第12話 -嫌味な男ー

 ドクターブラドの研究室は、研究塔すべてを使って存在していた。

研究塔といっても、医療塔をも兼ねており病人などは嫌でもここへ行くことになる。

三メートルの分厚いコンクリートや鋼鉄の壁、シェルターとなっている地下なんかもあることからもしコグレが爆撃されることがあってもここだけは残るともっぱら評判の場所だ。

 もちろん、これはブラド自身の要望であり変なところに金をかけさせたブラドへの皮肉でもある。

ここはいつでも整備され綺麗だというのに、港付近の軍施設はボロボロだったりするのだ。

医療塔の役目も兼ねているから仕方ないが年々膨らむ整備費にはマックスも頭を痛めているという。

 乾ドッグから出てとりあえず研究塔玄関へとたどり着いた蒼は足を止めた。


「場所どこでしたっけ……」


 そういえばさっき、ゴミ箱へ投げてしまっていましたからね、入りませんでしたし。

五分前の自分の行動を思い出し舌打ちした。

また元の場所に戻るのも億劫な蒼は目をつぶり、《ネメシエル》へとコンタクトを取った。

 少し、力の無駄遣いをしようと思ったのだ。


(――どうした蒼副長)


話しかけてしばらくすると反応が返ってきた。

寝起きのような眠たさを含んだ女性の声が頭の中に響く。

明らかに自分の声と似ていて、そこらへん少し複雑な気分だ。

ずっと前から思っていたことをぶちまける。


「“パンソロジーレーダー”起動。

 医務室の場所を探し出してください」


戦闘中っぽく、口調をきりっとさせて命令した。


(……はぁ?)


意味が分からない命令だ、と言わんばかりに《ネメシエル》は疑問を口にした。

ここまでは予想済み、畳みかける。


「第A級緊急任務です。

 場所が不明なので、あなたの力を借りたいのです」


「はやく」と付け足して《ネメシエル》からの返答を待つ。


(ふむ、そういうことか。

 しばらく待ってくれ。

 “パンソロジーレーダー”起動。

 コグレ基地をサーチ開始)


 これで大丈夫ですね。

きっと《ネメシエル》が場所を見つけて私に報告してくれるはずです。

蒼は満足そうに頷くと壁にぶら下がった缶からチョコをひとつ摘まみだした。

少し熱で溶けているが味に変わりはないだろう。

ブラドのところに向かう際、春秋に預けた自分の缶のチョコを消費するのはなぜか気が引けた。

 せっかく任務成功で貰ったのだからとにかく大事に食べたかった。

 今の蒼ならその缶のチョコを食べられただけで《ネメシエル》を起動してしまってもおかしくない筈だ。


「できるだけ早くお願いしますね」


一つチョコを口の中に入れ甘さを存分に味わう。

少し痛む頭にチョコのだるい甘さが心地いい。


(そう急かすな。

 ん、あったあった。

 えっと、その廊下をまっすぐ行ったところに階段があるはずだ。

 二つ下に下がって……)


「ちょ、ちょっと待ってくださいね」


 蒼は《ネメシエル》の言葉を押しとどめ、歩き出した。

先にだーっと教えられても途中で記憶がこんがらがり、結局分からなくなる。

まして蒼は疲れているのだから、だーっと言われたところで絶対に分からなくなる自信があった。


(その階段だ)


綺麗に整備され錆び一つない手すりに捕まりつつ階段を下る。

 途中何人かの兵士が、トレーニングだろうか。

踊り場からとんとんと順調に階段を降りていると上半身ほぼ裸の状態で階段の上り下りを繰り返している場面に出くわし、足が凍ってしまった。


「え……あ、え?」


当然、初心(うぶ)な蒼はそれだけで顔を赤くしてうつむく。

男性の上半身なんて見たことがない。


「ちわっす、蒼さん!」


「こんちゃーす!!」


元気な挨拶と共に駆け抜けてゆく兵士に蚊の鳴くような声で返事を返す。


「こ、こんちわーっす……」


「こんちわぁーす!!」


自分の声の何倍もの声量が返ってきて戸惑うやら恥ずかしいやらで蒼は壁に体を任せた。


「はぁ……」


 頭を押さえ赤い顔を壁に当てて冷やす。

コンクリートの壁は熱い蒼のほっぺたをやさしく冷ましてくれた。

しばらくじっとしていると《ネメシエル》から念押しの通信が入ってくる。


(さっきも言ったが二つ下の階だからな。

 もう一回言っておくが)


