「赤」「いたずら」「愛らしい」

「何その言い方?」

「んな事言われたって」

「はぁ…もういい」

「どこ行くんだよ」

「知らない」


彼女と喧嘩した。

最近お互い何かと忙しく、せっかく久々に会えたというのに。

今日は彼女が家に遊びに来ていた。せっかくなのでDVDを何本か借りてゆっくり観ることにしていたのだ。

しかし二本目、「魔女の宅急便」を観ている最中に喧嘩になってしまった。原因もよくわからないような痴話喧嘩だ。1度はお互い素直に謝って事なきを得たが、二人とも怒りが尾を引いてしまうタイプなので、ピリピリとした空気のまま映画を観ていた。

どこがトゲのある言葉を掛け合っているうちに、しびれを切らしたように彼女は家を飛び出してしまった。

本当は追いかけるべきなのだろうが、余裕が無い時は二人ともから回ってしまうのでそれも躊躇う。

お互い少し頭を冷やそう。追いかけるのはその後でも、間に合わないような仲ではないはずだ。

頭が冷えたらきちんと連絡して謝ろうと考えながらテレビを消した。

しかし謝りに行こうと思った夕方、バイトに欠員が出たとヘルプの要請が入ってしまった。仕方が無いので彼女に一言連絡を入れて家を出る。

「あっそ」

彼女からの返事はそれだけだった。


出勤してみると、人手不足なだけに1人いないだけでもてんてこ舞いの様子だった。慌てて業務に取り掛かり、たまった仕事をこなしていく。

あまりの忙しさのせいか、はたまた彼女と喧嘩をしたせいか、小さなミスを一つだけした。

「なんか今日テンション低いな~」

一通り業務が落ち着き、休憩のために事務所に入ると、先に休憩に入っていた先輩が声をかけてきた。バイト仲間でも一番仲のいい人だ。

「ちょっと彼女と喧嘩になって」

「お前が?珍しいな」

俺と彼女の馴れ初めまで知っている先輩は心底驚いた顔をしていた。それもそうだ、もともと喧嘩の多い仲ではなかったのだ。

「最近お互い余裕無いせいか、少し喧嘩が増えてて」

「あぁ、あるよなそういうの」

先輩は心当たりがあるとでも言うような苦笑いをする。

「お前らは無いと思うけど、すれ違いで別れるなんてもったいないよ」

なぐさめるように俺の肩を叩いて、先輩は業務に戻って行った。


「お疲れさまでした」

「頑張って仲直りしろよ~」

先輩はからかうように言うと、自転車を飛ばして帰っていった。

バイトが終わり、真っ先に携帯を確認したが彼女からの連絡は一通も入っていない。まだ怒っているのだろうか。

とりあえず帰ろうと、お気に入りのロードバイクを走らせる。

彼女とは付き合って2年ほど経つが、最初は喧嘩などほとんどしなかった。しかし最近はすれ違いが増え、小さなもめごとが増えた気がする。

お互い言いたいことが言い合えるようになったと思えばいいことなのかもしれないが、今のこの状況が正解だとはあまり思えない。

なんとなく、先輩の「別れる」という言葉を思い出してしまう。あの時は大袈裟だと思っていたが、こんなすれ違いを繰り返していたら、もしかしたらそれもあるのかもしれない。そんな考えを振り払うように頭を振っていると、通行人と目が合ってしまった。


「ただいま」

彼女が来ていることを期待して声に出してみたが返事はない。ふっと短くため息をついて靴を脱ぐ。恐らくまだ怒っている彼女に、一体なんと連絡をしたものかと考えながら風呂場へ向かう。

バスタブに湯を張ろうとしたところでふと、違和感を覚える。見覚えのないものが視界に写った気がしたのだ。違和感の原因を探すべく辺りを見回すと、それは洗面台の鏡にあった。

鏡の端に赤い何かがべっとりと付着している。文字のようにも見えたが、心霊的な何かが頭を過り、慌てて目を逸らしたのでなんと書いてあったかはわからない。

おかしい。家を出るときはあんなものはなかったはずだ。

恐怖と好奇心が入り交じり、心臓がドクドクと音を立てる。意を決して近寄って見てみると、そこには短く

「今日はごめん」

と書いてあった。

「ホラゲかよ!」

思わず1人で叫んでしまうほど拍子抜けな、それは彼女のいたずらだった。口紅で書かれた今日の喧嘩の謝罪だ。

何か危ないものに遭遇してしまったのではという緊張から強ばっていた体は一気に力が抜け、その場にしゃがみ込む。無駄に怯えてしまった自分に苦笑してしまった。

そういえば今日喧嘩をしながら観ていたのは魔女の宅急便だったなと思い至ると同時に、先輩の言葉を少しだけ真に受けようとした自分が馬鹿らしくなった。

なんともホラーチックな謝罪に、素直になれない彼女の不器用さが滲んでいて愛らしささえ感じてしまう。この色は確か、一緒に口紅を選んだ時に俺がいいねと言った色だ。

ポケットから携帯を取り出して立ち上がる。「今から行く」とだけLINEして、今しがた帰ってきたばかりの家を出た。









「あのまま俺が来なかったらどうしてた?」

尋ねると彼女は、赤い唇にイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「そりゃあ…『明日の朝ママから電話で叱ってもらうわ マイダーリン』」



おしまい。



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