【女子プロレス小説】おまえに闘い続ける《覚悟》はあるのか?

ミッチー・ミツオカ

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「舞姫ちゃん、この業界に入って何年?」

「3年……です」

「3年かぁ。そろそろ腹括らなきゃいけない時期だな」

「何を…ですか?」

「このままこの商売を続けるか、もっと儲かる仕事へ転職するかって事よ。まぁ、あたいは辞めるタイミング逃しちまって現在に至る……ってワケだけどさ」

 ここは、とある地方都市の繁華街にある、ファミリーレストランの一番奥の席。

 プライベートな話はともかく、自分たち以外の第三者に《仕事》の話を聞かれたくないそんな時、あの人はいつも目立たない奥の席をオーダーする。

 傍目から見れば、妙齢の女性ふたりが愚痴を言い合っているように映るが、よく観察すれば肉体の各パーツが、一般の女性と比べて太くがっちりとしているのが分かるだろう。わたしたちの職業は――女子プロレスラーなのだ。


 腕を露出するノースリーブのシャツを着て、ハスキーボイスで話しているのはいつき利美りみ先輩。

この業界のトップである、老舗女子プロレス団体の創生期より活躍しており、幾度のリタイヤ期間を経て現在もフリーランスとして活動する、最古参女子レスラーのひとりである。そんな業界の大先輩と、食事を同席させて貰え且つ、貴重な《レクチャー》を拝聴させてもらえるというチャンスを頂いたのは、現在プロレスを始めて、ようやく3年が経過した一介の中堅選手であるこのわたし、黒崎舞姫くろさきまきだ。

「なぁ舞姫ちゃん。今後の身の振り方、もう決めたのか?」

「一応は……この世界で、もう少し頑張りたいと考えていますけど」 

「う~ん、今のままじゃなぁ……キツいわな」

 実は、わたしや樹先輩がお世話になっている女子プロレス団体が、次期シリーズをもって約5年間という短い歴史に幕を閉じることになった。わたしの人生の中で初めて体験する《組織の終わり》にかなり動揺しているが、樹先輩からすれば何度も経験している《当たり前の出来事》なので実にあっさりしたモノである。


 ―――客が入らなければ団体を解散クローズしなければならない。


 頭では分かっているつもりだが、なかなかその《現実》を素直に受け止めきれなかった。

「実はさ、この間オーナーと話をする機会があってさぁ……ムダ話をしばらくした後に、急に真顔でこう言われたんだ。『一人だけ《銭の取れるレスラー》に君が育てるのなら誰がいい?』って」

「……」

「所属選手の舞姫ちゃんには、多少耳の痛い話かもしれないが実際の所、ここの選手ってプロレスって《職業》を舐めている連中ばかりだ。自分の《役割》も実力も分からずに、業界のトップに立ちたいと思っているし、若手連中もプロレスラーの技術(スキル)も未習得なクセに、ビジュアルだけで人気が取れればそれでいい――なんて考えている。きっとオーナーはこのまま続けても駄目だと思ったんだろうな、きっと」

 確かに樹先輩のいう通りだった。彼女はここに《参戦》はしていても、団体には所属していないフリーランスの選手だから、ウチの内情は客観的かつ的確に見えている。わたしは下っ端なので自ら発言する事はないが、ここ最近の《仕事》の荒れっぷりや上の選手たちの《個人的》な争いには正直ウンザリしていた。

「それでオーナーの質問に、あたいはこう即答してやったさ、『黒崎舞姫です』って。彼女には素質があります、だからこの団体をクローズするまでに彼女を何処へ出しても飯を食っていける選手に育て上げますからって、そう言った。舞姫ちゃん迷惑か?」

 とんでもない!むしろこの偉大な《レスリングマスター》である大先輩に見込まれていたという事実だけでも感激モノだ。わたしは「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 樹先輩の話は続いた。

「……銭が取れる選手ってのはさ、容姿が優れていて観客たちが応援してあげたくなるタイプと、試合を自分で引っ張る事ができ、応援させる環境を作り出すことが出来るタイプとがあるよね? ただ容姿の方は歳と共に衰えていくので長期間の集客は望めない。だとしたらアンタが目指すところはただひとつ……」

「試合をメイキングできる選手……ですか?」

「そう。でもコッチも、イチから仕込むには手間も時間も掛かるから、ディフェンス・オフェンスの基礎技術がしっかりしていて、ある程度の試合経験があり――ここが重要だけど、この《仕事》に誇りと愛情を持っている選手が一番いいに決まっている。あたいの限り、この団体には舞姫ちゃんしかいない」

