ハザマの悪魔

 


驕りがあったのだ。



側近候補をたて続けに手中に収め、それ以外との関係性も良好。辺境伯家がこちらについたこともあって私に支持を約束した貴族もすでに全体の三割に達しようかというところまできた。万一皇后と事を構えることになっても運用次第では勝てる程度の差まで詰めたこととなる。

 そりゃあ実際に内戦が起きたとき額面通りに動くかといったら別だろうけど、現実に戦を起こすのは下の下だ。さしあたっては威圧できる数と陣容だけあればいい。

 計画は順調に達成されていき、あとはいつ最終段階に踏み切るかというだけ。

 

 ————そう。全てが上手くいっていた。

 こういう上手くいっている時ほど気を引き締めていかねばいけないのは重々承知していたのに、知らぬ間に油断があった。未来を知っているという無意識の優越感と万能感が私の目を曇らせていたことも否定できない。事前にもう少し調査を行っておけば事態はここまで酷くはならなかったのだから。

 好事魔多しなんて言葉があるように、先人がはまっていった落とし穴に私も落ちたのだ。

 処理を間違えればオーバーキルされる特大の核弾頭。

 それは避けきれない速度で飛んできた。


 



「やっと会えたね♪あたしの王子様」


 飛びついてきた女を振り払わなかった自分の理性を滅したい。


「お父様から聞いてたけど、こんなに早く帰ってくるなんて嬉しい!もしかしてあたしに会いたかったの?それともやっぱり運命かな。きゃーん。だいじょうぶよ他の攻略対象も好きだけどぉあなたが本命だから!!!」


 薬学の講義への移動中だった。食堂から出てすぐのホールなので人通りも多い。一緒に昼食をとっていたアダルベルトたちも自分も元より注目されがちなので、皇太子に許可なく衆目の前で抱きついて訳の分からないことをわめく無礼極まった女の登場は良く目立った。あまりのことに周囲は凍りついている。


「……ジュスト様、こちらは?」


 例によっていち早く再起動したのは我が愛しの悪役令嬢だ。

 隣から見上げてくるのは、底までみえそうな露草色の虹彩。浮かんでいるのは些かの動揺もない単純な疑問。こんな時なのにそれが少し悔しい。いつだってその瞳に見つめられたいと思う。私の恋はとうに致命の域に達していた。


「……さて、どちらの令嬢かな。これほど美しい方だから以前に会っていれば覚えていないはずがない。お嬢さん、名を教えて頂く栄誉に浴させていただけますか」


 両肩を掴んで、体を離しながら辛うじて礼を失しない言葉をひねりだす。女はこちらの抵抗など気にしないとばかりに無理やりしなだれかかってきた。実力行使に出ればもちろん引き剥がすのは容易たやすいが、紳士にもとる絵面になることは確実で、体面重視の公人こうじんとしては忌々いまいましいことにこれ以上どうしようもない。

 それもこれもここが平等の魔法にかけられた学園だからだ。外の世界でなら即刻衛兵が飛んでくる行為でもここでは表面上は許容される。 

 それでもこれほど無遠慮に抱きつかれたのは再開した時のフィー以来だ。女を追ってきた男子生徒も傍で立ち尽くすばかりで止めようともしない。オットーがいないのが痛い。学園内での人脈作りを優先しろと言ってあるのでここのところ別行動なのが仇になった。


 抱きしめてくる腕の力が強くなり、赤みがかったピンクつつじいろの髪が頭の動きに沿って女の細い肩を流れ落ちる。

 恋しい露草よりよほど近くで見上げてきたのは、淡い女郎花おみなえし

 顔立ちは整っており、ふんわりと目尻が下がった優しげな垂れ目なのに、傲慢さを隠そうともしてない表情のせいで印象はちぐはぐだ。


「あたしが分からないの?レティツィアよ?レティツィア・ウォルフォレ。あなたの婚約者よ」


 その返答に自分の顔が引きつったのがわかった。——————最悪だ。

 待ち望んでいたウォルフォレ辺境伯家の娘がコレか。


「……レティツィア君、何かの勘違いじゃないかな。私には婚約者はいないよ」

「なによぉ〜照れなくていいんだよ?ジュスト?あなたがあたしのこと大好きなのは知ってるんだから。あたしがあなたのつつじのきみよ?思い出して?」


 うふふと甘く微笑んで、頬を突かれる。その仕草は強烈な香水の匂いと相まってトラウマを的確に刺激してきて、吐き気が込み上げてくる。


「……申し訳ないが人違いではないか。何のことなのかさっぱり分からない。とにかく離れてくれないかな、私も淑女に無体なことはしたくない」


 困っている。困惑している。という表情を浮かべ、周囲にも聞こえるように大きめに声を張る。どう考えても核地雷のこの女に付け入る隙を与えてはならない、と頭の中で警鐘がガンガン鳴っていた。