 案の定、空気を読まない《ネメシエル》の通信。

壁から離れると


「あー、二回も言わなくていいです。

 きちん分かっています」


頭の中で戦艦と喧嘩しながら階段を一歩、一歩降りて行った。

 しかし本当に綺麗な建物ですね……。

ボロボロの港と比べて隅々まで整備の行き届いた研究塔は蒼にとってあまり居心地がよくなかった。

私はこんなところよりもドッグの方がいいです。

入院だけはしないでおこう、と心に決める。

二つ下の階にたどり着くと《ネメシエル》からの指令を促した。


(えーっと、目の前の通路を右だ。

 あとはそのまま、まっすぐでたどり着くだろう)


 蒼はちらっと踊り場から先を見て小さく鼻を鳴らした。

いかにも医務室といった雰囲気を醸し出している扉が存在していた。

廊下に漂う、消毒液の香りと窓から入ってくる光が死の匂いを微かに出しており思わず顔をしかめる。

 やっぱり私はこういうところを好きになれません。

どこか雰囲気が“家”に似ているからだろう。

進まない足をしかりつけ


「はぁ……。

 行くしかないですよね」


服にへばりついたゴミを取って壁に手をつき少し考える。

別に私は異常はないんですよね。

《アウドルルス》と強制接続しただけで。

ということは別に大丈夫だと思うんです。

自己分析してみましたが絶対に大丈夫です。

じゃあ別にブラドのところへ行かなくてもいいんじゃないでしょうか。

よし、帰りましょう。

そうしましょう。

 くるりと踵を返した蒼の肩を


「蒼ちゃんか。

 待ってたよ」


ぽんと、後ろから叩く人がいた。

どきっとしながら振り返った蒼の視界にはメガネをかけて微笑むお兄さんがいた。


「は、はいっ!」


 お兄さんの服から漂ってくる独特の匂いが鼻に入り込んできて脳にこびりつく。

壁からにょっきり生えたパイプがぎらっと日光を照り返しお兄さんのメガネを光らせた。

一歩後ろに引こうとしたが壁が邪魔をする。

もうここまで来たらしかたない、と覚悟を決める。


「じゃあ、行こうか。

 んーと、“修復検査”でいいんだよね?」


 お兄さんは手に持った紙をぱらぱらとめくり蒼を頭から足までじっくりと見てきた。

まるで品定めをしているかのような目つき。

良品か不良品といったような。

意図に気が付いてしまったため、蒼は無意識にお兄さんから目をそらし天井のパイプを見ることに集中することにする。

 長いパイプをたどっているうちに一部白いペンキが剥がれているところを発見する。

外見はきれいでも中は汚い。

まるでこの研究塔の人間を示唆しているようだった。


「ふーん。

 見られることに羞恥を覚えるのか。

 “核生成開発局”もいい仕事をするようになったなぁ」


 “核生成開発局”はベルカの技術開発島のほぼ半分の面積を占める巨大研究所の総称である。

日常品に使われる技術から《ネメシエル》をはじめとする兵器まで手広く担当している国営研究所だ。

いわゆるベルカの技術がたっぷり詰まった場所。

蒼達“核”もここで生まれ、そして戦場へと送り出される。

“核”達の間では、専ら“家”と呼ばれ、あまりいい記憶が残っていない場所として扱われる。

その悪評はある基地の司令が冗談で核に「“家”に戻すぞ」と言うだけで、泣き出すものが出るほどのものだ。

 だが、蒼には“家”に関する悪い記憶があまりなかった。

蒼が“家”に関する頭に浮かぶ光景は、やさしかった父とも言える空月博士のことだけ。

“超極兵器級”専用の“核”としてつくられたからでしょうか。

蒼はいつもそう納得することにしている。

他の“核”と違うのは少し寂しかったからだ。

もっとも他の“核”とは“家”の話はしないため触れることもないが。


「まぁ、とりあえず中へ。

 マックス司令からの命令はほぼ絶対だからね。

 メンテナンスは兵器には必需だし――」


さっそくの“部品”扱いだった。

