第7話

 水上都市イナシキ。

 帝国の中でも古い歴史を持つこの水の街は、街を興した一族の末裔により代々治められ、イナシキという街の名もまた、領主一族の姓がそのまま使われたものとなっている。

 その中心に位置する、街の中で一番大きな白亜の建物が、領主たるイナシキ家の屋敷である。

 その日の夜は、円く満ちた月を分厚い雲が覆い隠した、深い闇の中にあった。


「ですから、こんな時分に約束もなく押しかけられましても、取り次ぐことなどできません!」

 屋敷の入口で、使用人らしき衣装に身を包んだ妙齢の女性が、四人の男たちと押し問答をしていた。

「だからよ、こっちも急ぎの要件なんだ」

「てめぇんとこの街で起きた事件なんだぜ?」

「ちったぁ協力してくれてもいいだろうがよ」

「勝手なことを言わないでください!」


 いかにも荒くれものといった風体の男たちを、女性が必死になって押し留めている。

 そもそも、彼らがこの屋敷に足を踏み入れたのは二度目のことだ。

 街の孤児院から住民の失踪事件についての捜査を依頼された傭兵団。

 街に到着した日、つまり一昨日の夕にも、彼らはこうして突然に押しかけ、領主であるモトメ・イナシキに調査の協力を要請してきたのである。


 モトメは彼らをすげなくあしらった。

 元より、失踪事件のことはこちらの耳にも届いている。しかし、犠牲になっているのは租税も満足に納められない下層民や、正式な住人ですらない浮浪者だ。

 その関係者から依頼されて捜査することにこちらから否やのあるはずもないが、だからと言って「この街で起きた事件を捜査してやっている・・・・・・・」などと居丈高になられても、はっきり言って挨拶に困る。

 臨時の活動拠点として街の廃屋を貸してやったこと自体、破格の厚遇だったというのに……。


 使用人の女性は両足を踏みしめ、一歩も引かぬ覚悟を決めて男たちを睨みつけた。

「とにかく、旦那様はもうお休みになられています。御用向きはまた明日にお伺いし、私から旦那様にお伝えします。本日はお引き取り下さい!」


 あくまで己の職務を全うしようとする健気な女性に、男たちはいささかバツが悪そうに頬をかく。互いに顔を見合わせ、次の言葉を探しあぐねている間に、エントランスに繋がる廊下から、一人の男が姿を現した。


「何の騒ぎだ」

「旦那様……!」

 渋紙色の髪を肩まで伸ばし、神経質そうな細い目の端に皺を寄せた中年の男。

 イナシキ家領主・モトメであった。


 使用人の女性は顔を蒼くし、それと対照的に、『酒樽』の男たちは一斉に破顔した。

「おー、領主さま。いやー、悪いね。こんな時間に」

「ちょいと急ぎの用だったんでね」

 顔の前で手刀を切って眉尻を下げながら、男たちはずかずかと踏み込んでいく。


「ちょ、ちょっとあなた達!」

 それに追い縋る女性の姿を見て、モトメは不愉快そうに顔を歪めた。

「時刻に配慮する程度の分別を持っているなら、今すぐに出て行ってくれ。なんなら街から出て行ってくれても構わない」

「まあまあまあ、そう言うなよ」

「すぐ済むってばさ。ちょいと聞きたいことがあるだけなんだ」

「聞きたいことだと? 生憎だが失踪事件とやらについて知ってることは何もないと、先刻伝えたはず――」

「いやいやいや」

「それとはまた別なんだ」

「何?」


 にこにこと胡散臭い笑顔を浮かべる男たちは馴れ馴れしい態度で、眉を顰めるモトメに歩み寄った。


「ウチんとこの団員がここで世話になってんだろ? 引き取りに来たんだ。場所教えてくんねえか」

「…………何だと?」


 モトメの眉間の皺が深くなる。

 それを横で聞いていた使用人の女性が、困惑の表情を作る。

「あなた方の、お仲間? 一体何を言っているので――」

「よい。ミズハ」

 モトメが、なおも傭兵たちに食い下がろうとする女性を制した。

「だ、旦那様、しかし……」

「この方たちは何か勘違いをしているようだ」


 その声音がこの状況においては不釣り合いなほど穏やかなことに、ミズハと呼ばれた女性はますます混乱する。

「そ、それは、そうなのでしょうが……」

「ああ。そうだとも。大きな勘違いだ。一体何を根拠にあなた方のお仲間とやらがここにいると――」

「あーあー。いやいや。そういうのはいいから」

 傭兵たちのうちの一人、一際大柄な禿頭の男が、胡散臭い笑みを顔に張り付けたまま手を横に振る。


「騎士団じゃねえんだよ、俺らぁ」

「まあ、こっちに落ち度がねえわけでもねえ。あんな猪娘を首輪もつけずにほったらかしちまったからなぁ」

「いや、きっとそちらさんにも迷惑かけたんだろうとは思うぜ?」

「けどよぅ。あいつはあれで、大事な仲間の一人なんだ。ここは度量の広いところを見せると思って――」

「いい加減にしてください!」


 ほとんど悲鳴のような声で、ミズハが叫ぶ。

「なんなのですか、さっきから。こちらに心当たりはないと言っているでしょう!? しかも、なんですか、その言い振り、まるでこちらが拐したような……」

「まあ、そりゃあ、なあ……」

「ううむ」

「な、なんですか……」


 男たちはしばし顔を見合わせると、相変わらずのにやけた顔のまま、まるでこともなげにこう言い放った。


「だって、この街の失踪事件、おたくの領主さまが犯人だろ?」


「なっ……!!」

 言葉を失ったミズハの顔が、みるみる赤くなっていく。

「ぶ、無礼にも程があります! そんな、馬鹿げたことを、一体……」

 しかし、そこでミズハは、その言葉を受け止めた自らの主人が、口を閉ざしたままでいることに気付いた。

「だ、旦那様?」

 恐る恐る声をかければ、その険しく歪められた顔に、僅かに脂汗が浮いているのが見える。


「いや。なんつうか、悪いなあ、お姉ちゃん。あんた、知らされてなかったんだなぁ」

「そうじゃねえかって話はしてたんだが……」

「やめてください!」

 男たちから一斉に憐みの視線を向けられて、ミズハが取り乱す。

「だ、旦那様、こ、抗議をしましょう。傭兵組合と、それから騎士団にも。このような不当な言いがかりを――」

 

 その時。


 どさり、と、男たちの背後から、何か重たいものが転がされる音が聞こえた。

 その後に、かつかつと、底の厚いブーツが床を叩く音が響く。


「騎士団に調査依頼を出すというなら、丁度いい。この男の証言も提出してもらおうか」


 それまでこの場にいた者の誰とも違う声が、ぶっきらぼうな口調で投げかけられた。

 全員が入口のドアを振り返ると、そこに、荒波のようにうねる黒髪を頭の後ろで無造作に縛った長身の男と、床に転がされた、全身を縄で縛られた男の姿が見えた。


「な……な……」

 ミズハが、ぱくぱくと口を開く。

 あまりの事態に、発すべき言葉が咄嗟に見つからないようであった。


 長身の男は、自らが床に放った男を足で蹴って転がすと、その顔をモトメの方へと向けさせた。

 いよいよ滝のように汗を流し始めた、街の領主へ。


 顔に青痣を作った男が、弱々しい、それでも仄暗い熱の篭った声で呪いを放つ。



「よくも、騙してくれよったな……。きさんも、ここまでばい……!」


 

 ……。

 …………。

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