No.6-2




 矢竹と紫苑は、図書館へと向かう道中ずっと無言でいた。

 紫苑は悩みこんでいるようだったし、矢竹も気持ちの整理をつけたかったからだ。知らなかった家の宗教、死んでいった信者、逃げていった母親、手を血に染めた衛、それでも彼の側にいる蘇芳────脳裏に色んなことが浮かんでは離れなかった。

「ねえ、矢竹」

 不意に紫苑から呼ばれた。あだ名で呼ばないということは、真剣に話がしたいということだろう。

「何ですか先輩」

「あの二人にもう一度会ったら…………蘇芳にもう一度会ったらさ。矢竹は、何を話す?」

 不安そうな声色に矢竹が顔を向けると、紫苑は困惑と悲哀が入り交じった複雑な笑みをしていた。矢竹は多分悩んだが、芯の部分では変わりようがなかった。

「衛が鬼にならない対策……ですかね?」

 紫苑が拍子抜けしたように、目を見開き一瞬だけ歩を止める。

「それだけ?」

「はい」

「えー……なんかこう、何でこんなことしたんだ~、とかは?」

「無いです。アイツの中では多分言っても意味無いと思われてるし、どうせ衛の為でしょうから。それよりも──もう一人で悩まないでほしいから、蘇芳だけの問題じゃないから一緒に考えようって伝える、と思います」

「そっか……なるほどね。よーし、俺もそれにのっかろーっと! なあ、矢竹?」

「はい?」

「蘇芳と一緒にさ、作戦会議出来るといいよな」

「……そうですね」

 矢竹の返事を聞くとすっきりとした様子で紫苑が跳ねるように一歩を踏み出した、その時だった。



 と、話しかけられた。



 バッ、と勢い良く紫苑が振り向いて警戒した目で睨み付ける。矢竹は全身が縛られて動けなかった。何に? 恐怖? 動揺? それとも……それでも強ばる首を、本能を理性で押さえ付けて無理矢理向ける。

「嘉木森、さん」

 最後に会った時と何も変わらない、あどけない少女の姿。

 だがあの時、彼女は死んだはずだ。

 致命傷と言えるほど脇腹を削り取られ、致死量の血を流し倒れていたはずだ。

 それが、何故。


「矢竹さん、私と一緒に行きましょう」

「……早く下がって」

 林檎が近付いてきて、紫苑が庇うように前に立つ。しかし矢竹は動かなかった。

「嘉木森さん、俺は君と話がしたいんだ」

「矢竹!?」

 驚愕した声をあげる紫苑には悪いが、譲れない。林檎は表情を蕩けさせ頬に手を当てた。

「お話ですか? いっぱいしましょう。貴方のお家で。まずは帰りましょう。お家の人と貴方と私と、お話いっぱいしましょう」

「ちょっと矢竹、話なんて出来る雰囲気じゃないって! なんか見るからに情緒ヤバいもん!」

 確かに様子はおかしい。先ほどから心がガンガン警鐘を鳴らしている。だが死んでいるはずの人がいるという事態よりは異常ではない、と紫苑も自分をも無視する。

「嘉木森さん……俺は、」



 その瞬間ドン、と鈍い音がして林檎が



 車に轢かれた、と気付いたのは林檎が路地に転がり電信柱に叩きつけられたのを見届けてからだった。

 そのまま彼女はアスファルトの上にの字に折れ曲がって動かなくなる。轢いた車はブレーキ音を鳴らして矢竹達の前に停まった。すぐさま運転席の窓から叱責が飛んでくる。

「アンタ達! ぼーっとしてないで早く乗りなさい!」

 いち早く反応したのは紫苑だった。矢竹の腕を引き車の後部座席に叩き込むと、自身も雪崩れるようにして乗り込み素早くドアを閉めた。直後、車は勢い良く発進する。

「何で轢いた!」

「ちょ、暴れないでよ危ないから!」

 ドアを開けて今にも出ようと暴れる矢竹を、紫苑が羽交い締めにして後部座席のシートに何とか押さえつける。

「あのね、矢竹クン。カノジョ

「え、」

 ちらりとディセントラはバックミラーを睨み付けた。どんな姿で追ってきているかは知らない。だが、矢竹は恐ろしくて見ることが出来なかった。

「轢かれてもまだ動けるのよ。しかも車と同じような速度でね。……なら、あの子は『怪異』なのよ。意志があるように見えて会話を試みてきても、それは結局ヒトを恐怖に貶めるためだけ。そういう風に噂で創られただけにすぎないの」

