第9話

 そして。


「いけねえなぁ、領主さま。どこの馬の骨とも知れん相手だろうと、仕事任せる以上、契約はしっかりしてやんなきゃ」


 全身を縄で縛られ床に転がされた赤髪の青年――アソウが、イナシキ家当主にして、街の領主であるモトメを弱々しく睨みつけている。

 その後ろには、にやにやとした顔で『夜明けの酒樽』の男たちが、無感情な顔でジンゴが、滝のような汗を流しながら硬直したモトメを見つめていた。


「な、なにを言っている。私は知らん。こんな男など、私は……」

 ようやく譫言のようにそれだけの言葉を呟いたモトメに、アソウは憎悪の視線を向け、『酒樽』の面々は苦笑いを溢した。

「そういうわけにもいかんだろうよ。俺らがきっちり拷問してこいつに吐かせたんだ」

「ご、拷問……」


 その日頃聞き慣れない物騒な言葉に、使用人の女性――ミズハが顔色を蒼褪めさせ――。


「おうよ。『夜明けの酒樽』名物…………くすぐり地獄でな!」

 続いた言葉に、苦虫を砂糖漬けにして呑み込んだような、何とも言えない顔を作った。


「まあ、ちょいと近所迷惑になっちまったかもしんねぇが……」

「いやいや。こいつもそんなに保たなかったから、そこまででもねえだろうよ」

「それもそうだ」

「ここ最近で一番早かったんじゃねえか?」

「かっはっは」


「な……ばかな……そんな、こいつが、簡単に……」

 わなわなと震えるモトメを、腕組みをしたジンゴが相変わらずの無表情に、どこか呆れたような色を滲ませながら言った。

「お前がアソウこいつに何を言われてそこまでの信頼を寄せたのかは知らんが、こいつは騎士団の入団試験に3回連続で落ちて故郷にも戻れなくなったところを、古参の傭兵団にお情けで拾われて下働きしていた男だぞ。そこも追放されたがな」

「き、貴様、『かつての大戦中に魔族の戦士を200人以上虜囚にした』という話は――」

「よくそんな大法螺を信じたな……」

「だが、確かにこいつは、10人以上のゴロツキ共を一瞬で催眠魔法にかけて――」

「陣なり触媒なりの力を借りて、か? そんなことは黒騎士の一般兵でも普通に出来る」

「わ、私を騙したのか!!」


 モトメの顔は赤黒く変色し、こめかみには青筋が浮いている。

 もう自分を取り繕う余裕もないようで、それと対照的にすっかり顔を蒼褪めさせたミズハが、へなへなとその場に尻餅をついた。


「しゃーしかぞ……。きさんこそ、俺を利用するだけしとって、使い捨とう気やったっちゃろうが……!」

 ほとんど床と同じ場所から放たれる恨みの声を、『酒樽』の男たちが引き取った。

「領主さまよう。こいつに支払う報酬が月金貨5枚って? 大法螺吹きはあんたも同じじゃねえか」

「それは……」

「もう調べはついてんだぜ、この街の財政がとっくに破綻してるってことはよ?」


 それは、傭兵組合から派遣されたクミが、街の現状について徹夜で調べて分かったことだった。

「湖の資源取りつくしといて贅沢三昧の暮らしが忘れらんねぇってか」

「挙げ句、街の住人を食い物にして拵えた魔石を輸出して、借金のアテにしようって? ひでえ話もあったもんだ」

「黙れ……。元はと言えば租税も満足に納めぬ輩が蔓延っているから――」

「あーあー。そういう話は騎士団にでもしてくれ。ま、あんたの統治者としての腕が悪かったってことだろうよ」


 いつしか、男たちの顔からはにやけた笑いが消えていた。

 禿頭の大男――チカラが、その眼に鋭い光を宿して言う。


「俺たちゃ、騎士団でもなきゃ正義の味方でもなんでもねえ。あんたの仕事にケチつけるつもりもねえさ。だけどな、あんたのわざで家族を失くした連中が必死になってかき集めた金で、俺らはここに来た。ちったぁ、身に染みるもんがあるんじゃねえのか」

