第2話 葉桜

桜は八割方散ってしまって、ほんのわずかな花が生い茂った葉の中に、ちらほら見え隠れしている。

「葉桜もええなぁ」

「そう?」

「ええやんか。きれいやろ?ほら」

ミチルは自分のすぐ頭上を指さした。

葉桜になっても、まだ花見客で周囲はにぎわっている。

奇跡的に空いていたベンチに、ミチルはコーヒーを片手に、イチタは甘酒片手に腰かける。

「甘酒うっま」

「そう?」

「いる?」

「いらん。甘酒は無理やねんて、私」

「知ってる」

「じゃあなんで勧めてくるん」

「わざとや。社交辞令みたいなもん」

「まあ・・・・花見しながら甘酒ってちょっとうらやましいと思うけど」

そう言ってミチルは手元のカップに目を落とした。

「別にコーヒーなんていつでも飲めるもん。お花見とか初詣に甘酒ってなんかええやん」

イチタも微笑んで手元に目を落とした。

「ミチルってそういうの好きよな。こう・・・・雰囲気というか・・・風流?なこと」

「雰囲気大事」

「ミチルは文学少女やからそういうことが好きなんやって、お義母さんに言うてたな・・・お義母さん元気なん?」

「相変わらず。毎日図書館通いしてるらしいわ。優雅な隠居生活」

「夢や言うてたもんな。お義母さんも文学少女やんか」

「文学老女や」

「また身も蓋もないこと言う」

「ほんまのことや」

ひどいなぁと苦笑しながらイチタはつぶやき、また一口甘酒を飲んだ。

「トキコちゃんは元気にしてるんか」

「うん。相変わらず忙しそうやわ。仕事にサクラに、私の相手に」

「“私”の相手が一番大変やったりして」

「・・・・・」

何気ないイチタの一言が、コツンとミチルの心の中の閉ざした扉を叩く。

イチタに悪気はない、これはただの会話の流れの一言だ。

そう言い聞かせても、一度ざわついた心はどうしようもないほど波打ってミチル自身にを戸惑わせた。

「サクラちゃんは?もう二歳やんな」

「・・・・うん」

「そうかぁ。会いたいなぁ。最後に会ったのは生まれたてのこんなちっちゃな時やったからな」

「そうやったけ」

「あれから二年も経ったんやな」

「あれから・・・ってなにから」

「え?」

「だから何から?」

イチタが片眉を上げて、いぶかしげにミチルを見つめながら答えた。

「・・・・サクラちゃんに最後に会ってからや」

突然漂った不穏な空気に少し戸惑った様子を見せながらイチタは続けた。

「会いたいなと思って。久しぶりにサクラちゃんに」

「会ってどうすんの?あんたなんてもう他人やん」

こんなことなら・・・・

こんなことなら、こんなことを言ってしまうのなら、ミチコとサクラと満開の桜を見に来れば良かった。

イチタとのお花見が葉桜になってしまうと知って、ミチルは満開の花を見ないと決めた。

イチタと見る桜が一番美しいものであって欲しかった。

ミチルは葉桜よりも満開の桜が好きだ。

けれども、イチタと見る葉桜にはどんな満開の桜も適わない。

そう思っていたのに。

自分の言葉が、全てを台無しにしてしまった。

からっぽの心が軋む。

ポコンと間の抜けた音がして、顔をあげると、イチタが甘酒のカップを潰したのが見えた。

「忙しい?仕事」

「え?」

「ミチル疲れてるみたいやから」」

返事をせずに、イチタを見つめ返すと、イチタはフッと息を吐いて穏やかな笑顔でミチルに言った。

「どうする?このまま、気まずいまま家帰る?なんか旨いもん食べてリセットする?」

「・・・・リセットする」

「そうやな、僕もその方がええわ」

ベンチから立ち上がり、ミチルはそっとスカートについた花びらをはらった。同じように立ち上がったイチタを見上げると、ひらひらと花びらを舞い落ちてきて、前髪にふわりとはりついた。背伸びをして、そっと取り、イチタに向かって差し出した。

手のひらを差し出して、それを受け取ったイチタは、ふっと息を吹きかけて、花びらを飛ばした。地面に散る無数の花びらの中に舞い落ちて、もはや、どれがどれだか分からなくなってしまった。

「何食べたい?」

「焼肉」

「焼肉かー。ええなぁ」

そう言ってイチタはミチルに向かって手を差し伸べた。

「・・・・なに?」

「久しぶりに手でもつなごうかと思って」

「お気遣いなく」

「お気遣いなんてしてないけど。ほな行きますか」

二人は連れ立って歩き出した。

長く伸びた影だけが、ゆらりゆらりと寄り添っていた。ミチルは涙をこぼすまいと、とがった顎を空に向けた。

泣かない。もう私は、泣かないのだと言い聞かせながら






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ひとひら ひらひら 戸木かや @tokikaya

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