 矢竹は何も言えなくなり、暴れるのを止めて俯いた。紫苑もほっと息をついて矢竹の横に座る。しん、と静まり重い空気になった車内。そんな中で紫苑は一際明るい声を発する。

「いやー、助けてもらっちゃってありがたいなぁ。ディセントラさん、だっけ? チーくんから噂はかねがね。俺はこの子の先輩で兼春紫苑。どーぞヨロシク」

「アラァどんな噂かしらね。まあ、アナタは矢竹クンのついでに助けただけよ。感謝するなら自分の運に感謝することね」

「えー、そりゃあ俺の普段の行いが良いからだなぁ。普段の俺、ありがとう」

 仰々しく自分への礼を述べる紫苑に、可笑しくてたまらないといったようにディセントラは吹き出した。

「面白い子。助けてよかったワァ……安心するのは撒いてからなんだけど。飛ばすわよォ、ちゃんとシートベルトしておきなさい」

 シートベルトが留める音を聞くや否や、ディセントラは車の限界とも思える程アクセルを踏み込んで急加速するのだった。



 ディセントラに通されたのは普通のアパートの一室だった。ただ家具が極端に少ない。ソファーもテーブルもシンプルで部屋に対して小さく感じる。もしかしたら一時的な拠点の一つなのかもしれない、と紅茶を入れる音を聞きながら矢竹はぼんやり考えた。

「あの娘、何であんな感じになってたの? 狂人っぽいっていうか、廃人っぽいっていうか。それに、やけにアンタらカノジョを信じられないものでも見るように見てたけど」

「昨日、衛が俺の実家を襲撃した」

「…………」

「それで……彼女は、嘉木森さんは他の信者の人達と一緒に死んだ…………はずだったんだ」

「──そう。ついに、衛さんはそこまで鬼になっちゃったのね…………アンタら、そんな状況で町中を歩いてたの? 信者の遺族とかアンタの母親とか狙い放題よ、警戒心無いんじゃない?」

「図書館に行くとこだった」

「へぇ? 何でまた」

「あの二人を襲った怪異を知りたかった。……その怪異に今更どうこうすることは出来ないけど、これから二人を助ける切っ掛けになればいいと思って」

「知ってるわ」

 あまりにディセントラが何気無く言ったため聞き流すところだった。

「──何だって?」

「知ってるわ、って言ったのヨ。衛さんがになった理由が何の怪異だったのか、アタシも気になって前に調べたから」

 湯気をたてた紅茶が二人の前の机に置かれる。可愛らしいデザインのカップに注がれた透き通る茶色は、話の内容とは場違いな家庭の平和さを感じた。

「それは、『コトリバコ』」

「『コトリバコ』……?」

「簡単に言えば、迫害された部落に伝えられた呪術よ。間引いた子供を使う、箱に入った呪術。……それは触れるどころか近くに置いておくだけで女子供を殺すの。徐々に内臓が崩れていく、苦しみぬく死に方で。子を取るから『子取り箱』なんじゃないかって言われてるわ」

