少年

スヴェータ

少年

 この地では、マイナス25度以下になると学校が休みになる。登校するには寒すぎるからだ。我が家の少年も今日は休みだと大喜びで、早速録画していたアニメを見ている。


 少年は、私の掃除の手間を増やす。歩くだけでゴミが出るのだから不思議だ。彼は一体どこを冒険して来たのか。埃、砂、紙屑、ほつれた糸。何でもポロポロ落として歩く。


「カユス、服を着替えていらっしゃい」


 こんなことまで言わなければならない。しかもアニメに夢中だから、今は動いてくれない。少年は私を見向きもせずに、適当な返事をした。


 毎日、毎日。同じ事の繰り返し。ただこれが永遠には続かないことを知っているから、どうにか自分に言い聞かせて日々をこなしてきた。


 外の雪は降り積もるばかりで、辺りはシンと静まり返っていた。聞こえるのは私の呼吸の音と、時計の針がコチコチいう音、そして隣の部屋から漏れ聞こえるアニメの元気な音。それだけだった。


 端切れに縫い針を通していると、アニメを見終えたらしい少年が、またヘンゼルとグレーテルのように何かをポロポロ落としながらこちらへとやって来た。おなかが空いたのだと言う。


 さっとできそうなのは、ブルヴィニェイブリーナイ。簡単に言うと、じゃがいものパンケーキ。少年はおなかを空かせたまま放置するとうるさくてかなわないから、とにかく手早く出さねばならない。極めてシンプルな一品を出す。


 満足した少年が立ち去ろうとする。ポロポロ、ポロポロ何かを落としながら。もう一度注意する。


「カユス、服を着替えていらっしゃいってば」


 少年は不服そうな顔をして部屋へと戻った。着替えてくれる保証はない。しかしもう言うだけ言ったから、私は知らない。掃除は大変なままだけれど、怒鳴り続けるくらいなら掃除をしたい。


 この少年と暮らし始めたのは雪が積もる少し前から。無責任な妹が「夕方まで預かっていて」と押し付けたのだ。そして、未だその「夕方」は来ていない。少年は寂しそうな様子もなく、無邪気に学校へ通い、アニメを楽しみ、本を読み、新しくできた友人たちと遊んだ。


 どうしてこうも普通にしていられるのか。私にはさっぱり理解できなかった。話をしてみようと試みたこともあったが、「迎えが来るのを待っているだけでしょう?」としか言わない。意を決して「きっと来ないわよ」と言っても、「いや、待つよ」の一点張り。それ以上は気味が悪くて、何も聞けなかった。


 マイナス25度以下の日はそうそうないから、少年が1日中家にいる日はほとんどなかった。いつも泥だらけだったり、びしょ濡れだったり、それが乾いて砂まみれになったりして帰宅した。部屋はいつも少年が落としていったものにまみれていて、掃除が全く追いつかなかった。


 そのような日々が冬中続き、春の雪解けを迎えた頃、少年は「迎えが来た!」と嬉しそうに私を呼んだ。連れて来られたのは家の裏にある小さな空の牛小屋で、側には変わり果てた妹が青白い顔で倒れていた。


 絶句していると、少年は興奮冷めやらぬ様子で私に次々としゃべりかけた。


「待った甲斐があったよ!見て!こんなに綺麗!」


「やっぱり冬中待たなきゃダメだったんだね!途中で見てもイマイチだったんだ!」


「綺麗になって迎えに行くわねって、ママが言ってた!今だ!今だったんだ!」


「ねえ、僕、きっちり雪の間待ったし、ママもここにほら、綺麗になってちゃんといる!だから一緒に帰るよ!」


 少年には分からないのだろうか。人の死というものが。いや、いくら何でももう9つ。生きているか死んでいるかは分かるはず。それなのに、どうして少年はこうはしゃげるのか。分からない。私にはさっぱり分からない。


 言い聞かせてみる。ママはもう息を吹き返さない。ママは死んだ。一緒に帰ることはできない。ママはお墓に入るのだと。すると少年は、ケロッとした顔でこう言った。


「そりゃ、ママは帰らないよ。僕がママのところに帰るんだ。僕もママとお墓に入るんだよ。そうだな、たぶん3日後」


 もう、何を言っているのか尋ねることさえできなかった。私は「そんなことないわよ」と中身のない言葉をかけ、警察に電話をした後、少年と家へ戻った。


 3日後、少年は予言通り死んだ。交通事故だった。その日私は、妹が身長135㎝前後の人間に足と頭を何らかの鈍器で殴られ死亡したと警察に聞かされていた。


 結局、私は少年のことが何ひとつ分からないままだった。少年は何がしたかったのか。少年は妹と自分の人生を何だと思っていたのか。それは好奇心だったのか。分からない。何もかも、分からない。


 棺に2人が収められた。血色の悪くなった妹は化粧が良く映えたし、少年の顔も手術で整えられて、どこかニッコリ笑っているように見えた。美しい。飾りの花が余計なほどに。


 もしも、もしもこれを少年の作品だとしたら。この恐ろしい推測が正しいのなら、何も分からなかった少年カユスのことが、少しだけ理解できる気がした。

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少年 スヴェータ @sveta_ss

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