フェンリアさんの言った通りですか。

兵器はどこまで行っても兵器っていうのがあなた達の見解ですか。

口には出さない蒼の心境がぐるぐるとまわる。


「ブラド師匠、ブラド師匠。

 来ましたよー」


 鋼鉄製の鍵付きのドアをお兄さんが開くと、消毒液と薬品の入り混じった匂いが一層強まって流れてきた。


「さ、入って」


お兄さんに背中を押され蒼は一歩を踏み出し、身を部屋の中に押し込んだ。

 部屋の中は本が高く積み上げられぐちゃぐちゃになっていた。

光に当たるとダメになる薬品が多いのだろうか。

電気は天井から吊るされた電球一つだけだった。

薄暗いからこそ躓かないように整理されているんでしょうか。

足元は真っ暗で一歩歩くだけでも、何かを踏みつぶしてしまいそうな恐怖に駆られる。

部屋の真ん中には大きな機械類が並び、その機械の脇に机が申し訳ないように置かれていた。

机の前にはいかにも部屋の主と言わんばかりの男が座っている。

背中しか見えないが流れ出す狂気のオーラが蒼を近づけまいとしているようだった。


「空月・N・蒼……ねぇ。

 よく来たねぇ“部品”ちゃん?」


 くるりと回るタイプの椅子に座っていた男はカリカリとペンを動かす手を止め蒼の方を向いた。

やはり、会議室で感じた生理的嫌悪感は消えそうになかった。

だって、あっちから喧嘩を売ってきてるんじゃありませんか。

許されるなら《ネメシエル》で消し去りたい人物リストの一番上にブラドは位置していた。


「彼がブラドだよ。

 すごい人なんだ。

 俺達研究員のあこがれの人なんだよ」


 お兄さんはブラドに深々とお辞儀して、蒼に説明してくれた。

蒼はお兄さんの行動を眺めるとブラドの方に目を移す。


「やあ“部品”ちゃん。

 はじめてじゃないよな?

 会議の時にあったもんね?

 私の名前はブラド。

 フール・ブラドだ。

 なんか長ったらしい肩書がついてるけど、きっと君には関係ないだろうから言わないでおくよ」


 細いフレームのメガネの奥には感情が読み取れない細い目。

顎も尖っていて中々に気味が悪い。

にたにたと蒼を笑っている口は常人よりも少し大きく、それが気味の悪さを助長していた。

贅肉のついてなさそうな痩せこけた体に潔癖症のような白い白衣を着ている。

白衣の下には黒いシャツとスラックスが見え隠れしていた。

赤色と茶色を混ぜた濁り気味の長い髪の毛を無造作に頭の後ろでくくっている。

 蒼は明らかにこっちをバカにしている態度に苛立ちを感じた。

早く終わらせて帰りましょう。

今すぐに《ネメシエル》の兵装を解放してこいつをめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られたが何とか踏みとどまる。


「私は――」


蒼の自己紹介をブラドは人差し指を立てて止めた。

どうして止めたのか、というお兄さんの視線に答えるように


「あー、別にいい。

 私の頭の中には君のことを覚えるほどの余裕がないから」


にたっと笑ったブラドは悪魔のようだった。

 再び増加した苛立ちを蒼はぎゅっと拳を握ることで抑え込む。


「じゃあ早速だけど“部品”ちゃんのメンテナンスはじめようか。

 えっと、“修復検査”だっけ?」


「そうです、ブラド師匠」


ブラドは蒼にこっちに来るようにちょいちょいと手招きした。

まるで近づいたらとって食われそうな雰囲気に少したじろぐ。


「さあ、行くんだよ蒼ちゃん」


「え、は、はい……」


 またまたお兄さんに背中を押され、蒼はブラドの前に置かれた椅子に腰かけた。

司令室や会議室に置いてあったのとはまた別で新品の代物だった。

蒼は新品なのに埃のつもった椅子に腰かけると深く息を吐いた。

いったいこれから何をされるのかがすごく心肺だった。


「違う違う。

 もう、“部品”を調べるのにどうして聴診器がいると思うんだ?

