そう頼んだ。余計な挨拶など必要ない。こいつはこいつで、結構な犯罪者だったりもする。そして同じく勇者でもあった。

「あぁ、仕事熱心なこったなーノイン、それに、ようこそ真祖のお嬢様。まってろ、三日くれ。調べてやっから」

「三〇分で頼む。もう不死堕ちしている可能性が高い」

「ったく、人使いが荒いぜ、まったく」

 ユリシスは勇者だが、最も不死者に遠い男だ。そのはず、召喚されてから速攻で姿を消し、街の暗部へと下って細々と非合法の活動をしていただけあって、戦闘経験は無し、死亡経験も無し。ただ、数人分の支度金をまとめて持ち逃げしたせいで、勇者はおろか国からも憎まれている。そんな彼を見逃す代わりに、仕事を手伝ってもらっているのだ。

「一〇分で終わる。そこで待ってろ」

 そういって彼は魔導端末へ目を向け、カタカタとキーボードを打ち始める。勇者が開発した計算機コンピュータもどきだ。一時期、勇者の中でも生産活動好きがその天性の魔導適性を生かし、組み上げた超技術は、文明にとって危険と判断され殆どが国に回収されたが、彼のように地下に潜って回収を拒んでいる奴は多い。

 シキと軽口を言い合いながら待っていると、きっかり一〇分で彼が顔を上げた。

「ローハン・エオメル。勇者の一人、地球はアメリカ出身のファンタジーオタク。ほかの勇者と同じくレヴナント・ガーデン・オンラインのプレイ中にこの国へと転移した。ゲーム時にはまさしく英雄を体現したロールプレイを好み、直剣を手に、馬にまたがって戦場を駆け巡った。そのスタイルはこの世界でも同じで、違うのは乗馬のセンスがなかったことくらいだな」

「戦場っていうと、軍に所属していた? 道理で知らないわけだ」

 僕を初め、大半の勇者たちは人と戦うのに忌避感を持ち、軍関係にはいかずに魔種の討伐を好んだ。彼は対人戦闘が好みだったのだろう。住む世界が違うはずである。

「その通り、軍部に入った彼は瞬く間に地位を駆け上り、師団長の席にまで後一歩というところまでやってきて、それから唐突に軍を抜けた」

「抜けた? 何故」

「自分が歳を取らないってことに気がついたのかも」

「ああ、なるほど」

 シキがぼそりと呟く。勇者は歳を取らない。不死性が関係しているとも、その身に秘めた力が関係しているとも言われるが、詳しくはわからない。しかし、シキに言わせると、輪廻の船に乗らない者が年月の流れを進むことなど叶わない、らしい。よくわからないが、この世界でも魔導に長けた伝説の種族である賢人族が歳を取りにくいなどの話もあるのできっとそれと同じようなものだろう。

「きっと上からの命令もあったんだろうな。同じ存在がずっと高い地位に居座るってのは組織の腐敗を招く。それがどんなに高尚な奴だとしてもな。ちなみにこの時点でのやつの死亡回数は五回。それに加え、こんな逸話が残っている。上官の失敗の尻拭い、もとい口封じとして切り捨てられたローハンの部隊が敵の大軍にやられて全滅、しかしローハンだけがふらりと司令部へ戻ってきて、上官の無能っぷりを糾弾したそうだ。上のやつにとっちゃ、こんな規格外の人間が軍にいるってだけで落ち着かねえだろうよ」

 わからなくもない話だ。軍という組織は規格品を揃えることで力を発揮する。イレギュラーの存在は最初は有り難がられたものの、次第に邪魔になっていったのだろう。

「話を続けるぞ。その後、ローハンは巷へと下り、フリーの冒険者として世界を巡っていたらしい。そんな矢先に出会ったのがユナって奴……ああお前の元カノか」

「違う」

「怒るな、剣を抜くな。……お前の元“仲間”と出会い、旅団を結成。軍部の経験を生かして巧みに人心を掌握、旅団を拡大していったってわけ。そして五年前からこの街を拠点にし、周囲の迷宮を攻略して回る。街の領主から一等勲章まで貰ってやがる。やれやれ、できる奴はどこへいっても違うねえ」

