第4話 現在帰還形アイドル

「……はっ!!」



 気が付いた時、健斗の体は自室にあるベッドの中へと戻っていました。カーテンからは、だいぶ空高く上がった休日の太陽からの日差しが降り注いでいました。勿論、それを開いても窓の外に広がっているのは憧れのアイドルの大群ではなく、いつもの閑静な住宅街でした。ようやく長い夢から覚めた事に安堵と一抹の寂しさを感じる彼の頭には、つい先程まで見続けていたその夢の内容が離れて取れませんでした。家の中でも学校でも街の中でも、周りにいるのはどこを見ても憧れのアイドルにして彼の母、『山城阿斗里』だらけ。四方八方から笑顔を見せ、柔らかい胸が揺れるのも気にせず次々に増え続けながら、マイペースに健斗を飲み込もうとする――息子である彼にとって非常に気恥ずかしいものであると同時に、その光景の中で嬉しさや楽しさを存分に味わっていた、という事実を、彼は再度思い返していました。


 あんなとんでもない夢を見てしまったというのは、自分の気持ちに素直になれていないせいじゃないか、と自分自身に反省しながら。


(……やっぱり昨日『おばさん』って言ったのはまずかったよな……)


 母以上にその言葉に傷ついていたのは、その『母』=伝説のアイドルの熱烈なファンの1人である、山城健斗自身だったのかもしれない――そう考えた彼は、しっかり昨日の暴言を謝罪する決意を固めました。ゆっくりと自室からリビングへ向かった彼を待っていたのは、アイドルを引退して以降もなお美貌を保ち続けている、温和な笑顔の母でした。そして遅めの朝ご飯を食べつつ、しっかりと自分の非を謝った息子を母は優しく許しました。


「気にしなくていいわよ。時が経っておばさんになっちゃう事ぐらい、私だってちゃんと承知してるもの」

「そっか……でも、アイドルに『おばさん』呼ばわりは失礼だったよ……」

「ふふ、ケンちゃんは真面目ね。大丈夫、おばさんになっても、綺麗な人は綺麗なものよ♪」


 そういいながらウインクする母は、その言葉通り昔と変わらぬ、いや年齢を経た事によって程良く熟した美しさに満ちているような気がしました。つい顔を真っ赤にしながらも、健斗は自分の心を隠す事なく、尊敬と憧れ、そして『大好き』という笑顔を返しました。


 こうして、無事親子は素直に気持ちを伝えあう事が出来たのでした。めでたし、めでたし――。





「……と言うか母さん……」

「あら、どうしたのケンちゃん?」

「いや、今更気づいた俺もアレだけどさ……」


 ――とはいきませんでした。朝食を食べ、自分の皿を洗い終えたりお手洗いを済ませたり、様々な用事を済ませた直後、ようやく健斗は自分の母、山城阿斗里の服装が見慣れた私服ではなく、仕事用の黒いパンツルックのスーツ姿である事に気が付いたのです。

 アイドルを引退し第一線を退いて以降も、阿斗里はそのまま芸能界の裏方として活躍を続けました。著名な俳優のマネージャーを務めたり、テレビ局の取材の手伝いをしたり、息子である健斗を育てる傍ら八面六臂の言葉通りの仕事ぶりを見せていたのです。ですが、今日は仕事の予定がなく家の中でのんびり過ごす、と事前に伝えていたはず。それなのに朝っぱらからどうしてフォーマルな姿なのか。その疑問に返ってきたのは、健斗にとってあまりに予想外の言葉でした。


「……え……悪い、もう一度聞くよ?母さん、本当に……芸能界に……?」

「大丈夫よケンちゃん。間違っていないわ。私、芸能界に『復帰』するわ」


 しかも単に復帰するのではなく、女性アイドルグループを抱えた芸能事務所を新規に立ち上げ、そのとして再度芸能界の表舞台に舞い戻る、というのです。

 メディアや多数のファンの前に戻るだけでも驚きなのに、あまりに突拍子もない事まで言われた健斗は当然半信半疑で、これは夢ではないかと頬を思いっきり抓るほどでした。ですが直後右の頬を包んだのははっきりとした痛みでした。そして、目の前にいる母は相変わらずの笑顔を見せていましたが、その瞳は決して冗談でも何でもなく、至って真剣な目つきだったのです。


「……いや、無茶でしょ」

「あら、どうして?」

「母さん、どう考えても無茶だよ!」


 確かにアイドルとしての実績はあるし、その後も裏方として沢山の人と出会ってきたはず。それでも、幾ら何でもいきなりアイドル事務所を開くなんて無謀にも程がある、と健斗は慌ててその案へ否定的な意見を述べました。知名度ばかりではなく、事務所の建物はどうするのか、仕事はどうするのか、など課題が山積みである事はごく普通の一般市民である彼にも分かる事でした。ところが、母はどこか悪戯っ子のように白い歯を見せながら笑い、そのような心配も全て承知済みだ、と返しました。それらの課題は、既に解決している、と加えながら。