 こっちだよ」


ブラドは、首を何度か振ると両手を上へあげた。

 若干大げさなそぶりにまた蒼のイライラメーターのメモリが増えていく。

大げさなそぶりの後、ブラドが指差した先にあるのはまるでベッドのようなもの。

 たくさんのメモリや機器がついている以外はいたって普通の代物だ。

蒼の記憶によれば頭にヘルメットみたいなのをつけて寝るだけで心拍数やらなんやらを一気にたたき出してくるもので名前は“瞬間計測核専用診断台”だった。

蒼達“核”は現在、兵器として普通に運用されているがまだ謎は多い。

ベースとなっているのは人間であり、何が起こるのかまだ分からないケースが多数あるのだ。

しかし兵器だから当然メンテナンスも必要となる。

そんな時聴診器やらなんやらを当てていたらきりがない。

“整備士”をできるだけ楽にする、という目的で“瞬間計測核専用診断台”は作られた。


「はい、寝て。

 頭にこれつけて」


 蒼にぽいっとブラドはヘルメットのようなものを投げてよこした。

少し透明なヘルメットにたくさんの配線がねじ込まれている。

手に持った感じ思った以上に重い。

蒼は軍帽を脱いで机の上に置くと、ヘルメットを頭にかぶせた。


「で……えーっと?

 ああ、《アウドルルス》との強制接続による“レリエルシステム”の傷みの修復だっけか。

 やれやれ、面倒くさい」


 対象となる患者が目の前にいるというのに、あからさまなため息をつくブラド。

いったい、何なんでしょうかこの人は。

二度とこんなところに来てたまるか、と心に刻み込む。


「早く寝てよ。

 “修理”ができないだろう?」


 ヘルメットをつけて、どうすればいいのか分からずに佇む蒼にお兄さんが指示を出してきた。

あなたもブラドと同類ですよ。

“修理”という単語を使ったお兄さんを蒼は鋭く睨みつけた。


「はいはい“部品”ちゃん。

 早くしてよ。

 《ネメシエル》だか何だか分からないけど機械の面倒を見せられるこっちの身にもなってほしいもんだね。

 なんなら特殊手当をもらいたいぐらいだ」


 ブラドは蒼に一切の視線を向けずに一息でこれだけの文句を叩きつけてきた。

明らかに喧嘩を売っている。

確信事項だ。

 イライラが一周して逆に冷静になった蒼はおとなしく指示に従うことにした。

敵に回すと面倒であり、なおかつ修復して貰えるのが今のところブラドしかいないと判断したからだ。


「はい、大人しくして」


靴を脱いでベッドに横たわると強化ガラスのシャッターが蒼を包み込んだ。

床から鋼鉄の輪が現れ蒼の手足を固定する。

こんなことしなくても逃げるわけないというのに。


「はい、聞こえるね?

 いいか、動くなよ。

 今から診断を始めるから」


 ヘルメットにスピーカーでもついているのだろうか。

ガラスの向こうで口パクでしゃべっているブラドの声が耳元で聞こえた。

たちまち現れた鳥肌を抑える間もなく


「損害箇所の修復をはじめる」


とブラドがしゃべり蒼は目をつぶった。

 すぐに睡眠ガスが出てきて眠気が襲ってくるだろう。

紫色に着色されたガスを見ないようにして蒼は胸いっぱいにガスを吸い込んだ。

ブラドの顔を見るよりもガスで眠る方がずっとましです。

たちまち眠気が瞼を引きずりおろし蒼を眠りへと引き込んでいった。






          ※






「AT20ナクナニアニューロと……?