「は?ここまで言っても思い出さないの?王子様なんだからしっかりしてくれない?あなたのものになってあげないよ?あたしがいないとあんたも困るんでしょ?」


 一転して荒い口調になったレティツィアは核地雷という評価がお気に召さなかったのかと思うほど攻撃的。

 地雷は踏み抜かねば問題ないが、こいつは踏まずとも飛んでくるだろうから、確かに核地雷なんて生ぬるい。

 何も考えずに実力行使で黙らせようかと出かけた手は、「姫様、それまでに。」という空を切ってきた傍の男子生徒の発言で押しとどめられた。姫様という呼称、そして先般レティツィアを追ってきたことからも彼女の目付か何かだろう。

 言うなら早く言え。遅すぎる。


「嫉妬するのはわかるけどぉ。黙っててくれないかなぁ。身の程を知らない犬は大っ嫌い」

 制止された当のレティツィアはただ冷たくあしらった。

「王子殿下も初めてご成長された姫様にお会いしたのです。イベントも未だ済んでいないではないですか。ルートはこれから開始のはずです」


 主の随分な物言いにも怯まず感情を殺した態度で淡々と述べる男をみれば、この核弾頭レティツィアが暴走を行うのは初めてではないことがうかがえる。それよりもだ。内容が物騒だ。先程レティツィアの口から攻略対象という単語が聞こえたのは空耳ではなかったようだ。

 エンリケッタの隣にいるフィーが青い顔をしているし、どう考えてもこいつは転生者イレギュラーだ。


「あ♪」


 レティツィアは再び甘ったるい声に戻り、私から離れた。変貌ぶりがまるで落語かギャグのようだ。これを素でやっているのなら精神病院にぶち込んだ方がいい。転生者だとしてもまともに話が通じる人間には到底思えない。辺境伯は一体どういう躾をしてきたんだ。

 

「そっかぁ。そうだね。ジュスト。あたしあなたが好きすぎて先走っちゃったみたい。えへへ大丈夫よ、ちゃあんと恋に落ちましょうね。や〜〜〜いっちゃった!」

 

 両手で頬を抑えてしゃがみこむと、こちらを見つめては顔をそらす。言動がもはや異常としか思えない。わざとらしい仕草はなんとも寒々しいし、自分を客観視できないタイプの人間を前にした時に特有の背筋をぞわりとさせるような空恐ろしさがあった。

 

「……誤解が解けたなら良いけど、どうも解けていない誤解もあるようだね」

「ジュスト様、講義に遅れますわ。参りましょう」

「そうです。早く行きましょう」

「あ?なによあんたら」


 殺気立ったレティツィアがエンリケッタとフィーにガンを飛ばす。

 睨みつけられた方は涼しい顔で素知らぬふりだ。

 レティツィアがまるで居ないもののように声をかけてきたエンリケッタは確信犯。フィーはそれにのっただけだろうが、この場の助け舟としてはありがたい。

 学園の慣習的に外での身分が自分より高い者に話しかけるには、相手の名乗りを受けているか、あるいは自らが名乗って敬意をしめしつつ婉曲に許可をもらうかどちらかである。つまりは"知り合い"にならないといけない。

 先ほどのレティツィアの名乗りは私に対してだったし、私は他の誰もこいつに紹介していない。

 エンリケッタがやったのは本来ならマナー違反の悪用だが、傍目にみても厄介なやつレティツィアに絡まれた友人を助けているのは明白で、むしろ機転に富んで痛快な行動だと周囲の目には映るだろう。


「……ああ。行こうか。アダルベルトも。待たせたね」


 私は素直にエンリケッタの船に乗ることにした。

 核弾頭は核弾頭でも持ち主が辺境伯家なので処理の下準備をしようかと考えていたが、そこは思い直す。相手の思考回路が斜め上すぎて読めない可能性が高いので後回しでもいい。

 先ほどから血の気の引いた顔をしているフィーに事情聴取をする方が先だ。私の予想が正しければ頭の痛くなる事実がでてくるはずだから。


「いえ。その、兄上」

 

 完全に蚊帳の外で、所在無さげに立っていたアダルベルトは本当にこのまま行ってしまって良いのか迷うような視線を向けてきた。幼い頃から侍従の前でしてきたように、視線だけ一度伏せてから上げて大丈夫だと伝えると、戸惑いつつも納得したようで、核弾頭女の乱入によって中断していた移動が再開された。


