トマト

スヴェータ

トマト

 この街にはトマトがない。あっても遠くから取り寄せた、たいそう高価なものばかり。それもたまにしか見かけない。だから私は見つけるたびに、ありったけ購入している。


 持ち合わせがない時は取り置きしてもらう。それがかなわないようなら、何か用事をしかけていても取りやめてお金を取りに行く。トマトを買えないかもしれないと思いながら走るあの時間の不安さったらない。だからそのようなことがないよう大抵余分にお金を持ち歩いている。


 トマトが好きだ。この世で1番。家族よりも、私自身よりも。トマトは私にとってかけがえのないものであり、トマトこそ私の全てなのだ。


 最初の出会いは、確かアルチョムおじさんの家で振る舞われたランチプレート。華やかな野菜全てに心は踊ったけれど、特にトマトは私の目を釘付けにした。


 衝撃は口に入れたその瞬間。酸味と瑞々しさがジュワッと口いっぱいに広がり、これから始まる楽しい人生全てを想像させながら鼻の方に香っていったのだ。恋。これは明らかに恋だった。


 その恋は10年、20年と続き、今もなお冷める気配はない。私は恋人を見つけては買い、見つけては買いを繰り返している。ああ、何て幸福なのだろう。店先で見つけた時の喜び。口いっぱいに頬張る時の愛。こんなの、人間では味わえない。


 両親は私を見放した。トマトと私を引き合わせたアルチョムおじさんですら、「いい加減人並みに恋をし、家庭を築け」と言った。私がそれに「恋はしています。一緒に住んで、家庭もこうして築いています。何か不足が?」と言い返すと、もう何も言ってはくれなくなった。


 恋をした相手がトマトだった。ただそれだけなのに、皆が私を見放した。それは罵られることよりもつらく、悲しいことだった。しばらく涙に暮れたけれど、側にトマトがあったから、私は立ち直ることができた。


 ある冬、私の街に大雪が降り、外から一切の食べ物が入らなかった。その冬はトマトの塩漬けでしのいだが、冬が去り、春が来て、遂には夏がやって来ても、トマトは私の街にいつまでも来てくれなかった。


 耐えかねた私は朝8時からの仕事を放り出し、旅行鞄1つに何もかもを詰め込んで、この街を出ることにした。時間通りに来ないバスを足踏みしながら待ち、電車をいくつも乗り継いで、言葉も分からない土地までやって来た。トマトのために貯めていたお金は、この旅で全て使い果たした。


 しかし、この街にもトマトがない。トマトは、トマトはどこに行ったのか。聞こうにも言葉が分からず、帰るにもお金がなく。仕方がないので歌を歌ったり花を売ったりして僅かなお金を稼ぎ、日々をどうにか生き延びた。


 随分経って分かったことだが、この年はどこの国でもトマトが採れなかったらしかった。しかしそんなことを知る由もない私は、この世からトマトが消えてしまったと思い、涙に明け暮れた。


 悲しみつつも相変わらず歌や花で日銭を稼いで暮らしていた。ここでは歌や花を私の街よりずっと高く評価しているようで、つらい目に遭うこともほとんどなかった。言葉だって、働くうちに何となく理解できるようになっていた。


 そして、ある男と親しくなった。明らかに好意を寄せられていて困った私は、正直に「トマトに恋をしているから」と断った。すると男は満面の笑みでこう言ったのだ。「僕はトマト農家だよ!」と。


 こうして私はその男と結婚した。もちろん、形だけ。私の心にはトマトしかないし、愛や慈しみを感じるのもトマトを眺めたり口いっぱいに含んだりしている時だけだ。


 一方、同居人はそんな私にとても優しい。私がトマトを愛する姿をとても嬉しそうに見ている。何が嬉しいのかさっぱり分からないけれど。


 ついさっき、トマトを齧りつつ彼をチラリと見てみた。するとやはり穏やかな笑顔で、嬉しそうに「おいしい?」と尋ねてきた。その瞬間、胸がキュッと苦しいような、弾むような痛み方をした。


 それはあの時、アルチョムおじさんに振る舞われたランチプレートを見た時と、とてもよく似たものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トマト スヴェータ @sveta_ss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