第10話
そこから先は、大して時間はかからなかった。
突如崩落した天井から降ってきた銀髪の少女は、剣の切っ先からそのまま写し取ったかのような眼光で四方をひと睨みすると、殆ど消えるような足捌きで、一人の男に肉薄した。
一閃。
そう。それはただ一条の閃きだった。
それが男の側頭部を横一文字に走り抜けると、糸の切れた人形のように男の体が床に崩れ落ちる。
「な!?」
ただの一撃で示されたその少女の力量に、集められた自警団の男たちが慄く。
それでも。
「何をしている! かかれ! そやつを始末したものには、金貨10枚くれてやる!」
そんな言葉に鼓舞されて、男たちは再び得物を構えた。
気勢を揚げて咆哮を一つ。振りかぶった上段の刀が振り下ろされる前に、胴に一閃。
それを取り囲もうと左右に分かれた男のうちの一人の脚に一閃。
膝が崩れる前に、頭にもう一撃。
背後から迫る刃。
体ごと回転して避けると同時、それを仕掛けた男の後頭部に横薙ぎの一撃。
駆け出す。
床を這うような軌道で即座に男たちの包囲を抜け、その合間にも振るわれた刃が二人の男を床に沈める。
跳躍。
影が躍り。
白刃が奔る。
男たちの悲鳴ばかりが、そこに積み重なっていく。
恐るべきは、その速度。
男たちとて棒立ちでやられているわけではない。
武器を構え、防御し、反撃し、背後を取ろうと必死に抵抗している。
しかし、男たちが得物を構え振り下ろそうと、あるいは突き出そうとしたその瞬間には少女の刃が奔り、防御した個所は悉く無視され、男たちが足を踏み出した時には既にその銀色の髪は別の場所にて翻っている。
まるで、生きている時間の流れが違うかのように。
稲光のような銀の閃きが、次々と男たちの合間を縫っていき――。
イナシキ家御用達自警団、総勢37名。
その壊滅に要した時間は、わずか42秒であった。
ちなみにその間、チカラたちは邪魔にならないように壁際の一か所に固まって、その惨劇をぼーっと眺めていた。
いや。惨劇と言うほど、その場に血の色は見受けられなかった。
セイカの振るう刀は、彼女を解放したヨルの手によって刃引きされた模造刀に換えられていたのだ。もちろん、いくら斬れぬからといって金属の塊で強打された箇所が無事で済むわけはなかったが、それでも、かろうじて死者は出ていない様子である。
領主のモトメは、とっくに失神していた。
その後、屋敷の奥から響いた轟音の直後、天井を崩して現れた巨大な――身の丈7メートルはあろうかという――『屍泥蝸牛』によって街が混乱の渦に叩き込まれ、それが、実験の生き残りであった個体が輸出前に保管されていた魔石の山に接触したことで突然変異を起こしたものであること、それを陣や魔道具、火の手を使って討伐する算段などを説明していたジンゴの言葉を無視してセイカが突撃し、ヨルの魔法の助けを使って夜空に飛び上がり一刀の下に斬り捨てた結果またもや粘液塗れになったセイカを慰めるのに一悶着あったりと、そんなこともありはしたのだが。
水上都市イナシキの住人失踪事件は、こうして幕を下ろしたのであった。
……。
…………。
そして、一夜明け。
「あ、と、は、ここを結んで…………はい、出来ましたよ」
「ねえ、ホントにこれ大丈夫?」
「大丈夫ですよ。ちょうどぴったりです」
「ぴったりでこれなの!?」
「そういうデザインみたいですね。動きやすくしてるんじゃないですか?」
「逆に動きづらいよぉ……」
イナシキの街の片隅にある小さな酒場。
その厨房の奥、従業員の控えスペースにて、なにやらごそごそとやっている二人の子供がいた。
それを厨房から酒場のマスター兼料理人と、その細君の女将が、微笑ましい目で見守っている。
「おぅい。まだかー!」
酒場のホールから野太い男の声が届き、二人の子供のうちの一人、艶なしの黒髪を肩まで伸ばした細身の少年が、「今行きまーす」と明るく答えた。
その隣でびくりと肩を震わせた少女――いつもよりも高い位置で一つ結びにした銀髪が頼りなく揺れている――の腕を引き、その手にお盆を取らせた。
ホールには、既に濃い味付けの料理の匂いと、酒精の匂いが漂っていた。
昼間から貸し切り状態となったその店内には、数人の男女がめいめいジョッキや酒器を突き合わせている。
その全員の視線が、厨房から現れた二人、特に、もじもじと居心地悪そうに服の端を握り締めている銀髪の少女に注がれた。
すなわち――
膝上丈20センチ、フリルたっぷりのエプロンドレスに身を包んだ、セイカ・マミヤである。
次の瞬間。
「「「だっははははははは!!!!!」」」
ホールが、爆笑に包まれた。
「ぎゃはっ、ぎゃっはははは」
「やべえ! 似合いすぎてて似合わねえ!!」
「なんだこれ! なんだこれ!?」
