骨にまみれて無常を観る

矢野窮

骨にまみれて無常を観る

「この前の連休にね、親戚の結婚式に行って来たんだ」

「へえ、いいね」

「おや、孤高を旨とするゆみえちゃんも結婚願望あり?」

「ん……いや、冠婚葬祭に興味があって」

「ああ、そうだよね。知ってた」

 あははと高科三果が笑った。私、秋月ゆみえと同じ大学に通う友人である。人見知りの激しい私にとっては数少ない話し相手だ。

 今は三果と二人、大学の講義室でお昼ご飯を食べている。午後イチに受講する講義が同じなのだ。

「それでまあ結婚式も披露宴もつつがなく終わったんだ。それで次の日が法事だったのよ。結婚式に続けて法事。親戚一同集まってちょうど良いから。

 新郎新婦がどういう気持ちだったかは不明。聞いてみればよかった」

「あはは。遠方の人からすると効率的かもしれないね」

「弔い上げだったから、悲壮感も何もなくて、ただの親戚の集まりみたいなもんだったけどね」

「弔い上げかあ。故人の魂から個性は失われ、祖霊と一体となったわけだ」

 そうそう、と三果が頷いた。

 結婚式と法事か……。

「常々思っていたのだけど、嫁入りの行列と葬列って似てるよね」

 三果が思案顔になり、ややあって口を開く。

「大名行列は?」

「……似てない」

「有名店の行列は?」

「似てない」

「阿波踊りは?」

「えっ? どういうこと?」

「まあそれは後で調べてもらうとして、嫁入りと葬送はどの辺が似てる?」

「んー、粛々とした雰囲気とか……なんかみんな俯いて静かに歩いている雰囲気じゃない? あと、嫁入り道具の長持を担いでいる様子と、棺を担ぐ様子が似てるとか……」

 自分で言っていて、両者を並べるのもどうかと思って少しばつが悪くなる。

「ふうん。まあ、両方送るものなのは間違いないね」

「送る。そうか、そうだね」

 花嫁行列は生家から嫁ぎ先に花嫁を送る。昔はそれが今生の別れになることもあっただろう。送る側からすると、それは彼岸から此岸に送り出す感覚に近かったかもしれない。

 そして葬送行列はまた、言うまでもなく死者を送り出すのだ。こちらは文字通り彼岸から此岸へ。送り出すのは物理的には死者の肉体であり、観念的には死者の魂。受け側は……お墓であり、祖霊であるわけだな。

 講師が入ってきて黒板に何やら書き始める。私はそれを上の空で眺めている。


 今日の最後の講義が終わり、講義室を出た。七月も半ばであり、夕方前でも日差しが強い。もうすぐ夏休みで試験やレポートが続いているが、最後の一踏ん張りだ。暑さに辟易しながら校門の方へ歩いていると、知り合いの背中が見えた。

「千里さん」

「やあ、秋月さん」

 振り返ったのは学食で働いている千里さんという男性だ。以前、ひょんなことから知り合った。

「なんでそんなもの担いでるんですか」

 挨拶もそこそこにそんなことを聞いた。千里さんがショベルを担いでいたのだ。

「ちょっと借りてきた。そう、面白いものがあってさ。見る?」

 そういった後、千里さんは続けて「あるんじゃない、ないのかもしれない」とよくわからないことを言っている。

「何ですか? ちっとも面白そうな顔はしてませんけど」

 こっちこっちと促され、学食の裏に移動した。そこには物置などがあり、歩いてすぐのところにキャンパスの周りをぐるりと囲むように走る道路がある。

 その道路を横切ったところはもうキャンパスの隅にあたり、木がまばらに植えられている茂みが広がっている。

 ただ一箇所だけ人工的なのが、コンクリートで四角く切り取られたように設置されたゴミ捨て場である。そしてそのそばに、穴が掘られていた。直径は私が両腕で円を作ったくらい。深さは少なく見積もって一メートル……。

 あれ?

