ある日うちのネコが妹と再会したんだけど。

杉浦ヒナタ

第1話 お市の方と敵対する

 季節外れに暖かい日だった。あたしは家に帰ってドアを開け、のけぞった。

「あ、暑いんだけど」


 もわっ、とした熱気が顔を直撃した。うちの親は出かけているらしい。締め切っていたせいで、室内は熱帯の気温だ。

「そうだ、冷蔵庫にアイスが残っていたはず……」

 たしか去年買ったまま忘れていたやつだけど、背に腹は変えられない。


 ばたばたと台所に駆け込んだ所で何かに蹴躓けつまずいた。ふわふわで柔らかい。でも、それなりに重量があるものだった。


 すぐに足元から呻き声がした。

「おのれ、蘭丸。主人を足蹴にするとは何事だ!」

 仰向けに転がったまま、茶トラの雄ネコがこっちを睨んでいる。


 こいつはノブナガ。うちの飼い猫だ。

 この前から、中の人が異世界の織田信長に繋がっていて、どうやら密かに天下統一を目指しているらしい。


「ああ、ごめん。でも何でそんな所で寝てるのよ」

 ノブナガはその姿勢のまま、前足を舐め始めた。起き上がる気も無いようだ。フローリングの床に、ぺったりと背中をくっつけている。

「ここは涼しいからのう。ついでに、その冷蔵庫とやらいう扉を開けてくれぬか。あれは心地良い」

 ああ、しょっちゅう冷蔵庫の扉が開いていると思ったら、犯人はお前だったのか。

 開けるわけないだろ。


 ☆


 ノブナガは目を細め、うとうとしているようだった。完全に大股開きで仰向けになっている。ふと下半身に目が行った。

 あの……、なんて言うのかな。『オオイヌノフグリ』という植物が有るらしいのだが、これは『バカネコノフグリ』とでも言うのだろうか。


「ちょっと、ノブナガ。もう少し恥じらいとか持ちなさいよ」

 あたしは、尻尾でノブナガの股間を隠す。


 さて、今年初の冷房をつけるとするか。あたしはエアコンのスイッチを入れた。


「おおう、忘れていたぞ!」

 途端に、ノブナガが跳ね起きた。

「な、なによ。びっくりしたな」


「わしには妹がいたのだ。幼い頃に生き別れになったけれどな」

「知ってるよ。浅井青果店のイチゴちゃんでしょ」

 通称、おイチちゃんと呼ばれている。


 生き別れと言えば人聞きが悪いが、捨て猫の譲渡会でそれぞれ貰われていったのだ。全身真白い、すごく綺麗なネコだ。

「わしにそっくりであろう」

 ……どこがだよ。お前とは似ても似つかないよ。


「その、おイチちゃんがどうしたの」

 ふむ。と、ノブナガは黙り込んだ。


「わしは後悔しているのだ」

 珍しくノブナガが反省しているらしい。

「あの時わしにもっと力があれば、とな」

 おお、格好いい台詞だ。でもどこかで聞いたことがあるぞ。


 それに、いつの間にか声も変わっているような気がする。これって”赤い彗星”の人だろうか。いや、"金髪の儒子"か? でも、あれは相手がお姉さんだったな。


「どうしたの、もう少しで天下統一出来そうなんでしょ?」

「うむ。だがそれよりもまず、ザビ家に復讐せねばならん」

 赤い彗星のほうだった。

 ザビ家とか言わないで。それ、だいぶ未来の話だし。どうもTVのアニメ特集を見て影響されたらしい。ネコなのに。


「認めたくないものだな。若さゆえの……」

 本題に戻れ、バカネコ。その名文句はさすがにマズい。

 変な汗が出たじゃないか。


 ☆


「だけど、ノブナガ。浅井さんちには、ネコはおイチちゃんしかいないと思うよ」

 ノブナガは立ち上がり、のそのそとわたしの周囲を歩き回り始めた。時折、頭やからだを擦り付ける。

「そんな筈はない。名が『マサ』とかいうやつがいるではないか」

名がマサ、ながまさ?


 ああ、それは勘違いだ。マサちゃんは。

「あれはお隣の黒田さんちのネコだから」

「ええい、なんと紛らわしい。浅井ではなく、黒田だったか」


 ノブナガは足を止めた。

「おい、蘭丸。では困った事になったぞ」

 哀しげな表情であたしを見上げている。あたしもやっと気付いた。


 じゃあ、次の敵はおイチちゃん?


 ☆


 青果店の店先に、おイチちゃんはいた。

「か、可愛い…」

 真っ白でちっちゃいネコだ。子供用の木馬の上にきちんと座り、お客さんを出迎えている。


 でもノブナガに気づくと、背中の毛を逆立て、ふーっとうなり声をあげた。お兄ちゃんはどうも嫌われているみたいだ。

「木馬を降りろと言っておいた筈だぞ」

 ノブナガ、まだ引きずってる気配があるけど、大丈夫か。


 おイチちゃんはぷい、と横を向くと木馬から飛び降りた。そのまま店の奥に入っていく。あたしとノブナガは顔を見合わせた。


 あたしたちに気付いた店の奥さんが手招きした。

「しずくちゃん、こっちこっち。静かにね、この奥を見てごらん」

 言われるまま、展示棚の裏を覗き込む。


「おおー」

 あたしは思わず声をあげた。柔らかなタオルを敷いた箱の中におイチちゃんが入っていた。そしてそのお腹のところに。

「みゃう」

 赤ちゃんがいた。それも白が二匹と、茶トラが一匹。目が開いたばかりらしい。無心におっぱいを飲んでいる。


 ノブナガは箱の傍まで寄って、妹とその子供たちを見ていた。

 よく似た茶トラの子が、ノブナガに向かって、しゃーと可愛く威嚇している。

「その子が一番お姉ちゃんみたいだね。ほかの子を守ろうとしているんだよ」

 奥さんが笑いながら言った。名前はもう決まっていて、『茶々』だという。なんだか、気の強いネコに育ちそうだ。


「だから高いところに昇るなと言っておいたのだ。まあ、元気に生まれてよかった」

 ノブナガは言った。そうか、おイチちゃんの身体を気遣って、木馬に乗るなと……。へえ、優しいとこあるじゃん、ノブナガ。


「あれ、泣いてるの、ノブナガ」

 ノブナガは前足を舐めては顔をこすっている。気のせいか水分量が多いようだが。

「おろかもの。わしは武士だ。武士おとこは涙を見せぬものだ」


 ☆


「で、どうするの。浅井さんちは」

 ふむ、とノブナガは考え込んだ。

「すべてを我が手にせずともよいだろう。あいつらにも帰る場所は必要だ」


 ネコも一人では生きられないからな。


 


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ある日うちのネコが妹と再会したんだけど。 杉浦ヒナタ @gallia-3

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