後日談


東の遊牧民の王であるシャールカと、元将軍であるバルトロメイ。ふたりの結婚は、大いに祝われた。


「バルトロメイ様…」

「シャールカ…」


婚姻の衣装から着替え、薄着となったふたりは天幕の中で向かい合う。


優しい雨が降り落ち、全ての音を包み込むような夜だった。途方もなく長い距離と時間を掛けて、今宵。ふたりは初夜を迎える。


「……」

「……」


バルトロメイの指先が、シャールカの頬に触れる。ぎこちない動きではあるが、触れるか触れないかのところで肌に添えられた手からは、決して傷付けまいとする気遣いが伝わってきた。


そのまま、バルトロメイがゆっくりと近付く。心臓が体の内側で鳴り響いて、痛いぐらいだ。掛かる息も、触れたところから伝わる体温も、まるで火傷するような熱量であるように錯覚する。そうしてふたりの唇が重なりそうになった瞬間――


「…シャールカ?」


シャールカは、白眼を剥いて気絶した。




「はあっ!?」


翌朝、朝日が昇り始める頃。シャールカは飛び起きた。ごくりと喉を鳴らして、恐る恐る自分の位置を確認する。


「だ、旦那様…!」


彼女の下で、まさに敷布団のごとく引かれていたのはバルトロメイであった。大慌ててで彼の上から離れ、口元の涎を拭う。その際に彼の胸の辺りにできた染みを確認し震え上がる。


(まさか私、気絶を…!?)


「も、申し訳、ありません…!」


初夜、初夜の筈だったのだ。身分も距離も、ふたりの間にはもう何の障壁もない。その矢先での気絶である。しかし、バルトロメイは怒ることも、嘆くこともしなかった。ただ充血した真っ赤な目で、静かに言った。


「構わん。慣れている」

「な、なれっ…!?」






「長。家の補修に、手をお借りしたいのですが…」


声をかけられて、シャールカは馬の毛並みを整えていた手を止める。


「分かりました。すぐに…」

「良い」


快諾しようとする返事を、バルトロメイが遮った。


「俺が行こう」


そのまま村人と共に歩いて行く。


「……」


その広い背中を見送るシャールカの胸に宿るのは、焦燥である。


彼がシャールカの婿としてここへ来て少し経つ。瑞とはまったく違う新しい文化や生活を学ぶことに、バルトロメイは熱心だった。彼からすれば関係の無い民族の歴史も回りくどい習慣も、決して蔑ろにはしない。そんな彼の姿勢は、多くの者からも信頼を寄せられている。


しかしシャールカの中では絶賛、新しい問題が顔を出していた。


「まさか、初夜で気絶するとは…」


(これもそれも、旦那様の素敵が過ぎるあまり…)


バルトロメイは格好良かった。現役を引退し年を重ね、年齢相応の渋さを身に付けた。更に以前よりも雰囲気が柔らかくなり、笑うことも多くなった。口数も増し、気持ちを言葉にするようになった。なによりも5年の歳月を経て果たした再会は、あまりに感動的だった。


つまり何が言いたいかと問われれば、シャールカのときめきは常に限界だと言うことだ。


「懸念はしておりましたが、よもや接吻の前に意識を失うとは…。そして、このように呑気にしていられないことは百も承知…!」


前述の通り、バルトロメイは村の者達から人気がある。けれど向けられているのは信頼や尊敬の念、それだけではない。彼は都会的で華やかな要素を兼ね備えており、肉体的にも強く、将軍を務めていただけあって人を率いる力もある。単純に、モテるのである。


「この前なども旦那様と目が合ったと喜んでいる娘達を見ましたし…」


しかも悩ましいことに、彼女達は皆シャールカより若く巨乳の娘達であった。人のものに興味を抱いてしまう、一過性の若気の至りのようなものもあるのだろう。


「いっそのことバルトロメイ様の頭部が激しく禿げ乱れてくだされば、まだ安心できると言うものですが…」


だがしかし禿げない。バルトロメイは禿げない。大体、多少禿げ乱れたところでシャールカが彼に抱くときめきは変わらないので、結局行き着く先は気絶である。


「ふくらはぎ…たまぶくろ…。私は一体どうしたら…」


愛馬2頭に話し掛けても、ぶるると荒い鼻嵐が返ってくるだけ。


両想い、奴隷であった頃は想像もしなかった両想いだ。けれどなかなかどうして失うものしかない状況と言うものもまた、違った悩みがあるものである。新しい苦悩を抱え、シャールカは息を吐いた。






「バルトロメイ様」

「新婚生活はどう?」


手伝いを終えたバルトロメイちょうど、若い娘に囲まれているところだった。一見すると穏やかな村のやりとりだが、彼女達の目は隙あらば襲いにかからんとする女豹の目付きである。


「順調だ」


バルトロメイの短い返事にも臆することはない。彼女達は熱心に誘惑を続ける。


「けれど、バルトロメイ様は体力も有り余ってそうですし…」

「お忙しい長1人では物足りないのではなくって?」

「大国の権力者は、複数の妾を持つものだとも聞きました」


そう言いながら、じわじわと距離を詰め囲んで行く。


「っ…!」


そのやりとりを影で見ていたシャールカは思った。


(ね…寝取られる…!!)


妙な胸騒ぎがし来てみればこの状況である。彼女達が年端もいかない少女達の頃から、獲物を見つけたら全力で追えと教えていたことが災いした。


(ですが、私が妻の務めを全く果たせていないのは事実…!)