 レティツィアは脳みそに花が山と咲いているようにしかみえないやつなので、どうせ簡単には諦めないだろうと思っていたら、案の定。

 「待ってジュスト!あたしも一緒に行く!!」と強引に絡んでこようとする腕から今度こそたいを躱し、とっさにフィーの手をとってエスコートの体勢に入る。

 それをみたレティツィアが顔を真っ赤にしてわめきだした。

「さっきからなによその女!!あなたはあたしのものでしょ。ってあんたよく見たらオルフィーナじゃない!!オワコンの悪役令嬢なんてお呼びじゃないのよ!どきなさいよ。ちょっと!なにすんのよクライスはなしなさいよ」


 オルフィーナを突き飛ばそうと動いたレティツィアは、先ほど彼女が犬と呼んだ男子生徒に腕を掴まれてもがいている。その間にも口から罵声はやまず、今にも口角から泡を飛ばしそうなレティツィアの剣幕に怯んだオルフィーナは反射的に私の手を強く握った。安心させるように握り返して、色々と気になることはあるが、場を収めるために慣れ親しんだ笑顔を顔に貼り付ける。

 フィー曰く私は『顔が良い』らしいので、こういう時こそ使うべきだ。


「体調が悪そうだから僕が心配してオルフィーナ君に手を貸しただけだよ。レティツィア君、今は慌ただしいから話はまた今度ゆっくりとしようか。きみも早く講義に向かった方がいい。話すなら学園にいる限りいくらでも時間はあるからね」


 視線を合わせて、心持ち顔は近め。柔和な微笑みと、それらしい言葉で誤解を誘って煙に巻く。

 渾身の演技が功を奏したことは、ぽおっとこちらを見つめるレティツィアの顔を見ればすぐにわかった。

 早くこの場を離れたいらしいフィーに軽く手を引っ張られて、その場を離れる。


「エンリケッタ君、さっきは助かった。ありがとう」

「あら、わたくしは何も。時間が迫っていただけですもの」


 澄まして答えるエンリケッタはこの程度のことでは貸し一つともしないという態度。

 それを見たフランソワとマリウスが口々に「何言ってるの、格好良かったじゃないあなた」や「そうだよ、ああいう立ち回りは痺れるよね。さすがエンリケッタ君」なんて言い募っているが、それに対しては過剰な否定はせずにただ笑みを浮かべた。

 惚れた欲目だがこういう日常の一コマからも彼女の良さというのは感じ取れて、思いは募るばかりだ。

 早く手に入れたい。それでも、まずは。


「オルフィーナ君、体調は?」

「少し……」

「やはり顔色が悪いね。医務室に行こうか。アダルベルト、少々遅れていくとゴーズ先生に伝えておいて」

「……はい。兄上」


 何やら奥歯に物が挟まったような口調だが、おそらく体調うんぬんは建前ではなかったのかと思っているんだろう。


「オルフィーナ君、いこう」


 頷いたフィーの手は引いて、一応は医務室の方角に歩き出す。いまさら特別の気遣いは不要だから、適切な場所を探す間は無言で情報を整理した。ぐちゃぐちゃと可能性を拾っては精査し、つなぎ合わせては潰し、また拾い、組み立てる。

 やっと見つけた空き教室に入って、フィーに向き直り、私はこう言った。



「フィー。捧剣に続編はあるのか」


 ただでさえ白い肌を、普段より二段階は不健康に青白くしたフィーは、うん、と神妙に頷いた。


 そう。フィーは言っていた。私のことをメインヒーローと。あの時たしかに違和感を覚えたはずなのにそれを表面化できなかった。単なる言葉の綾だと無意識に可能性を切り捨てていたんだ。捧剣の人気を考えれば続編はあってしかるべきで、そんなことにすら考えが及ばなかった己を埋めたくなる。


「ごめんね。1と2って学園の間は無関係だと思ってたし、わたしも1ほどちゃんとプレイしてなかったから伝えるの忘れてて」

「私の方にも問題があったからそれはいいよ。とりあえず覚えてることを書き出してくれるかな。整理しよう」

「うん」


 講義にいくつもりだったから筆記用具は持っていた。フィーが書き出したメモを一読して質問を投げる。


「学園編の続きは宮廷編?」

「うん、主人公は学園を経ずにそのまま社交界デビューした辺境伯令嬢っていう設定だった」

「で、攻略対象は私も含めて五人か」


 メモには『ロノウェ家あととり、幼馴染の執事、無印の誰か、神官、ひーちゃん』とある。


「この無印の誰かっていうのは」

「無印をプレイしている場合はセーブデータによって変わるの。グッドエンドだけだけどね」

「グッドエンドを迎えた攻略対象が出てくるってこと?」

「そう。で、バッドエンドとか、無印未プレイの場合はアダルベルトが入ってた」

 

