詳しくは神サマに 小説バージョン

ティオンヌマン

詳しくは神サマに


「というわけで、現在の小説というものは、基本が出来ていないくせにやたら難しいことをしたがる。結果、複雑なだけで内容が支離滅裂なものに…」

 教授がしきりに現代小説のあり方について熱弁を振っている。彼の講義内容が正しいのか否か、正直なところ僕には分からなかった。ふと目を窓の方へ向けると、青空を背景に木々が風に揺らめいているのがガラス越しに見えた。近年稀にみる猛暑であり、外に出ると容赦なく太陽がジリジリと身を焦がすが、教室内はエアコンが適度な温度に調整しており、また昼食後の授業ということも相まって非常に眠たくなってきた。無駄な抵抗と知りつつも、睡魔に抗おうと手にしたペンを、もう片方の手に突き立ててみた。……痛いことは痛いが、その感覚すらもぼやけている。

「つまり…というわけであり…という意味なんですよ…」

 教授の言うことも、言葉として認識出来なくなってきた。目も、もはや開いているのか閉じているのかもわからん。こうなってしまっては仕方ない。この授業の後はゼミがあるし、体力温存という意味も含めて、僕は潔く睡魔に白旗を揚げる事にした。












 腕時計を見る。秒針が規則正しい感覚で時を刻んでいく。あと三秒…二秒…一秒… 

「では今日の授業は終わりです」

 教授の台詞に一斉に教室がざわめき、ガタガタと席を立つ音が聞こえてきた。授業なんてそっちのけで熟睡して鼾をかいていた奴もしっかりと目を覚ましている。まったく都合のいい体内時計だ。

 「ふう」

 僕はため息を吐き、学生手帳のお終いのページを開いた。時間割を記入するページがある。適当に走り書きをしたため非常に読みづらい。が、こんなものは自分が認識出来ればそれでいいのだ。次の授業の教室を確認し、準備をする。この大学に入学してまだ間もないので、イマイチ時間割やら教室の場所やらが覚えられない。もっとも、覚える気もあまりないのだが。ルーズリーフやレジュメを鞄にしまう、その時ふと鞄の中にある本が目に付いた。

 「ああ…そういえば借りていたな」

 そう呟き、本を手に取ってみる。柔らかな色合いの表紙を開くと、各ページには可愛らしいフォントで数行の文章が書かれている。所謂詩集というやつだ。ページの中央しか使っていないのはなんか勿体ないと感じるのは僕が貧乏性だからなのだろうか?詩の良し悪しというものがわからないのだが、あれは一体どういったものが「いい詩」なんだろう?読んでみたところで、短文やら単語やらがポツポツと書いてあるだけじゃないか。製作者がしたり顔で自己陶酔して書いている姿しか思い浮かばないのだが、どうやらこれを貸し付けて来た知人によると、「すごく共感出来る」のだそうだ。安い感受性だな、とは思っても決して口には出さない。僕にもそのくらいの常識はある。まあ返す時に適当に返答しておけば問題ないだろう。

手にした詩集を鞄に突っ込む。ジッパーを閉じ、肩に担ぐ。重い…無駄に分厚い参考書ばかり買わせやがって。全然授業で使わないじゃないか。しかも、教員自身が書いた本ばかりだ。印税稼ぎに生徒を使うな。さて、次の授業は一号館。そして今居る所が十号館である。この大学の立地的に、丁度正反対に位置する場所に、これから向かわなければならないというわけだ。重い重い鞄を担いでね。やれやれだ……。


十号館から一号館までは、緩やかな上り坂を歩いて行かねばならない。道の両端には桜が植えてあり、満開の桜の中を行くのはなかなかに気分がいい。もっとも、今はすでに葉桜になってきてしまっているが。まあ、葉桜は葉桜で風情があると思うけどね。

坂道を上り、中庭に入る。一号館はこの先にあるので、当然ここを通過しなければならないのだが、木々を植えこみ、ベンチを設置し学生の憩いのスペースであるこの中庭は、同時に喫煙スペースでもある。灰皿の周囲には、揃いも揃って口や鼻から煙を噴き出す人間毒ガス発生器ばかりだ。互いに煙を浴びせ合い談笑しているが、彼らは何を思って煙草なんぞを吸っているのだろうか?煙だぞ煙。副流煙の被害に合う僕の所感では、あの煙は非常に不快で気持ちが悪くなるのだが、吸っている本人にしたら何か違うのだろうか。まあ好き好んで吸っているのだからきっと違うんだろうな。「煙草がうまい」という表現もあるくらいだしな。しかし煙がうまいってどういう感覚なんだろう?それはちょっと知ってみたい気もする。

