放課後、あたしは先輩に誘われる。


 ――あたしは、自分の名前が嫌いだ。


 ツインテールの可愛らしい少女は、自分の名前に不満を抱いていた。

 姉の“マ”コトの次に生まれたからという単純な理由で名付けられた、“ミ”コトという名前。

 自己紹介の時には必ず言わなければならず、家族、友達にはそれで呼ばれ、テストや重要な書類にも書かなければならない。

 その度に嫌気がさしていては心が持たないので、意識する事は段々と少なくなっていった。


 それが最近になって、また気になり始めたのは、ある男の存在が大きかった。

 そして、光琴は今、その男と向かい合っている状態にあった。




「なんですか、先輩。話っていうのは」


 コの字型の校舎の、真ん中の空間に作られた中庭。そのベンチに座って待っていた冴えない先輩に、光琴は話しかけた。

 先輩の名前は、椿本岳。光琴の姉である笠嶋真琴の恋人であり、一つ上の学年の男子生徒でもある。

 眼鏡をかけた地味な雰囲気の彼は、彼女に尋ねかける。


「十月最後の週って予定空いてたりする? できれば三十一日がいいんだけど……」

「何かするんですか?」

「ハロウィンパーティー?」


 十月三十一日のイベントといえば、仮装をしてお菓子を食べながら楽しむ日本独特のハロウィン。

 光琴としても楽しい事に誘われるのに不満はなかったが、岳の疑問形で返ってきた言葉に対し、眉をひそめた。

 同時に、大きなため息を吐いてみせる光琴は、パーティーを企画した人物の顔を思い浮かべた。


「あたしを誘えって言ってきたのは、姉ですか?」

「うっ……」


 図星をつかれて黙り込む岳を見て、光琴は察する。

 自分の名前を出さずに誘って来いと姉に言われたのだろうと、光琴はもう一度ため息を吐いた。


 ――自分で誘えばいいくせに……


 とは思うが、姉から誘われても絶対に拒絶する自信があった為、自分自身の面倒くささを痛感させられる。

 そして、ただいいように姉に使われている岳を哀れんだ光琴は、誘いを受け入れる事にした。


「……いいですよ。十月最後の日ですね」


 光琴の素直な態度に、岳は目を見開き、思った事をそのまま口にする。


「てっきり断られるかと思ったよ。なにがなんでも連れてきてって言われてたんだけど、あんまり絡むの好きじゃなさそうな感じだし……誰とは言えないけど」

「だから観念して行くって言ったんですよ。察してください」


 そう言って光琴は、もういいですかと岳に背を向けようとする。

 そんな彼女に、最後に一つだけと岳は尋ねかけるのだった。


「どうしてあの人は……光琴さんを誘うことにこだわってるの?」

「そんなの姉に直接聞いたらいいじゃないですか。あと下の名前で呼ぶのやめてください」


 光琴は不機嫌そうに踵を返し、地面を蹴り上げながらその場を後にした。



 十月最後の日。十月三十一日。

 ハロウィン当日というだけでない、真琴がその日に拘っている理由を、光琴は知っていた。


 ――あたしの誕生日……


 当日は奥村が部活で祝ってもらえない、と家で愚痴っていたのを偶然聞いていたのだろう。

 それを不憫に思い、今回、ハロウィンパーティーという名目で光琴を誘ってきたのだ。


 ――ホント、余計なお世話よ。


 姉に気を遣われたくなかった光琴は、自らの唇を噛んだ。


 姉に恋人がいなかった時は、自分には奥村がいるという余裕があったが、姉が岳と付き合い始めてからは、それもなくなってしまった。

 姉に勝っている部分は一つもなく、それもこれもこの名前のせいだと、全ての不満を押し付けていた。









 ハロウィン当日。十月三十一日を迎え、光琴は十六歳になった。

 学校の教室で、友人に目一杯お祝いしてもらった後の放課後、彼女は姉と岳の待ち受ける数学科準備室へと行かなければならなかった。


 ――行くって言わなきゃよかったな……


 教室を出たあたりで、岳の誘いを断らなかった事を今更になって後悔し始める。

 これから姉と岳に会うと思うと、先ほどまでの幸せな気分が一気に落ち込んでしまった。


 ――せっかくの誕生日なのに、ヤな気分だ。


 こんな心持では、楽しい一日が台無しな上に、祝ってくれる二人に対しても失礼だと思う。彼女は、廊下を歩きながら気持ちを切り替えようと深呼吸をした。


