六章 夢の終わりにー3

 3



 木霊の歌声があたりにひびく。

 ナインスドラゴンは聖女の森のはずれで待っていたキメトラとサイレンスに再会した。


「聖女には会えたのニャ?」

「ああ。彼女の歌声が導いてくれるそうだ」


 それにしても霧が深い。

 視界が真っ白になって何も見えない。

 ただ歌声の聞こえる方角にむかって歩いていた。

 やわらかな草をふむ感触が続く。


 やがて、霧が晴れた。

 すると、そこに森はどこにもなかった。あたりは草原だ。

 空いちめんを暗雲がおおい、夜のように暗い。


 遠くに帝都の白亜の宮殿が見える。中心には高い塔が黒い雲を刺すように伸びている。


 聖女の歌声が、まだどこかから聞こえていた。


「聖女の占いどおりだ。帰ってきたぞ。この場所に」

「急ぐニャ。聖女の守護があるうちに帝都に入るニャ」


 そうだ。帝都に入るまでは安心できない。

 今のナインスドラゴンは聖女の歌声に守られることで、将軍の敷いた結界のなかに侵入しているにすぎない。


「私に乗ってください」と、サイレンスが背をかがめた。


 ナインスドラゴンは天馬にまたがり、帝都をめざす。

 暗雲が低くたれこめ、異様に近い。今にも空から落ちてきそうだ。


 あの黒雲は、ナインスドラゴンが帝都を脱出する日、すでに帝都の空の片隅にかかっていた。あの雲が今は空全体をおおっている。


 まるで、ナインスドラゴンの心の不安が、そのまま形になっているかのようだった。


 ときおり稲光が走り、白い塔を青白く染める。


「あの塔からキューティーブロンドの匂いがするニャ。でも、にゃんか、また少し匂いが変わってるニャ……」

「急ごう。もう少しだ。たのむぞ。サイレンス」

「まかせてください。ふりおとされないように、しっかり、つかまってください!」


 美しい尖塔のたちならぶ夢の都。

 真珠のように輝く、なめらかな白い家々が眼下に広がる。


 その屋根のあいだを、鳥のように翼のある機械兵や、黒い影ぼうしのようなファントム兵が、大群になって飛んでいた。


 ナインスドラゴンは天馬の首にしがみつきながら、おそってくる敵軍に応戦した。機械兵は炎や雷で、ファントムには白竜だけが使える聖なる光の魔法でけちらす。


 サイレンスは敵兵のあいだをすばやくぬって、帝都の中心にひときわ高くそびえる塔へむかっていった。


 聖女の歌声が刻一刻とかすかになっていく。

 聖女の守護が弱まっている。

 いつまでもつか、わからない。


「まにあうか?」

「大丈夫! いけます!」


 巨大なステンドグラスを体当たりでやぶり、サイレンスは塔のなかへすべりこむ。


 まさに、ギリギリだった。塔内に侵入すると同時に、かすかに聞こえていた聖女の歌声は、さきぼそりになって完全に消えた。


 しかし、ナインスドラゴンは塔の緋毛氈ひもうせんをふんで立っていた。封印に阻まれることはなかった。将軍の封印の内側に入りこむことができたのだ。


「上のほうから匂いがするニャ!」


 そこは塔の一階だ。

 目の前に、らせん階段がある。

 機械の衛兵がかけつけてくる。


 ナインスドラゴンは剣をぬいた。フランケンやケンタウロスも呼びだし、衛兵を切りふせながら、らせん階段をかけあがっていく。


 もうじきだ。

 この階段をあがっていけば、あの人に会える。

 このさきに、あの人がいる。


 らせん階段が果てしなく続くように思えた。

 長い長い階段をのぼりつめたさきに、大きな両扉があった。

 ナインスドラゴンは力をこめて、扉をひらいた。


 一瞬、扉の内からまぶしい光がこぼれた。


「——姫!」


 最上階は一階がまるごと一室になっていた。

 部屋の中央に一人の人間が立っている。

 魔神を呼ぶという召喚機を背に立つ姿は、しかし、王女ではない。


 ファントム将軍だ。