 そう言ってユリシスは大げさに肩を竦めた。話だけ聞けば、彼は本当に英雄的な人物だった。国のために尽くし、裏切られた後、今度は人々のために死力を尽くす。僕とは正反対の人間だ。

「ノインとは正反対ね」

「うるさいよまったく」

「おーい、話、いいか?」

「ユリシス、さっさと話せ」

「順風満帆だった冒険者生活。だがそこに徐々に忍び寄る、崩壊の気配。まあ、なんてことはない。死にすぎたんだな、あいつは。その辺りのことはもう知ってるんだろう? なら話が早い。どうやらローハンは解散宣言の数日前から周囲の人間に相談していたようだな」

「相談? 遺産の受取人でも決めていたのか?」

「そいつはちょっと冗談が過ぎるな、ノイン。ローハンは、もし自分が狂ったら殺してくれ、と言って回っていたらしい。殺したって死なねえのにな。けれど、自分が自分で無くなるっていう恐怖が迫っている中で、混乱しながらも救いを求めていたんだろう。奴さん、とっくに限界を迎えてたってことだ」

 殺してくれ、か。都合のいい言葉だと思ったが、笑い飛ばす気にはなれなかった。自分だって他人事ではないのだ。孤高の騎士は最後に救いを求めていた。

「そしてローハンの最後の足跡は、三日前。午後十四時半、西の大通りを入った路地の中で顔面蒼白で夢遊病者のように彷徨い歩く彼の姿が見つかった。その手には、写真が握られていたそうだ」

「ノイン、それって」

 すぐに気が付いた。三日前は一人の不死者を処理した日で、ユリシスの話した場所は、まさしく僕が彼を、オーフェ・ディオールを追い詰めた場所だった。オーフェの手に持っていた写真に写っていたのは一体なんだった?

「ユリシス、ローハンの写真を見せてくれ」

「ああ、これだ」

 彼が示した写真は、軍人たちが肩を並べて笑っている写真だった。そこに写ったオーフェ・ディオールの隣、優しそうな笑顔を見せる青年をユリシスは指差した。


 

 ローハンが失踪間際に自分を殺してくれと伝えた相手は、昔の戦友のオーフェ・ディオールだった。しかし、彼はすでに狂気に蝕まれていて、ローハンのことも覚えていたのか定かではない。いや、忘れまいとしてあの写真を握りしめていたのではないのか。

 だが、結局先にあがり・・・を迎えたのはオーフェの方だった。殺してくれ、と最後に彼は言った。それは、友との約束のみを支えにして最後の理性を保っていたからではないのか。

「ノイン。あまり深刻に考え込まないほうがいい」

 いつになく優しい声でシキが慰めてくれる。

「別に、深刻に考えているわけじゃない。けど、あー、なんかうまく言えないだけ。ほらシキも探して、ローハンはまだこの辺にいるかもしれないだろ」

 ユリシスに話を聞いた後、僕はシキを伴ってオーフェと戦った路地までやってきた。ローハンはここから離れていない可能性が高い。

 彼はここで僕の処理したオーフェを見たのだろうか。いや、戦っている姿を見られたのかもしれない。その時、彼は何を思ったのか。自分の成れの果てをオーフェに見て、彼は次にどう動くのか。