そういって彼女に指を突きつけられ、思わずわたしはドキっとしたし。

「……それでわたしはどうすれば」

「なぁに、舞姫ちゃんはガムシャラにあたいにぶつかっていけばいいさ、こっちで上手く《持ち上げて》やるよ。もう一ついい事教えてやろうか? プロレスってのはさぁ、対戦相手を輝かせる事の出来る、腕っ利きの選手がいなければ、決してオーバー売れるする事はないんだよ。……言いたい事分かるよね? つまり、この樹利美さまに見込まれたアンタは、絶対にプロレスという《商売》を続けなきゃならないって事」

 そう言うと樹先輩は、ガハハと笑って目の前の、中ジョッキいっぱいに注がれた生ビールを、喉を鳴らして旨そうに飲んだ。黙っていれば大した美人なのに……実に惜しい。

《聖地》後楽園ホールで行われる最終興行まで、今シリーズと次回の最終シリーズを合わせて、あと残り15戦、シングル・タッグマッチを合わせて、彼女と対戦する機会はそのうち10戦。果たしてわたしは彼女の期待に沿う事ができるのだろうか…?



 今夜の興行も、大盛況の中無事に終了し、巡業ロードの消化スケジュールも残り半分となった。

 わたしはそれまで、悪役ヒールらしさを少しでも出そうと金色にブリーチしていた髪の色を、地色である黒に戻してポニーテール風に髪を結い、そして目にはキツめのアイラインを入れてオリエンタルな感じを演出してみた。


 ―――見た目が少し変わるだけで、お客さんの目には新鮮に映るものさ


 樹先輩のアドバイスを受け、シリーズ開幕戦からリングコスチュームを含め全部変えてみたのだ。既に団体解散の情報を得ているマニアな客からは《決意の変身》と見られて妙なウケ方をするし、普段プロレスとは無縁な一般客からも『何だか毛色の違う選手』として受け取られ概ね好評だった。これが今まで通りに、中途半端な金髪を振り乱して狂ったようなラフファイトをしていたら、《ひと山幾ら》のヒールの一人としてしか見られなかっただろう。

 樹先輩はそんなわたしの《覚悟の表れ》に応えて、わたしたちの《闘い》を盛り上げてくれるアングル(ストーリー進行)を考えてくれた。

 外様でありながら、ヒール軍団のリーダーである樹利美の横暴に我慢が出来なくなり、団体を守るために反旗を翻し、たったひとりで彼女に立ち向かう《裏切者》黒崎舞姫――簡単に言うとこんな感じだ。

 これまで2試合目や3試合目のあたりを、ウロウロとしていたわたしの試合順も、当然、ビッグネームの樹先輩の《敵》であるために、メインイベントまたはセミファイナルへと自然と昇格した。

 これまで《お情け》でブーイングを貰っていた三流ヒールだったわたしが、大歓声を頂く立場へと変貌し少々戸惑ったが、観客たちの期待と《持ち上げて》下さっている樹先輩の期待を裏切らないよう、必死にやり切るしかない。

 今夜の試合は、わたしが樹先輩をあと一歩のところまで追いつめるが、勝ち星を取られたくないヒール軍団の乱入に逢い暴行を加えられた後、レフェリーの裁定によって辛うじて反則勝ちを拾う、という展開であった。

 パイプ椅子や拳で殴打され、ヘロヘロになってリングに這いつくばるわたしに向かって樹先輩がマイクで罵倒する。

「おぅ《裏切者》の黒崎よぉ、残念だったなぁ!! 見ての通りあたいはこんなにピンピンしてるぜ。だがお前はどうだ?……こんなんじゃ、あたいから勝ちを奪う事なんて夢のまた夢だよな? 寝言は寝てから言えって!! バ~カ」

 一気に《台詞》をまくし立てた後、マイクをマットに叩きつけ、配下の選手たちと控室へと意気揚々と帰っていく樹先輩。そして、襲撃時に負った傷の痛みで何も言い返せず、ただリング上で満場の観客に無言で頭を下げるだけのわたし。


―――今日もメインにふさわしい試合が出来ただろうか……?