「く、苦し……ひ~っははは」
腹を抱えて身を捩る『夜明けの酒樽』の面々の横では、丸きり興味のなさそうな目でジンゴが、その反対側では目を煌かせたクミが、さらにその隣では、死んだ魚のような目で酒器を呷っているミズハが、今回の暴走で団を危険に晒した責を負い、一日酒場の給仕として奉仕することになったセイカの変わり果てた姿を眺めていた。
「ぐ、ぐぅぅ……」
ぎりぎりと口元を軋ませるセイカの手が頻りに左の腰元――本来なら刀を佩いている場所へと伸ばされる。
「セイカさん。殿中ですよ」
「いっそ、いっそ殺して……」
「ほら、練習したじゃないですか」
「ぐ……う……」
「笑顔、笑顔」
「ご、ごちゅうもんは、おきまりですか、お、きゃくさま?」
「「「ぶふぅぅ!!!」」」
「笑うなぁぁああああ!!!!!」
……。
…………。
その後、イナシキ家は解体されることとなった。
モトメは、碌な生活基盤を与えられていなかった下層民は元より、周辺の街と比べ明らかに高すぎる租税を支払わされていた一般市民や富裕層からも盛大に嫌われており、その悪事を暴き、さらには突如街に現れた巨大な怪物を征伐したセイカは、街の住民から女神の如くに祀り上げられた。
しかし、それも、正式な国からの捜査が介入された数日後以降の話。
事件の混乱も冷めやらぬ翌日の昼間から、街を救った英雄が、娼館から借り受けた衣装に身を包んで給仕をさせられていることを知っているのは、その時酒場にいた者たちだけだったのである。
「マスター! この料理うめえな!」
「女将さん! もう一皿!」
「おら給仕。酒が足んねえぞ」
「うぐ、ぐ……」
「はあ。もうね。なんていうかね。なんていうのかしらね」
「ほらほらミズハさん。飲んで飲んで」
「わたし、一生懸命働いてきたの。頑張ってね。働いてきたのよ」
「そうね。偉いわ。ミズハさん」
「彼氏も作らず、あのクソ野郎のセクハラにも耐え、実家に帰る度に向けられる親からの冷たい視線にも目を瞑り、必死になって働いてきたのよ! それなのに! それなのに!!」
「ヨルくーん。一番強いお酒持ってきてー!」
「おう、ジンゴ。今回は助かったぜ。遠慮しねえで飲んでくれや」
「うむ」
「ん? なんだ、そのツマミ」
「知らんのか。この街の特産の巻貝だ。こう、ピックを使って中身を取り出して……」
「いや、お前、あのカタツムリの化け物見たあとでよく食えるな……」
「いやいやいや馬子にも衣装ってな、こういうことなんだなぁ」
「こ……の」
「おいおい。給仕さん、笑顔はどうした笑顔は」
「もっときびきび動けよ。普段とはえらい違いじゃねえか」
「や。これ、短すぎて、ちょっと早歩きしただけで、見え――」
「おう。このヒラヒラの下どうなってんだ?」
「ぎゃあああああ!!!!」
「おぐぉ」
「はいはーい。ギンジさん。お触りはNGですよー」
……。
…………。
そして、日も暮れて。
「う……ふぐっ……ひっく」
「お疲れさまでした、セイカさん」
酒場の裏口、井戸端に座り込みさめざめと泣くセイカに、ヨルが寄り添い、慰めていた。
「わたし、わたし……」
「もう終わりましたよ。大丈夫です」
「うぅ~」
「このぐらいで済んで良かったじゃないですか。独断専行で敵の虜囚になったなんて、よその団なら切り捨てられたって文句は言えないでしょう。それに、あとちょっと救けが遅かったら、どうなってたか分かりませんでしたよ?」
「……うん。……みんなには、感謝してる」
立てた膝に顔を埋めながら、セイカが不服そうに呟く。
ヨルはそれに苦笑し、丸まった背中を優しく撫でた。
やがて震えも収まったセイカは、両頬をぱちんと叩くと、大きく伸びをし、立ち上がった。
それにつられて立ち上がったヨルに背を向け、膝を撓める。
たん。
井戸の屋根から、酒場の上へ。
二度の跳躍で、黄色い満月の光を一身に浴びる屋根の上へと登ったセイカは、緩やかに吹く夜風に、銀色の髪を靡かせた。
「ねえ、ヨルくん」
「はい」
少し枯れた声が、ヨルの頭上から降ってくる。
「私、もっと強くなるわ」
「今以上ですか……」
「剣だけじゃない。もっと、もっと大事な意味で、強くなりたい。ちゃんと仲間のことを守れて、敵も倒して、誰も犠牲にさせない。そんな剣士に、いつかなってみせる」
「……はい」
「そうしたら――」
「……はい?」
流れるような銀の髪が、月光を受けて星屑のような煌きを零した。
大きく、息を吸い込んで。
「こんな傭兵団、絶対に出てってやるんだからぁぁあああ!!!」
彼女の願いが叶うのは、今しばし、先の話。
……。
…………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます