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No.6-1




 おぞましき箱。

 呪いの箱。

 利己主義の果ての箱。



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 目を覚ました。

 もう雨は降っていなかった。ただ湿った匂いだけが残り、雲越しの薄い陽が色の褪せた畳を照らしていた。湿度と気温の高い、敷いている布団以外に何もない簡素な和室。矢竹には見覚えがあった。以前風邪をひいた際に寝ていた管理人室だ。のろのろと身を起こす。身体ではなく心が重い。自身に目をやれば血塗れの制服ではなく寝間着に着替えされていた。

 不意に扉を開ける音と、ビニール袋が落ちる音。そちらに顔を向けると今にも泣き出しそうな表情の百合が立っていた。

「起きた! 矢竹が起きたわ、早く来て!」

 リビングで叫ぶ声も慌ただしく駆ける足音も、何処かまだ矢竹には他人事のように聞こえていた。遠ざかった足音は、今度は複数に増えて戻ってくる。そして桃がタックルしそうな勢いで布団に、矢竹が入っている箇所すれすれに突っ込んできた。

「遅いんだよ! 心配かけやがって、起きるならさっさと起きろよな!」

 紫苑は苦笑しつつも桃の首根っこを猫のようにつまみ上げ、布団の横の畳に軽くぺいっと放った。それを一瞥して柊が無言で部屋に入る。

「起きたばかりの人にやんちゃムーブしないの。……起きてくれて良かったよ。昨日のこと、覚えてる?」

 何も言わず、矢竹はただ一つ頷く。

「俺、どうやってここに?」

「玄関先に倒れてたんだよ。ご丁寧に上と下にビニールシート被せてさ。おまけにブランケットまで間にかけてあった」

 そっと気を失う前まで話していた相手を想う。雨に濡れないために風邪を引かないためにと配慮して、途中で自分は何をやっているのかと自嘲するところまで目に見えるようだった。

「山吹は?」

「怪我は軽いものだったけど検査で入院中。内臓を外してたのが良かったんだって。まー、すぐ帰って来られるでしょ」

 矢竹はほっと胸を撫で下ろしたが、何故大した怪我ではなかったと林檎が知っていたか疑問に思った。だが思考の海に潜る前に桃が矢竹の膝辺りの布団に寝転がる。

「まーだぼーっとしてんな?」

「あ……ごめんな」

 その謝罪と笑みに桃は眉間に皺を寄せる。

「矢竹」

「う、うん?」

「オレはそんな風にへらへら笑って隠して溜め込んで、後で抱えきれなくてパンクされるなんてゴメンだからな」

 グッと息が詰まった。パンクするしないは分からないが、少なくとも矢竹自身にもへらへら笑って隠している自覚はあったからだ。

「山吹と別れた後、何があった」

 畳み掛けるように桃は詰め寄る。助けを求め他の三人を見回したが誰も桃を制止する者はいなかった。みんな、真剣な表情で矢竹を見守っていた。その視線に観念して重い口を開く。

「あの時、俺が起きたときには実家の俺の部屋にいたんだ」

「はあ!? 実家ぁ?」

 矢竹は首肯し一つ一つ語りだした。

 その実家が宗教を造り上げていたこと。

 衛が部屋に入ってきて信者達を殺してしまったこと。

 信者の中には林檎もいたこと。

 動く者が居なくなってから蘇芳が入ってきて、過去の一片を話したこと。

 主観だけに偏らないように、なるべく自分の思考は含めないで伝えた。すると話し終える頃合いに紫苑はそっと、矢竹が自身の膝にずっと置いていた手を握った。

「紫苑先輩……?」

「ごめんね、辛いのに色々話させちゃって」

「いや、辛いとか、そんな」

「気付いてないの?」

「何が」

 その返事に紫苑はくしゃりと顔を歪ませて告げる。



「君、話の途中からずっと泣いてるんだよ」

 ぺた、と顔に触れれば確かに手が濡れた。

 意識すれば視界がどんどん滲み、布団に小さな染みを作っていった。



「何でだろう……俺、俺に泣く資格とか無いのに」

 心から不可解そうに矢竹は涙を拭う。泣くことが可笑しいと言わんばかりに、表情だけは笑みを形作る。

「嘉木森さんが目の前で死んだんだ。なのに涙の一つも出なかった。家の事情に一枚かんでたからって、家のこととか黙ってたからって、そんな薄情な真似していいはずがないのに。あんなに助けたかったのに」

 拭っても拭っても水滴が落ちては溢れ出る。矢竹がどんなに泣き止みたくても、涙は止まってはくれない。

「蘇芳に何もしてやれなかった。言ってやれなかった。……円城寺にもだ。アイツは、俺と友達でいたがってくれてたのに。助けを求めてたのに! 俺が何も知らなかったから、俺が無力だから、親に命令されてばかりの人形だった、から」



 パン、と乾いた叩く音が響いた。



「謝らなくていいの!」

 百合が矢竹の両頬を挟むように叩いていた。

「何処に何もかも矢竹が謝る筋合いがあるのよ! お家の人も彼女も蘇芳も彼も黙ってたんでしょう? ノーヒントで全て事情を知れって方がおかしいのよ! 助けを求めてるなら助けに行けばいいわ!」