 頭の中で、自問自答を幾度となく繰り返した。


 試合後の控室―――

 今夜の試合を終えて、帰りの身支度する所属選手たち。

彼女たちの表情や態度からは、やる気が全く感じられなかった。大会場ならともかく、こんな地方会場で一生懸命やるだけ無駄……そう考えているようだ。上の連中は携帯電話を掛けまくり他団体への売り込みに躍起だし、まだ《名前》に商品価値の付いていないキャリア2年未満の若手選手たちは、これを最後にプロレス界から足を洗おうと考えて、携帯サイトや転職雑誌等を見て次の職場を探している。

 つまりここにいる――わたしと樹先輩以外の選手たちの心には《プロレス》なんて既に存在しないのだ。

「舞姫ちゃん、おつかれ~!」

 ベビー(フェイス)側とヒール側とに、部屋の真ん中で仕切っているカーテンの向こうから、身支度を終えた六角先輩が現れた。


 ――――――!!


 わたしがいるベビー側の空気がさっと変わる。

 他の選手たちの視線が一瞬、樹先輩の方を向いたかと思うと、すぐさま嫉妬や憎悪……その他諸々の感情を含んだ視線でわたしを睨みつけた。

 樹先輩との抗争劇が始まってからというもの、わたしはこの団体において完全に孤立してしまっていた。だが、《抗争相手》である樹先輩はそんな事はお構いなしに、わたしに優しく接してくれる。まぁ一人ぐらい《実力行使》で関係をブチ壊そうとする輩がいてもいい気がするのだが、ここにいる諸先輩がたは最低一度は、試合中に樹先輩の《悪戯心》で繰り出した、シュート技の《餌食》になっているので、ヘタに手出しができないのだった。

「お疲れさまです、樹先輩」

「いやぁ、沸いたねぇ今日も。舞姫ちゃん顔立ちが美人系だから、痛めつけられてる姿がまたサマになる」

「……それ、褒めてます?」

「当然!セールスポイントがあるって事は重要よ。ヒールで中途半端に悪さしてた時と比べて、お客の反応はどう?」

「全然違います!……自分の試合が、ちゃんと見られているってのがハッキリと分かります」

「それはアンタが一生懸命にプロレスをやってるからだよ、あたいだけの手柄じゃない。あとは舞姫ちゃんが、この樹姐さんから《勝ち》を奪うだけか…期待してるよ」

 団体内で孤立するこの現状は正直辛いけど、今はそれ以上に樹先輩との試合をどうやって「よりよい作品」にするかで頭の中は一杯だった。

 会社の終焉が近づいている今頃になって、やっとプロレスラーとしての《やりがい》と《責任》を感じるようになったのはまったく皮肉な話である。



 所属したのは約3年、という短い期間であったが、プロレスラーとしてデビューさせて頂いたこの団体も、いよいよ今日が最後。シリーズでも本当の意味でも《最終戦》を迎えたのだ。

 会場の後楽園ホールには、定数の半分も客が入っていなかったが、旗揚げ当初からこの団体を応援してきた年季の入ったファンや、雑誌や口コミでわたしと樹先輩との抗争劇を知って、興味を持って見に来てくれた方ばかりで会場の雰囲気もすごくいい。

「……いい感じじゃないか。今日はお客さんに《乗せて》もらえそうだなぁ」

 通用口の片隅から、客席を覗いていた樹先輩がポツリと言った。

「最高のシチュエーションに最高の観客……全くもって、あたいたちの決着を着けるのには贅沢すぎる環境だ」

 シリーズ開幕戦より始まった、樹利美と黒崎舞姫との遺恨は、勝敗をイーブンにキープしたまま今日を迎えた。そして最終決着戦はメインイベント、しかもシングルマッチというこれ以上ない恵まれた環境だ。逆に言えば、誰一人としてわたしたちの《世界》に入ることができないので、一切誤魔化しが効かない厳しい環境ではある。

「樹先輩、今日こそは…」

「ふふっ、舞姫ちゃん燃えてるねぇ……好きなようにしな。但し黙ってやられる程、お姉さんは優しくないから覚悟しな」

 笑顔の中互いの拳同士を合わせ、試合の健闘を固く誓い合うわたしたち。


 無制限一本勝負で開始された、樹利美vs黒崎舞姫の遺恨精算マッチは、観客たちの期待通り……いやそれ以上に、熱く激しい闘いをリング上で繰り広げていた。両者共、決して一歩も引かない総力戦と化していたのだ。

 序盤戦の地味ながら激しいマットレスリングの攻防、ヒートアップしてからのハードヒッティングな打撃戦、全ての展開に於いてわたしは、樹先輩に負けまいと必死に食らいついた。最初の数戦は、自分自身がまだまだ未熟だったので、彼女にリードされて何とか《試合》の体裁を取り繕ってもらっていたが、今なら何の不安もない。それだけ樹先輩に鍛えてもらったという事だ。

 ガシッ!!