「ここって、いつぞや作った猫のお墓ですか」

「そう。もっともお墓を作ったわけではなく死体を埋めただけだけどね」

 それは承知の上の表現だ。

 死体を埋めた後に石を置くでもなく卒塔婆を立てるわけでもなく、私が手を合わせた当時は、ただの更地と変わらなかった(「雨の中龍伝説を知る」参照)。一年以上たった今、おそらく周囲と変わらない草むらになっていたことだろうが、先述の通り今はぽっかり穴が開いている。穴の横には掘り返されたであろう土が山になっていた。

「つまり誰かが掘り返して、猫の死体を取り出した?」

「そういうことだね」

 ぽっかりと空いた穴は光を吸収し黒々として、まるで彼岸と此岸を結ぶトンネル……違うな。上下の関係性なら黄泉の国への入り口といったところか。

「でもこの場所を知っているのってごく限られた人ですよね。っていうか私と千里さんだけですよね」

「かもねえ」

「私は自分がやったことじゃないと知っているから、犯人は千里さんですね?」

 ふん、と千里さんが鼻で笑った。

「生物学をやってる秋月さんの方が怪しい。おおかたネコの骨格標本でも欲しかったんでしょう」

「それは、興味がなくはないですね……」

 さて埋めるか、と千里さんが呟いた。

 秘密を知った私をですか? と一応言ってみたが、取り合ってもらえなかった。

「で、誰に喋ったの?」

「三果には話したし、特に口止めもしていないから、もはや誰が知っていてもおかしくないかも」

 ああそう、と千里さんが言って、ショベルを手に取った。

 土中に埋められた猫の死体は、一年間でどの程度分解が進むものなのだろう。

「九相図ってご存じですか?」

 いや知らない、とショベルを動かしながら千里さんが言う。

 手伝おうにも道具がないし、手伝うまでもなく穴には手際よく土が放り込まれていく。段々と穴が浅くなってくる。そう、お盆はもう少し先だ。まだこの世とあの世は繋がっていなくて良い。

「仏教の絵なんですけどね、例えば絶世の美女と言われた小野小町や檀林皇后を題材に、人が死んで骨なるまでを九段階に分けて書いているんですよ」

 野に打ち捨てられた女性の死体が腐敗し鳥獣に食い荒らされ、白骨化し、そして骨さえ跡形もなくなりつつある様子を九つの段階に分けて描かれたものだ。

「最初の場面は貴族らしい御簾や屏風のある部屋で、艶やかな着物を身にまとっているわけですよ。身分の高い女性ですよね。それが死んでしまえば生前の身分や栄華なんて関係なく、ただ朽ちていくだけ、そういう絵です」

 描かれた死体はまだ若い。髪は黒く顔に皺はなく。

 決して写実的ではない。よくある巻物に描かれる画風だ。それなのに、いや、それだからこそ、その描写の凄惨なこと。

 そこからは強烈な無常観が押し寄せてくる。変わらないものはないのだと、訴えかけてくる。

 今この瞬間だって、ミクロの視点や観念的な視点を持てば万物は刻一刻と移り変わっているはずだが、私のような凡人はやはりそれを意識することは難しい。人の死という分かりやすいものを題材とされて初めて、眩暈がするような無常観に襲われるのだ。

 むろん、「観」と付くからには、それは自分の身の内から発生するものであり、自分で発生させて自分で襲われているとなれば世話がないのだが、それはもう凡人の凡人たるゆえんである。

「やけに烏がうるさいですね」

 烏の鳴き声が耳に付く。木の上や、茂みの奥に烏が集まっているようだ。昼なお暗い、というほどでもない場所なのに薄気味悪さを感じる。

「千里さん、烏に餌付けなんてしてませんよね」

 するわけないでしょうが、と千里さんが答える。一年前猫の死体を埋めたときも、烏やその他動物に掘り返されたりしないよう深めに埋めたのだという。

「その他動物って?」

「んー、野犬とか」

「いやいや、このご時世そんなものいないでしょ」

「じゃあ飼い犬だな。散歩中の」

「それは……飼い主からしたら衝撃的ですね……」

「それが猫の死体ならまだマシかもねえ」

「犬だったら共食いですもんね」

「ああ……そっちもあるか」

「どういう意味……いや、いいです。わかりました」

 千里さんが穴を埋め終わり、腰を伸ばす。

「じゃあぼちぼち戻るか」

 二人で学食のほうへ足を向ける。

「猫の死体はどんな状態だったんだろ」

 そうだなあ、と千里さんが言う。

「野ざらしよりは地中に埋めた方が分解されるのに時間かかるだろうから、毛皮の大半は残り、脂肪や筋肉は大部分が腐って溶けて、骨がところどころ露出しているような状態かな」

