実は私、・・・
回道巡
実は私、……
時間は夜中の一時をすこし過ぎた頃、俺はようやく仕事が終わって帰宅すべく自転車をこいでいた。
「自転車通勤なんかにしたばっかりに、ありえない残業させられてんじゃねぇかな? 俺」
俺の勤める小さな機械部品メーカーははっきり言ってブラックだ。入社前にやたら健康がどうだと言って自転車通勤を勧められて、素直に従った結果がこれだ。
今日、というか既に昨日か、は特に忙しくて夜どころか昼食も食べてない。
疲れているし、もはや帰ってから用意する気力も残っていない……、ということは。
「これしかないよなぁ。まあいいかうまいし、安いし」
そう、いつもの牛丼チェーン店だった。
「ぃらっしゃいませ」
若干声が小さめの若い女の子が制服を着て一人で暇そうにしていた。
ワンオペがどうのと話題になったチェーンだが、この時間を女の子一人とかさすがに問題じゃないのだろうか。
世の中ブラック企業の被害者は自分だけじゃないのだと、かなりネガティブなほっこりを味わいつつ、並と卵を注文しながらカウンター席に座った。
「どうも……」
微妙な言葉づかいで注文を受けた店員は、しかし目線だけはしっかり合わせてから厨房へと入っていった。
黒髪で、胸くらいまでの長さだが、特に束ねることなく下ろしている。この店舗は店長が礼儀や衛生面にうるさいとか、以前にバイトのヤンキー青年から聞いたことがあったのだが人手不足で妥協したのか?
少し待つと店員がトレイに牛丼と生卵を載せて、厨房を出てきた。
「どうぞ、味わって食べてください」
「……?」
変なことをいう店員だ。いつもこの店は「お待たせしました」と言うか、黙って出すか、だったはず。
しかし、いつの間にか髪を制服の帽子にしまっているのは、好感が持てる。
さっきは客が来なくてリラックスしていただけなのだろう、褒められたことでは無いかもしれないが、過酷な労働環境を乗り切るにはそういったオンオフは必要だろう。
「いただきます」
小声で言うと、箸をとってすぐに食べ始めた。俺は卵は途中でかける派だ。
「あれ? なんか違う……か?」
二口ほど食べたところで、手が止まる。いつもと少し味が違うような気がしたからだ。
肉にもタマネギにも、さらには米にまで黒い焦げの様なものがこびりついていて、強くはないが独特の風味がする。
「失敗した?」
と、思ってふと厨房の方向を見ると、あの店員がうつむき気味に立ちながらも、目線はしっかりこちらを見据えていた。
なるほど、そういうことだったのか。
つまりこうだ。あの店員は今日入ったばかりの新人で、しかもあまり器用ではない。調理もやや失敗してしまったが、それをどうすればいいのかもわからず、優しそうな客こと俺に出して反応を見ている、ということだ。
あの店員はよく見れば純和風の結構かわいい顔つきをしているし、きつめの目線もかわいらしさの中でアクセントになっている。
急に何だと思ったかもしれないが、要するにまあかわいい女の子だからクレームなど言わないという確認をしただけだ。
それに、独特の風味とはいったが、このやや香ばしい味わいは悪くない。
一口ごとに心が軽くなって、気持ちを覆っていた靄が晴れていくような気さえする。
「ごちそうさまでした」
結局、一気に食べ終えてしまった。もちろん抜かりない俺は中盤で卵を投入済みだ。
ずっとこちらを窺っていた店員は、すぐに食べ終えた食器の載るトレイを取りに来た。
「ぅん。ちゃんと食べたね……」
「はあ?」
今度は思わず声が漏れた。この店員の接客はやはり問題があるようだ。
目線だけはしっかり合わせてくる店員が奥へ引っ込むと、俺はそのまますぐに席を立って店をでることにした。
「なんか引っかかるけど……、まあいいか、腹も膨れて気分がいいし」
店を出てから少し歩き、ふと振り返ると制服を着た店員が店内で誰かと話しているのが見えた。
その相手は、胸くらいまでの長さの黒髪をした巫女装束の少女だ。それに店員は遠目に見る限り中年男性のようだった。
何か中年男性がぺこぺこして感謝しているようだが、まったく意味不明だ。
「いいか別に」
そう、そんな些細なことは別にどうでもいい。今は本当に心が軽くていい気分だから。
あの日、職場で首を吊った瞬間からずっと渦巻いていた恨みや憎しみ、後悔といった感情が晴れていく。
もう会社へ通うのはやめて、先へ進もう。
あの少女が実は店員じゃなくても構わない。
実は私、・・・ 回道巡 @kaido-meguru
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