 将軍がたった一人で、ナインスドラゴンを待ちかまえていた。

 黒いマント。黒い仮面。

 黒いかぶり布で頭髪まで、すっぽりおおっている。


 将軍の不吉な姿を、ナインスドラゴンはにらんだ。

「勝負だ! ファントム将軍。姫を返してもらおう!」


 ナインスドラゴンは剣をかまえたが、将軍の仮面でかくされていない口元が、笑みの形を作る。


 赤いくちびる。

 なめらかな白い肌。

 ほっそりとしたあごのライン。

 将軍は女のようにきゃしゃだった。


 その口元をながめるうちに、ナインスドラゴンは妙に胸さわぎがした。



 なんだか……なんだか彼は、あの人に似ている。



 将軍は笑いながら、ぶあつい革の手袋をはずした。


「何人かの力を借りたようだが、おまえがここまで到達できるとは、じっさい、思ってなかったよ。おまえはもう少しで、せっかく創りあげた私の世界をこわしてしまうところだった。だから、ゆるしてやらないつもりだったが、そんなに私に会いたかったのか?」


 この声——

 それに、あのアラバスターのように白い指さき。


 立ちすくむナインスドラゴンの前で、将軍はゆっくりと頭髪をおおう布をはずした。そして、仮面を床になげすてる。豪華なブロンドがこぼれ、二つとない麗しいおもてがあらわれる。


 それは、たしかに、あの人だった。

 だが、キューティーブロンドでも、スティグマのマリーでもない。王女でもない。


 もう一つの世界で出会ったばかりのころの、ほんとうの彼の姿だ。


「そんな顔をすることはないだろう? おまえは私が人間ではないことには気づいていたはずだ。そうとも。私は人ではない。おまえたち人間が悪魔と呼ぶものだ。私はおまえのおかげで、すべてを思いだすことができた。おまえは外見が少し、私の兄上に似ているからな」


 そう言う彼のおもては、まちがいなく、あの人なのに、表情には、これまで忍が見たこともない毒々しい妖気がただよっていた。


 記憶を失っていたころの彼は、むじゃきで子どもっぽかった。しかし、今は悪意のかたまりのように見える。美しい肢体から真っ黒な邪気が透けて見えるかのようだ。


「記憶を失っていたころの私は完全に人間だったからな。それに今の私は、おまえの作りだしたファントム将軍という邪悪な存在としてイメージされている」

「私? 私のイメージが、なんで……」


 混乱する忍を、彼は見つめる。


「おまえだって、もともとの姿からはずいぶん変わったじゃないか。ここは、そういう世界なんだ——と言ってもわからないだろうな。最初から説明してやろう。

 さっき私は自分を悪魔だと言ったが、厳密には少し違う。私たちの世界は、人間たちの住む物質世界にぶらさがっている精神世界だ。人間のイマジネーションから生まれ、人間たちの精神力を糧として存続している。

 私が悪魔なのは、私の生まれた闇の国が、人間の無意識の欲望を吸収して誕生した世界だからだ。人間の本能が私たち悪魔を誕生させた。

 ところで、なぜ、私がここへ来たか?

 本来、精神世界の住人は、物質世界にちょくせつ干渉することはない。

 だが、私たちの世界で少々、困った問題が起きてね。端的に言えば、ほかの精神世界の住人と領土のうばいあいになった。その結果、新しい精神世界が必要になったんだ。

 人間の精神に影響をあたえれば、新しい精神世界が生まれる。

 だから私が人間に化身して、物質世界に来たわけだ。ここまではわかるな?」


 忍はうなずいた。

 忍の従順な態度に満足したようすで、彼は続ける。


「物質世界へ来たばかりの私は、私を構成する精神基盤から離れてしまったので、記憶を失っていた。

 私が探していたのは、精神世界に強く影響をおよぼすことのできる人間だ。私たちは巫子と呼んでいる。ふつうはクリエーターに多い。おまえたちの世界はクリエーターが弾圧されているから、探すのが大変だった。