 ぼんやりと路地を歩いていると、目の前に戦闘の形跡が見えた。氷壁で防がれ、ひしゃげた弾丸が舗装の上に転がっている。オーフェの姿は既にない。回収済みなのだろう。

「ノイン、止まって」

 シキが真剣な口調で言う。僕も気が付いていた。目の前の路地の薄暗がりの中に誰かがいる。ゆっくりと歩いて現れたのは、ユナだった。

「ユナ! どうしてこんなところに!」

「どうしてって、私もローハンを探してたのよ。ここ、ローハンの友人が住んでいたところだったらしいから、話を伺いにきたの。残念ながらその人は居なかったけど」

 拙いところで彼女と出会ってしまった。ユナには知らせたくないことはいくつもありすぎて困るくらいだ。とりあえず、今日はこの辺りで切り上げようと促す。

「衛兵と関所には連絡した。多分、この町のどっかにいると思うから、根気よく探せばいい。今日は帰ろう、この辺りは治安も悪いから、さ」

「……わかったわ、ノイン」

 結局彼女は渋い顔をしながらも、頷いてくれた。そのまま踵を返し、さっさと路地から出ようとした時。シキはまだあたりを警戒していた。

「ノイン、さっき止まってって言ったのは、その人のことじゃない。……もう一人、いる。殺気、狙っている」

「場所は?」

「わからない」

「ユナ、ローハンが剣以外に装備していたものはあったか?」

「え、? なに? 唐突に。そうね、確か弓——」

 飛翔音。亜音速サブソニックで飛来するそれは銃弾の発砲音に比べ遥かに静音。軍の中でも、敵の将校を暗殺するために弓を用いる部隊があるという話も聞く。殺傷能力に乏しいという風評はあるが、その実取り回しが良く、矢は重量があるために十分脅威である。それに、勇者という化け物が扱うならば、大砲にも匹敵する恐ろしい武器となる。

 爆発。上方から飛来した太矢が路地の建物の壁面を穿ち、破片が撒き散らされる。

「伏せろっ!」

 言うや否や、二射目が地面を破壊する。シキは既に姿を消した。あいつは逃げ足が速い。とりあえず守らなきゃいけないのはユナだ。

 三射目。曲射軌道を描く矢に対し、最短距離で伝わる発射音の方が速い。カァンという乾いた強い音。前の二射は僕の前後に着弾している。次はその間。

「防げ銀蛇ッ!」

 もはや定型文でもなんでもない叫びを上げる。しかし長年使用してきた愛剣の十字杖剣〈レスレクセンの銀の蛇〉はその声に応え、鎖を四方へ放つ。〈複製〉の魔導が展開、無数の鎖が壁に刺さり、それら全ては僕の目の前の一点で交差する。そこに、音速の矢が衝突。展開した十三本の鎖のうち、十一本が破断。

 残る鎖の片方でユナと自分の身体をくくりつけ、もう片方の鎖を使って高速移動。

 曲射の軌道が三本あれば敵の位置は簡単に分かる。少し離れたビルの上。別の建物の陰にユナを逃し、一人で相手を追う。いくつも屋根を飛び移り、周囲より一つ高くなったビルへ。

 そこにローハンがいた。屋上の縁に手をかけ、身を乗り上げた、魔導式長弓ロング・ボウを構えたローハンの姿が見え、即屋上に転がり込む。頭上を矢が通り過ぎていく。矢は地平遥か彼方へ飛翔していく。次弾を撃たせている暇は無い。

「ローハン! あそこにはユナも居るんだ! 仲間の顔も忘れたか!」

 彼の表情に変化はない。能面のような無表情さを貼り付けている。軍人の目だ。どこまでも冷徹で、どこまでも鋭い。

「クソッ!」

 〈複製〉の魔導を展開。今度は十字杖剣自体を複製し、両手に持つ。

「〈縛れ、銀の蛇〉!」

 二条の蛇が互いに交差しながら獲物へと向かう。ローハンは弓を捨て、剣を引き抜いた。無駄のない美しいとも思える所作で鎖を弾く。音も無い歩法、まるで風に乗るように距離を詰めてくる。気が付いたら敵の間合いだ。双短剣で応戦する。

 流れるような剣筋は、一見簡単に目で追えるように見えて、実は恐ろしいほど速い。脳が錯覚しているだけだ。自分の周囲だけ時間が遅くなったような感覚。ローハンは恐ろしいほどの使い手だと今更ながら認識しても、もう遅い!

