第44話


“シャールカ。貴女は直ぐに、恋の目覚めを迎えることになります。その恋はやがて身を捧げるような深い愛にまで発展するでしょう。ですが…”


“その恋が実る前に、片方が死ぬことになる”






この職業をしていると、様々な人間の性質が見える。人知を超えた事象を頑なに認めない者、未来など既に分かりきっているのに、必死で救済を求める者。


「だからってまさか…こんなところに放り出されるなんて…」


そう呟く彼女が居たのは、見渡す限りの平原、平原、ちょっとだけ岩。吐いたため息は吹きすさぶ風に巻き込まれすぐに消えた。


さて。

彼女の名前はソニャ・ジヴナー。職業は易者。主にジプシー占いを専門に扱う。


弟妹達への仕送りの為に、ひとりきりで大国へ渡る決意をしたのが2か月前。この巨大な草原を越えようと、ちょうど同じ方向へ行く馬車への同乗を募ったのが1か月前。が、横断する大陸の治安の悪化から引受先の確保にかなり難航。いよいよ旅行資金に困り始めた時期に、救世主は現れた。


流れの劇団員だと言う彼らは、ソニャと同じ方向へ行くからと気前よく乗せてくれた。10人前後で構成されていた団員は若い男女ばかり。音楽を奏でながら陽気に、そして少々向こう見ずな横断は始まった。ソニャも能天気なその様子に一抹の不安は抱きながらも、楽しい旅になりそうだと期待を膨らませていた。


が、問題は発生する。まず、ソニャの職業を聞かれ占い師だと話してしまったことから悲劇は始まった。劇団員は若い女性が半数を占めており、当然占って欲しいと言う話になる。その申し出自体は快く引き受け、占ったは良い。結果もかなり良いものだった。だからソニャは笑顔で、その結果を口にした。


『あなたは今交際されている男性と、このまま幸せになるでしょう』


若い女性ならば、諸手を挙げて喜ぶ案件だ。けれどそれを言った瞬間、何故か場の空気は凍った。


『……?あ、あの…』

『アンタ誰と付き合ってんの…?』


困惑するソニャを置いて、彼女たちの1人が占いの結果を受けたばかりの仲間に詰め寄る。その剣呑な雰囲気を察すると同時に、女は掴みかかった。


『まさかアンタまだ私の男と関係持ってるんじゃないでしょうね!?』

『ちょっと触んないでよ!そんなんだから浮気されるんじゃない!?』


掴みかかられた方も負けてはいない。そのままふたりは、必死の形相で髪を引っ張ったり叩き合ったりとくんずほぐれつの大喧嘩を始める。とんでもない修羅場との遭遇に完全に怯えるソニャを指差し、浮気相手の女性は言った。


『あの子の占いによると、私が彼と幸せになるんだから!』


そこからは阿鼻叫喚の地獄であった。狭い組織内でふたりに手を出していた男が、それだけで大人しくしている筈がない。浮気相手2号3号に続き、その恋人や夫など、多くの者が血筋の意味ではない兄弟姉妹であったことが発覚した。隠れていた異性問題は、綺麗に白日の下に晒されてしまった。たまに同性問題も交じっていたが、それはご愛嬌である。


そして何よりの問題は、ソニャが居なければこのような事態にならなかったのではと皆が気付き始めたことだ。突き刺さる視線と批判の雰囲気に耐えられなくなった彼女がお手洗いにと立った間に見事——置いて行かれた。


「ドロドロすぎる…」


その後追い剥ぎの一団に荷物を盗まれる事件を挟んだのだが、それは割愛しよう。とにもかくにも、そのような経緯の末に、ソニャは無一文で広いだけで何もない草原に放り出されたわけだ。


「占い師なのに…何で自分の運命は導けないんだろ…」


いくら未来を人に垣間見せる職業だと言っても、不可能はある。単純に、ソニャは運が悪かった。


「こんなとこで一体どうしろ、って…」


言いながら辺りを見回して、声は尻すぼみになる。時刻は夜。すっかり日も暮れた。草原の夜特有のひやりとした寒さが足元を蠢き、遠くからは狼の遠吠えが聴こえ始める。


「っ…!」


彼女の背中を冷や汗が流れた。


(ま、まずい。せめて今夜、無事に過ごせる場所だけでも…)