毒ガス地帯を抜け、ようやく一号館にたどり着いた。鞄の重さに加えて、煙草の煙のダメージで必要以上に疲れた気がする。もう大学全館禁煙でいいよ。東京もどこかの区では全域禁煙にしているらしいし。

階段を上り、教室に入る。内部は既にたくさんの生徒で溢れかえっていた。幾人もの人間がふらふらと移動したり、大口を開けて喋っている様は、さながら池の鯉が餌をもとめている様子に見えた。まあ僕もその鯉の一人なわけなのだが。

キョロキョロと辺りを見回して空いている座席を探す。視力があまり良くない僕は、どの授業でも、常に最前列に座るようにしている。ましてや、この教室は大教室に分類される広さを持っているので、前線に座れないと黒板の文字やプロジェクターの映像が全く見えない。どうにか前の席に座りたいが……

「おっ」

幸いにも最前列中央の席が空いていた。そそくさと移動し、確保する。前の授業でこの席を利用していたであろう人物の遺産である消しゴムのくずをパッパッと床に払ってから、おもむろに鞄を置いた。ジッパーを開け、ペンケース、ルーズリーフを取り出す。と、何かがピカピカと光っていた。携帯電話のランプだ。

 「メールかな」

 取り出して確認をする。メールではなくて着信だった。ディスプレイに表示してある名前を見て首を傾げる。誰だっけこいつ。まあ放置するわけにもいかないか。

 「もしもし」

通話ボタンを押してから電話を耳にあてた。聞こえて来たのはガラガラとした汚い男の声だった。

 「あ、もしもし星田君?あのさ、今日五時から各ゼミの説明会あるじゃん。出る?」

 声を聞いてもいまいちはっきりと誰なのか分からない。まあ恐らく、入学してすぐに誰彼となく番号を交換したうちの一人なのだろう。

 「出なきゃいけないんじゃないの?」

 来年度からゼミに所属しなければならないのだが、今日は各ゼミが自分達の紹介をするという行事がある。正直めんどくさいからあまり行きたくはないけど。

 「まあね。でも出席とか取らないみたいだし」

 「そういう問題じゃないと思うけど」

 さっさと用件言ってくれないかなあ。こんな誰ともわからんダミ声野郎と長電話なんか御免なんだが。

 「俺サークル行かなきゃいけなくてさ」

 「で?」

 「後で内容教えてくれない?」

 何を言っているんだろうこいつは。話すのが疲れて来たので頬杖をつきながら返答する。

 「嫌だけど?」

 「えー、そんなあ」

 「つまんないことで電話しないでくれないかな。耳が疲れる」

 終話ボタンを押す。通話口からは「あ!待って待って!今度女の子紹介するから」とかなんとか聞こえてきたようだが知らん。自分の意思で誰かのために行動するならいざ知らず、誰かに何かを、しかも理不尽で生意気な要求をされるのは嫌いだ。そもそも、僕の女の人の好みを彼が知っているとも思えん。そんなことを考えながら先ほどの電話の主のアドレス情報を削除する。まあ今後こちらから連絡をとることにはならないだろう。

 くだらない電話を終えると、ちょうど教授が教室に入って来た。毎度のことながら気取った歩き方だ。一歩一歩足を踏み出す度にアフロヘアーがふわふわと揺れる。まじまじと見ると気持ち悪いな。まあアフロ自体は非常に似合っていて、これまた妙に様になっている白いデザインシャツと黒のパンツをビシッと着こなしている。そんな彼が教えてくれるのは、美術史。毎回、と言ってもまだ四回目の授業だが、ひどくキザな口調で美術の蘊蓄を語ってくれる。授業内容はどうでもいいが、彼のキャラクターが愉快なのでなかなかお気に入りの授業の一つだ。

 「はい、それじゃあ授業のほうを始めようか」

 授業のほう、ってなんだ。もう一方があるのか。シャープペンシルの芯を出しながらそんなことを考えていると、教授が黒板に赤いチョークで文字を書き殴った。

 『抽象絵画』

 抽象絵画か。詳しくは知らないけど、ピカソとかシャガールとかのことかな。あれ、シャガールは違うっけ?