 双剣が自分の感覚を超えて空を刻む。身体を動かすのはもはや勘だ。銀蛇の鎖が背後からローハンを狙い、しかし、ローハンは風に乗って宙返りし、難なく避ける。こいつ、ただ剣が上手いだけではない。本当に風の魔導を使用している。

 ローハンが着地すると同時に激しい旋風が僕との間に発生する。撹乱か、と思い、距離を詰め掛けた時。

 腹部に衝撃。旋風を目眩しに、ローハンは急接近。腕甲ガントレットが腹へと突き刺さる。血を吐いた。久々に感じる痛み。

 身体が宙を舞い、屋上を転がった。

「くそ、……なんだこいつ、ほんっ、つよいな」

 明らかに、こいつは今まで戦ってきた中で最も強い男だ。正に英雄にふさわしい。

 ローハンは瞑目していた。ぎり、ぎり、となにかの音が聞こえる。その音は彼の口から。そして、バキッっとくぐもった音が響いた。

 彼がなにかを吐き出す。血まみれの、奥歯。半分に割れている。再び目を開いた時、彼の目は血走っていた。

 ああ、なんてことだ。

 英雄は不死に身を蝕まれ続けていた。狂気に犯され、理性などすでに消えているのだろう。けれども、彼は自分に痛みを与え続けることで人の心を保っていた。本当に強い男だ。嫉妬で吐き気を催すくらいに。

 だが、僕が立ち上がり、再び刃を交えようとした時。ローハンは僕に背を向けた。そして、あっけなく逃げた。

「……え?」

 ローハンはビルの屋上から飛び降り、屋根を足場にして路地へと消えていく。

 ふざけるな、と叫んだ時にはもう遅い。耳元でシキの声。遠隔通信の魔導だ。

『ノイン! 遊んでいる場合じゃないでしょう!?』

 彼女の声が僕の熱くなった頭を冷やす。狂気に当てられたのかもしれない、目先のことに集中しすぎて、他のことを忘れている。

「シキ、今どこに」

『わたしは良い! それより彼女・・をっ!』

 はっとして振り返る。屋上から無数の屋根を見渡す。ユナはどこだ。

 彼女の姿を探す。いた。路地の奥、コート姿の人物が彼女を担いで走り去っていく。やられた、不死者どもにしてやられるなんて!

「シキ、ユナが拐われた! 姿を追ってくれ! ……おい、シキ? 応答しろ!」

 こんな時に魔導通信が切れた。全く上手くいかないことは連続する。急いで彼らを追わなくては。きっと、彼らは何処かで落ち合うだろう。きっとそこで僕を待っている。そう思った。


『ノイン、してやられたそうだな』

 路地を走っている最中に通信。ユリシスから。シキの細い声は耳元で聞いていても悪くはないが、薬中野郎の声を聞いて喜ぶ趣味はないため、適当に返事をする。

「ああ、そうらしいね。で、要件は?」

『そう怒んなよ。耳寄りな情報だ。ローハンの現在の潜伏先がわかった』

「どこ?」

『裏通りの貧民街、その中にある廃教会だ。それも土着の古い神を祀っていたものらしくてな、当局の圧力がかかってずっと閉鎖されていたらしい』

「ふーん。一体なにを祀っていたんだろう」

『古い英雄だってよ。この街を守って、勇敢に死んでいった千年前の男』

 最後は神にすがるというのか。それは信仰ではなく、くそったれな感傷か、あるいはただの。そう、ただの甘えだ。


 教会の扉は木で打ち付けられていたが、一蹴り入れると呆気なく崩れた。どうやらただ嵌めこまれていただけらしい。教会の中は薄暗く、両壁の上部の高い窓から淡い光が差し込んでくる。祭壇のある場所に鎮座していたのは埃を被った英雄像。その手前のきざはしに、ローハンが腰掛けていた。

 ローハンが懐からなにかを取り出し、口に含む。一体なにを食らっているのかわからないし、想像したくもないが、彼の口から煙が吹き出るにつれ、正気を取り戻しているようだった。