 息詰まる技の応酬に、客の集中力が途切れかかったのを見計らって、樹先輩が自身の必殺技・スリーパーホールドを繰り出した。見た目はいたって単純だが、される側からすると完全に極まればよくて降参タップアウト、最悪だと失神させられてしまう恐ろしいサブミッション・ホールド《拷問技》である。

 一瞬にして会場は悲鳴と歓声に包まれた。

 わたしは、彼女の腕の中で苦悶の表情を浮かべ、脱出への糸口を探しだそうとする。

 まだ腕のロックが完全ではない!

 一か八か、わたしは樹先輩を背負い投げの要領でマットに叩きつけた。

 その衝撃で、首に巻き付いていた彼女の腕が離れる。どうにか失神負けからは逃れられたようである。

 体勢を立て直したわたしたちは、再びスタンドの状態で向き合う。

 痛む背中を撫でながらも、まだ余裕十分の樹先輩。

 深呼吸して、体中に酸素を取り込みダメージの回復に努めるわたし。

 並々ならぬ緊張感と期待感に、観客たちの興奮はますます熱く激しく燃え上がる。

 ペロリと唇を舐め、樹先輩が嬉しそうな顔をしてこちらを見た。


 ―――いいねぇ、これだからプロレスは辞められないんだよなぁ


 そんな声が今にも聞こえてきそうだ。

 無論わたしもそうですよ、樹先輩。

 歓声が最高潮に達したその時、再びわたしたちは己の肉体同士を激突させた…!

 

 身体が無意識に――勝手に動く不思議な感覚。

 観客たちの声援に後押しされ、彼らの《期待》というリモートコントロール装置によって、動かされているような錯覚に陥った。

 だが、それだけではない。

 樹先輩の顔の表情や、手足の動きを瞬時に察知して、いま自分がどう動けばよいかが頭ではなく、身体で分かるようになったのだ。

 これも彼女と幾度となく対戦した賜物であろう。

 本当にいい師匠だこと……これで勝ちを奪えたらもっと最高なんだけどな。

「黒崎ぃ、後ろ!!」

 観客から声が掛かる。ちょっとした隙を見せた瞬間、わたしの背後に六角先輩が回り込んだのだ。

 きっと彼女は、再びスリーパーを仕掛けてくるはず。こんな大一番に、自分の必殺技を返されたまま終わるハズがない!

 わたしは、背中にビンビンと感じる彼女の気配を頼りに、サッカーでいうオーバーヘッドキックを頭部目掛けて叩き込んだ。

 蹴り足が見事にヒットし、ガクッと体勢を崩す樹先輩。どっと沸く観客たち。だがフォールを奪うには、まだ一手足りない。少しずつ、ダメージの回復に合わせて元の《樹利美》へと戻っていく……そうはさせないっ!

わたしは側頭部を射抜くような、速く鋭いハイキックを放った。

 足応えは確かにあった。しかし、それと同時に自分の足首にねじ切られそうな痛みが走る。何と、樹先輩は頭にキックを受けながらも、しっかりとわたしの足首を掴み、非可動方向に捻ったのだ。

 滅多に見せない樹先輩の《裏技》、アンクルホールドが極まった。ポジションはリング中央……最悪だ。

 キャンバスに爪を立て、痛みを堪え必死に脱出経路を頭の中で模索する。混乱する思考の中ではなかなか答えは見つからない。


 ―――どうしたら……このまま負けてしまうの?


 鳴り止まない歓声の中、自分の中で渦巻くマイナス思考を追い払い、とにかく活路を切り開くために空いている左足を使い、ガムシャラに彼女の身体を蹴り続けた。

 しかし、ノーガードでわたしのハイキックを受け止めた樹先輩が、平気でいられるはずがない。普段ならどんなに抵抗されようが、自ら技を解くような彼女ではないが、頭部に受けたダメージが大きくて足首を絞る力が徐々に弱くなった。そして技から逃れるために出し続けたキックのひとつが決定打となり、臀部からすとんと崩れ落ちる。

 目の焦点が定まらず、その場に四つん這いとなる樹先輩。チャンスは今しかないっ!