「九相図なら三分の一くらいのところか……」

「伝統的に、墓を掘り返すっていうのはどういうとき?」

「えっ?」

「誰がなんのために掘り返したのか、ヒントになるかなと思ってさ」

「そうですねえ……。一度埋めた後掘り起こして、骨を洗って埋め直すっていう風習はありますね。洗骨っていうんですけど」

 日本では沖縄や奄美地方で見られた風習だという。土葬にした遺体が骨になる頃に掘り返し、海水やお酒で骨を洗うのだ。掘り起こした骨は当然骨だけきれいに残っている状態ではなく、頭蓋骨には毛髪が残り、色も全体的に黒ずんでいる。

 だからこそ丹念に洗うのだろう。一度は葬ったその人を、もう一度我が手で掘り返してきれいにして、葬り直す。頭骨を、大腿骨を、肋骨を、そしてどこの部位とも分からない細かく分かれた数々の骨を……。

 土中に埋めたときにはまだあった生前の面影も、骨となってはその人と認識するのも難しいだろう。でもその頭骨は紛れもなくその人のものであり、洗いながら、撫でながら、生前の思い出がまざまざと蘇るのだろう。

「そこまでしてあの猫を手厚く葬りたい人もいないでしょうけど……」

 ふうん、と千里さんが気のない返事をする。

「でも南方に限らず日本人は骨に思い入れがあるようですよ。万葉集の頃から挽歌っていうジャンルがあって、まあ、親しい人の死を悼む歌ですね」

 その中に骨を詠んだものが少なからずあるのだ。

「骨を撒く歌や、骨を拾う歌です」

「ほう。どんな歌?」

「ええと……」

 暗記はしていない。「それはですね……」

 ごまかすように言って何となく後ろを振り返ると、茂み奥の方に先ほどよりさらに烏が集まっているように見えた。


 千里さんと別れた後、大学の図書館に来た。もちろん件の挽歌を調べるためだ。

 いずれも万葉集の作者不詳の挽歌。


 ――鏡なす吾が見し君を阿婆の野の花橘の玉に拾いつ


 ――秋津野の人のかくれば朝撒きし君が思ほえて嘆きは止まず


 前者は橘の花を拾うように愛しい人の骨を拾い上げる情景であり、後者は骨を撒いたことを思い出す様子らしい。ものの本には、阿婆の野とは委細不詳であり、秋津野とは大和国か紀伊国の地名だとある。

 二つの歌が同じ習俗を下敷きにしているのであれば、火葬後に骨を拾い、別の場所に散骨したと解釈できる。

 火葬と考えられるのは、同時代の文献に火葬の記述があることや、他の挽歌に火葬の煙になぞらえたであろう煙や霞を題材にしたもの、もっと直接的には灰と言う言葉が出てくるものがあるからだ。

 火葬は燃料が必要となるため当時はそれなりの地位の者しかできなかっただろうが、風葬にしても最後に骨が残ることには変わりないだろう。

 かつて死体の風葬地だったとして名高い京都の鳥部野、化野、蓮台野の名前を思うと、阿婆の野も、秋津野も、葬送地だったのではないかと思える。


 そんな出来事を、三果とお茶をしながら話した。大学構内のカフェである。

「猫の骨ねえ……。そりゃまた偶然というか何というか……」

 三果の友人に、飼っていた猫が死んでしまい、大変沈んでいる子がいるという。

「その子から話聞いてるとさ、ペット専門の火葬場や墓地もあるんだって。場所によっては犬猫鳥に限らず爬虫類とか魚類とかも扱っているらしいよ」

 魚類……。

「や、焼き魚?」

「いい匂いしそうよね」

 魚の骨は食卓で見る分、どこか滑稽さが漂う気がしてしまうが、飼い主からすると大真面目なのだろう。

「……それはともかく、やっぱりペットでも骨にした後は、その骨を埋葬するのかな」

 そうなんじゃないの、と三果が言う。ペットを家族だと思うから人と同様の葬り方をしたくなるのでしょう、と。

「時代だねえ……」

 かつては人の死体ですら野に放り捨てられていたことを考えると、隔世の感がある。

「あなたは何時代の人なのよ」

「いやおっしゃる通り。あはは」

「その子はさあ、東北出身で、一人でこっち来てホームシックぽくなって、それで飼い始めたんだって。実家は大家族だったらしいしね。そんで、ちょっとした不注意で死なせちゃったって。ひどい落ち込みようだった。

