むしょくのにーちゃん

 とある有名な画家は、後輩の個展に遊びに来ていた。


 後輩は今最も勢いのある画家だといっても過言ではない。なによりもその後輩を応援したいという気持ちが彼にはあった。


 だからこそ今日も画家は後輩の個展へと、彼の絵を見に来たのだ。


 タクシーに乗って個展までつくと、かなりの人が個展へと入っていくのが見える。画家にとっては消費者の数が名誉につながるわけではないが、少なくとも自分の表現から何かを感じ取ってくれる人がいるのは嬉しいことだ。


 だからこそ後輩も喜んでいることだろう。


 画家はタクシーから降り、そのまま個展会場へと足を運んだ。


 絵を描く人、つまり画家には色々な色がある。もちろんキャンパスに乗せる色と同じ意味ではない。簡単に言ってしまえば個性だ。


 筆に乗ったその色が、何を表現していても、その者が書いたのだと分かる。それが画家の極致だといっても過言ではないのかもしれない。


 表現は自由だ。そしてどこまでも広大だ。だからこそその中で、自身の存在を証明し続けることができるものは少ない。


 後輩が醸し出す色は、まるで新緑ように青く、薔薇のように高潔で、そして美しかった。だからこそ画家は後輩の絵が好きだった。


 画家ももう若くはない。


 今はもう有名になってしまった画家の後継ともいえる存在に、すでに後輩は近づいていた。そしてその瞬間を、画家も見ていたいと思っていた。


 色々な感情の吐き出された絵の数々が、個展には飾られている。


 当たり前だが、そのどれもが高いレベルでの表現をしていて、見ていてもとても素晴らしい気分になった。


 老後は後輩の個展を手伝うのも悪くはないかとも画家は考えていた。


 そして個展を巡っていると、画家は一枚の絵の前で立ち止まった。


 画家は暫くその絵を眺めていた。


 いや、眺めていたという表現は適切ではないのかもしれない。


 画家は見惚れていたのだ。この一枚の絵が持つ、尋常ではない何かに。


「やはりその絵の前で立ち止まりましたか」


「・・・これは君の絵ではないな?」


 長年彼の絵を見てきた画家には、仮に老眼でネームプレートが見えずとも、これが彼の絵ではないとすぐに見抜くことができた。


「ええ。その通りです。それは私の友人の子供が書いたそうです」


「そうか」


 画家は何か反応するわけでもなく、ただ絵画から目をそらすこともない。


 もう後輩には、画家がこの絵に見惚れていることが理解できた。それは自分でも成し遂げたことのないことで、少しだけ嫉妬をしていた。


 だがそれと同時に、それが当然であるということも理解していた。そして後輩はゆっくりと口を開いた。


「その絵を見て、何を感じますか?」 


 画家は後輩に背を向けて、相変わらず絵を眺めている。だが少しすれば、ようやく口を開いてくれた。


「この絵はまるで、複数の人間が別々の意思を持って、ある一つの目的に向かって描いているようだ」


「別々の意思を持った人たち・・・一つの目的?どこか矛盾しているような気もしますが、その目的はいったい何なのでしょうか?」


 後輩は、尊敬する画家が感じたこの絵に対する評価が、あまりよく理解できていなかった。画家は常に天才肌で、人が感じ取る以上のことを一つから感じ取ってしまう。もちろん後輩はそんな画家を尊敬しているが。


「感謝だよ。何も特別な感情ではない」


「ならなぜその絵に見惚れているのですか?」


 後輩は画家のもうずいぶんと小さくなった背中を見つめる。するとそれにこたえるように画家は、後輩の方へと首を回した。


 後輩からは画家の横顔だけが、ほんの少しだけ見える。


 その目からは、確かに涙が零れていた。


「この絵が、奇跡だと思えるからだ」


 画家はかつて、自分の絵にも、またそれ以外の全ての絵にも、そのような表現をしたことはなかった。


 人が生み出す限り、そこに奇跡は介入できないはずだからだ。


 偶然の中のごく少数が、極まれに他人に大きな影響を与えるだけの力を持っている、というのが画家の考える奇跡の形だった。


 だが今日、画家の奇跡の概念は覆されていた。


 画家は後輩が見守る中、しばらくこの絵を眺め続けた。


 ☆


 僕の人生には色がない。


 僕の人生に色を付けるための、大事な歯車が一つ欠けているからだ。


 そして僕はかけた歯車を修理することはできない。


 だから僕の人生に色はない。


 ずっとそう考えていた。


 でも今は、僕の歯車は噛み合い、回り始めていた。


 僕がどこかに落としてしまったそれを、見つけてかみ合わせたわけでも、新しい歯車を持ってきて、それを使ったわけでもない。


 でもそこにはいつの間にか、小さな歯車が他の歯車を回すように、かみ合わせられていた。それは一つじゃなくて、小さいけど大きな力を持っていた。


 きれいごとを並べたいわけじゃないけど、人は一人では生きていけない。


 僕の人生に色はないのかもしれない。


 でももしも僕が記憶を全部失って、全部の歯車が回らなくなってしまったとしても、きっとまた歯車は回り始める。


 沢山の歯車が、僕をまわしていてくれるから。


 僕はむしょくじゃない。


 沢山の歯車をかみ合わせて動くブリキのおもちゃが、たった一つだけ持った絵を描く機能を使って、きっと僕のことを描いてくれるから。


 だから僕には、僕だけの色がある。

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むしょくのにーちゃん 木兎太郎 @mimizuku_tarou

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