第8話
時間は、数刻前に遡る。
イナシキの街の地下を縦横に走る地下水道。その、『夜明けの酒樽』の面々がならず者たちと戦闘を繰り広げ、さらに蝸牛型の魔獣を討った場所から遠く離れた最奥部にて、二人の男が向かい合っていた。
堀の深い狼のような顔立ちの男と、全身を黒いローブに包んだ男。
ローブ姿の男の背後、十二畳程の広さの室の中には、成犬程の大きさの蝸牛が数匹蠢き、網の檻によって隔離されている。
部屋の四方に配された獣脂性の蝋燭の火が、独特の臭気を充満させ、日の光の届かぬ地の底をぼんやりと黄色く照らし出していた。
「よく、この場所がお分かりになりましたな」
ローブのフードに隠された顔から、潰れたような甲高い濁声が漏れ出でる。
室の中には、古ぼけた机と、大きな甕が二つ、壁面に設えられた棚にいくつかの薬瓶が並んでいる。
フードの男は、その腕に黒曜石を嵌めた杖を握り込んでいた。
「この場所はイナシキの人間でさえ一握りの者しか知らぬ秘所。部外者が独力で辿り着くとは、なかなかどうして……」
「……」
「しかし、困りましたなぁ。せっかくのお客人だ。もてなして差し上げたいのは山々ですが、生憎とこの場所を知られた以上、生きてお帰り頂くわけには――」
「その妙な喋り方はなんだ、アソウ」
「…………は?」
ローブ男の声が、止まった。
「貴様、昨年まで『極光の御剣』にいたアソウだろう」
「な……な……」
「三月ほど前に奴らの仕事を手伝った時に話は聞いた。黒魔法で手籠めにしようとした女が貴族家の末子で、団を追放処分にされたそうだな」
「き、貴様、ジンゴ・ミヤマか!?」
「ようやく気付いたか」
ジンゴが呆れたように肩をすくめる。
ローブ男――アソウは、わなわなと震え後ずさった。
「おも、思い出した。あの時、お、私に回された仕事に口を挟んで、取り分を奪っていった――」
「あれは貴様の毒薬の抽出が拙すぎて見ていられなかっただけだ。何故出来もしない仕事を請け負う?」
「うるさい! 貴様のせいで、私は、仲間から馬鹿にされて、私は……」
「だから、さっきからその喋り方はなんだ。貴様、確かマサラ地方の出だろう」
「せからしか! キャラ作りったい!」
フードを外した男――アソウは、年の頃二十代後半の、赤い巻き毛の男だった。
「こげん都会で一人で仕事ばしように、しょんなかろうもん!」
「何が仕事だ。こんなお粗末な魔石の精製で、よく雇ってもらえたな」
「ぐぐ……。また俺を馬鹿にしよって……」
「蝸牛は甲の生物であり、その本性は“黒”。対して人間は裸の生物で本性は“黄”。その肉を食したところで、“土克水”の原理で魔力を吸収出来ず、体内に異物として凝縮される。真珠貝のようにな。それを採取することで高純度の魔石を手に入れようとしたのだろうが…………まあ、俺に言わせれば……十五点だ」
「はぁ!?」
「そもそも、屍泥蝸牛は名前の通り屍食性だ。元より摂食によって魔力を吸収するタイプの魔獣ではないし、人間の肉を食す習性もない。それをわざわざ人間を捕食できるサイズまで成長させるコストと、街から人間を攫うために必要な人的コストに外的リスク。まるで費用対効果が見合ってない。戦時中なら死体くらいいくらでも入手できようが、今の時世ではすぐに足がつく。この現状のようにな」
「ぐ、ぬぬ……」
顔を赤黒く染めるアソウを気にする様子もなく、ジンゴは感情の伺えぬ淡々とした調子で続けた。
「まあ、お前の持つ技術の中で長じた点があるとすれば催眠魔法くらいのものだ。いくら魔法耐性が低いとはいえ、『夜明けの酒樽』の戦闘員を虜に出来るようなら上出来だろう。ただ、次からは少し加減を覚えるのだな。市街地で人一人を攫うのにあれだけ全力で魔法を使っては、俺程度に魔力感知のできる人間なら簡単に追跡できる。……さて、お縄についてもらおうか」
「だ、黙りゃあ!!」
ぶるぶると震えながらジンゴの言葉を聞いていたアソウが、激昂し、杖を構えた。
「こ、ここできさんを消しゃー、なんも問題なか!」
必死にに握り締める杖の先端に嵌められた黒曜石に、黒い靄がかかっていく。
それを見たジンゴは、溜息を一つ零すと、腰に差した刀の柄に手をかけた。
「馬鹿者が……」
「滲みて浚え! 『むなし――」
「呑み乾せ。『
アソウの呪文に別の呪文が被さり、その足元に闇の沼を開かせた。
「あ――」
とぷん、と音を立ててアソウの体が沈み、杖から発されかけていた黒の魔力もまた、闇の底に引きずり込まれていく。
五色の魔力を呑み込む、陰の魔法。
「やあ、丁度よかった。魔力なくなりかけてたんだ」
すたすたと、室の外から、小柄な吸血鬼が顕れる。
数秒使って自らが作った封印魔法の様子を覗いてから、もういいかな、と呟いて、魔力を回収する。
その跡には、白目を剥き、口から舌をはみ出させたアソウの体が残された。
「んだよ、大した魔力もねえな、この人」
そんな言葉を漏らす吸血鬼の子供の、その艶のない黒髪を見下ろし、ジンゴが舌打ちを溢した。
赤い瞳が、それを睨め上げる。
「あん? なにメンチ切ってんだよ、おっさん」
「ふん。殺してはいないだろうな」
「たりめーだろ。情報吐かせる前に殺してどうすんだよ」
「ならばいい。引き上げるぞ。地上までこいつを運び出す」
「おう。任せた」
「……なに?」
「いやー、俺子供だからなー。大の大人を抱えて歩くのはちょっと無理があるかなー」
「ふん」
「悪いねー、おっさん……ってあっぶね!」
「ちっ」
「てっめ、足引っ掛けてんじゃねえよ!」
「悪いな。大人は足が長いんだ」
「……野郎」
「……クソガキが」
……。
…………。
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