第043次元 君を待つ木花20

  

 研究部班と医療部班は白。援助部班、そして戦闘部班が灰。各部班によってその隊服は基調としている色やデザインが異なっている。まだ戦闘部班では実施されていないが、各部班の班長と副班長の位を任されている者に限り、真黒の隊服の着用を義務付けられている。

 そして。此花隊の総隊長として組織の統括を担う男、ラッドウールだけが、燃えるような真紅の隊服を身に纏っている。

 とはいっても彼はその広い肩に引っかけているだけで、袖に腕を通してはいなかった。


 「何用だ」


 鋭い針のようにも鈍器のようにも思える口調が、フィラの背筋を凍らせた。まぎれもなく祖父の声だった。

 何の用で班長室へ来たのか。何の用で声をかけたのか。

 何の用で、本部の門をくぐったのか。

 フィラは想像した。ラッドウールが放った言葉の裏にどんな思惑が込められているのか。そして悪い想像ばかりが脳裏を駆け抜け、フィラは怯えを隠しきれずにようやく口を開いた。


 「……。えっと、その、隊長。私……ご存知とは思いますが、私は次元師です。なので次元師としての役目を優先することに、考えを改めました。それで、あの……」


 フィラは床の至るところに視線を配っていた。顔を上げられなかった。自分でもなにを言っているのか定かでなかった。


 「医療部班から、戦闘部班への異動を、希望したいのです。もちろんローノに留まるつもりです。隊長から賜りました、そのご命令に背くつもりはございません。なので私を、どうか」


 フィラが顔を上げると、そこにラッドウールの姿はなかった。


 「湖とは何のことだ」


 フィラの真横から声がした。急いで振り向くと、ラッドウールが書類を片手に眉を顰めていた。


 「え……」

 「ベルク村は何を強いられていた」

 「あ、その」

 「なぜ領主を送還した。ヴィースという男が何をしたというのだ」


 矢継ぎ早に繰り出される高圧的な物言いが、フィラをしごく動揺させた。質問をされている。なにか答えなければと、フィラは一心不乱に口を動かした。


 「それは……その、ヴィースの敷いたしきたりに、村の人間が耐えかねて、山を下りて……でも十分な食べ物も水も、あ、与えられていなかった、ので……山の中にはベルク村の人間と思われる死体が転がっていることも、珍しくなくなっていて……酒も、造らされて」

 「領主を送還したのは何故だ」

 「村人を苦しめるような言動に、及んでいたからです」

 「早まったな」

 「え」

 「食料や水の配給が不十分であった、と記載があるがゼロではなかった。村で製造されていた酒は他国で評価が高く、唯一の金の出所だったはずだ。それを絶ち、"頭あたま"を自らの意思を以て咎めたとすれば、今度は村の人間たちに目が向くだろう。男は無差別な殺しをやっていたわけではない。ある意味では、村に金をつくった恩人ともとれる」


 フィラは絶句した。その通りだ、とも思った。ベルク村の住人たちは外との交流を持たない。そんな人間たちの言葉にはたして政府陣は耳を貸すだろうか。考えるだけでゾッとするような意見だ。

 しかしフィラの胸中には、なにかもやっとしたものが膨らんでいた。


 「……で、ですが隊長。ベルク村の民たちは苦しんでいました」

 「……」

 「同胞を亡くし、飢餓に苛まれ、枯渇した喉で必死に叫んでいたのです。ローノにいた援助部班の班員たちにはベルク村の調査を行う義務があったのに、それを放棄し続けていました。だからその嘆きはだれの耳にも届かなかった。それを、ある2人の子どもたちがしかと聞き入れたのです。村人たちは心から喜んでいました。村に活気が戻りました。笑いが溢れていました。私も、巳梅とふたたび会う決心がつきました。だから、あれでよかったのだと、私はそう思っています」

 「それがお前の見解か」

 「……はい」


 ラッドウールはそこで初めてフィラの顔を見て、それから手に持っていた書類を紙束の上に置いた。

 

