最終話


『シャールカ。元気?子供が生まれたから、こっちは少し大変』


紙の上に、形の綺麗な文字が均等に並ぶ。飛び込んできた目出度い一報に、シャールカの口からは思わず声が漏れた。


『義理の家族に支えてもらいながら、何とかやってるわ。夫もかなりの子煩悩だし』


厚みのある書簡を捲って行く。長旅を経て彼女の元へと辿り着いた便箋には泥はねや雨の染みも散見されたが、それでも一文字も欠けることなく読み取れた。


『2年前に兄様が死んで…その跡を、ストラチル様が継いだでしょう。意外なことに、かなりのご活躍中らしいわ。大将軍の座も近いって噂よ』


綴られていたのは、シャールカの居た頃から少しだけ変わった近況。そして最後に、付け加えるようにして文が添えられていた。


『そうそう。覚えてるか分からないけど、最近また、あの易者に占ってもらったの。なんでも、商売が軌道に乗り始めたみたいで、皇帝陛下に呼ばれたんですって。そうしたらね、シャールカ。アンタの運命の人、もう少しで現れるって言ってたわ』


「ヨハナ様…」


送り主の名前を呼びながら、くすりと笑いを溢す。


読み終わった手紙から顔を上げたシャールカの目には、華やいだ光景が広がった。


「お祭りだ!」


村は人で賑わい、子供達が色鮮やかな飾りを持って駆けて来る。シャールカを見つけると足を止め、興奮気味に口を開いた。


「シャールカ!今日はとっても楽しい!」


その発言に、彼女はうんうんと頷き返す。


「そうでしょうそうでしょう…。此度の婿取り祭りは最大規模です!」


彼女達の民族に伝わる伝統的な祭事。部族長の娘が婿を募り、その中からいちばん強い男を婿を据える。そして今回募集したのは誰の婿かと言われれば。


「向こうにもたくさんのひとがいたよ!シャールカ、すごい人気だね!」


彼らの指の先には、この日のために組まれた闘技場がある。今日はあちらで、各国から訪れた猛者達が婿の座を懸けて戦っているのである。そしてその「景品」のシャールカは意気揚々と語る。


「ええ。今回の優勝賞品は、大国の将軍閣下…その性奴隷であると、大々的に告知しましたから!」


今回人を集めた触れ込みは「絶滅危惧種の金糸雀人であり権力者の愛妾にまで上り詰めた絶世の美女を手に入れろ!」だ。事実はともかくとして、肩書きに弱いのが人の性である。この広告はシャールカの予想以上の集客力を見せた。


そしてこうまでしてこの祭りを盛り上げようとした彼女の目的は、村の活性化と観光による財源の確保。そしてあとひとつ。


「まあ!」


高い声につられ視線を向けると、村の娘が声を上げたところだった。彼女の前にはへこんだ鎧と折れた剣を持ちがっくりと膝をつく男の姿。普段見ない衣服と毛色から、今大会の挑戦者であることが見て取れる。

若い娘は戸惑いながらも声をかける。


「一体どうされたの…?」

「負けたんだ…。俺は誰よりも強いと思ってたのに…。俺には強さしかないのに…」

「そんな…」


シャールカの知る普段よりもほんの少しだけ着飾った彼女は、落ち込む彼の手をそっと握る。


「そんなこと言わないで!あなたは十分に魅力的な人よ。大丈夫。ね?」

「君は…」


恋の始まりを告げる風が吹く。それから数回会話を交わした後、ふたりで寄り添い歩いていく。親指を立ててこの場を後にする村娘を見ながら、シャールカは満足げに頷いた。


「これ以上ない腕試しの場に、優勝者のみが手に入れる美女!参加するのはある程度腕に自信がある者ばかりでしょう!そんな彼らが負けを経験し、さぞ今心は弱っている筈。そこに付け入りなさいと村の娘達には言ってあります!」


シャールカが今回、何を置いてもやりたかったのはこれだ。自身を餌に、若く健康な男達を引きずり込み村の娘達に宛がう。いわば国の総力を挙げた婚活である。


「我らの生活についてある程度の地固めは済みましたし、今後重要になって行くのは人です!彼女達にはぜひ!未来の民を育んでもらわなければ!」


完全にお見合いババアと化したシャールカは、次なる目標を見定め思考を巡らせる。


(今後は村の若い男性のお相手募集について考えなければ。そうですね、なるべく健康で逞しい女性が良いかと…)


