嗅ぎ慣れた匂い

續木悠都

嗅ぎ慣れた匂い

 副流煙は体に悪いから、そんな事を言いながら煙草を吸っている時の叔父は私を近付けようとしなかった。その度に私は「由明よしあきさんは煙草自体吸ってるじゃない」なんて返しにならない返しをした。

 そう言うと彼は必ず困ったように笑い「俺は自分なんてどうでもいいし、まだ若いお前の体に影響したら義姉さんや兄さんに悪いから」なんて言ってくる。

私の体は私のものだし、両親に悪いと言われてもピンとこない。そこはせめてお前に悪いからなんじゃないだろうかと思う。

 けど多分親を絡めることで私自身の事も心配しているのだろうと、なんとなくそう思う様にして無理矢理納得しようとした。

「自分なんてって、投げやりな事を言うんだね」

「投げやりっつうか、自分に対しちゃあんまり興味ないんだろうなぁ」

 春という季節が訪れたはずなのに、爽やかな気温じゃなくて暑い日々が始まった頃の土曜の午後。叔父が住んでいる一軒家の二階にある書斎で、窓から入る風を受けながらベランダで煙草を吸う彼の背中を眺める。

 娘が十六歳になったというのに、両親は仕事やなんやで二人揃っていない時に私を彼に預ける。叔父はその事に対して問題ないと受け入れてくれる。

 個人的にそれに対して迷惑じゃないだろうかっていう気持ちはあるけど、それを言わないのはこの叔父の事が好きだからだ。

(……法律的にはアウトなんだろうけどさ)

 せめて叔父じゃなくて従兄弟だったらなんて思うけれど、仮にそうだったとして私はこの人を好きになっていただろうか。

 三十六歳なのにいまだに一人身で好きな本に囲まれながら生きていて、良い人がいても続かなくて(どうやら束縛をされるのが苦手らしい)自由を愛している叔父。

 未だに親の保護下に置かれている私からすればそんな叔父は魅力的に映って、同年代とかの男子に興味なんて湧かなかった。仮に湧いたとしてもなんだか途中でつまらなく感じて――そう感じるのは傲慢だし間違っているんだろうけど、どうにも叔父と比べてしまうのだ。

「ねー、由明さん」

「ん?」

「隣に行っちゃ駄目?」

「駄目だ、まだ吸い終わっていない」

 どうせ風に紛れて室内に煙草の煙は入るというのに、どうして隣に立たせてくれないのだろう。距離を置こうが置くまいが関係ないのに。

 そう思ってソファから立ち上がってベランダへ向かい、スリッパからベランダ用の履物へと履き変え私は叔父の背中を背もたれにして書斎に視線を向ける。

「あ、こら」

「いいじゃん、これくらい」

「よくないって」

「父さんと母さんに悪いから?」

「そう、あとお前の体にもよくない」

「良いか悪いかなんて自分で決めるよ」

「……っとに、口だけは良く回る」

 ああ言えばこう言う私に呆れたのか、叔父はそう言って煙草を吸い始める。

 どうせ数年したら私はこの人への想いを諦めるだろう。だからそれまで、その時まではこの嗅ぎ慣れた匂いの持ち主の傍に少しでも長くいたいのだ。

 それは幼くて、それでも駄目なものは駄目だって分かっている私の世界に対する些細な抵抗みたいなもの。

(……暑いなぁ)

 気温だけじゃない、衣類越しに感じる背中の熱にそう思いながら私は少しの間だけ目を閉じた。

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