診断メーカーお題 恋愛
かがり
「夏休み」「かさぶた」「好き」
かさぶたができると触ってしまう癖がある。
かさぶた特融のざらついた手触りが妙に心地よくて、はがすのではなくただひたすら撫でるのだ。幼い頃は加減を間違えて傷つけてしまい、泣きをみることもしばしばあったが、まぁ子供の頃のよくある失敗だ。
成長するにつれかさぶたを傷つけないよう加減ができるようになったし、比較的大人しい私は怪我をすることも少なくなった。それでも、傷ができると触ってしまう癖は抜けなかったけれど。
夏休みが終わるほんの数日前、部室の片付けをするために部員が集められた。活動すればするほど増えていく画材や作品たちは、何度片づけても棚や床をあっと言う間に侵食していく。だから美術部ではこうした定期的な大掃除が行われるのだ。
引退を控えた三年生がテキパキと部員に役割を振り、作業開始の合図をする。三年生は最後の作品展への制作があるので、一刻も早く掃除を終わらせたいようだ。
二年生の私たちは、古くなった画材を第二美術室横の倉庫へ片付けに行くことになった。三年生と違って特に急ぐ理由もないので、数人で画材を抱えてゆったりと倉庫へ向かう。私の隣にはごく当たり前のように、幼馴染の男の子が並んで歩いている。
およそ一か月ぶりに会った彼は幾分か髪が伸びていて、視界が悪そう。
彼は私が腕いっぱいに抱えている画材をちらっと見て、
「重くない?少し 持とうか?」
幼馴染故の距離と向けられる優しさ。自分も結構な量を抱えているくせに。
彼のこの態度に、私はいつもやきもきさせられている。
「大丈夫だよ。そっちこそ足元気をつけてね」
積み上げられたキャンバスは彼の足元を遮っているように見えた。
彼は昔、絵を描くのが一番好きだからと女の子を振った経験があるほど絵が好きで、二年生の中でも一番多く作品を出展している。後にも先にも、彼に告白した女の子はその子一人だったというのに、彼は今でも、ただひたすら絵に夢中だ。
「わっ」
階段を上っていると、彼が小さく声を上げた。見ると彼の腕に積まれた小さなキャンバスがバランスを崩し、一つ落ちていくところだった。彼は慌てて手を伸ばすが、キャンバスは華麗にその手をすり抜けてゆく。二段ほど後ろから上がっていた私の腕をかすり、音を立てて踊り場に着地した。
「痛っ」
ビリっとした痛みが走り、思わず顔をしかめる。危うく私も画材をを落としてしまう所だったが、なんとか持ちこたえた。
「ごめん、大丈夫?」
キャンバスそっちのけで慌てて駆け寄ってきた彼は、傷を確かめようと私の腕に触れる。いつの間にか自分よりもずっと大きくなっていた手とその温かさに、少しだけ胸が鳴った。
キャンバスがかすっただけなので傷は深くないものの、血がにじんでじんわりとした痛みを発している。大した傷ではないので安心したが、原因の彼は心底申し訳なさそうな顔で保健室に行こうと言う。
「大げさだよ。大丈夫大丈夫」
長い前髪から覗く眉毛が八の字になっているのが可笑しい。
「これ片した後に絆創膏でも貼っとくよ」
私は床に置いた画材をもう一度手に取る。
じゃあせめてと、彼は私の腕の中の画材をいくつか手に取り、自分の持つキャンバスの上に乗せた。
「今度は落とさないでよ?」
釘を刺すと、善処しますと苦笑いした。
画材やキャンバスを運び終わり部室に戻る途中、彼は思い出したように呟いた。
「そういえばあかりさぁ、よくかさぶた傷つけて泣いてたよね」
自覚している癖だけど、わざわざ指摘されるのはいささか恥ずかしい。
「何年前の話よ~」
幼少期、彼と遊びまわっては体のあちこちに小さな傷を作っていた。私の小さい頃からの癖は、彼もよく知っている。だから心配したのだろうか、
「その傷、触っちゃだめだよ」
私の顔を覗き込み、まるで小さな子どもに言い聞かせるように言う。まっすぐにこちらを見つめる瞳に、また高鳴りそうになる胸を必死に抑える。
「善処しまーす」
誤魔化すようにおどけて彼の真似をしてみせると、「こら」と困ったように笑った。
彼がつけたと言っても過言ではないこの腕のかさぶたは、言われなくても触らないようにしていたと思う。好きな人にかかわる物を大事に大事にとっておく、典型的な乙女心だ。
絵が好きだからと女の子を振るような男に片思いをするなんて、なんて不毛なんだろうとは自分でも思う。けれど彼の実力は確かなもので、その熱意や情熱は他人のそれとは違う。だから良いのだ。ひたむきに絵を描き続ける彼がたまに見せる優しさに翻弄されながら、今はまだ幼馴染というポジションに甘えていたい。
新学期が始まる頃。腕の傷は綺麗に消えた。それをわざわざ朝イチで確認しに来た彼は安心したと笑った。
「あれくらいで大げさだなあ」
私も半ば呆れて笑うと、彼は長い前髪の隙間から優しい瞳で私を見つめる。そして、
「何言ってんの。女の子なんだから」
こういう所だ。こういう所なのだこの人は。目が合う時も優しい言葉をかけられる時も、私がどれだけ努力して平静を装っているか、なんにも知らないのが憎らしい。少々腹が立ったのでデコピンをお見舞いしておく。
何が何だかわからずに間抜けな顔で驚いている彼がいつか、私が腕の傷よりもっと大きなものを抱えてることに気が付いて、また眉毛を八の字にして困ればいいのに、なんて思ってしまうのだ。
触る事すらできずに何年も、胸に抱えてる傷が一つある。
数年の片思いを経て気持ちを伝えたけれど、見事に玉砕した昔の失恋。触るには未だに痛くて、かさぶたにさえも触れられない。治らないまま、今も心に残っている。
もう何年も大事に残したままなのは、その傷も昔、大の絵バカな彼がつけたものだからだろうか。
おしまい
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