 元々猫飼うときも去勢させることにすごく罪悪感あったって言ってて、今回は比べものにならないくらい自分を責めてるんだよね」

「立ち直るにはやっぱり儀式だよね。荼毘に付して埋葬して手を合わせて。やっぱり残った者のためのものだよね。こういうのは」

 しかしそうか、結局のところ荼毘に付して骨を拾うのと、土葬にして骨を掘り返すのは手段が違うだけでその後何らかの形で埋葬するという終着点は同じなんだ。

「あれ? さっき何て言った?」

「ん。何が?」

「……何だっけ」

 何かが頭に引っかかった。


 三果と別れた後の帰路の途中、物思いに耽る。結局さっきは何に引っかかったのか正体は分からずじまいだ。

 こんな時だからか、いつも通っている道の途中、特定の角度で顔を向けると、遠くのお寺らしき建物の、その塀の上に卒塔婆が何本も覗いているのに気づく。その下には当然墓石が並んでいるはずだ。

 あのお寺もお盆を控えて忙しいのだろうか。線香の煙がここまで届いているような気がして、大きく息を吸い込んだ。


 ――朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり


 日本の仏教はどこまで行っても無常観だ。

 私も頭に引っかかりを残したまま、この帰り道の途中、命を落とす可能性は十分にあるのだ。

 だからきちんと生きなければというところに結びつけるのはやはり凡人なのだろう。ただ無常なのだ。世界はそうできているだけのことなのだ。

 あの人と一緒のお墓に入りたい、葬式はしなくていい、骨は海に撒いて欲しい……等々、世の人が自分が死んだ後のことを考えるというのは、どういう心理だろうか。

 死んだ自分はその後のことなど認識する術もなく、そもそも認識する主体がなくなっているはずで、とてもナンセンスに思える。

 自分の魂が残り、その後もこの世を観察するという発想は、確かに文学的にはロマンチックだとは思うけれど……。


 学校の図書館を出たところで、盆踊りを踊っている集団が目に付いた。図書館前はちょっとした広場になっていて、そこで踊っているのだ。

 我が校には盆踊りサークルでもあるのだろうか。もしくはダンスサークルみたいな集団かもしれない。ちょうどこの時期だから盆踊りなのかも。

 輪っかになってぐるぐると、死者を迎えるのか送り出すのか慰撫するのか、暑い中一心に踊っている彼らを見ていると、確かに信仰的な側面がひ

しひしと感じられる。

「これどうぞー」

 法被を着た人がチラシを差し出してきた。思わず受け取り、チラシに目を落とした。

「盆踊りのイベントやるんですよお。一緒に踊ってもいいし、見てるだけでもいいし。出店もたくさんありますよ――」

 いろいろと喋ってくれているが、私は人見知りっぷりを存分に発揮し、チラシを見ながら「はあ」とか「へえ」とか言って頷くのが精一杯だ。

 つまるところ学生主催の夏祭りみたいなもののようだ。そして主催は――チラシに書いてある文字を呟くように読み上げる。

「盆踊りサークル……」

「お、興味ありますかあ? 随時入会受け付けてますよー。連絡先はここに書いてある――」

 相手が一息ついて私の反応を待っている様子になったのを見計らって、気になったことを聞いてみる。

「……やっぱり死者を送り迎えすることに皆さん興味あるんですか?」

「はい?」

 何とも気まずい沈黙が流れた。すみません何でもないですと口の中でもごもごと言ってその場を離れた。

 チラシには踊る阿呆と見る阿呆――と有名なフレーズが書かれていた。踊るどころか見もしない私は人でなしレベルだろう。

 目の前にいた人が話しかけてきた。

「どうした? 喉に魚の小骨が刺さって取れないような顔をして」

「……何ですかその譬え」

 いつの間にか千里さんがそばに立っていたのだった。ちなみに学食も広場に隣接している。

「引っかかってるのは、喉じゃなくて頭です」

「頭に小骨が?」

「私は頭に口がある妖怪ですか」

 二口女という名前だったかな?

