珠儒のことば

安良巻祐介

 

 とふとふとふ…と麩を踏むような音を立てて、伽羅子きゃらこが廊下を駆けてくる音が聞こえた。

 僕は、書き物をしていた手を止めて立ち上がると、扉の下に据え付けた、彼女専用の小さな戸を開いてやった。

 ひそひそと何か言いながら入ってきた伽羅子──その声はあまりに小さくて私にはよく聞こえない──は、両の手に豆仕掛けのようなものを携えており、どうやら僕にそれを見せに来たらしかった。

 つまみ上げて見ようにもあまりに小さすぎるので、机の天眼を取り、誤って伽羅子を潰さぬように注意しながら映してみたところ、その豆仕掛けは真ん中に倭紙の張られた、手回し型の文字燈籠のようだ。

 ひそひそひそと何かまた伽羅子が呟きながら、小さな小さな手で燈籠の桿を動かすと、レンズの中の燈籠は、ことことくるくると字を写しながら廻り始める。

「ヒ」「ト」「ダ」「マ」「ト」「ン」「ダ」…そう読めた。

 人魂 飛んだ。

 僕は微笑んで、硝子棚を開け、陶器の菓子入れから、僕らにとっては砂よりも小さな甘い飴の詰まった小袋を取りだし、注意深く、伽羅子に与えた。

 ひそ、ひそ、ひそ。

 何を言っているかはわからないながら、伽羅子が喜んでいるのは何となく見て取れた。子どもとは無邪気なものだ。文字燈籠をその辺に放り出すと、彼女は飴の袋を重たそうに引きずりながら、幾分高くなったひそひそを繰り返して、戸の下から出ていった。

 僕は再び机に戻りながら、窓の外を見やる。

 よくよく目を凝らせば、遠い空に、薄く青白い光が幾つも尾を引いているのが見える。

 伽羅子の告発がなければ、見過ごしてしまっていただろう、何とも弱々しい光だ。

 僕は銀色のベルを鳴らして、梟頭を呼び、人魂狩りを命じた。

 その名の通り梟そっくりな頭を下げて退出してゆく彼を見送った後、机に肘をついて、遠い人魂の群れを眺める。

 ひとつひとつは取るに足らない、小さな小さな亡者たちの無念であっても、見ない振りをし続けていれば、いつかは寄り集って、こちらの安寧を脅かす大火となろう。

 この豊かな一帯を治める領主の身として、それを許すわけにはいかない。

 けれど、である。

 かつてはこの一帯どころか神洲全てに蔓延り支配していた、かの小さき者たち、彼らへの興味と幾ばくかの敬意をも、我々は──少なくとも僕は、持ち合わせている。

 彼らの末裔──知性と言葉の大半を喪った哀れな珠儒を、家屋敷に住まわせているのも、その一貫だ。

 伽羅子はその中でもいっとう小さく、罪がない。

 何より、時折り思い出したようにあの遠い空に弾けて消える、滅びたるともがらたましいをさえ、無邪気にも花火のごとく見つけては、甘い飴を得るための口実として教えに来る……そのありさまが、僕などにはひどく憐れで、またいとおしい。

 青い空に幾つかのわびしい文字を描きながら飛んでいる、肉体からだのない蛍の群れを見つめながら、僕は、その色を記録する筆記の手を、再び動かし始めた。

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