最終話 紡ぎ



「ひどいものですね」


 先生は僕の織り上げた生地を手に取って、いかにも苦々しげにつぶやいた。


 怒られているのでも、叱られているのでもない。呆れられているのだ。


 先生の頬の筋肉が引きつったり、唇の傾きが少しだけ変わったりしただけで、僕は自分の体がびくっと反応するのを抑えられなかった。


 彼女は長い間の僕の『作品』を観察していたが、ついにそれから手を離した。


 先生は紫檀の机の上についた両肘を支点に指を組んで、掌を胸の前の辺りに固定した。


「まずは最初の洗浄から」


 指摘が始まった。先生の説教は一度始まると、全てを出し切るまで終わることはない。


「それぞれの人間から記憶の端切れを持ちよったのですよね。その場合は、それぞれきっちりと、隅から隅まで過去の洗い落としを行わなければなりません。特に最初の三つに関しては、どれも強い生への執着、未練がこびりついています。なぜなら布が、途中で千切れてしまったからです」


 先生の言葉が一度止まったが、それは息継ぎの為であって、僕に反論を許すつもりではなかったようだ。


「あなたはそれを怠った。見てみなさい。それぞれの性別が全くもって洗い流せていません。場面場面で明確に残っているのです。人の優秀な補正の力で、お互いの記憶が干渉しあわないよう、ほとんどの矛盾が自然に直されているから良いようなものの、それに頼るようでは失格ですよ! 見なさい。人の力が補いきれない箇所では、ところどころ矛盾と混乱が生じています」


 先生は一瞬、無言になった。けれど細長い指の爪が机にあたるカツカツという音が、僕を焦りの極みへと、追い詰めにかかる。


「次に――これがさらにひどいのですが、横糸の張り方です。生地と生地の隙間をきちんと詰めていませんね? 裏返してみれば、中途半端な隙間は途端に判明します。こうして再生してみなさい。三人全員の今際いまわの記憶がありありと見えるではありませんか。あなたは三度も死に直面するこんな・・・人生を味わいたいのですか?」


 言葉の鞭が、正座している僕の体を床に打ちつけたような気がした。


「とどめに酷いのが、最後の縦糸の締めです。ごらんなさい。生地が縦に引っ張られて、いびつに歪んでいますよ。前の記憶の色合いが別の生地へと侵入しているではありませんか。このおかげで、干渉しあった記憶が混じり、激しい乱れを生んでしまいました。特に最後の布の縦糸は、全ての生地に波及する程にずれているのです」


 ようやく先生は、僕への文句――いや指摘を言い終えたようだった。


「すでに紡ぎ終えてしまったこれを、それぞれもう一度、単独の生地に戻す事は不可能に近いでしょう。私の縫製の技ならば出来るやもしれませんが、相当なリスクがあります。ただでさえ人の記憶は貴重で有限です。ひとつたりとも無駄にはできません」


 先生は青い目で僕の顔をまともに覗き込んだ。今までの言葉はただの前置きで、先生はこれを伝えたかったのだと僕は気づいた。


「あなたがこれを直すのです。命を賭して、魂と魂の記憶を、なるべく美しく繋ぎ直しなさい。輪廻の輪に乗り、去っていった人々から受け継いだ記録を、紬糸つむぎいとで一枚の絹布に仕立て直す。仕上がった布で新たな幼子の命を包み込むのです。それがあなたたち『輪廻紬』の使命なのですから」


 最後に彼女はきっちりと皮肉メッセージを伝えるのを忘れなかった。


「私があなたにお願いしたくなかったとしても、です。さあ、行きなさい」


 僕は深々と礼を述べると、戻された自分の作品を手に、先生の屋敷を後にした。


 広大な庭を門扉まで歩いて帰る時に、ふといま来た方を振り返った。そこにはどんな建物よりも大きい、巨大な木製の水車のような赤い輪廻の輪が、屋敷の背景となってゆっくりと回転しているのが見えた。


 いずれ僕もあの輪に乗る時が来るのだろうか。そうしたらこの記憶も誰かに分け与えられるのだろうか。


 それは誰にもわからなかった。


 僕は手にした生地を握りしめると、先生から与えられた言葉を胸に、仲間たちが待つ工房へと戻っていった。




(輪廻紬   おわり)

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輪廻紬(りんねつむぎ) まきや @t_makiya

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