恐ろしい未来に震えながらも、シャールカの心には若干の覚悟も過る。何せ再会を果たそうが結婚しようが変わらず、ふたりの間に体の関係は皆無なのだ。主に彼女の緊張のせいで。


(バルトロメイ様が望むのであれば、身を引くこともまた致し方な…)


「いや」


場に、全てを掻き消すような声が落ちた。その中心に居るバルトロメイは、淡々と先を続ける。


「ここに来るまでに、時間が掛かったからな。シャールカともう2度と会えないことも、彼女が既に他の男と結ばれていることも、覚悟した」


低い声は優しく紡がれる。口元は柔らかな微笑みを描き、純黒の瞳は愛おしそうにどこか遠くを映した。


「それでも今、彼女を隣で支え、共に生きられる。これ以上の幸福は、他にない」


彼女達に視線を戻す。バルトロメイは微笑んで、静かに言った。


「シャールカを愛してる。今はそれだけでいい」


声ははっきりと落ちる。その場は静まり返った。


(旦那様…)


まさかの情熱的な返答に、誘惑した方が真っ赤になっている。そして誰よりも顔を真っ赤にしたシャールカは、そういうところですとは思いながらも、きゅうと瞼を閉じる。


「私が愚かでございました…」


「好き」が過ぎたあまりの気絶だった。極度の緊張とときめきは、昏倒と言う弊害を連れてきた。しかしバルトロメイの本心を知った今、彼女の心に迷いはない。


(一体何を、緊張することがあるのでしょう…)


シャールカは天を睨んだ。亡き父と母に向かって、声高らかに誓う。


「今日こそ必ずや、性交してみせます!」






柔らかな闇が大陸を包む。天幕の内側、寝台に腰掛けるシャールカを視界に入れて、バルトロメイは言った。


「良いのか?」

「はい」


緊張を圧し殺し、シャールカはそう返す。バルトロメイが屈み、彼女の顔に触れた。互いの唇が近付いた。


「バルトロメイ様…」


最初は一度、触れるだけ。すぐにバルトロメイが顔を離し、目の前の妻の様子を確認する。その視線を受け真っ赤になりながらも、シャールカが小さく頷く。すると、彼は更に唇を重ねてきた。


「っ…」


今度は連続して何度も。これまでを取り戻すように長く深く重ねてくる。途中で息をしようとシャールカが口を開くが、舌が入ってきて、目的は叶わなかった。


「っぷ、あ」


苦しさのあまり、変な声が漏れる。バルトロメイが慌てて離れ、唇を親指で拭った。


「…すまん。がっついた」

「い、いえ…」


ふうふう息を吐く。酸欠と照れで顔を真っ赤にさせながら、シャールカはふにゃりと微笑む。


「とても、幸せです。もっとしてください」

「シャールカ…」


バルトロメイが彼女の背中に手を回す。そのまま、優しく押し倒されると同時に、敷布に鮮やかな金糸が広がった。寝台がぎしりと音を立てるのと同時に、シャールカの心臓も鳴る。


「っ…」


(大丈夫)


バルトロメイに触れる指先が震える。誰かと肌を重ねるのも、自分の全てを見せるのも、初めてのことだ。怖くないと言えば嘘になる。それでも、彼女の胸の内に不安はない。


(私は、この方と生きる)


顔を上げると、バルトロメイと目が合った。情熱的に輝く、それでいて愛に満ちた優しい黒。彼に触れられたところから、緊張がほどけて行く。シャールカの心に溢れるのもまた、持ちきれないほどの幸福と愛情。


「……」


ところが、彼女の衣服に手を掛けたところで、バルトロメイはぴたりと止まった。


「っ、バルトロメイ様…?」

「……」


自身の名前を呼ぶシャールカを、彼は静かに見下ろす。


(…綺麗になった)


羞恥と緊張に耐える小さな体。碧の瞳は清艶を覚え、頬は果実が成熟したように赤く色付く。そう、シャールカは綺麗になった。


以前に増して活動的になった彼女の身体は健康美そのもの。年齢を重ねた為に身長は伸び、顔立ちも大人っぽくなった。少しばかりではあるが女性的な曲線を帯びた彼女からは色気も増した。


(だからこその不安はあった)


そもそも、遊牧民の女王が婿を募ると聞いて、バルトロメイは焦ったのだ。後から相手を捜すつもりはなかったと分かり安心したのもつかの間、挑戦者の中には婿の座を狙う部族内の者も居た。バルトロメイとの結婚をした今でも、未練がましそうにシャールカを見てくる彼らを、一生懸命睨みをきかせ牽制してきた。


何せ彼の想いには並々ならぬ歴史がある。性奴隷であったシャールカのどんな誘惑にも、どんな据え膳にも延々と我慢し続け、全てを置いてここに至った。ここまで来て、おいそれと譲る訳にはいかない。そうして積年の悲願を達成し、美しくなった彼女をバルトロメイは前にしている。


つまり何が言いたいかと問われれば、彼もまた限界だったと言うことだ。


「…旦那様?」


バルトロメイは、白眼を剥いて気絶した。




さて。「好き」が過ぎるあまり寝台に沈んだ夫を前に、今度はシャールカが固まる番であった。


それを見守る星々は、天幕の外を静かに降り落ちる。ふたりが肉体的な意味で結ばれるまでは、あと少しだけかかる。


そんなバルトロメイとシャールカが暮らす新しい国の名前はモンクレオ。

彼らの言語で、「不滅」を意味する言葉である。

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将軍閣下の性奴隷 エノコモモ @enoko0303

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