 約束の場所の扉の前に辿り着いた光琴は、間を置かずに扉を開ける。

 すると彼女が部屋に入るや否や、クラッカーの音が響き渡る。びっくりして目を閉じる彼女の耳に二人の声が聞こえてくる。


「「ハッピーバースデー!」」


 頭に降りかかった紙テープを除けながら目を開けると、ハロウィンの仮装をした二人の姿があった。

 体中傷だらけのゾンビの仮装をした椿本岳。制服の上から黒いマントを羽織り、とんがり帽子を被って、手には杖を持った魔女の仮装をした笠嶋真琴。

 思いっきりハロウィンを楽しんでいる様子の二人は、そのついでと言わんばかりに光琴の誕生日を祝っていた。


「あ、ありがとう……」


 苦笑いでお礼を言う光琴は、二人の空気感についていけないでいた。

 戸惑っている光琴に、ニコニコと不気味な笑みを浮かべながら、魔女姿の真琴が近づいていく。


「アーンド……トリック・オア・トリート!」


 低めの声でハロウィンの決まり文句を言った姉の姿に、光琴は恐怖を覚えて、部屋にいた岳に助けを求めようとする。

 しかし、唯一の助けてくれそうな人間は、怯える光琴の横を通り過ぎて、部屋から退散しようとしているところだった。


 ――え!? ちょっと! 待ちなさいよ!


 そう声を上げる暇もなく、扉が閉まって部屋には光琴と真琴の姉妹の二人だけになる。

 そして、至近距離にまで近寄ってくる姉の手には、不穏な衣装が握られていた。


「お菓子が欲しいの? あげればいいんでしょ? ねえ。だからやめてよ。いやああああああああああああああああああ――――」





 数分後。ガチャガチャと騒がしかった部屋の中が突然静かになったのを見計らって、岳は部屋の扉を開けて中に戻る。

 真っ先に彼の目に入ったのは、真琴によって無理やり仮装させられた光琴の姿だった。

 黒のワンピースの上にフリルの付いた白いエプロンを着て、白いフリルの付いたカチューシャを頭に付けたその姿は、メイド以外の何物でもなかった。

 光琴は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、短いスカートの裾を下に引っ張る。

 その行為が逆に、岳の目をスカートと黒い二―ソックスの間から覗く太ももに向かわせた。


「見ないで……」


 光琴の本心から出た言葉に、岳も思わず見惚れてしまう。

 そしてそんな岳よりも、光琴のメイド姿に盛り上がっている人物がその場にはいた。


「光琴はホントかわいいなー! 私に似合わない服もこんなにかわいく着こなせるし、羨ましいなー!」


 照れていた光琴も、姉の発言に目を見開いた。

 姉が自分の事を羨ましいなんて口にするとは思ってもみなかった。


「名前が私よりかわいいのも嫉妬しちゃう」

「なんであたしの名前に嫉妬するの……?」


 その上、かわいらしい名前とまで言われては、光琴も疑問を口にする。


「だって私の名前のマコトって男の子みたいでしょう? それならミコトの方が可愛いじゃない?」


 思いがけない回答に光琴は、複雑な表情をしてみせる。

 喜んでいいのか、それとも意固地になって怒ればいいのか。

 どんな顔をしていいのかはわからなかったが、姉の言葉で少しだけ、自分の名前を好きになれた気がしたのは確かだった。


「そう、かな……?」


 姉が自分の事をちゃんと見ているのを知られて、光琴は嬉しかった。

 同時に、これはメイド服を着させた文句を言わせない為にわざと姉が褒めているのではないかと思い始め、我に返る。


「そんなに褒めても、メイド服なんて一生着ないから!」


 いつものように眉間にしわを寄せる光琴に、真琴は笑みを浮かべた。


「じゃあ、奥村くんに見てもらう為に、ちゃんと写真に残しておかないとね」


 その言葉と同時に、一眼レフのカメラを首から提げた人物が、部屋に入ってくる。

 それを見た光琴は、メイド服を着せられる前と同じく、目の前に絶望する表情をしていた。


 ――あたし、やっぱりこの人、苦手だ。

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放課後、僕は彼女に殺される。 刹那END @amagasa

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