第56話 物語りの穴

 何の授業だったか忘れちゃったんですが、こんな話があったのです。それは、例えばある物語があったとして、一部「はっきりとは書かれていない部分」があるとしたら、人は習性としてその「はっきりとしない部分」を勝手に想像して補う、という話です。その習性っていうのは、まあ普段あんまりものを考えないでのほほんと生きていられる状況においては、べつにどうって事ない機能だとは思うのです。変な話、想像力豊かな、と解釈できる要素でもあるかもしれないのだし。


 ただし、社会に出たらまあそういう事ばかりも言っていられないとも言えるのですが。なぜなら世の中にはそうした人間の習性を利用した、詐欺のようなものも存在するのだから。どういう事かと言いますと、そうだなあ。


 昔の知り合いに、こんな人がいました。

 それは、メンヘラ女性のIさん(仮)とでもしておきますかね。Iさんは、アル中だったのです。毎日、五百ミリリットルの焼酎の缶を十本以上飲む人でした。

 Iさんは酒がまわってくると決まって、子供の頃母親から暴力を振るわれた、という話をしたのでした。なおかつその母親の事を深く愛しているエピソードも話すので、なんだろうなあ。まあ、語りが上手だったのです。元水商売の人というのもあってか、人を惹きつける才能があったのかもしれない。


 そんな彼女の事を「応援したい」という人が当時、何人もいたのです。私も一時期、彼女と近しい関係だったのですが……途中から、穏便にフェードアウトする道を模索し始める事になったのです。それはなぜかというと、この文章を読んでいる人はもうすでにお気づきかもしれないんですが、そうなんですよね。Iさんというのは、自分の物語に他人を引き込んで、その親切心を利用するのに長けた人物だったのです。まあ、自覚無き天性の詐欺師といったらいいのか。


「あ、シャンプー買い忘れた」


 Iさんが独り言をつぶやくと、それを聞いていた誰かがIさんの欲しがっているものを持って現れるのです。こういうのは、水商売時代からの一種のテクニックなんだろうなあと思います。Iさんは助けが必要な人だという物語があって、それを信じた人たちが「勝手に」、困っている彼女を助けるという構図です。Iさんは「○○欲しい」とは言わないんだけども、欲しいものは「向こうから勝手にやってくる」。


 Iさんいわく「願えばむこうからやってくる」という事らしいです。


 で、最終的にIさんを取り巻く環境はどうなったかと言いますとですね。

 Iさんの周りから、親しかった人たちはみんな、いなくなったのでした。ある人などは、Iさんとの付き合いをやめないならば離婚する、と夫に言われたんだそうで。


 多分彼女はどこかで今でも、孤独を嘆きながら新たな「ほんとうの友達」を探し続けているんだろうなあと、私は想像しているのです。


 怖!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名も無き物書きの反乱 むらさき毒きのこ @666x666

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る