「まあいいや。落雁が余ってるんだけど、食べる?」

 余るほど仕入れるものなのだろうか。落雁って。

「ああ、お盆らしくていいですね」

 お言葉に甘えて、閉店後の学食にお邪魔することにした。こんな風に時々お茶をさせてもらっている。


 お皿に出されたのは手の平ほどの大きさの、蓮の花を象った落雁だった。白とピンクのグラデーションがきれいだ。

「これ本当にお供え用の落雁じゃないですか」

「好きでしょ?」

「まあ……」

 正直なところスーパーで売られているのを見かけるだけでちょっとテンションが上がる。夏の風物詩だ。

 千里さんがお皿を揺らすと、立体パズルのピースのように蓮の花がいくつかに分かれていった。食べやすいようにという気遣いだろう。ありがとうございます。

「で、何に引っかかってるって?」

「何に引っかかってるかが分からないんですよねえ……。それがさらに引っかかるというか」

 落雁のかけらを一つ摘み、口に含む。ボリボリりという堅い食感とともに圧倒される甘さが口の中で溶けて広がる。

 ボリッ。

 落雁を噛み砕く衝撃が顎から頭骨に響いてくる。

 ボリ。

 ああ、これは、まるで……。

「骨をかじっているような……」

「骨食べたことあるんだ」

「ないですよ……。いや、ないこともないか」

 魚の骨とか。

「千里さん、骨こぶりとか骨噛みって知ってますか?」

「いや、知らない」

「遺骨をね、かじるんです。そういう風習が驚くなかれ、日本にもあったみたいなのです」

 そんなことを言いながら落雁を食べる私を千里さんは妖怪と鉢合わせしたかのような顔で眺めている。

「で、何に引っかかってるって?」

「だからそれが分からないんですってば。三果との会話のどこかだとは思うんですけど……」

 この前の三果との会話を思い出しながら、要所要所を千里さんに話してみるが、やはり分からないままだった。


 今日の最後の講義は英語だった。一冊の英語の本を、一人一段落ずつ順番に訳していくだけの講義。学生は数十人いるので、自分の番が回ってくるのは何週間かに一回程度だ。したがって大体は講義中ぼーっとしていられる。しかも試験はなく、出席しているだけで単位をもらえる、とてもとてもありがたい講義だ。

 今日は自分の番は回ってこない日だったので、手元の電子辞書で墓やら骨やら、講義の内容と関係ない単語を調べて遊んでいた。

 骨はbone。ローマ字で読んだらホネならぬボネか……。盆踊りで骨を持って踊ったらbone踊り、とか。

 そんなくだらないことを考えているうちに講義は終わった。

 この後は三果とお茶をする約束をしている。先にカフェに行ってアイスティーを飲んでいると三果がやってきた。どことなく浮かない顔をしている。

「おや、頭に小骨の刺さった人がもう一人」

「何それ」

「何か気になることでもあるのかなって」

「いやー、良くぞ聞いてくれた」

 三果が浮かない顔のまま喋り出す。

「この前話した、猫を亡くした子なんだけどね、この前会ったらだいぶペットロスから立ち直ってたんだ。ずいぶんすっきりした顔でさ」

 その子のすっきりした分が移ったかのように三果はすっきりしない顔をしている。

「それでね、私のおかげで良い弔い方ができたと、そう言うんだよ」

「ほう……良い弔い方とは気になる」

「うん。それで私は何のことか分からないから聞くんだけど、曖昧に濁されたんだよね。

 あげくに彼女は晴れ晴れとした顔でお盆は地元に帰ると楽しそうに言って去っていきやがった」

「ははは……」

 三果の恨めしそうな調子に苦笑で応えた。

 地元で家族や友人と過ごすのだろうか。実家から通っている私には地元に帰るのが楽しみというのは縁のない情感だ。代々住んでいる土地というわけでもないので、お盆に何をするでもない。