「全くどいつもこいつも薬中だらけだ」

 僕の嘆きは誰も聞いていないようだった。みな狂気に蝕まれ、自我の喪失と戦っている。この世界は狂っている。勇者とやらも、なにもかも。

「のいん、というのか、おまえは」

 焦点の合わない眼をおおよそ僕のいるあたりに向け、ローハンは喋った。ローハン・エオメル。指輪物語に出てくる、騎士の国ローハンとその王の甥エオメル。だが彼の姿は、呪われて夢現の境を彷徨うセオデン王の方が相応しい。魔法使いがその呪いを晴らし、耄碌した王をかつての聡明な騎士王へと蘇らせるのだが、残念ながらこの勇者ローハンにはもはや救いはない。

「そうだよ。騎士ローハン。あなたは強かった。きっと僕の想像もつかないほど多くの人間を救ってきたんだろう。けれど、もういい。あなたはもう休んで良い。不死者レヴナントになんかなるんじゃない」

「れゔ、なんと、……か。不死がり、め。引導を、わたしに、来たか」

 ローハンは少しずつ自我を取り戻して来ている。今のうちに拘束しなければ、と思いながら、僕は彼の口をふさぐことはできなかった。

「散々戦い抜き、その果てに待つのがこれか。報われんな」

「報われる、報われない、って話は勝手な思い込みでしかない。全ては見方の違いでしかない。解釈の違いでしかない。現実から眼を背け、それでも剣を振り続けたあなたが、まさか覚悟していなかった、なんて馬鹿な話もないだろう?」

「かも、しれないな。この日が来るのを分かっていた。あの日、本物の剣を与えられた私たちはただの子供だった。世界を救う力を与えられた私たちは、何も知らない、無垢で無邪気な英雄だった。いつまでもそのままでいれたならば良いのにと、何度思ったことか。お前は大人だな、ノイン」

「どうかな。子供じゃないだけだよ。僕だってその気持ちがわかる一人さ。でも、全てのものには終わりが来るんだ。全ての楽しい夢には終わりが来るんだ。そうだろう? 全ての現実には、いつか終わりが来なくてはいけない」

「なるほどな、なら私は終わりにすら足掻いてみせよう。騎士ローハンはその自我の最後の一片に至るまで戦い続ける」

 ローハンはそう言って、ゆっくりと立ち上がった。背後に屹立する英雄像と彼の姿が被って見える。

「ユナ、そこにいるんだろう? いいのか、これで?」

 僕は入ってきた扉のそばに控えているユナに向かって問いかけた。


 彼女が拐われたというのは、振りでしかなかったのだろう。理由はわからない。もしかしたら、不死者レヴナントとなった勇者を狩るという、いわば裏切り者の僕を恨んでいたのかもしれない。その事実を隠していた僕を糾弾したかったのかもしれない。

 依頼の時に、僕を見て驚いたのは嘘だ。いや、半分本当か。噂に聞く不死狩りを訪ねたら、本当に昔の知り合いだった、そんなところか。そして状況を整えた。最終的に僕があのローフェを倒した場所へ来ることを予想していたのだ。もしかしたら、ユリシスも一枚噛んでるかもしれない。金さえ払えばなんだってする、あいつはそういう男だ。そして誘導された僕とローハンを出会わせた。ここへ連れてきたのは、何故だ? 多分、論理も何もあったものじゃないが、きっとここが彼らの思い出深い場所なのだからかもしれない。

「ノイン」

 ユナの顔は暗がりに隠れて見えない。どんな表情をしているのだろう。

「あなたが不死狩りじゃないかってことは、私ずっと昔から思ってたの。私たちが部隊パーティを組んでいた頃の話。あなたが部隊を去った時以来、他の仲間の姿も一切見えなくなってしまって。あれって、あなたが彼らをどうにかしたんじゃないかって思って」

 それは、部隊解散の理由だ。

 あの時共に組んでいたメンバー、中でも最前線で戦っていた騎士エリーゼと闘士クラウンダスクの精神の磨耗は激しかった。あれは僕が最初に処理した不死者レヴナントだった。

 シキとまだ出会っていない頃、僕には助けてくれと懇願する友人に対し、出来る手段は少なく、そしてそれはひどく拙いものだった。ついに狂ってしまった友人達と剣を交えつつ、僕は彼らを倒し、その身体に火を放った。決して死なない程度に、しかし戦う力が失せるまで焼き続ける。不死者に堕ちた勇者は、その全ての能力、意思を生存に振り切るため、薬を使わなくとも強力な再生能力が使える。だから僕は三日三晩彼らを焼き続けた。再生能力が尽きるまで。

