ただいま

 あの特別な旅行から数ヶ月が経った。

 時間経過はなかったようで帰ってきてみれば、以前と変わらない日常が待っていた。

 異世界ボケした俺は当然のように流れる日常に待ったをかけようとしたが、そうもいかず、彼女との婚約や両親への挨拶も済ませ、なんとか落ち着いたのだった。

「大丈夫? 顔が疲れてるよ」

 心配してくれる彼女に俺はいつも

「大丈夫、世界ボケがね……」

 と理由のわからないことを口にするのだった。

 夢のような体験だった。けど、夢だとは思っていない。証拠も何もないけど、そう思う。だってあの世界はすべてが俺の予想を超えていた。とてもじゃないが、あれらを作り出せるようなものは俺の中にはない。

「でも、最近なんか変わったよね」

「なんかって?」

 わからないけど……、と感じた違和感を伝える彼女に鋭いなと思った。

「でも、悪いことではないよ」

 笑いかけてくれる彼女に俺も笑い返す。あの世界での日々で見える形で残ったものはない。だけど、俺の中にはたしかにある。それだけでこれからも頑張っていける。

 空っぽだった俺があの世界からもらったのは想いに気づける心と生きる原動力だ。

「ねぇ、パジャマにこんなの入ってたんだけど……」

 彼女が半笑いで見せてくれたのは馴染み深いのに懐かしいものだった。

「あんの爺さん……!」

 受け取ったのは食べた覚えのない煮干しの空袋だった。






























 それから一年が経った。































 数歩先すら見えない濃霧の中を進む。

 地面は柔らかい砂のようで一歩で多くの体力を持っていかれる。

 そうやって進んでいると波のさざめく音が聞こえた。

 海が近い。

 別に海を探していたわけでもないのに駆け出す。これは予感で、直感だった。

 駆け出してほんの数分、もう走れない。限界のその時、砂を踏みしめるのではない、高い音が聞こえた。

 少しだけ霧が薄くなる。前方には暗い海が広がっていた。

「あ」

 横を見た。

 そこにいたのは――

「……おかえり。予言は的中したみたいだな」

 俺は気恥ずかしさを感じながら、それでも満面の笑みだったと思う。

「ただいま」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界旅行記 大石 陽太 @oishiama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