 想像力がゆたかな人間。意志力の強い人間。または深い葛藤をかかえている人間もいい。

 おまえは、そのどれにも、あてはまった。

 私はおまえをえらんで、おまえの夢のなかに最初のベースとなる世界をつむいでいった。

 もともと闇の国で、私は夢魔だったので、人間の夢の世界にもぐりこむことができる。それゆえ新しい世界を、人間の夢を吸収する世界として創りあげた。

 おまえの夢に多くの人間の夢をからめ、さらに夢の供給者である人間を住まわせることによって、にわかづくりの精神世界を、ゆるぎない世界へと急速に高めていった。

 本来は物質的な存在である人間は精神世界には住めない。だが、この世界は生まれたばかりで存在が柔軟なのだ。

 その人間自身のイメージを具現化する形で、夢の世界に定住できる。物質的人間を精神的人間に変化させたわけだ。鉄も熱してやわらかいうちには形を変えられるだろう? そんなようなものだ。

 私の姿がいろいろに変わったのも、そのせいだ。ガーディアンたちの私に対するイメージによって、さまざまに変化した。私は精神的な存在だから、人間の心の影響をもろに受ける。ガーディアンの思う、どんな姿にでも変わるのだ。

 もちろん、どちらも、変動期が終わるまでのあいだではあるが。

 もうじき、この世界の存在は確固たるものとなる。変動期がおさまり、形が定着する。

 そうなれば、もう人間はこの世界に入りこめなくなる。物質を精神的存在に変換する力が失われる。

 そう。これが最後のチャンスだ。忍。おまえは私に殺される覚悟で、ここへ来た。おまえの大切なものをすべて、すてて。もういいよ。ゆるしてやろう。来るか? 忍」


 彼の手がさしだされる。


 白大理石の壁や、緋毛氈の床、クリスタルのシャンデリア、黄金細工の彫像——室内の景色が急速に薄れていく。

 白い闇のなかに、召喚機だけが熱い光を放った。


 忍は目の前に浮かびあがる金色の門を見た。


 あの人が門のなかから手をさしのばしている。

 その姿は、禍々しい黒衣の将軍ではなくなっていた。

 忍の望む姿だ。全身が光に包まれている。


 忍はその人の手をつかんだ。


 生まれ変わるのだ。

 この瞬間に現実の自分は死んで、別の存在へと変わる。

 九龍忍としての生涯は、ここで終わる。


 だが、悲しむ必要はない。

 永遠が待っているのだから。


 門をこえると、王女が笑っていた。

 ナインスドラゴンは、その人の名を呼んだ。


「ルミエール。あなたに会いたかった」

「わたしもよ。ナインスドラゴン」

「あなたは私の光だ。私はあなたを守るガーディアンなのだ」


 ナインスドラゴンは美しい少女を抱きしめた。


 帝都をおおいつくしていた暗雲が切れ、金色の光がさした。

 邪悪な将軍が消え、光の王女がとりもどされたからだ。


 都には平安がもどってきた。

 帝都の窓という窓から人々が顔を出し、布をうちふって平和を喜びあった。


 宮殿には音楽が鳴りひびき、廷臣も衛兵も喝采かっさいをあげて王女を迎えた。


 キメトラやフランケン、ケンタウロス、天馬のサイレンスも床を鳴らして踊りだす。


 森の聖女やヒーラーが、どこからか祝いの言葉を述べに現れた。牙じいさんと猫たち、ニック博士の姿もある。


 ジャンクシティーの奴隷は解放され、都には竜たちが帰ってきた。


 みんなの声が一つの喜びの歌となる。


 長い悪夢からさめたのだと、ナインスドラゴンは思った。

 愛しい光の王女を抱きしめながら、これからは毎夜、幸福な夢だけを見るのだと。


 急速に薄れゆく、どこか遠い世界での、かすかな記憶に別れを告げて……。

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ドリーミング 涼森巳王(東堂薫) @kaoru-todo

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