 ようはデフォルト設定はアダルベルトということだろう。


「で、悪役令嬢が」

「……わたしです」


 がっくりとうな垂れたフィーが悪役令嬢なんて、いまなら誰が聞いても鼻で笑うだろうが、いわゆる無印プレイヤーとしてはオルフィーナが続編で悪役令嬢ポジションになるのは大いに納得行くところだ。

 あのゲームはそういう主観と客観と善悪の相対性をテーマにしていたようなものだし。シナリオ的にいかにもやりそうな仕掛けである。


「……どうしようひーちゃん。あの子たぶん転生者だよね」

「話してた内容を考えるとほぼ確実にそうだね」

「ものすっごく面倒くさそうだったからわたし関わりたくないです」

「私もだよ」


 でも無理だってわかってるよね、という口には出さない諦観を含んだ視線を飛ばす。本当に無理?と問い返した目線と見つめ合うことしばし。


「嫌だ!本気で嫌だ」

「どうせ同じ部屋だから嫌でも関わらざるを得ないと思うよ」

「やめてよもーーー。考えないようにしてたんだから。……同じ部屋だと思う?」

「単純に確率考えてもそうだし、運命的なもの考えても同じ部屋だろうね。それよりもさ」

「それよりもって!こっちは大問題なんだよ」

「頑張って」


 作り笑いでエールを飛ばすと、フィーはひーちゃんの鬼ぃと呻くようにこぼした。


ジュストを本命って言ってたから、あいつの狙いはトゥルールートだよね。内容は覚えている?」

「つつじの君だよって言ってたからジュスト様ルートだとは思う。クライスがここまで付いてきてたしたぶんトゥルーかな」

「クライス?そういえばつつじの君だとか主張してたね」

「とめてた男の子いたじゃない。あれが幼馴染の執事。で、つつじの君っていうのはジュスト様攻略のキーワードだよ。ジュスト様を幼い頃に救ってくれた初恋の人。でも名前が分からないからつつじの君って呼んでて、それがレティだったっていうありがちなやつ」

 

 私の初恋はエンリケッタであって、それより幼い頃につつじの君なんて輩に会った記憶はない。あの女がいつの時期から覚醒していたかが問題だな。もっと以前から運命に改変が入っていた可能性がある。


 フィーは問いに一通り答えを返してから、記憶を探ろうとこめかみを触る真珠の時の癖をみせて、

「トゥルーはね、オルフィーナからアダルベルトの心を奪って、裏で情報をジュストに流して、オルフィーナを奴隷落ちさせてからの皇后エンドだったね。ハーレムだよ」

 フィーはそう続けた。

 なんとも言えない内容に私の口調も自然と重くなる。 


「……仮にも乙女ゲームっていう夢希望詰まった感じのゲームでそれでいいのか」

「賛否両論だったけど、捧剣やる人ってまともな乙女ゲー求めてる層じゃないから……」

「この国には奴隷制度はないはずなんだけど奴隷落ちってどういうこと」

「アダルベルトの争奪をするときにオルフィーナが精霊を悪用して皇帝とジュストを暗殺しようとするの。レティはその証拠を握って脅して、実質的な奴隷扱いしてた。精霊の血は欲しいから、子供産ませるために監禁していろいろしたり……あれ、あの子ゲーム内でも相当ひどくない?」

「聞いた限りとんでもない下衆だよ」


 小首をかしげるたフィーに同意する。

 

「脅したっていうけど、オルフィーナは精霊を持っているよね。しかもこの国は精霊の血を失えない。それなのに脅されてそれをよしとしたのはなんでだろう」

「たしか暗殺しようとして精霊にそっぽ向かれたんだよね。それから協力してくれなくなったって話だったと思う。精霊の血が必要とかっていうのも表向きには出されていない情報だから、オルフィーナが一人で主張したところで当事者の言い分だもの」


 なるほど。それならば辻褄が合う。精霊の力も、後ろ盾であるアダルベルトも居なくなればオルフィーナはただの精霊の血を持つ力なき平民だ。無印でそれなりに恨みも買っているので悲惨な目にしか合わないだろう。