 「抽象絵画というのは、抽象芸術。抽象美術のうちの一つです。狭義では、非対称絵画、無対称絵画、絶対称絵画のように、具体的な対象を描き写すことのない絵画を意味します。つまり、描いた本人も何を描いたのか分からない、という事です。しかし広義では、ピカソのキュビズム作品など、厳密には具象であってもそのままの形からは離れている、つまり、事物の形にさまざまな変化が施されているような絵画を含むこともあります」

 一旦話を区切った教授は、教卓に置いてあったミネラルウォーターを一口飲んだ。水を口に含んだままモグモグしてから飲み込んだように見えたが、そういうことするのってワインを飲む時じゃないか?まあどうでもいいか。

 しかし良く分からない話だ。「自分でも何を描いたか分からない」ってそれは「絵を描いた」と言えるのだろうか?そもそも、なんでそんなものを世に発表しようと思ったんだろう……。

 「おっと、もう時間か。では、今日の授業はここまでにしましょう」

 参考資料として流されていた映像が終わったところでちょうど授業が終わった。抽象絵画の専門家と思わしき人物な何人か登場し、口ぐちに絵を褒めちぎると言った内容だった。動画投稿サイトに転載されていた映像だったのでやや映像が荒かった気がする。

 他の生徒がいそいそと退室する支度をする中、僕は頬杖をつき、着席したまま思案にふけていた。自分では、はっきりとは分からないが、もし鏡があったならば、おそらくそこには仏頂面の男が映っていただろう。

 どうにも分からない。絵を描いてそれを発表するという事は、他者に何かを伝えたい。もしくは、自分の何かを知ってほしいという事なのではないのだろうか。描いた本人ですら意味不明な絵を、何故わざわざ描き、発表する必要があるんだ?もっと理解できないのはそういった絵を賛美する人たちである。先ほどまで流れていた映像にも出てきたが、作者自身が意味不明と言っちゃっているようなものを何故狂信的にすばらしいなどと言えるのだろう?評価のしようがないじゃないか。

 「釈然としないようだね」

 僕が一人で悶々としていると、不意に声をかけてくる者があった。振り向くと少女が立っていた……いや、少女ではないのだろうな。大学内に居るわけだし、きっと彼女も大学生なのだろう。しかしそれにしてはひどく幼く見える。中学生と紹介されれば、なんの疑いも抱かずそう信じてしまうだろう。

黒いシャツに赤いスカート、そしてポンチョのようなものを身に纏った彼女はじっとことらを見つめていた。ぶれることのないその眼差しは、何か強い意志のようなものを感じさせた。

 「えと…誰ですか?」

 率直な疑問を口にした。僕の記憶が正しければこのような知り合いは居ないはずだ。

 「抽象画について納得がいかないみたいだね」

 僕の質問を完全に無視して彼女は話し始めた。なんなんだこの人は。机の上に腰をかけ、足を組んで、さらに彼女は続けた。

 「私は美術の専門家ではないから、絵画の薀蓄を講義することは出来ない」

 「はあ…」

 だからどうした。そもそも、こっちから説明を求めた覚えはないのだが。第一今は抽象画なんかよりも、あなたのほうが何倍も理解出来ません。

 「しかし、君の思想の助けになる事くらいは出来るかもしれない」

 コケティッシュな笑みを浮かべながら、彼女は言った。

 「あの…何を言っているんでしょうか」

 いよいよ怖くなってきた。もしかして怪しげな宗教の勧誘とかだったりするのだろうか。逃げたほうがいいのかな。

 そんな僕の思考を知ってか知らずか、彼女は、足を組みなおし、ゆったりと話し始めた。

 「何を描いたのか分からないような絵を発表する意味が分からない。そんな絵を賛美する理由が分からない。そんなところかな」

 「は、はい」

 ズバリ言い当てられて少し驚いたが、少し想像すれば分かることか…。

 「君の目には、これらの絵が意味不明なものに見えるのだね?」

 そう言いながら彼女は、机の上に出したままだった僕のレジュメを細い人差し指でトントンと叩いた。

 「そうです」

 誰が見てもそうなのではないだろうか。僕の不満気な顔を見て何を思ったのか、彼女はクスクス笑いながら言った。

 「正直な話、私にも分からないよ」

 だからどうした。一体何が言いたいんだこの人。さっきからまるで話が進まない。

 「しかし、自分の目に映るものイコール他者の目に映るもの、そしてそれが世界の全て、などとは思わないことだ」

 急に真面目な顔つきになった彼女がそんなことを言った。いきなり話がぶっとんできたな。何か哲学的な事でも言いたいのだろうか。腰をかけていた机から降り、腕を組んで歩き回りながら彼女は話し始めた。