「黙れぇぇえ!!!」


 突如激昂したモトメが、懐から土笛を取り出した。

 赤い顔でそれを咥えると、甲高い音が屋敷中に響き渡り、すかさずどやどやと幾人かの足音が近づいてきた。

「どうなさいました!?」

 現れた数名の武装兵たちが、モトメを取り囲み、震えるその体を支えた。


「こ、殺せ、全員殺せ。このペテン師どもを……!」

 抜刀の音が重なって響き、十数本の刃がチカラたちに向けられる。

 それに応じ、『酒樽』の面々とジンゴがそれぞれの得物を構えた。


「だ、旦那さま……」

 床に頽れたミズハを、居並ぶ刃の奥から、モトメが脅えた目で見下ろした。

「その女も始末しろ。……裏切り者の密告者だ」

「旦那さま……!!」

 引き攣れた悲鳴。

 そこに、冷徹な刃が迫り。


「……んのクソ野郎が!」

 即座に飛び出した小柄な男――バンジョウが、その手に握るククリ刀で、それを受け止めた。

「おい、姉ちゃん! 下がってな!」

「ひぃっ」

 

 縺れる足で外へと走ったミズハの脚が、しかし、その半ばで止められる。

 門の外には、別の小隊が集まり、その出口を封じていた。

「逃がすなよ。全員殺せ!」


 囲まれた。

 チカラたち六名に対し、武装したイナシキの自警団たちはざっと数えるだけで二十名を越している。

 さらに、屋敷の内外から足音が増えていく。

 呼吸も荒く血走った眼で自警団の男の一人に縋りつくモトメが、一瞬で逆転した形勢に歪んだ笑みを零した。


「ふは。ふははは。愚か者どもめ。使い捨ての溝鼠共を斬り捨てた所で満足しておればいいものを。たかだか小娘一人のためにわざわざ新しい死体を提供しに来てくれるとはな」

 床に転がされていたアソウが、その顔を土気色に染めた。


「お探しの小娘ならば二階の隠し部屋だ。今頃はこやつらの仲間にたっぷりとお楽しみ頂かれてる頃合いだろうよ」

 その嘲笑を受けて、チカラたちは一瞬顔を見合わせ、そして、一度は引っ込めた筈のにやけ顔を、満面に浮かべた。

 その足元に縋りついていたミズハが心底不気味そうに顔を引き攣らせる。


「だからよう、領主さま。俺らは別に正義の騎士さまじゃあねえんだよ」

「……なに?」


 どぅん!!!!!


 その時。

 轟音と共に天井が震え。

 

 ぱらぱらと、砂埃が全員の頭上に降りかかった。


「な、なんだ……?」


 どん。どん。どん。


 断続的に聞こえる音が天井の壁を揺るがせ、みしりみしりと、そこに亀裂が走っていく。

 モトメには、分かるはずもなかった。

 目の前の傭兵団には、あと一人、小さな仲間がいたことも。

 それが、僅か数センチの隙間があれば影を伝ってどんな場所にも潜り込める吸血鬼の少年であることも。

 今の今までのやりとりが全て、彼が目的の場所に辿り着くまでの、ただの時間稼ぎに過ぎなかったことも。

 そう。

 分かるはずはなかったのだ。


「俺らは囚われの姫を救けにきたんじゃあねえ――」


 そして。


 一際大きな轟音と共に。

 天上が崩れ落ち。

 屈強な男が数人、悲鳴と共に落ちてくる。


 そして。


 慄く男たちの視線の中。

 砂埃の中にあってなお輝きを失わぬ長い髪の束。

 眼光鋭く。

 気炎は猛く。



「――災厄・・を解き放ちにきたんだ」



 白銀の剣が、舞い降りた。


 ……。

 …………。

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