 その時の匂いを覚えている。嫌な匂いだった。あれこそが死の匂いと言うべきものの、最初の出会いだったのだろう。

 それから、殺しきることが出来ない彼らを、動かぬように捉えるため、僕は深い迷宮の奥底に銀の杭を突き立て、焼けた彼らの残骸を鎖で縛り付けたのだ。彼らは今でもそこで生きている。

「彼らはね、殺してくれなんて言わなかったよ。弱い俺たちを許してくれ、とだけ言ったんだ。だから僕は彼らを助けた。二度と誰かを傷付けることなどないように」

「お前の吐くそれもまた、自分に酔うた道化の言葉ではないのか?」

「ローハンっ! なんてことを!」

 ユナが彼を諌める。ローハンはそれを鼻で笑った。

「私はただ、二人に会って話してもらいたかっただけで……。ううん、どうせ会ったって戦うことになるのは分かってた。それでも、ローハンにはノインのことを知って欲しかったし、ノインにはローハンのことを知って欲しかった。だって二人は、どこか似てるから」

 全くここには独り善がりな奴しかいない。僕も、騎士も、哀れな女も、全て。

 結局剣を合わせることでしか、勝敗を決められない愚か者なのだ。


「御託は並べ終えた、坊や達?」

 つまらなさそうにため息を吐いて、シキが陰から姿をあらわす。

「どうでもいいけど、あの軍人さんもう限界よ。取り込み中だったから押し留めていたけど、もう疲れた」

「ユナ、窓から離れろ!」 

 僕が声を掛けるのと同時、側方の壁の窓硝子を突き破り、コート男が侵入して来る。彼は戦友の元へ駆け寄り、僕とシキに対峙する。オーフェの目は限界をとうに超え、不死化の症状が現れていた。目が黒ずみ、瞳孔が血のように紅くなる。

「あいつ、よくここまで持ちこたえたって感じだな」

「〈氷棺〉の魔導から抜け出したのよ。氷菓子だって一度溶かしたらもう駄目だもの。もう頭の中身はぐずぐずね。あの女の子が傷付けられないか心配で付いて行って良かったわ」

「なんだ、やっぱりついてってくれたんじゃん」

 オーフェが咆哮した。僕らは武器を構える。シキは氷で出来た槍を創り出し、丁寧な所作で構えた。

 騎士ローハンの目もすでに黒化している。口から血を流しながら剣を構える。オーフェの身体がごきりと嫌な音を立てる。皮膚が蠢く。長い毛があちこちから生え、まるで人狼ライカンスロープのような姿へと変身する。

不死者レヴナントは渇望の権化だ。本能の向くままに行動する生き物が獣の形をしていて、おかしくはないわね」

 シキが吐き捨てるように言う。

「いずれにせよ、これで役者は揃ったってことだ」


 不死者と不死狩りが舞う。破片と血が飛び交い、刃が閃く。

 鎖が千の蛇となり、教会の壁を穿つ。騎士は難なくその上を綱渡り、僕の眼前へ。シキが槍で横合いから襲いかかる。ローハンは風で体を動かし、飛翔して回避。いれかわるようにしてオーフェの獣がその膂力をもってして殴りかかる。

 僕とシキは破城槌の一撃をするりと抜ける。地面に十字杖剣を突き刺し、魔導発動。無数の銀の杭を生成し、床から突き上げる。獣の足を穿つ。夥しい量の出血。噴き出た紅い液体が空中で静止、凍結、形を変え、獣本体へと牙を剥く槍と化す。だがオーフェは爆音の咆哮でそれらを吹き飛ばした。