頭巾を深めに被り、何もない平原をうろうろと彷徨う。そんな彼女の視界に、待ち望む景色は現れた。


「あ…」


暗がりの草原に出現した大きな岩場。窪みのようなものが見える。近づいてみると、洞窟のようになっている。水場も近い。これならば一晩は明かせそうだ。


「なーんだ!私もついてることあるんじゃ…」


意気揚々と穴を覗き込んだ彼女の声が、これまたきゅうと小さくなる。


壁の間から漏れる火の光。動く人影。誰かがいる。その人影は小刀らしきものを振り下ろす。叩きつけられた何かから鈍い音がする様を見送って、ソニャは決意した。


「……」


真っ青な顔のまま、足だけ動かして静かに後退を試みる。相手から見えない位置で背を向け、駆け足で立ち去ろうとしたところで――


「おい」

「ヒギャー!」


背後から声が掛かった。それに口から心臓が飛び出すほど驚き、岩場から足を滑らせた。彼女の体が宙に浮く。


「ヒィッ…」

「おっと危ないぞ」


けれど落ちはしなかった。後ろの人物にむんずと掴まれ、引き上げられたのだ。


「ん?ひとりか?こんな遅くにこんな所で何をしている?」


大きな手の主は、つりあげたソニャを興味深そうに見ながらそう聞く。

人影は男だった。大きな体格に、髪は白。深く刻まれた皺から、それなりの年齢なのだと察する。


「怪しいなあお前!」


そう言って、豪快に笑う。ソニャは同時に、彼の言葉と全く同じことを思っていた。


(あ、怪しい…)


全くもって人のことは言えないが、家も建物も無いこんな辺鄙な場所に男。着ているものはぼろの外套。どうやら彼もひとりきりのようだ。

足の着くところに降ろされたソニャは、服を直しながら口を開いた。


「私がここにひとりで居るのは…その、色々ありまして…」

「まあそんなものだな!俺も然して変わらん理由でここに居る!」

「そ、それは災難でしたね…」


その適当な返事に、怪しさは募るばかりだ。明らかな不審者に警戒していると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。その瞬間、思い出したように彼女の腹がぐうと鳴った。その様子に彼は笑って、洞穴の奥を指さした。


揺らめく焚き火の炎。そのすぐ傍らには串に貫かれた肉の塊が鎮座している。


「さっき捕まえた兎だ。食うか?」

「うさぎ…」


先ほど彼が小刀を振り回していたのは調理の為かと納得する。警戒心はまだ残っていたが、腹のすきは限界だった。これ以上何も取られるものが無かったことも大きい。温かなご飯と温かな光に誘われるように、彼の野営地に足を踏み入れる。


「ほら」

「……」


火を挟んで彼の向かいに座ると、串のひとつを差し出してくる。あまり大きくはない。足の部分だろうか。あの愛くるしい姿を思い浮かべると心は痛い。とても痛い。


「っ…!」


それでも空腹には勝てず、何よりあまりにも魅力的だったのだ。ぷっくりと浮いた脂に、艷めく皮。肉なんていつぶりだったか、思い出すのも難しい。本能の赴くまま、ばくりと食らいついた。


「…美味しい」

「そうだろう。大地に感謝して食えよ」


そのまま夢中で食べ終えると、彼は何も言わずに新しい串を差し出した。それを有難く受け取る彼女の警戒心も、ほんの少しだけゆるむ。

自身も兎肉に口を付けながら、彼はソニャに向かって口を開いた。


「何をしに大陸を渡っていたんだ?まさかここが目的地じゃないだろう」

「え、ええと…」


説明しようとして、言い淀む。先ほどの騒動のせいで、職業を口にすることが憚られたのだ。けれど彼女が適当な誤魔化しを思いつくより先に、彼がソニャの唯一の持ち物に目を付ける方が早かった。


「占い師か!」


荷物は全て奪われたが、易占道具は直接身に付けていた為に難を逃れた。商売道具だけは命に代えても手放すなと言うのが彼女の祖母の教えだったのだ。

目の前の少女の職業を知った彼は、腕を組んでうんうん頷く。


「人の未来を見、人を導く。いい職業だ」

「その為にこんなところに放り出されたんですけど…」


自分で言いながらも、ソニャはがっくりと肩を落とす。口から出るのは深いため息だ。


「置き去りに強盗…。最初からこんなんじゃ、瑞に辿り着いても野垂れ死ぬかも…。全員学校に行かせてやりたいのに…不安定な職に就く、こんなお姉ちゃんでごめん…」


残念ながら、彼女の故郷では生まれながらに人の職業は決まっていて、そこから脱却する為にはよほどの幸運か人生の蒔き直しが必要だった。だからこそ意を決して国外に飛び出したは良いのだが、この有り様である。


