藤を見る人

まきや

第1話



 おや、雨が……あがりましたね。


 見てください。


 私たちをおおい尽くす枝ぶりと、垂れ下がる見事な花房はなふさの連なりを!


 樹齢じゅれい百年は下らない。


 私の愛する・・・妻の瞳も、はかなくて薄い紫色をしていました。


 自分の事を話すお約束でしたね。


 私たち二人は、製薬会社の研究部で出会いました。生涯を通して、薬学を学ぶ者同士でした。


 ふふ、その表情笑い


 あまり近い職種の結婚って、どうなの? そんな顔をしていますね。


 私たちは職場の誰もが認める、強烈なライバルでした。


 妻の素晴らしい評価が、化粧品の開発部門から聞こえてくれば、私は博士論文の発表で名声を得て、なるべく早く肩を並べようと努力しました。


 そうして仕事場では互いにり合うことで、むしろ家庭では愛を交わし、いたわることができたのです。


 子はありませんでしたが、幸せでした。


 喧嘩はありました。でも仕事の争いを家に持ち込むことは、むろんしませんでしたよ。


 けれどひとつだけ、私たちが家庭内でもきそったものがありました。


 それが【寿命】でした。


「君が死ぬ前に、僕が死にたい」


「私が先にくから、骨は海にいてね」


「ひとりでは生きていけないから」


「あなたの抹香まっこうささげるの、嫌よ」


 そんな会話、どんな夫婦でもするでしょう?


 死に関する会話は、私たちにも当然ありました。


 けれど極端も極端。真逆も正反対。


「僕は君より絶対に長く生きてみせる」


「あなたに私の骨を拾わせると思う?」


 そう、私たちの争いは変わっていました。まるで子供の口喧嘩くちげんかのよう。どちらが長く生きるかが、争点そうてんだったのです。


 競って食事に気をつかい、摂生せっせいして、運動して、よく眠って。


 時には相手ライバルに、罠を仕掛けたりして。


湖月庵こげつあん最中もなか、たくさん頂いちゃった!」


 わざと好物の甘味かんみをテーブルの上に放置する、妻の顔の悪いコトといったら……。


 いま思えば負けたくも、勝ちたくもない勝負でした。


 でも最後はあっけないもの。


 妻は職場で前触まえぶれもなく倒れ、そのままってしまいました。



 永い間、眠れませんでした。疲れ果てて目をつむった夜、夢を見ました。妻の夢でした。彼女は座っていました。


「私、まだ負けていないわよ」


 言われたのは、それだけでした。


 次の日、庭に出てみると、このノダフジの若木が生えていました。


 ああ、そうか。妻の魂はこの藤となって生きているんだと、信じました。


 だから彼女・・をこれまでずっと、大事に育ててきました。


 え? これは祖父の話なのか、ですって?


 言いませんでしたか? 私のですよ。


 ああ、驚かれるのは無理もない。私にとって不利な勝負になったのは、間違いないですからね。


 でも幸運が味方しました。


 それはあくまで、絶滅寸前ぜつめつすんぜんの動植物の消失を、少しでも遅らせる薬の研究の一環でした。


 細胞レベルでの分裂ミスを無くすとか、そういうやり方を模索もさくしていた際に見つけた、偶然の産物でしかなかったのです。


 けれど時間が少なすぎて治験ちけん数を稼げず、翌年の予算提出のエビデンスが、間に合いそうになかった。


 やけになっていた私は、ならば壮大なパフォーマンスを見せてやると、思ったのですが……まさかの方が先に、成功してしまうなんて。


 これが答えです。おかけで私と妻の勝負は終わらず、寿命に関する決着は、まだしばらく付きそうにありません。


 でもちょうど良かった。あの時、妻を失ったと信じられそう・・・・・・になったあの瞬間しゅんかん


 私には終わらせる勇気も、始める力も無かったですから。


 夢を見る事と、この花を見つける事。


 できたのは、それだけでした。


 ……うつむいて、どうされたのですか?


 もうお帰りになりますか。


 足元あしもと、お気をつけて。


 濡れた藤の花びらは、踏むと滑るから。


 また近くに来たときは、寄ってみてください。


 私は多分、ここにいます。


 それでは、ご機嫌好きげんよう。




(藤を見る人   おわり)

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藤を見る人 まきや @t_makiya

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