 その三果の友人は地元で地方色あふれたお盆の風習でもあるのかもしれない。

「あ……」

 グラスとストローを持って口元に運ぼうとしていた手が止まる。

「どうしたの」

「東北だっけ? その子の地元」

「そうだよ。山形だったかな」

「ほう……」

 小骨が取れた。



 一枚の絵馬がある。

 絵馬と言っても神社の境内に吊るされる横長の五角形のものではない。

 長方形の額に入った、画用紙ほどの大きさの絵だ。

 描かれているのは中心に和装の男女。

 そしてその脇に、二人を見守る数人の人。

 中心にいる男性は紋付羽織袴を着ている。

 女性は色打掛に髷を結い、角隠しを着けている。

 婚礼の様子である。

 周りで見守る人たちは親族であり、


 遺族だ。



「ベーコン?」

 違います、と千里さんに対して言下に否定する。

「冥婚です。英語では ghost marriiage」

 東北の一部、特に山形で見られる風習で、多くは未婚の子を亡くした親が奉納するものである。古い絵馬の日付からは少なくとも明治期にはその風習があったことがわかっている。

 将来家長となるべき長子が亡くなった場合、他の子供が家を次ぐ局面で長子の祟りを恐れて疑似的に結婚させるという動機があったようだ。

 あるいは、子を生さずに亡くなった者の魂は、それを祭る子孫がいないことから祖霊となれず、祟りを為すといった思想からきているケースもある。

 婚礼を意味する方言から、ムカサリ絵馬と呼ばれる。

 同じ絵馬で言うと、口減らしに嬰児を殺す場面を書いた間引き絵馬が想起される。その別名を子返し絵馬というように、小さいうちは子供は神の領域にいるものであり、殺すのではなく返すのだという価値観がある。

 その価値観を引き継いでいるのであれば、祟りを恐れてムカサリ絵馬を奉納するという、死者を悼む気持ちをあまり感じられない動機もしっくりくる。

 でも……。

「少なくとも近現代に奉納されるのは、やっぱり親心でしょうねえ……。もっともそこには、結婚してやっと一人前という考えも透けて見えますが」

 ふうん、と千里さんが相槌を打つ。

「結婚というものに重きを置かない人が増えると今後は廃れていくかもしれないね。

 とは言え奉納するのは主には結婚して子供ができて、亡くした人だろうから、急には減らないだろうけど」

「そうですねえ」

「で、そのペットを亡くした子が例の猫の死体を掘り返して煮て骨だけにして、自分の猫の骨と合葬したと」

「いやいや、煮てなんて言ってませんよ」

 急に陰惨な話になって、少し焦る。

「ああ、そう……。この前ゴミ捨て場の奥の方で烏がうるさかったからさ」

「えっ……あれってそういうことですか?」

「さあね。確かめたわけじゃないし確かめたいとも思わない」

「おう……」

 それは確かにわざわざ確かめたくはない。

「その子は、高科さんから結婚式と法事の話を聞いたのかもしれないね。それで出身地の風習がふと思い出されたと。

 そしてきっとこれも高科さんから聞いたんだろうけど、お誂え向きに雌の猫の死体があることも知っていた。

 それから……そう、去勢への罪悪感も、つがいで葬ることで解消されて一石二鳥というわけだ」

 ふん、と千里さんが鼻を鳴らした。

「何か不満そうですね」

「これでペットの猫の方が浮かばれるのなら、掘り返された方の猫についてはどう考えているのやら」

「おや……」

 意外なコメント、と言いかけた私の言葉を遮るように、千里さんが「先に言っとくけど」と釘を差してきた。

「死んだ猫の気持ちを慮っているわけではないからね」

「だと思いました」

「そんなことのために肉体労働させられたか……」

 千里さんが不満そうに遠い目をする。

 そこですか、と言いながらつられて外に視線を向けると、今日も盆踊りサークルの人たちが踊っているのが目に入った。

「あ、もういっこ引っかかってることがあった。阿波踊りがよく分からなかったんだ」

「阿波踊り?」

 千里さんが私の方に視線を戻す。

「行列がどうという話をしていたときに三果が阿波踊りを挙げたんですけどね。何のことやらという……」

「その文脈なら阿波踊りも行列ってことでしょ。大通りを踊りながら練り歩くという映像を見たことがある気がする。一方、ごく一般的な、と言っていいのかな? 普通の盆踊りを想像すると、櫓を中心に輪になって踊っていると思われる」

「ああ、なるほど……。輪になって踊っている人達をさっきから見ている気がしますね」

 踊らにゃ損々、か。損と言われて素直に踊るつもりはないけれど、盆踊りを見に行くのもいいかもしれないな、と思った。

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