けれどそれを聞いた目の前の男は、元気よく口を開いた。


「そんなことで謝ってたら身が持たんぞ!それで言ったら俺は今、家無し金無し職無しだ!不安定どころじゃないな!」

「あなた何なんですか…」


やはり不審者であると確信する。彼は肩を揺らして笑った。


「それに、人の為に生きる自分を責めることはない。俺は大国で要職に就いていたこともあったが、とんだろくでなしだったよ」


顔を上げるソニャに、彼は続ける。


「昔はやれ軍神だやれと最強だともてはやされたものだったが、今思うと自分のことしか考えていない赤ん坊と同じだ」

「……」

「そうして腕試しにと参加した祭りで、女に会った。これがまたいい女でな!美しい上に強い!なにより乳がでかかった」

「さ、最低!」


彼は愉快そうに笑って、先を続ける。


「自国の民を率い、助け、愛する。そういう女だった。他ならぬあいつが、俺の人生を変えた」


懐かしそうな顔をする。その目は大切な宝物を開けるように、柔らかに輝いている。やがて伏し目に瞬いて、ひとつ呟いた。


「…なあ易者。俺の行く末も、ぜひ占ってくれ」


その急な申し出に、ソニャはぱちりと瞬きをする。


「それは、構わないですけど…」


道具を準備しながら、これから彼が向かう方角を聞く。敷布の上に広げ、出た運勢を前に一度息を吐いた。結果を口にする。


「…目的地である西はあまり運気が良くありません。あなたは、行く道を変えるべきですね」


彼はソニャの手元をじっと見ながら、黙ってそれを聞く。やがて口を開いた。


「…そうか。代金だ。受け取れ」


そう言って彼が差し出したのは、奇妙な形をした弓だった。


「えっ。要らないです…」


彼女の職業は占い師。当然、弓の扱い方など知らない。あまりの要らなさに思わず断ってしまったソニャに、彼は笑う。


「そう言うな。珍しいものだから高く売れるだろう。どうか、俺の最期の頼みを聞いてくれ」


その言葉に、ぎくりと心が震える。広げられた占いの結果を指して、彼は静かに続けた。


「似た占術を昔、少しだけ見たことがあってな」

「……」


ソニャの首筋を、汗が流れる。彼女の占いで出た答えは「死」。それか「死よりも酷いもの」。人の運勢の中でも、最悪の事態を顕す。


ソニャの祖母からの教えはもうひとつ。救済を求める者に更なる絶望を与えてはならない。だからこそこの運命は、彼には伝えなかった。


(それでもバレちゃったなら、仕方ない…)


腹を括り、本当の結果を吐き出す。


「…そちらに行けば、貴方はもう2度と、大切な人に会えない」


その後で、慌てて補足を口にする。


「あくまで占いですから…。それに、向かう方角を変えれば運命は変わると出ていますし!」


この職業をしていると、様々な人間の性質が見える。出た運勢に泣いて悲しむ者、期待通りの答えではないと激昂する者も居た。


「だから…」


続けようと顔を上げて、ソニャは言葉を失う。彼はまるで何てことはないとでも言うように、穏やかに微笑んでいた。


「あ、あの…」

「死んだら、魂はどこに行くんだろうな」


独り言のように呟く。


「骨や墓にあると考える奴もいるが、俺は、武器に宿ればいいと思っている。そうすれば残された者がいちばん踏ん張りたい時に、傍に居てやれる」


そこで言葉を切った。顔を上げ、ソニャの抱える弓を指差す。


「それは、俺の妻が使っていた物だ。お前の好きな時に手放していい。巡り巡って、あの子達の元に行くかもしれん」


あの子達。その単語を口にした時の表情が、とても優しくなった。彼の大切な人なのだろうと、直ぐに分かった。


「ここより南に、村がある。今となっては敵の拠点のひとつだが、あそこの長の命を救ったことがある。俺の名を出せば、一度は助けてくれるだろう。それで瑞まで渡れ」


差し出されたのは助け船。それを受けて、ソニャは当たり前の事実を口にする。


「なら、あなたも私と一緒に来れば…」


あくまで占い、されど占い。その効果を彼女は誰よりも分かっている。


彼が大切に想う人がいるように、彼を大切に想う人もいるだろう。そう思っての提案だったが、彼は首を振った。


「俺の妻は、死んだ。あっけなく、そして美しい最期だった」


とても優しい目をしたまま、淡々と話す。


「愛してた。俺の全てだった彼女が死んで、この世界に何の意味も無くなった。あいつの遺した全てを目にしたその時、やるべきことが見えた」


灰を集め、火の処理をする。そしてほんの少しの持ち物を持って、立ち上がった。


つられてソニャが顔を上げれば、既に夜は明け始めていた。目の眩むような朝日が、地平線の果てから覗く。


「ここより西の地で、捕まっている者達がいる。俺の民だ」


そう言って、彼はこちらを振り向く。外套から覗いた古い鎧は、傷だらけだった。ソニャを見つめ、口を開いた。


「俺の名はインジフ・ハンゼルカ」


強い言葉は、陽の光の中に落ちる。


「民を率い、助け、愛する。あいつから引き継いだ、今の俺の役目だ」


ほとんど白くなってしまった彼の髪。暗い時は分からなかった金色が、銀に混じって煌めく。きっと若い頃はそれは見事な金糸だったのだろうと、眩しさの中でそう思った。


「この先にたとえ、どんな未来が待ち受けていようとも」


この職業をしていると、様々な人間の性質が見える。人知を超えた事象を頑なに認めない者、未来など既に分かりきっているのに、必死で救済を求める者。


「俺が歩みを止めていい理由にはならない」


突き付けられた運命をものともしない、人間の強さも。

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