 わたしは素早く彼女の腕を取ると、ラ・マヒストラルの体勢で大柄な樹先輩の身体を丸め込む。だが彼女はそれを読んでいて、もう一度自らが回転し、この窮屈な体勢から脱出しようとする。

 にやり。

 予想通りの行動に思わず口元が緩む。このマヒストラルは次の動作に移るための《罠》なのだ。

 樹先輩が体勢を立て直すコンマ何秒の間に、死角に回り込みもう一度逆腕を取って丸め込み、逃げられないようしっかりと自分の身体を彼女に預け、今度はさらに深く樹先輩の身体を折り畳んでがっちりとフォールした。

本邦初披露の、連続での回転小包固め――自分の名を付けたフィニッシュホールド《ダンシングドール舞姫》がズバリと決まったのだ。

 レフェリーの手が三度マットを叩く。

 それを耳元で聞いた樹先輩は「やられた!」という表情をみせた。

 30分近い試合に終止符が打たれた途端、客席からは、これ以上ないくらいの大歓声と拍手が四方から飛び交った。

 はぁ、終わった……

彼女との全10戦においてタッグパートナーからの勝利や反則勝ちはあったが、文句の付けようのない完全勝利を奪えた事で、安堵の言葉が思わず口からこぼれる。

 あれっ、目から涙がぽろぽろと落ちてくる……?

 嬉し涙? いや、そんな単純なものじゃない。

 今まで何とも思わなかったけど、これで自分の所属した団体が最後かと思うと、センチメンタルな気分となり、自然と涙が溢れてきたのだ。

 《敗者》樹先輩がわたしに近付いて握手を求めてきた。わたしはバレないように急いで涙を拭き取ると、彼女の握手に応じ長い激闘の労を共にねぎらった。そして先輩がわたしの手を高々と上げ、自分を破った《勝者》を四方の観客たちにアピールする。ここでまた歓声のデシベルが大きく上がった。

「…舞姫ちゃん、よくやったね。これでお姉さんも思い残す事ないわ」

 樹先輩が、わたしにだけ聞こえるような小声で話しかけた。

「アンタは充分、あたいの期待に応えてくれた。だから今度は……舞姫ちゃんを必要としている人たちの期待に応えられるよう、頑張りな」

「い、樹先輩は?」

「もう身体のあちこちが悲鳴を上げていてさ……またしばらく《無期限の夏休み》ってところかな」

 そう言うと、樹先輩は観客たちに手を振りながら、先にリングを降り去っていった。

 自分では《引退》なんて言葉は使わなかったけれど、わたしにはこの先、どこかのリングで再び彼女と逢える気なんてまるでしなかった。花道を去っていく樹先輩の後ろ姿を見て、本能的にそう感じたのだ。


 ……こうしてメイン終了と共に、我が団体の約5年に及ぶ活動期間に幕が降りたのだった。果たして百花繚乱の日本女子プロレス界において、どれだけのインパクトを残せたのかは現在のわたしに知る由はないが、是非ともプロレス史の片隅には名前だけでも載ってほしいと思う。それがこの団体に関わった者としての正直な気持ちである。



 今でも時々考える。

 わたしは本当に、樹先輩の言うような《銭の取れるレスラー》になれたのだろうか?

 結果としては、団体消滅後もレスラーとして活動できているわけだから、なのかもしれないけれど、《黒崎舞姫》のネームバリューだけでは、大勢の客を呼べるまでには未だ至っていないので、半分成功・半分失敗といったところだろうか。

 あの試合の後、正直《無期限の休暇》を覚悟していたわたしだったが、マスコミ各社や他の団体関係者からすこぶる評判がよく、「是非ウチのリングで!」と試合のオファーが各団体から殺到したのだ。こんなわたしに《値打ち》を付けてくれたのだから、師匠・樹先輩には感謝してもしきれない。

 現在はどこの団体とも専属契約はせず、フリーランスとしていろんな団体にあがっている。

 これは樹先輩が以前に

「今はあまり《団体所属》に拘らずに、本当に自分を必要としてくれる所からお声が掛かるまでフリーでいろいろな団体でやって、自らの《商品価値》を高めていったらいい」

と、《フリーレスラーのすすめ》をアドバイスしていただいたからだ。

 プロレスラーとは、鞄ひとつあれば世界中どこでも行って稼ぐ事が出来る、たったひとつの職業。

 だからもっといろんな相手と試合がしたい。

 もっと自分の可能性を広げたい。

 今日も、そして明日も、自分の《道》を信じて、わたしは違う空の下、違う客の顔ぶれの中で闘っている事だろう……


                                     終

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【女子プロレス小説】おまえに闘い続ける《覚悟》はあるのか? ミッチー・ミツオカ @kazu1972

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