 獣と騎士は相反するように見えて、その実同じ生き物である。ただ心に秘めた信仰が、野生の本能か、騎士の精神かの違いでしかない。それに対して、不死狩りの勇者と真祖もまた同じ生き物だった。僕らの内包する矛盾が、その葛藤自体が理性を持って生きるものの証である。僕らはいつかこの自己矛盾にケリをつける日がやって来る。その時が、本当の終わりという意味での死であるならば、いいなと思う。


 教会の中は悲惨な屠殺場の有様だった。辺り一面が血となんらかの肉片で赤黒く濡れている。フロアの中心には氷で串刺しにされ、鎖で雁字搦めになった獣の残骸がある。邪教のモニュメントであるかのようなそれを、シキが凍結させる。

 僕らは歩いていく。シキが横に並ぶ。ユナは誰かの血に濡れたまま、床に座り込んで咽び泣いていた。彼女は最も純粋で、最も美しい生き物だと僕は真面目に思う。今、彼女は誰かのために泣いているのだから。

 ローハンは両腕をなくし、断頭を待つ受刑者のように首を垂れて座っていた。身体には細い針のような杭が無数に突き立てられている。標本に釘付けになった蝶を思い出す。もう彼には輝かしい剣技をふるう翼も失われているが。

「何か、言い残したことはある?」

 傲慢にも、僕はそう言ってのけた。そうしてやるのが筋だと思ったからだ。しかし、ローハンは首を振った。彼は血走った目を、一瞬だけ元の純粋な草原の騎士の目に戻し、流暢に言った。

「全て言い尽くしたさ」

 彼は全てを語り尽くした。全てを語り尽くした役者は退場せねばならない。そして僕にも、彼に掛ける言葉はもう見つからなかった。

「シキ」

 彼女は無言で手を翳し、彼を永遠の眠りにつかせた。



 不死者達が移送される北方の不死監獄に僕らはいた。僕らというのは、僕とシキとユナの三人である。

「寒いところね」

「寒いところだな 」

 ユナがしみじみとそう言い、僕も頷いた。

 監獄は氷に閉ざされた山脈の、中央部に存在している。まさに陸の孤島といったところで、並みの人間は来ることができないだろう。ここは迷宮だった。そう、僕がシキと出会った迷宮だった。シキはここの主、氷の冥主、最も冷たき真祖の姫である。

 不死監獄では氷漬けの不死者が今日も運ばれてきて、牢獄に入れられ、世界の終わりまで閉じ込められるという。

 僕らがここへきたのは、ローハンとオーフェの護送という理由もあるが、もう一つ、大事な用事があった。

「私の部屋ってここかしら」

「そうだよ」

 ユナが指差したのは空の牢屋。今日からここが彼女の部屋となる。ついの住処、棺桶。

 恐る恐る中へと入ったユナは、〈再生地点リスポーン・ポイント〉の魔導を起動した。足元に紋様が刻まれる。そして牢屋を出て、戸を閉めて、鍵をかけた。そう、ユナは次に一度でも死んだらここへと送られて来るのだ。そしてそれは僕も同じ。

「ノインの部屋はどこ?」

「この隣だよ」

 そういって僕は壁一つ隔てた隣の牢屋を指した。ここが僕の最期の場所。

 これが八課セクター・エイトの不死狩りとして働く者の、覚悟である。不死者を処理するのだから、僕たちはもう不死であってはならない。だから、こうやって擬似的に再生能力を封印したのだ。

「近いのね!」

 僕の部屋が隣だということを知ったユナが、なぜか嬉しそうに言った。

「そうだけど、それが何?」

「だって、これで私、もう寂しい想いはしなくていいから」

 そう言って笑った。


 僕らは世界の終わりまで戦い続ける。そしていつかはここでユナとともに眠りにつくのだろう。たまにはシキも遊びに来たりして。案外退屈しないかもしれない。昔、両親が遺骨は一緒の墓に入れてくれと言っていた気持ちを少しだけわかったような気がする。

 不死監獄。

 ここは永遠の勇者たちの墓場、再誕者の庭レヴナント・ガーデン


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

再誕者の庭 The revenant garden 二月 ロク @asuncion

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