 続編の基本的な内容は理解した。立場が入れかわり、無印時代には与えられていた精霊の血という逆転のための強力なカードがなくなり、よりハードモードになったシナリオということだ。

 ゲームクリエイターはすでに確立された旧ヒロインの絶対的力と立場を、本当に己の魅力と行動と頭だけでねじ伏せろとおっしゃたらしい。正直、翡翠なら嬉々としてプレイしただろう。

 けど私は御免被りたい。そもそも続編の主人公というが、中身がまるっきり別の転生者になっている上、舞台も違う。宮廷編の登場人物が学園に来て何をするつもりだ。

 シナリオによる未来予想なんてのもやる前からダストボックスにぶち込むことが確定しているようなカオスだ。

 

「ひーちゃん?」


 俯いて考え事に耽っていた私の顔をフィーが覗き込む。

 

「うん」

「これからどうするの?」

「厄介すぎるから本当なら居ないものとして処理したいけど、関わらざるを得ないんだ、私も。イザベルをなんとかするには辺境伯家の力は欠かせない。あそこは領地としても力があるし、影響力もある。傘下の貴族の結束力も強い。今の私の状態だと無視はできないどころか下手に出ないといけない」

「最悪じゃん。何してくるか分からないよあの感じだと」

「婚約者なんて言ってたし、態度も二転三転してたし、そうだろうね。婚約については早急に辺境伯家に確認をとらないといけないな。前回の連絡で辺境伯側の話はあの女を通してするって言ってたけど、その状態は最悪だ。そうならないように努力する。場合によっては実家もあいつの手綱を取れていないかもしれないのが辛いところだね。そうなったらもうどうしようもない」


 フィーにそっと触られて、自分が強く手を握っていたことに気付く。血液が急速に流れた手のひらには未だ白く爪痕が残っていた。

 恐怖するのはいつだってエンリケッタを失うことで、さらに言えば自分の大事な人間たちに何かあることだ。 

 あの女が私の婚約者を自称し、私に気があるというなら、続編で悪役令嬢のポジションにあるフィーも私の思い人であるエンリケッタも完全に攻撃対象だろう。それはついさっき二人が妨害した時の相手の反応からも明白だ。誰かわからなかった状態でもあれなのだ。

 転生者ならばゲームの知識もあるはずで、そうなれば確実にフィーとエンリケッタには被害が出る。

 フィーのように特殊な力を持っていないのだけが不幸中の幸いだが、それ以上に身分と権力を持っている。それも私がいま喉から手が出るほど欲しいものを。排除はできない。それが一番の問題だ。うまく取り込まなければいけないが、その道を取るなら手段が目的と入れちがうのに等しくなる。

 これまで上手くいきすぎていたとは思っていたが、いきなりどう足掻いても登れない壁に囲まれた袋小路に叩き込まれた気分だった。

 だが———もちろん、こんなところじゃ立ち止まれない。


「なんとかするよ」


 この上なく不安そうにしているフィーを安心させるために言葉を発した。次に何か方針を立てるためにはまずは相手のアクションを待たなければならない。命綱を人に握られているというのは気分のいいことじゃないが、このくらいどうにかできないようならエンリケッタを手に入れるなんてのは夢のまた夢だ。

 公明正大に彼女の隣に並ぶためにも超えなきゃいけない壁があるなら超える。超えられないなら叩き潰すまでだ。


「大丈夫だからそんな顔しないで。なんとかなるさ」


 虚勢の張り時なんてのは、私の立場なら"常に"だ。フィーの顔から憂いはまだ晴れない。


「あんな訳分からないやつに私が負けるはずがないだろ。フィーにもエンリケッタにも何もさせないよ。大船に乗ったつもりで信じて」

「……うん」


 真面目な顔で頷いたフィー。シリアスな雰囲気を和らげるために最後に茶化すことにした。

 不敵な表情を作ってフィーと握手する。


「船賃代わりにルームメイトの子のことをちょっと探ってもらうかもしれないけど、出来るだけでいいからね」

「……知ってた!ひーちゃんこういう人だって知ってたよ!ちょっときゅんとしたわたしのピュアな心を返してください……知ってたのに油断したの悔しすぎるんだけど」


 地団駄を踏むフィーから緊張がとれたことを見て取って満足する。

 なんにせよだ。特大の未処理時限爆弾を持たされたが、我が皇太子派の陣営はほぼ出揃った。

 当初の目標も疎かになんてできないものなのだ。時間制限がある以上、私は計画を次の段階へと進めねばならない。

 

 


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ヒロインよ、俺に手を貸せ。悪役令嬢は俺のものだ @v_alpha

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