 「君や私に見えないものが見えている人も居る。君が意味不明としか感じる事の出来ない絵画を、逆に素晴らしいものとしか感じる事の出来ない人も居る。これは所謂趣味嗜好というレベルより上の話なんだ。君は、百パーセント、まるでこれらの絵が理解出来ないのだろう?」

 「まあ…そうですね」

 なんだかきまりが悪くなって頭を掻きながら答えた。

 「つまり、君にいくら説明したところで無駄というわけだ」

 「無駄って…」

 ビシッ、と音が聞こえてくるくらいの迫力で、彼女は僕を指差しながら言い放った。なんだ、これじゃまるで僕が能無しだから理解出来ていないみたいな言い方じゃないか。たかが授業の内容に疑問を感じただけで何故こんなに言われなければならないんだ。

 小さい頃から言われていることなのだが、どうやら僕は感情が表情に出やすい性質らしい。ご多分にもれず、今回も内面の不満が顔に表れていたようだ。

 「まあそう怒るな。眉間にしわが寄っているぞ。逆もまたしかり、絵を素晴らしいと狂信している者達に、いくら君がこんなものは意味不明だ、と抗議したところで、彼らには伝わらないだろう。つまり、彼らの見ている世界、彼らの生きる世界と言い換えてもいいが、それと君の生きる世界は違うわけだ」

 長い黒髪を指先でくるくると弄びながら彼女は言い放った。その言葉に反応するのにはやや時間を要した。

 「…いや、世界はひとつでしょう」

 「そうかな?現に今君は体験したじゃないか。絵を一切理解できない者。絵を素晴らしいと崇め奉る者。絵の価値観において、二つの世界が出来ているじゃあないか」

 「その理屈で言ったら、世界が無限大に存在することになりますが」

 僕が言い終わらないうちに彼女は言葉を続けた。

 「その通りだよ。人間の数だけ、もっと言えば生き物の数だけ世界はある。そして他者と触れ合う、関わり合う時のみ、各々の世界の公約数を共有するにすぎないんだ。言うなれば、普遍的な世界とは存在しないのだよ」

 …抽象絵画への不満を抱いたら、普遍的世界がないとか言われてしまった。もうこの話の終着点が見えないよ。喋り疲れたのか、彼女はふう、と息を吐いて机の上のペットボトルのお茶を飲んだ。…おい、それ僕のお茶じゃないか。

 「世界とは、大きく分けて二つある。外側、入れ物の世界と、内側の世界だ」

 よくもまあスラスラと言葉が出て来るなあ。台本でも用意しているんだろうか。つかつかと黒板の方に歩いて行った彼女は、チョークで図を描き始めた。

 「基準は『自分』だ。この自分というのは人間でなくても構わん。外側の世界というのは、謂物理的な法則に従っている。まあ、量子力学的な考え方をすると、その物理法則すら信用ならないのだがね。内側というのは、文字通り、『自分』の内側の世界さ。そして、自分というフィルターを通して触れる外側の世界、これも内側の世界だ」

 数学の集合図のようなものを描きながら彼女は講義を始めた。コンパスを使っているわけじゃないのにかなり正確な円を描いている。すごい。

 しかし、話の内容はさっぱりわからん。外側の世界ってのは存在しないのか?

 「全く他者が介入していない状態ならば、それは外側の世界さ。しかし、現実にはそんなものはない。誰のフィルターも通していない世界なんてものは存在し得ない。何故か?観測すら出来ないからだ」

 …つまり、純粋な外の世界というものは、あったとしても誰も分からない。認識した時点でその人のフィルターにかかるから、そういうことか?

 「概ねその解釈でいい。で、話は戻るが、君は抽象画が理解出来ない。これは、君というフィルターを通して見た世界での話だ。一方、絵を素晴らしいとする者達。これも、彼らのフィルターを通して見た世界での話だ。つまり、ここには二つの世界がある。分かるかい?」

 「まあなんとなくは」

 僕の答に、彼女は満足気な笑みを浮かべた。出来の悪い生徒を、マンツーマンで指導して、生徒が「わかった」って言ったら、きっと先生はこんな顔をする。そんな感じの表情だ。あれ、その例えだと僕が出来の悪い生徒になってしまうじゃないか。

 「それでいい。公約数を持たないこの二つの世界は永遠に交わることはな

い。だから君は永遠に絵を理解出来ない。彼らは永遠に、絵を理解出来ない君を理解出来ない。世界が一つじゃないというのはこういうことだ」

 彼女は言いながら、二つの円を描いた。その二つは交わることなく、それぞれ点在している。

 「このように、集合を表す円形がこの世に存在する。世界を認知出来る存在の数だけある。つまり生物の数だけだ。まあ、生物以外にも世界を認知出来る存在があるのなら別だがね。そして、それらの円一つ一つが『世界』だ」

 なるほど、ようやくこの人の言いたいことが分かってきた。

 「しかし、生物以外に世界を認知出来る存在ってなんですか?幽霊とか?」

 僕の言葉に彼女はククッと笑い、

 「神のみぞ知る、と言ったところかな」

 と答えた。しかし、その神様だって人間が唱え始めたものだろう?

