今も昔も、恋のうた

秋月創苑

本編

「…玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の

 置きてし来れば この道の…」

 長い句を朗々と、古文担当の遠近とおちか先生が詠み上げている。

 遠近先生曰く夏の歌らしいが、今の季節は秋だ。窓外に広がる景色には、時折風に舞い散る枯れ葉が混じる。

 ヒュルリラー……そんな一節がメロディと共に頭を過るが、あれは春の歌だっけ。

 

 遠近先生はアラサー(オーバーの方)の独身女性だ。

 美人ではないが(失礼)、フレンドリーな先生なので、男子女子問わず人気者である。


「はい、これはかの有名な柿本・ヒト・マーロンの詠んだ歌ですが…」

「先生、ヒト・マーロンは無いと思います」

「先生、ヤクザ映画の見過ぎです」

「マーロン・ブランド様は関係ないのよ?!」

 大のゴッドファーザー好きで知られる先生の言葉に、まばらに笑い声が漏れる。

 どこまで素なのか分からないが、きっと退屈な授業を少しでも紛らわそうという有り難い心遣いに違いないのだ。

 …だと言うのに。

 先ほどより、隣の席から俺のことをガン見している彼女おバカがいる。

 そちらを向けば。

 

 俺、大久保純次の幼馴染みにして恋人である所のミス・ヤンデレ、大矢おおや芽留めるが妙に力の籠もった目で俺を凝視していた。

 窓際最後列という座席はこいつの為にあると言って良いだろう。

 黙っていれば正に深窓の令嬢。

 だがその本質は、ただのポンコツ彼女だ。

 一番クラスに迷惑掛けないこの場所こそ、彼女の為に有ると言っても過言ではない。

 そもそもお前、遠近先生の渾身のギャグをそんな目でスルーしないでやってくれよ。

 

 彫像のようにじっとしたまま、目だけが感情を物語っている。何か言いたいことがあるようだ。

「?」

 俺もアイコンタクトのつもりで、目で問い掛けてみる。まったく、見つめ合うと素直にお喋りできない、って訳でもあるまいに。

 だがアイコンタクトにはまだレベルが足りなかったようで、芽留の瞳にも俺と同じ『?』が浮かんだだけだった。

 尚も俺を見つめ続ける芽留に、声を出さず口の動きだけで「なに?」と問い掛けてみる。

 するとそれを待っていたかのように、芽留の口も動いた。

『ひ・ま』

 ……暇じゃねーだろ! 授業中だろ! ヒト・マーロンだろぉ!

 脱力し掛かりながらも俺は、左指で教科書を何度も指し示し、『集中しろ』とジェスチャーを送った。


***


 私の名前は大矢芽留。

 子供の頃から想い続けたジュン君と、中学の時に晴れて結ばれてからという物、片時も離れず二人こうして隣り合ってるの。

 ジュン君は時々私に焼き餅を妬かせたくて、他の女と仲良さそうに話したりするけど、基本的に私に優しいジェントル。ジュントル?

 とにかく、せっかく教室でもお隣同士だというのに、あんまり話せないのが納得いかないわ。

 万葉集だか百人一首だか知らないけど、そんなことより私には大事な物があるの。

 過去のラブより、今のラブでしょう?

 と、言うわけで私は自らの愛を実践する。

 この想い、届け! マイ・ラブ!

 私がずっと見つめていると、やっとジュン君がこっちを見てくれた。うふふ、やっぱりかっこいい。ちょっと目つき悪いとことか、グレートチャーミング。そういうタイトルでTV番組くらい作れるに違いない。

 あ、私を見ながら何か言ってる。

 声に出さずに口の動きだけで…ジュン君てば、可愛い。

 

『あ・い』?

「し・て!」はい、瞬間即答、あ・うんてヤツかしら。以心伝心、夫婦茶碗。

 んふー。ジュン君たら、授業中だって言うのに。大胆。

 ん? 何かジュン君が教科書を指差してる。何かしら。

 教科書のページに目を落とすと、『別れの歌』っていう見出し。

 ………………。

 ……どういうこと…かしら……。

 まさか……まさか…??

 

 ムキーッ! ムキーッ!

 誰なの!? 誰がジュン君を私から取り上げるの!?

 そんなの、絶対許さないんだから!

 絶対! 許さないんだから!

 私は二人で決めたサイン、今必殺のラブコールで返事することにする。

 絶対に別れてやったりしないんだから!


***


 集中しろよ、と教科書を指差したら、なんだか芽留が鼻息荒く興奮しだした。

 お前、そこまで勉強したくないのかよ!?