 理解が追い付かず、頭の上に疑問符が浮かびそうな表情になってしまった健斗を見た母は、今から行く場所へ一緒に来れば、その理由はわかる、と告げました。勿論、本心では母の夢を応援したいと考えていた彼がその誘いを断る訳はありませんでした。ですが、母に連れられて向かった先は玄関ではなく、どういう訳か廊下の奥にある『空き部屋』――掃除機、ストーブ、使わない家財道具などが収納されている、健斗もごく見慣れた場所だったのです。まさかこの場所が事務所なんて言わないだろうな、と冗談交じりで言った彼に対して返ってきたのは、その説が見事に当たっているという、彼にとって予想外の言葉でした。


「え、え、え……?」

「いいからいいから、入りましょう♪」


 理解が追い付かない息子を他所に、母は外開きなはずの扉をゆっくりと内側に開きました。その瞬間、様々な物品が天井まで積み上げられているはずの部屋の中身は完全に一変していました。そこに広がっていたのは、どう考えても部屋の何倍もの広さを持つ、防音壁に囲まれた巨大な空間だったのです。そして、恐る恐る足を踏み入れた健斗の目の前に、更に信じられない存在が現れました。ずっと昔、彼が物心つくどころか生まれてもいない頃に引退・解散したはずの、彼の母・山城阿斗里が所属していたアイドルグループ『テラ☆ドゥ』のメンバー10が――。



「「「「「「「「「「おはよう、♪」」」」」」」」」」

「……え、え……はぁぁぁぁ!?!?」



 ――満面の笑みを見せながら、彼に向かって挨拶をしてきたのですから。

 

 ずっと昔に芸能界から姿を消したはずのメンバーがどうしてその時の姿のままこの場所に集結しているのか、母さん伝いかもしれないけど何で自分の名前を知っているのか、そもそもこの部屋は物置じゃなかったのか――隣にいるスーツ姿の母を加えた11人の微笑みとは対照的に、常識を完全に超えた事態に困惑極まりない表情を見せる健斗でしたが、この中で最も不可解な光景に少しづつ気が付き始めました。自分の母、山城阿斗里は黒いパンツルックのスーツ姿をきりりと決めながら隣に立っているはず。それなのに、彼の目の前で笑顔を見せる10人の中で最も彼に近い場所に立ち、笑顔を見せているのは、かつて多くのファンを魅了したという『テラ☆ドゥ』の大黒柱、山城阿斗里その人。つまり――。



「……と言うか……なんで母さんが『2人』もいるんだよ!?」


「「あら、どうしたの?」」

「い、いやどうしたもこうしたもなくて……!!」



 ――自分自身の母・山城阿斗里がで2人に増殖しているという事態が、ごく当たり前のようにこの部屋の中で起きていたのです。決してそっくりさんでも双子でもないという事は、アイドルの方、つまり『過去の姿』の方の山城阿斗里を密かに推し続けていた彼は嫌というほど認識していました。否定しようにも、双方とも本物である事が分かってしまうのです。

 そして、次第に彼は昨日見た夢の内容を思い返し始めました。あの時の夢の中身は、大量の母が街も学校も覆いつくしながら彼の心をがっちりと掴み、どこへ行っても離さない様相を見せるという内容。そして世の中には『正夢』と言う夢で見たことが現実になってしまうという言葉がある――。


「ま……まさか……!」


 ――つい健斗の思いが口に出てしまった瞬間、若い頃と現在、2人の山城阿斗里は全く同じ声をユニゾンさせながら一人息子に楽しそうに告げました。お母さんが『2人』だけ、なんてまだ誰も言っていない、と。


「……それって……つまり……!?」


「「「「「「「「「「うふふ、ケンちゃんだけに教えてあげる♪」」」」」」」」」」


 そして、同じ言葉を寸分の違いもなく一斉に告げた『テラ☆ドゥ』のメンバーは、健斗の目の前でその姿を変え始めました。服装や化粧どころか、頭の先からつま先まで、まるで粘土をこねるかのように輪郭が歪み始めたのです。やがて、曖昧な姿をした塊になり果てたアイドルたちは、再度体全体の輪郭を鮮明にさせていきました。ですが、その姿は先程までとはそろって大きく違うものになろうとしていました。髪の色も背丈も顔も、そして胸の大きさも、全てが統一されていったのです。やがて、唖然とする健斗の前で、『テラ☆ドゥ』は誰にも見せた事がない、真の意味での姿を披露しました。



「…………!?!?!?!?」


「「「「「「「「「「「これが、私たちの本当の姿よ♪」」」」」」」」」」」



 それは、全員とも寸分違わぬ『山城阿斗里』そのものでした……。

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