 あとどこだ?」


「BG54です、師匠」


「ん。

 それとTR~DE78までか。

 結構無理したみたいだねぇこの“部品”ちゃんは。

 治す私達の苦労も考えてほしいもんだね」


「《アウドルルス》であそこまでやったらしいですからね。

 さすがは《超極兵器級》の“核”と言ったところでしょうか」


「……はいDE78まで修復完了。

 ナクナニアニューロ通電は大丈夫か?」


「通電確認。

 二百ヶ所の修復終わりです」


「あー腰が痛い。

 じゃあ意識を戻してもらおうか。

 睡眠ガス排出開始」


「排出確認。

 すぐに目を覚ましますよ」


 薄い意識にブラドとお兄さんの声だけが響いていた。

眠気が晴れない頭がぼんやりと意識を呼び起こしてゆく。

うっすら目を開けるとひとつ大きなあくびが出た。


「やれやれ、“部品”は気楽なもんだ。

 治すのは我々だからって」


「まぁそう言わずに師匠」


 蒼が目を覚ましたのを確認したブラドはベッドの横にあるスイッチを押した。

ゆっくりと強化ガラスの蓋が開いていく。

モーターの静かな音と共に手足を拘束する器具が外れた。

ガラスの蓋完全に開くと、蒼はゆっくりと体を起こす。


「やあ、お目覚めいかがですか、《超極兵器》さん?」


にたにたとあいからわず気味の悪い笑みを浮かべるブラドの横でお兄さんは紙にペンを滑らせている。

ボールペンが紙をこする静かな音だけが部屋の中の音すべてだった。

ブラドの問いには答えず蒼はベッドから足をおろした。


「大変お元気なようだな。

 はい、“修理”終わり。

 マックス司令に報告しといてくれ」


「はい、師匠」


 蒼はさっき脱いだ靴を履くと自分の体の調子を確かめた。

右手も左手もきちんと動く。

両足もきちんと。

こいつらなら私を下半身不随ぐらいにすると思っていたのですが。


「信用ならないのか?

 私の腕前を」


 そりゃあれだけ色々言われていると信用するものも出来ませんよ。

口には出さないで心の中だけで毒づく。


「じゃあ、もう帰っていいから。

 じゃね」


「あ、ありがとうございました」


「ん、お礼なんていらないから。

 壊れかけの機械を修理しただけだし」


 ブラドは手に今お湯を入れたばかりであろうカップ麺を握っていた。

部屋内に漂うトマトの香りがかすかに蒼の空腹を刺激する。

そういえば私、何も食べていませんでしたね。

昼ごはん何にしましょうか。


「では」


もう皮肉はデフォルトなのだろう。

気にしない方針で行くことにした。


「ん。

 じゃね」


 ブラドはプラプラとフォークを持った手を降ると部屋の奥へ引っ込んでいった。

手に焼きそばを持ったお兄さんもそのあとに続く。

微妙に薄暗い部屋にひとり取り残された蒼はそばにあった段ボールを蹴飛ばしドアを開けた。

太陽の光が目を刺激してまぶたを閉じさせる。


「蒼様」


 太陽に手をかざして光量を抑えていたため見えない位置にフェンリアは立っていた。

心配そうな顔はあいからわずで、その両手は固く絡み合っている。


「どうだった?」


いつもと変わらないはずの冷静な口調にも多少なりの不安が混じっていた。

蒼にドッグで「気を付けて」といった理由がようやく理解できた。


「――嫌な人でした」


フェンリアさんには正直に言っても大丈夫なはずですよね。

 そういいながら蒼は扉を少し強めに閉じた。

その衝撃で出るときに蹴った段ボールが崩れたのだろうか。

部屋の中でどどっと雪崩が起きたような大きな音がした。


「マックスが待ってる。

 司令室に戻ろ」


 ポニーテールを揺らしながらフェンリアは蒼と目を合わせてにこっとした。

小さな悲鳴が部屋の中から聞こえたような気がしたからだ。

声の調子からおそらくブラドとお兄さん。

ささやかな復讐だ。


「さ、フェンリアさん行きましょうです」


 蒼はフェンリアとしゃべりながら司令室へと向かった。

ここから少しでも早く離れたかった。

 研究塔から司令塔に移動するだけで自然の光が窓から入ってくる綺麗な廊下になる。

研究塔と比べボロボロであちこちペンキが剥げていたが蒼はこっちの方が安心することができた。

強化ガラスが張られた窓の外には港が見え、乾ドッグの中まで見えた。

 先の戦いで破損した《アウドルルス》が船体から火花を散らし修理されていた。

艦首のうっすら光る“ワープダイヤモンド”が目立つ。

自分の右腕の裾をまくり、そこに刻まれた紋章を蒼は眺めた。

“ワープダイヤモンド”の赤と黒の模様が太陽の光を含んで見つめ返してくる。


「蒼様?