 「『保護対象である町村の住人に対し過度な労働を課した』と、村の人間全員が証言すること。ローノ所属の隊員たちの過失を証明する書類を提出すること。以上で、この男には速やかに処罰が下される。山を下ろうとして絶命した村人の死体もあるとなお良いだろう」

 「……」


 「早まったな」と言われたとき、フィラの耳には「ヴィースを咎めることは不可能だ」とそう聞こえていた。ゆえに彼女は、さきのラッドウールの言葉をすぐには呑みこめなかった。

 ──ラッドウールは自分に脅しをかけていただけなのか。フィラはふとそんなことを思った。が、なぜ彼がそうするのかは皆目見当もつかなかった。試されているのか。暗くて抑揚のない声色が余計に彼の真意へ探りを入れるのを妨げる。

 じっとこちらを見るフィラに、ラッドウールは向き直った。


 「次元の力をものにしたのか」

 「え……」

 「質問に答えろ」


 臙脂色の瞳を細めて、ラッドウールは鋭く言い放った。


 「『巳梅』……巳梅とは、生涯共にあることを誓い合いました。そして共に戦うことも。だから、戦闘部班へ異動したいのです」


 ラッドウールはもう1度、報告書の山に目を向けた。しばらくそうして見つめていた時間が、フィラにはとてつもなく長く感じられた。唾を飲みこんだり、コートの裾を掴んだりした。

 ラッドウールは口を開いた。


 「13年前のことだ」


 突然、ラッドウールは語り始めた。


 「ある男が、次元師の組織を立ち上げたいと言ってきた」

 「え……?」

 「若造の考えることだ。『戦争に発展させるためではない』『神に立ち向かう組織』などと夢物語じみたことを発言していた。だから初めは当然のように許諾を下さなかった。しかし何年もそれを繰り返していた。奴は諦めの悪い男だった」

 「……」

 「何年かののち、奴がこう発言したことによって私は、奴の提案に"別の意図"があることを確信した」


 言いながら、ラッドウールはフィラの瞳を見やり、そして告げた。


 「『次元師に居場所をつくりたい』、と」


 「当然、そのような理由では承諾不可能だったがな」とラッドウールは冷たく一言を添えた。しかしフィラは、自然とその言葉を復唱していた。


 「……居場所……」

 「奴は13年前から、1人の女のことしか考えていなかった」


 ラッドウールは肩にかけた隊服を翻し、歩きだした。フィラは呆然としていた。まっすぐ扉に向かっていたが、ラッドウールは途中で足を止めた。


 「ミウメといったか」

 「え。あ、はい」

 「良い名だ」


 フィラは振り返ったままの姿勢で静止した。放心しているようにも見えるその無防備な表情をラッドウールが一瞥したのは、扉に手をかけたそのときだった。


 「奴に挨拶をしておけ。資料室にいる」


 ゆっくりと扉が閉まった。次いで、フィラが班長室を飛び出していくのには、そう時間がかからなかった。

 

 

 

 資料室には本棚が所狭しと並んでいる。本棚と、それに向き合うように置かれている本棚との距離は近く、人が2人通れるか否かといったところだ。実際の室内は広めなのだが、本棚の数が多いため広いようには感じられない。

 その本棚の1つの前で立ち、セブンはある分厚い本に目を落としていた。本の表には『植物資料』と書かれている。

 普段とはまたちがう、真に迫る表情で紙上の字面を追っていたとき、資料室にだれかが入室してきた。

 セブンはふいにそちらのほうを向いた。


 「…………フィ、ラ」


 思いもよらない人物が目の前に現れて、セブンは驚くとともにその人物の名前を口にしていた。

 そんなセブンをよそに、フィラは彼のもとに近づいていった。


 「なぜ君が……」


 そしてフィラは、手を伸ばせばすぐに触れられるという位置で立ち止まった。

 フィラはセブンの顔を見上げた。


 「セブン班長」


 十数年越しに見た臙脂の瞳。そして懐かしい声音。すこし大人びていた。背丈もずっと高くなっていた。

 拙かった文字も大人しくなっていたのだから当然か。そんなことを考えながら、セブンは取り繕うように声をあげた。


 「ああ、そうだフィラ。君に聞かせたい話があるんだ」


 セブンはさきほどまで読んでいた本の、ある頁をフィラにも見えるように広げてみせた。


 「……13年前、隊長殿は君をローノへ送っただろう。そのとき私は、隊長殿に対して得も言われぬ怒りを感じていた。孫の君のことをなんとも思っていないのではないかとそう思っていたんだ。……ついさっきまではね」