「シャールカ」


ふと声が掛かった。視線を下げれば、子供達の大きな瞳がこちらを見上げているところだった。


「シャールカのお婿さんを探すお祭りなのに、シャールカは結婚しないの?」


その言葉に、彼らの頭を撫でる手が止まる。


「…そのつもりはありませんわ」


シャールカは寂しそうに微笑む。遠くを見て、はっきりと口にした。


「私は将軍閣下の性奴隷です」


2年前。国を渡り歩く商人から、バルトロメイの訃報を聞いた。気付いてはいたことだが、再会はもう2度と叶わないのだと泣いて、泣いて、そしてシャールカは決めた。


「私は誰とも、結婚しません」


あまりにも、輝く恋だった。生まれて初めて生涯を共にしたいと思った、大切な人だった。


だから、シャールカは結婚しない。ヨハナの手紙にあった「運命の人」を、探すつもりもない。幸せな思い出に満たされた彼女の心にはもう、誰かが入る隙間はなかった。


「じゃあ、今日の大会でいちばんになった人はどうするの?」


無邪気な声がして、視線を下げる。子供達は交互に前に出ながら、矢継ぎ早に質問する。


「しょうしゃはシャールカと結婚する決まりなんでしょう?」

「今回のちょうせんしゃはすごく強いって聞いたよ」

「馬もこんなに大きかったよ!」


そう言って大きく手を広げる彼らを、シャールカは目を細めて見つめる。皆、この新しい国ができた後に生まれたか、当時赤ん坊だった子供達だ。今この場所に居なければ見られなかった光景。この選択に、後悔は無い。


「私を誰だとお思いですか!」


シャールカは笑って立ち上がった。胸を張り口を開く。


「貴女がたの王、シャールカ・ハンゼルコヴァーです!世界の誰よりも強くなくては、その地位は務まりませんわ!」


その宣言と同時に、歓声が響いた。闘技場にて、軽い花火が上がる。今回の祭りの優勝者が決まったのだ。


「あら、私の出番がきましたね」


それを受けてシャールカは腰に剣を差し、颯爽と歩き出す。鮮やかな緋色に動きやすい設計。民族に伝わる花嫁衣装を改良して作った戦装束である。


「ここまでよくぞ勝ち抜きました!」


言いながら、花吹雪が舞う広場へと足を踏み入れる。鎧を纏い兜を被った「婿」相手に、はっきりと宣言した。


「ここで終わりではありません!最後は私と戦って頂きます!」


言いながら、ふくらはぎに飛び乗る。嘶く彼女の手綱を握って、シャールカは短剣の切っ先を向ける。その背にはお守り代わりの弓。


「残念ながら、貴方に勝機はありません!貴方がどれだけ強かろうと、私に勝つのはまず不可能!」


金色の髪を煌めかせ、そう言い切る。たとえ肉体的な強さでは負けていようとも、彼女には秘策がある。大いに胸を張り、いつもの台詞を口にする。


「このシャールカ!一計を…」

「一計を、案じたんだ」


台詞は、言葉の途中で遮られた。声がしたのは、目の前の彼。顔を覆う兜の向こう側。

その言葉の意味を考えるよりも先に、シャールカの意識はある一点に釘付けになった。


(この、声…)


「身を隠すのに何よりも適した方法は、死を偽装することだ。死人に職は無いし、誰も捜さない」


低いがよく通るその声は、淡々と先を続ける。


「ストラチルの案だ。ヨハナにも協力してもらったか」


鉄の兜の向こうからは、懐かしい名前が羅列される。シャールカの見ている前で、彼は兜に手を掛けた。


「言語を習得したり、ここを探し回ったり…色々と難しいこともあってな。俺が生きていると露見すれば、元も子もない。下手に文も出せなかった。お陰で、時間は掛かってしまったが…」


言葉の途中で、外した兜を放り投げる。ふたりを阻んでいた鉄の塊は、とすんと音を立てて地面に埋まった。彼は微笑んで、先を口にした。


「シャールカ。君が人の為に生きるのなら、俺は君の為に生きる」


太陽の光を受けて、強い光を放つ黒髪。ひとつきりになった瞳が、優しく揺れる。そこで初めて、シャールカは声を発した。


「ば、バルトロメイ、さま…」


そこに居たのは、バルトロメイ・クルハーネク。その人だった。

あり得ない光景を前に、彼女は震える口を開ける。


「か、閣下…。どうして、ここに…」

「もう、閣下ではないな」


バルトロメイは苦笑する。眩しそうに目を細め、シャールカを見た。


「社会的には俺は完全に死んでしまった。立派な屋敷も称号も、率いる隊もない。けれど、それでも君が受け入れてくれるならば」


そうして彼は口にする。これほど望みながらも、一度として彼女に言えなかったこと。


「俺と、生きて欲しい」


5年越しの彼の願いは、とても優しく落ちた。


「っ…!」


シャールカの視界が歪んだ。たくさんの涙が頬を伝って落ちて行く。大量の雫が馬体を滑り、やがて地面に大きな染みを作る。


「シャールカ」


いつの間にか近付いていたバルトロメイが、彼女の手を取った。大きくて硬い手。無骨な様相なのに、いつだって優しく触れる。ずっと焦がれていた懐かしい感覚は、これが現実だと教えてくれているようだった。


「返事を、聞かせてくれないか」

「っ、」


両の瞳から零れる涙は止まるところを知らない。シャールカが何かを言おうとしても、溢れる嗚咽に邪魔をされる。声はほとんど形にはならなかった。


それでも彼女は口を開く。夢にまで見た光景を前に、たった2文字を返すため。


将軍閣下の性奴隷は、もう居ない。

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