 早くいかないとマックスが怒る」


「は、はいっ」


紋章をさらりと撫でて、蒼はフェンリアを追いかけた。






          ※






「おー、おかえり。

 どうだった?」


 蒼が司令室のドアをフェンリアと開けたときマックスがラーメンをちょうど啜っているところだった。

しかもトマトスープ味。

ブラドと一緒……。

心からげんなりとしたのを感じた。


「司令、駄目ですよ。

 きちんとした食事をとらないと」


 副司令が横から口を出してラーメンを取り上げようとする。

マックスはラーメンを机の上に置いて


「たまにはこういうのもいいかなって思っただけだ。

 今日ぐらい許してくれ」


と言って胡椒を引出しから取り出した。

それを少量、ラーメンの上にかけてまた啜り始める。


「まったく。

 今日だけですからね」


 副司令はマックスのラーメンを恨めしそうに見つめると引出しから新しいカップ麺を取り出した。

いったいいくつ入っているんでしょうか……。

というか、引出しに何もかも詰め込まない方がいいんじゃ……。

蒼はそう思いながらその光景を見つめる。

チョコレートやプリンなんかも入ってたりしないんでしょうか。


「ん。

 まぁ二人とも座れって。

 あ、何味がいい?」


「え、蒼様どうする?」


 フェンリアが困惑した表情を向けてきた。

私に聞かれても。

と、思いつつも蒼は机の上にある味を見極めることにした。

トマト、ケチャップ、とんこつ、みそ、しょうゆ。

鈍く包装による光を照り返しながらも存在する五つのカップ麺。


「トマトとケチャップって一緒じゃ……」


ぼそりと呟く蒼にマックスが指を立て舌を鳴らす。

まだまだ甘いぞ蒼、と言った感じだ。


「トマトはトマトだろう?