 この娘、将来が不安すぎる……。

 芽留さんよ、俺がお前を守ってやるからな…。もちろん、出来る範囲で、だが。手に余る分は一切、知らん。ちなみに最近はやや持て余し気味だ。


「はい、じゃあ248ページ、32行目から読んで貰うよー。」

 おっと、遠近先生が誰かを当てそうだ。

 おい芽留、集中しろ!

 芽留の方を振り返った俺は驚愕した。

 あまりの光景に、開いた口が塞がらない。

 何故か、芽留が激しく前後に頭を振っていたからだ。

 ブンブンと、音までしている。椅子と机も微かにカタカタ揺れていて、一人ジャムセッション……。

 なんで!? どうしたのこの子!? こわい!


 ……いや、待て。何かが引っ掛かる。

 まさか……。

 これ……。

 ヘッドバンキング5回点滅シェイキン……アイシテルのサイン…………。

 いつか冗談のつもりで盛り上がった、二人だけに通じるサインのいくつか。その中でもとびきりクレイジーなサインを、本当に使ってくるとは……。しかも、お前様、今授業中なんですが…。

 芽留、恐ろしい子。

 ほら見ろ、俺の隣で思いっきり船を漕いでた宝塚百合までがビックリして起きたじゃないか。

 芽留の方を見て、滅茶苦茶ビビってる。

 そりゃそうでしょうよ…。


 とにかく俺は、二人で決めたハンドサイン、手のひらを見せてから伏せる仕草で、落ち着け、と芽留に伝えた。

 激しいヘッドバンキングの末に髪は乱れ、目が幾分充血している様は、流石ミス・ヤンデレ……。彼氏としてはちっとも嬉しくないです。


***


 アイシテルのサインで徹底抗戦の意思を見せた私は、浮気相手の出方を窺う。

 驚いた表情のジュン君が、早速私にサインを返してきた。

 手のひらを向けて、伏せる。それから、胸に手を…。

『俺が、馬鹿、だった…?

 お前しか、いない…………!』

 ……。

 ジュン君!! 好き!!


***


 うお! 落ち着かせようと思ったのに、さらにヘドバンのスピードが上がったー!

 あ、百合が白目むいてる。

 落ち着け! 落ち着け!

 俺は必死に落ち着かせようと、両手でどうどう、と抑える素振りをする。

 もはやハンドサインていうよりただのジェスチャーだ。

 よもや古文の授業中にエクソシストの気分を味わうことになろうとは。聖書を持っていない事が悔やまれる。

 必死の思いで手を振っていると、緩やかに電池が切れるような勢いで芽留の身体が停止する。

 ようやく大人しくなったところで、俺は芽留の目をしっかり見つめながら、ゆっくりとサインを送る。

 えっと、たしかこうだっけ……?

「いいか、落ち着け。そして授業を受けろ」

 

***


 ちょっと、頭がクラクラする。若干、気持ち悪いし。

 少し、張り切り過ぎちゃったみたい。

 私をこんなに興奮させるなんて、ジュン君て罪な男。

 あら。ジュン君がまたサイン送ってきてる。

 しかも、あんなに情熱的な目で私を見て……! ……うっとり。

 えっと……?

『今夜は、月が、綺麗ですね?』……しっとり。

…ていうかまだ真っ昼間だけど、それは言わない方が良いのよね?

 今夜君と月見デートしたいってことかしら。かしらかしら。劇的な夜を迎えちゃうのかしら! お母様にお赤飯炊いて貰わなきゃ! …いえ、ここは韻を踏んで鯛の? ダメ落ち着いて、メル。韻の踏み時を間違ってはダメ。

 つまり夜は長いんだから、『SP体力だいじに温存』てことね?

 了解、私の勇者!


***


 ようやく通じたか……。

 ニッコリと、うっかり見蕩れてしまうような笑顔を見せ、芽留は教科書に向かった。

 たしか今は古文の授業中のはずだったのだが、何故だかもの凄く疲れた。

 思わずホッと息を吐き、俺も自分の教科書に目を落とした。

 うん? 暗い。

 

 見上げると遠近先生が直ぐ側に立ち、これまた気持ちの良い笑顔で、俺を見下ろしていた。

「大久保君? 古文の授業が退屈なのは分かるけど、だからって彼女とイチャつくのはどうかと思うのよ?」

 依然笑っているが、漏れ出てる殺気が本気で怖い。

 アラサー教師を怒らせるべきでは無いと、身をもって知ることになった。

 そして、芽留さんよ。頬を染めないでくれ。

 誰のせいでこんな目に合ってるんだよ…。

 

「全く。平和な時代で良かったわよね。

 罰として、次のとこ読みなさい。」

 教室中の失笑を受けながら、俺は時を遙かに遡り、都の恋を歌うのだった。

 いつの時代にもラブソング。せめて心穏やかに生きたいよ、ヒュルリラー。

 

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今も昔も、恋のうた 秋月創苑 @nobueasy

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