それから

「それで、どうなったんですか?」

「あん?」

「続きですよ、続き」

「いや、終わりだよ。一件落着しただろ、今」


 それから、幾歳かの時が流れて。

 傭兵団を抜け、異国の田舎町で便利屋として働くヨルが、隣に座る栗色の髪の少女の不満げな顔を、鬱陶しそうに見下ろしていた。

 二人のいる大広間には、幾人かの街の住人たちが集まり、それぞれ酒器や肴の乗った皿を片手に宴会に興じている。供された皿の中には、昼間の内にヨルが川で釣り上げた魚も混じっていた。


「だ、か、ら。私、ジンゴさんとヨル君の話を聞いたんですよ。その話じゃ、出合頭に喧嘩して、あとそのまんまじゃないですか」

「ん? あぁ、まあ、その時はな。そうだった」

 遠い目をして開け放たれた窓の外――しとしとと晩夏の雨が降り続けている――に顔を向けたヨルの服の端を、栗色の髪の少女が掴んだ。


「何か仲良くなるきっかけがあったんですよね。ほら、こう、共通の強大な敵を前にして、それまでいがみ合っていた二人がいやいやながらも協力して、『足を引っ張るなよ』、『お前こそ』みたいな、こう、そんな感じのイベントが――」

「ねえよ」

「ええ~。どうせいつもの勿体着けですよね。ホントはあるんですよね」

「その漫画脳いい加減やめろ」


 ますますふくれっ面になった少女を適当にあしらいながら、ヨルは自分の杯を呷り、もう一度雨天の夜空へと眼を向けた。

 昼間の釣り勝負に負け、釣った魚を宴の準備をしている女性たちに預けるや否や釣竿の改良のためアトリエに引き籠った男の顔を思い出す。


(きっかけ、か……)


 本当に、そんなものはなかった。

 イナシキでの事件の後も、ジンゴは『夜明けの酒樽』へ何度か出入りをし、あるいは全く別の傭兵団と仕事をしているところに鉢合わせたり、時には仕事上敵対したことなどもあったりしながら、なんとなく付き合いは続いていた。

 

 例えば。


「おい、小僧。この魔獣から胆汁を採取する必要がある。手を貸せ」

「あん? 何で俺があんたの仕事手伝わなきゃなんねえんだよ」

「元は『酒樽』に持ち込まれた仕事だろうが」

「……しょうがねえだろ。団長があの依頼主の仕事は受けるなっつってんだから」

「陰魔法を使えば手っ取り早い。奴には専用の特殊な器具が必要だと言って報奨金をふんだくった。余りの分け前はくれてやる」

「悪党め」

「お互い様だ」


「なあ、おっさん。それ魔道具の修理か? ちょっと見せてくれよ」

「駄目だ。邪魔をするな」

「けちけちすんなよ。前から興味あったんだ。雑用なら手伝ってやるから」

「ふん。ならばお前の髪を寄越せ。吸血鬼の髪を触媒したことはないが、陰の魔力ならば五色の相克にも干渉しないだろう」

「しょうがねえな、ほら」

「うむ」

「……」

「…………おい。なんだこれは。なぜ魔力流がこんな反応をする。ぐっ……回路が焼けただと? どうなってる、小僧!?」

「俺が知るか!!」


「バンジョウはいるか?」

「あ~。今雲隠れ中。娼館行ったのが大家さんにばれちゃって……。何か用か?」

「ふむ。大した用事ではないが……」

「生憎他のみんなは出張ってるよ。ん? なんだ、その包み」

「久邇河豚の卵巣を糠漬けにしたものだ。先週までサノトに行っていたのだが、見つけたら買って来てくれと頼まれてな」

「はあん。特殊調理食材の珍品か。そういやバンジョウさん、みんなに内緒で『十五代』仕入れてたな……」

「昨年の品評会で金賞を獲った銘酒ではないか。よく手に出来たな」

「けどなぁ。あの様子じゃ、バンジョウさん。あと10日は戻んないぞ」

「ふむ。そこまでは日持ちせんだろうな……」

「……」

「……」

「なあ、ジンゴ。その買物。『見つけたら』って条件だったんだよな?」

「ヨル。奴の隠し場所は当然把握しているのだろうな?」

「悪い顔してんじゃねえよ」

「お前に言われたくはない」


 そんな風に互いのことを名前で呼び合うようになったのも、何時のころからだったか。

 そして、ある時には――。


「『曖昧屋』?」

「ああ。お前の肩書だよ。傭兵でもねえのに魔獣退治、学者でもねえのに遺跡発掘、技師でもねえのに魔道具修理。『曖昧な男』にはぴったりだろ?」

「ふむ。……俺は肩書などどうでもいいが」

「周りが困るんだって。いいじゃねえか。次からそう名乗れよ。曖昧屋・ジンゴさんよ」

「……いいだろう」


「静かに暮らしたい?」

「ああ」

「お前がか」

「悪いかよ。……団長にも、チカラさんたちにも感謝してる。でも、ホントはイヤなんだ、こんな仕事。俺は、どっかの田舎で土でも弄って、静かに暮らしてたい」

「そうか……」

「まあ、もうしばらくは無理だろうけどな。畑始めるにしたって、そんな簡単なことじゃないし……」

「……」

「なんだよ」

「ヨル」

「あん?」

「『メリィ・ウィドウ』という街を知っているか」


 ……。

 …………。


 そんなやり取りを、遥か昔のことのように、あるいはつい先日のことのように思い出しながら、ヨルは和やかな宴の賑わいの外に聞こえる、冷たい雨音に耳を澄ましていた。

 先月に帝国の田舎町で起きた魔獣事件の際に再会したセイカの顔や、一緒になって下働きをした傭兵団での日々が脳裏をよぎる。


(静かな暮らし、手に入れたはずだったんだけどな……)


 なかなか、上手くはいかない。

 それでも、あの日々も、今の暮らしも、自分はきっと後悔しない。

 ヨルの薄い唇に、柔らかな微笑が浮かぶ。


 そして。

 ふと、自分の隣に座る少女が、いつの間にか静かになっていることに気付いた。


「ひっく」

「……おい、ヒカリ?」

「えへ」


 名前を呼ばれた、栗色の髪の少女の顔が、茹で上がったように赤く染まっている。


「なぁんですかぁ。だあくふれいむますたぁさん」

「ばっっか、お前! 馬鹿! 何飲んでんだ、やめとけっつっただろ!」

「誰がばかですかー!」

「おまっ。これ、よりにもよって一番強いやつ! あああもう!」

「ほらー! よるくんものめー!!」


 聖国の田舎街・『メリィ・ウィドウ』

 とある晩夏に催された宴の夜は、こうして更けていくのだった。


 ……。

 …………。


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今昔夜物語 lager @lager

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