 「その通り。鶏が先か卵が先か、ではないが、神だの幽霊だのと言った超常の輩の発端は必ず人間だ。だから彼らは、存在はするにはするが、それは内側の世界に限られる。別に神や仏に限った話ではない。私達だって同じだ。今君は私を認識しているが、他者はそうでないかもしれない。普遍的な存在などというものは存在しない。もしかしたら、他者は私を認識できないかもしれない。あるいは、認識は出来ても、今、君の目に映っているようなプリティな姿とは捉えられないかもしれない」

 最後の例えはどうかと思うが、そうなるといよいよこの世界が信用できなくなってくるな。僕は今自分が立っている足元がぐらついているような錯覚を覚えた。

 「人間の浅知恵でこの世の理を知ろうなんて、所詮無駄なことさ。色々なセカイがある、そう認識するのが一番簡単で、一番賢い方法だ」

 「結構難しい方法な気がします」

 「その通り。こんな簡単な事すら出来ない輩が多いから無意味な争いが絶えない。他者を否定し、必死に自分の世界の正当性を主張しようとする。まったく愚かしい」

 彼女が俯き加減に溜息を吐いたところで、教室に設置されたスピーカーからチャイムが鳴り響いた。始業の合図だ。

 「うわ、次の授業始まる!」

 慌てて鞄に荷物を突っ込む僕。対称的に机に腰掛けてにやにやしている彼女。くそう、結局最後まで話を聞いてしまった…まあ、面白かったからいいか。

 「頑張って勉学に励みたまえ」

 鞄を担ぎ、教室を出ようとした僕に、彼女が手をヒラヒラと振りながら言った。足を止め、彼女の方に向き直った。

 「…あなた一体何なんですか?」

 ずっと気になっていたことを聞いてみた。すると彼女は、一瞬、その大きな目を丸くした後、お決まりの小悪魔的な笑みを浮かべた。

 「私のことを知りたいのか?何だい、ナンパかな?」

 「い、いや違いますよ」

 「そうだなあ…」

 彼女は一旦言葉を切って、満面の笑みを浮かべてこう言った。


 「詳しくは、神サマにでも聞きたまえ」











 「はい、じゃあ今日はこれまでにします」

 教授の声にはっと目を覚ました。結局授業が終わるまで寝てしまったのか。

寝ぼけた目をこすりながら鞄に荷物を押しこむ。机に突っ伏して寝ていたので体中が痛い。少しストレッチをしておこう。

 「ほっ」

 腰を捻ったり、首を回したりする。その度にバキバキと音がした。たしか、こういう音って骨と骨の間の潤滑油的な液体の中で気泡が爆発している音なんだよね。おお、怖い怖い。

 「さて、行くか」

 次の授業はゼミ。数ヶ月前のゼミ紹介を見て適当に選んだゼミだ。しかし、今にして思えば当たりのゼミだったのかもしれない。私立大学なので、基本的に一つのゼミあたりの人数が多いのだが、僕が選んだゼミは非常に少人数である。おかけで他ゼミに比べて自由度が高いので、自分の好きなことが出来るのだ。ま、他にも良かった点はあるけどね…

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかゼミ室の前に来た。咳払いをしてから、ドアノブの手をかけ、ゆっくりと開く。

 「こんにちはー」

 あいさつをしてゼミ室に入る。他の人はまだ授業中なのか、部屋の中には一人しか居なかった。大学生にしてはひどく小さく、幼く見えるその女性はふりむいて言った。

 「おお、星田。早いな」

 「神埼先輩こそ」

 いつも通りの小悪魔的な笑みを浮かべた彼女はククッと笑いながら僕に問いかけて来た。

 「そういえば星田。今日は君の発表だったな。質問攻めに遭う覚悟は出来ているのかな?」

 「うう…お手柔らかに頼みますよ。あなたが一番怖いんですから…」

 「さあ?それはわからないな」

 意地の悪そうな笑みを浮かべながら彼女は言った。

 「その件については、神サマにでも聞いてみたまえ」            (了)

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