第十八話 静かなる食卓
第18話 静かなる食卓
その日、東堂家の食卓は静まりかえっていた。まさに、針が落ちる音さえも響きわたる。
異様な緊張感がただよう。
不穏な気配を感じたのか、愛猫のミャーコもどこかへ姿を消した。いつもなら、おかずの肉や魚をねだって、ゴロゴロすりよってくるというのに。
この食卓はなぜ、静かなのか?
それが問題だ。
*
「……」
「……」
「……」
「……」
僕らはおたがいをよこ目でながめる。どの顔も微妙にまぬけ。
だが、負けるわけにはいかない。ひと声、笑っただけでも、それは敗北を意味するのだ。
ちなみに、僕らってのは、僕、兄の猛、同居人の蘭さん、大阪からわざわざ、このためにやってきた友達の三村くんだ。なんで、うちに? 家族とやればいいんじゃない? 本場なんだしさ。
まあいい。とにかく、早く食べてしまわないと。
もぐもぐ。もぐもぐもぐ。
縁側に一列ならんで、ただ無言で食う僕ら。
早く食べないと、絶対、猛が笑わせにかかってくる。
だが、見ると、兄はすでに半分以上を食っていた。
やっぱり早い。イケメンだが大口。ビッグマウスの美青年。それが猛。さらに言えば、食いしん坊。
対する僕は、まだ四分の一だ。あんまり太いと食べるときの苦行が増すと思って、細めに作ったんだけどな。カンピョウがかたい。なかなか噛みきれない。こんなことなら、カンピョウのかわりにおしんこにしとくんだったか? でも味のバランスってものがある。
「……」
「……」
「……」
「……おかわり」
なっ! 嘘だろ? さっき見たとき、まだ半分は残ってたじゃん? いつのまに食いきったんだよ? 一瞬の魔法。猛マジック。
そんなの自分でとってこいよ——と言ってやりたいんだけど、まだ僕は沈黙の行の最中だ。しょうがなく立ちあがり、慎重にあとずさる。そう。体のむきは変えられない。縁側に対して、ややななめ。これが今年のベストポジションだ。
そのままの姿勢をたもちつつ、片手をうしろにまわして、むかいのキッチンに入る。こんなことなら、最初から予備も居間に運んどくんだった。テーブルをまわりこんで、どうにか皿をつかむと、もとの部屋に戻る。なにしろ、つねに片手がふさがってるから不便のなんのって。
(ほらよ。食いたきゃ、食え!)
無言でさしだす皿を見て、わが兄はニッコリ笑った。予備は二本。酢飯作りすぎた。ただし、具材は七つもない。高いウナギやエビを余分に買ってなかったからだ。七福神マイナス二。しかし、兄は食えればかまわない派。
「……」
「……」
「……」
「……」
もぐもぐ。もぐもぐ。もぐ……と、そのときだ。とつぜん、三村くんのようすがおかしくなった。ジタバタして、胸をドンドンたたく。
「……! ……!」
無言で何かを訴えてる。
あの中途半端な半円の手つきは……そうか! 湯呑みだ。お茶、または水を求めてる。喉につまったんだな。
僕はクルリときびすを返すと、あわててキッチンへ走る。方角は……このさい、しょうがない。三村くんが死んじゃう! それに
僕は片手で、まだ半分残ったものを支えながら、キッチンにとびこんだ。お茶、お茶……いや、こんなときは水道水でもいい。とにかく、急げ、僕!
なみなみと水をそそいだコップを持って、居間にとびこむ。三村くんは首を左右にふって悶え苦しみつつも、声は出さなかった。なんて執念だ。そんなに儲かりたいのか?
ゴクゴクゴク……。
コップの水を飲みほすと、三村くんのようすが落ちつく。
「ぷはー。死ぬかと思うたわ」
(あっ!)
しゃべった。静寂がやぶられた。
三村くんは青ざめ、そののち、ガックリと縁側にひざをつく。
僕と蘭さんは敗者を哀れみつつ、それぞれの長さを計る。僕のほうがちょっと早いな。残り三分の一。もうじき、この苦しい沈黙から解放される。頼むから、猛。笑わかせないでよね。
「……」
「……」
「……おかわり」
ま、まさか! またか?
猛をチラ見すると、たしかにヤツの手にはソレがない。わずかに口をモグモグ動かすところに名残があるだけだ。
てかさ。そこにあるんだから、勝手に食べてよ——と言おうとして、僕はあわてふためいた。あやうく、猛の誘いにのるところだった。沈黙。沈黙。沈黙、と。
ドン、と兄の前に、残り一本の皿を置く。
「……」
「……」
「……」
もぐもぐ。もぐ。もぐもぐもぐもぐ……ゴックン。
「やったー! 食べおわったー!」
「おれ、しゃべってもうたやんか」
「僕も終わりました」
「うまかった。かーくん。おかわりないの?」
「ないよ! 兄ちゃん、一人で三本食ったくせに」
ようやく沈黙の行からぬけだした僕らは、いっせいにわめきちらす。
本日は二月三日。
今年の恵方は南南東なり。
*
恵方巻き
二月三日の節分に商売繁盛、福運を願い、その年の恵方をむきながら、無言でかぶりつく太巻き。切らずに一本まるごと食べきる。具材は七福神にちなんで七種。大阪が発祥地。
了
東堂兄弟の短編集 涼森巳王(東堂薫) @kaoru-todo
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