 「……」

 「この頁を見てくれ。ここ。ここに……"うめ"という名の花の記述があるだろう。見えるかい?」


 フィラはなにも答えずじっとセブンの顔を見つめていた。が、セブンはそれを気に留めることなく続けた。


 「ベルク村にいた、紅い鱗の女王蛇。あの子に『ウメ』という名を授けたのはラッドウール隊長だった。遠方のある国には、あの紅さによく似た花を咲かせる、『うめ』という名の木があるんだってそう言っていただろう。私はそれを思い出したんだ。……去年までここは、ただの『次元研究所』と呼ばれていた。そして今年の初め、戦闘部班の立ち上げとともに、組織そのものの名前が変わった」


 セブンは、フィラによく見えるように差し出していた本を自分の手元に戻した。


 「それが『此花隊(このはなたい)』だ。この名前は、ほかでもない隊長が名づけられたものなんだ。ある国で『うめ』と呼ばれている紅い花……あれは、別名『コノハナ』とも呼ばれているのだと、私はいまさっき知ったんだ。本当に驚いたよ」


 紙面に注いでいた視線を持ちあげ、セブンはフィラの紅い瞳と目を合わせた。


 「実は最近、君のことを思い出してね。ああいや、君のことを忘れていたということじゃない。つまり……。いや、この話はいい。つまりだ、ラッドウール隊長は……君とウメのことを想っていらした。君をローノへ送ったのは、次元の力と向き合わせるためじゃないかと私は思うんだ。いや、きっとそうだろう。不器用な御方だよ。何年も君と連絡をとらずに、」

 「セブン君」


 懐かしい響きがして、セブンの動きがぴたりと止まった。


 「私のために、立ち上げてくれたの?」

 「……」

 「私に居場所をくれるために、何年も……13年も」


 声が震えていた。いまにも泣き出しそう顔をするフィラにセブンはぎょっとして、焦りを隠しきれず慌てて問い返した。


 「何の話だいフィラ。落ち着いて話を」


 セブンの胸になにか、とすんとぶつかった。その胸にフィラが飛びこんでいた。顔をうずめているフィラの真っ赤な髪が目線のすぐ下に現れる。セブンはしばらく黙っていた。息をついて、ようやく彼は言葉を発した。


 「……フィラ、とりあえず落ち着くんだ。君が困るような事態に」

 「セブン班長」


 涙交じりの力強い声だった。鼻を啜る音。えづき。背中に回された両手がどちらも震えていた。

 フィラが顔を上げた。


 「私を、戦闘部班に入れてください。入りたいです。あなたのつくった、その場所に、そこにいたい」


 紅い瞳が、涙で淡く濡れていた。ぽろぽろと、ぽろぽろと雫が落ちる。セブンはその目尻に浮いた涙の粒をそっと指先で拭って、柔らかく笑みを落とした。


 「……そうかい。歓迎するよ、フィラ」




 メルギース歴530年。この年の初め、エントリアに本部を構える大規模な次元研究所は、隊長のラッドウール・ボキシスの発案によって組織名を変更した。

 その名も『此花隊』

 白や灰や黒といった具合に、製作されている隊服は各部班によって基調とする色も異なっているが、

 どの部班の隊服にも必ず──差し色として、鮮やかな紅があしらわれている。

 

 ある女性を待つために華々しい開花を遂げた、

 木花の色が。

 

 

 

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最強次元師!! 瑚雲 @shiroito04

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