 紫苑が一口飲んだカップをソーサーに置き、ぽつりと溢すように呟く。

「つまりそれってさ、ってこと?」

「!」

 矢竹は息を飲む。紫苑が示唆することはすなわち──矢竹の母親達が創り、衛達の村へと送った可能性もあるということだ。

「……あまり考えたくないけど、そういうことよ」

 ぐっ、と矢竹は自分のズボンを握り締めた。もし……もしも自分の家族が彼らの家族を殺していたならば、その時は────


「ネェ、アンタら。アタシ達と一緒に、衛さんを助けない?」


 深く悩んでしまう矢竹の悪い癖が出そうだった絶妙なタイミングに、ディセントラが鶴の一声をあげた。

「一緒に……って、こっちは武装勢力じゃないんだよ? 武器だってBB弾だし、そっちは何かアテでもあるの?」

「あるわ」

 紫苑の戸惑った疑問にも間髪入れず返す。そこに車内で喋っていた人懐っこいディセントラはいなかった。

「アタシ達、アンタらとは別に怪異を倒す集団に所属しているのよ」

「そいつは知らなかったな……政府こっちが知らないってことは公的な集団じゃないんだろ?」

「そうよ。そんな簡単に名前とか本拠地とかは教えられないけど、何をしているのかくらいは教えられるわ。アンタらとは違う怪異へのモーションのかけ方くらいはね」

「……是非とも、聞かせてほしい」

「怪異は一部の有名な事例を除き、局部的な地域に噂が広まる。ならば乱暴だけど根本的な解決法が取れるのよ」



「そう、────というね」



 しばらくの沈黙を破ったのは矢竹の嘲笑だった。

「何だそれ」

 正確に言えば、嘲笑したかったが半端に出来なかった失笑未満。

「その地域の人、全員殺すっていうのか……?」

「……そうよ」

「変わらない。そんなの……嘉木森さん達がやったことや、怪異が人を殺すのと何も変わらないじゃないか!」

「分かってるわ。……これは犯罪よ。人殺しなんて、残される人達の想いを考えると許されるものではない。でも、やるの」

 ディセントラの台詞には感情が混じっていなかった。違う。激情を混ぜないようにしていた。その証拠に、膝に置かれた手は固く握られ甲に血管を浮かび上がらせていた。

「更なる犠牲を防ぐため、大切なものが凌辱されないため、喪った人の名誉を取り戻すため…………ここの集団に入った人の目的は様々ある。でも手段は同じ。

 ディセントラは、真っ直ぐに矢竹を見て、目を合わせる。

「アタシ達は大切なものの為ならいくらでも手を汚す。そんな覚悟がある。……アナタに、それを笑うだけの意志はあるの?」

 ヒュッ、と細く矢竹の喉の奥が鳴る。目を見合わすだけで威圧される。

 矢竹が彼等を止めようとしていた理由など、世俗に植え付けられてきた正義感と倫理観にすぎない。果たして矢竹に──家から何も知らされず飼い殺されてきた人間に、彼等ほどの意志はあるのだろうか?



 ────!、と矢竹の上着ポケットの中でバイブレーションが鳴った。



 心臓が掴まれたように早鐘を打つ。慌ててスマホを取り出し、席を外すべくソファーから立ち上がる。

「……電話出る」

 画面の表示を見ると『百合先輩』と相手先が出ている。通話ボタンを押しながらバタバタと忙しなく廊下に出た。

「出るの遅くて、すみません。どうしました?」

「矢竹、遅いわ! 何かあったのかと……心配させないでちょうだい!」

 百合の声が数時間ぶりだというのに随分久しぶりに感じた。しかし矢竹を気にかける言葉は泣き出しそうで心が痛んだ。

「ごめんなさい、俺……」

「ううん、大丈夫ならいいの。あのね、柏先生が見つかってお話出来たのよ。それでどうしても矢竹に話しておかないといけないことがあるの」

「話しておかないといけないこと、ですか」

「ねえ……聞いて。どんなに信じられない話でも、これから私のする話を信じて」

 訴えるその声には並々ならぬ切迫した響きがあった。自分だって信じられない、でも相手にも自分も受け入れなければならないと言わんばかりの。

「お願い」

「…………分かりました。信じます」

 落ち着かせるよりも話を聞いてからの方が早そうだ、と判断した矢竹は了承した。向こうも頷くように一拍開けてから話し始める。

「柏先生は怪異隠蔽課の任務とは別に、個人で目的があって行動してたらしいわ。その話に嘉木森さんの名前が出て来て……」

 電話越しに緊張した息遣いが伝わる。そして、



「嘉木森林檎は、



 ガシャン、と手元からスマホが零れ落ちた。




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怪異隠蔽課、高校安全係 胡麻之内 鶏助 @sesame-chicken_yummy

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