 ケチャップはケチャップなんだ。

 わかるな?」


「いえ」


キラキラと瞳を光らせ、理解を求めるマックスの意見をバッサリ切った。

即答だ。


「おおう」


唸るマックスを放っておいて蒼はしょうゆを手に取り、副司令に


「これお願いします」


と包装を破って渡した。


「はいはい。

 フェンリアは何にする?」


トマトとケチャップの違いを分かってもらえなくて固まるマックスは放っておく。


「麺が伸びますよ?」


「はっ、そうだった」


再び響き渡り始めた音をBGMにフェンリアは残ったカップ麺を見ていたが


「これで」


とケチャツプを掴み渡した。

 包装を破るがさがさという音と共にマックスのラーメンを静かに食べる音がゆっくりと時間と共に流れる。

窓が開いていて外からオイルの匂いと鳥の鳴き声が一緒になって入ってきた。

 マックスが立ち上がり、ラジオのスイッチを捻る。

ゆっくりと外国語の曲が流れ始め穏やかな午後を演出しはじめた。

お湯はポッドで沸かしているらしい。

副司令が蒼とフェンリアのカップ麺にお湯を注ぐ水音がラジオに混ざる。


「ブラドはどうだった?」


 箸を置いてマックスは蒼の方を見てきた。

蒼は机の下に入っていた椅子を引きずり出して座る。

スポンジが潰れきったボロボロの椅子だったがやっぱり蒼はこっちの方が好きだった。

ようやくほっと一息つけた気がした。


「なんていうか……その。

 正直に言っていいですか?」


「おう」


ラーメンの汁をマックスはスプーンを使って飲んでいた。

サングラスが曇っている。

食べる時ぐらい外せばいいじゃないですか。


「最悪でした」


「だろうな」


聞かなくても分かってた、とマックスは首を縦に振った。

やはりこの基地内でもブラドの評判はよろしくないらしい。


「やれやれ、少し調子に乗りすぎだな。

 ちょっと締め上げるかぁ」


ぶつぶつと司令の顔に戻って考え込むマックスを見ながら蒼はフェンリアに椅子を出してあげた。


「ありがと」


 蒼から椅子を受け取りフェンリアが隣に座る。

しばらくラジオだけの静かな空間が広がったが三分たったのか、ストップウォッチがベルを鳴らした。


「はいっ、できたよ二人とも」


副司令はストップウォッチのベルを止めて蒼とフェンリアにカップ麺を渡してきた。

しょうゆのいい香りが受け取った瞬間に溢れ出す。


「ありがとうございます」


 受け取って蓋を剥がすともうそこはラーメンの楽園。

おいしいカップ麺の池が広がっていた。


「じゃあ、いただきます」


 麺を箸で掬い取り口に入れる。

あくまでもカップ麺といったおいしいさだ。

おいしすぎて卒倒する、というほどおいしくもなくかといってまずくもない。

黙々と蒼はすきっ腹にカップ麺をつめこんだ。


「ふー。

 ラーメンを食いながら聞いてほしい。

 次の作戦のことだ」


一足先にラーメンを食べ終わり、新しくもう一つ作ろうとしているマックスが蒼とフェンリアに話しかける。


「は、はい」


ラーメンをふーふーして冷ましながらになるが蒼は返事を返した。

次の作戦、おそらくニッセルツの奪還だろう。

港としては小さいが資材が豊富に存在する。

戦略的な価値は十分と言えた。

がちゃり、と後ろで扉が開き


「よんだっすか?」


「呼ばれたから来たんだろバカ」


ぴったりの狙ったとしか思えないタイミングで春秋と夏冬が入ってきた。

 騒がしい二人が来ましたね。

蒼は静かなる午後に別れを告げる。


「おーよく来たな。

 まぁ座ってくれ」


春秋と夏冬はほとんど同時に机の下から椅子を引きずり出すと座った。


「あ、お前ら二人はなんか食べたのか?」


作戦を話しはじめようとボードを持ち上げたマックスは思い出したように春秋と夏冬に尋ねた。

二人は意気揚々と


「Aランチを食べました」


と声をそろえて答える。

 笑顔なことからに相当おいしかったらしい。

手元のカップ麺のプラスチック入れ物を蒼は力を入れて掴んだ。

私も食堂に行けばよかったですっ……!

後悔の念が押し寄せる。


「ん、そうけ。

 じゃあ、もう作戦話してもいいよな?」


「いいっすよ」


「はやく話せおっさん」


しれっとした表情で二人が同時にコメントを出した。


「ぐっ……おっさんだけども……」


おっさんいびりが趣味の夏冬。

すかさずマックスの心を抉り取る。


「上官侮辱罪で軍部に訴えてやろうかこのクソガキ……」


「ごめんなさい。

 で、作戦はどうなるんだ、おっさ――」


「夏冬。

 うるさいですよ」


マックスの反撃をいとも簡単に受け流して夏冬は蒼の言葉によって黙り込む。

旗艦の力はこういうところで何気に役に立ったりするのだ。


「失礼しました……」


しょぼんとした夏冬に引き続き話そうとした蒼は休養を思い出して春秋にターゲットを切り替えた。


「あ、春秋。

 私のチョコ缶どうしましたか?」


「部屋に置いてあるっすよ」


これは蒼にとって重要なことだった。

春秋がきちんと保管しておいてくれたことに安堵すると


「マックス、作戦話してください」


と主導権をマックスに移した。


「ん、蒼ありがとう。

 じゃあ手短に話すぞ」


 ボードを手に持ち話す気満々の司令。

ボードには蒼が取ったであろう写真が貼り付けてあった。


「作戦会議をこれからはじめ――」


始まった作戦会議を遮るようにまたストップウォッチが鳴った。


「の前に、もう一つ食べさせてくれ」


「……食べすぎです司令」






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超空陽天楼 @Lerbal

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