 ぎゅうぎゅうと頬を両側から押さえつけながら百合が大喝する。まだ矢竹は泣き止まなかったが、百合までも目が潤み涙声になっていた。

「泣いてもいいの。悪くないから、資格とか泣くのに必要ないんだから矢竹が泣いたっていいのよ。でも泣き止んだら何がしたいか話しなさい。私は仲間が傷付けられたり、離れた場所で一人苦悩してるのを黙って見てられる人間じゃないの」

 百合以外しばらく理解が追い付かず呆気に取られていたが、やがて紫苑がプッと吹き出した。

「ハクちゃんってば、本っ当に世話焼きでお節介で心配性だからな~。覚悟した方がいいよぉチーくん。もう大丈夫って言ってもしばらくは周りうろちょろして離れないからね?」

 百合が紫苑の鳩尾に肘を喰らわす。紫苑が短い呻き声をあげて徐々に沈んでいく様を見て、桃は声に出して笑う。柊は口を押さえ笑いを堪え顔を背ける。矢竹もみんなの様子を見てようやく胸のつかえが少し、少しだけ取れた気がして顔の強ばりを緩めることが出来た。


 涙も止み、矢竹はようやく仲間達に真っ直ぐに向き合った。自身の中でも上手く纏まらない思いを拾い上げ、言葉にしていく。

「まず、俺は神様になりたくない。あんな奴らの言うことなんて、もう聞きたくない」

「そーだそーだ!」

 桃がしっかりと頷き、紫苑が茶々のような合いの手を入れる。重くならない雰囲気が矢竹はありがたかった。

「最終的には蘇芳と円城寺を助けたい。円城寺を、衛を鬼にさせない」

「よーし、チーくんの案で決まり!」

「結果的に怪異を一つ減らすんだから間違いなくオレ達の仕事だ。柊も異論なんか無いよな?」

 今まで黙って様子を伺っていた柊は、急に話を振られて目を真ん丸にした後そっぽを向いた。

「……良いんじゃないか」

「うんうん、決まり決まり!」

「あと俺、今考え付いたことがあるんだけど、いいかな」

「いいよ。この際だからなーんでも話しちゃって」

「じゃあ話すけど、怪異ってぶっちゃければ嘘がそれを信じる人達の思念を得て実体化してったモノだよな?」

「う、うーん……凄く簡潔にしすぎてる気がするけど、確かに……そう言えばそうなのかもね」

「それと前に紫苑先輩が、俺が誰の証言を信じていいか分からないときに『後押ししたい人を信じればその人の力になる』って言ってくれたことがあって」

「……何でみんなの前で言っちゃうかなぁ、それ」

 先輩の格好付けくらい黙っててよ、と紫苑が頭を抱えたが矢竹は構わず話を進めた。

「そう思うと、信じるとか信じさせるってそれだけで物凄い影響を与えてるんじゃないか? プラシーボとか、病は気からってことわざとかあるし……だから俺、まずは信じるとこから始める。アイツが鬼なんかじゃなくて、ただの高校生に過ぎないだって」

 その場にいた者は最初よく分からないまま矢竹の話を聞いていた。だが、最後の表明を聞いてハッとした顔になった。やがて紫苑がぽつりとなるほど、と呟く。

「その発想は無かったかも。ポジティブに信じてあげて噂を信じない、怪異を生み出すのとは逆の発想だね。……俺達、怪異は生まれたら倒すって考えしか無かったなぁ」

「その仮説も採用でいきましょう。まあ、やったこと無いから効果の程は分からないのだけどね」

 紫苑と百合は半信半疑といったように了承し、桃はまだ理解が出来ず首を傾げていた。ただ一人、柊だけは渋い顔をして俯いていたのだった。



「蘇芳については御不在の柏先生にも後で話聞くとして……私達は今何をすべきなのかしら。というか、何が出来るの?」

 今まで気丈に振る舞っていた百合も不安を感じていたところがあったらしい。そこは同じく最年長の紫苑がすかさずフォローする。

「まずは、どうすれば二人を大人達から引き剥がせるか考えることじゃない? 鬼化を抑えるためにもだけど、話を聞く限り円城寺くんの精神面にも悪影響だよ。後は二人が会った怪異について調べてみる、とか」

 そこにいるメンバーがお互いの顔を見て頷き合った。

「スーくんの話から読み取れたのは持ち運べる媒介があり、女子供が血肉を吐くよーな致死率の高い怪異、か。……うーん、心当たりはあるにはあるんだけど、これじゃないと良いなぁってヤツばっかだなぁ」

「致死率が高いって時点で仕方ないじゃないの。調べるならとことん調べるわよ」

 そこで柊がスッと立ち上がった。

「俺は怪異隠蔽課のデータベースを漁る。好きにやらせてもらうが、後できちんと報告はする」

 要点だけ言うと返事を待たず、そのまま柊は管理人室から出ていってしまった。足音が去っていくのを聞きながら桃が大きな舌打ちをする。

「アイツ……相変わらずいけ好かない真似しやがって」

「まあまあ、ちゃんと報告してくれるって言ってるんだから俺達は俺達で動こ。俺は図書館にでも行ってみようかなー。ここの土地についての資料もあるかもしれないし」

「私はもう一度柏先生と連絡が取れないか試してみるわ。二人はどうする?」

「オレは図書館とかパス。他の教師とかに教官見なかったか聞いて回ってみる」

「じゃあ俺が紫苑先輩と一緒に図書館へ行くよ。二人で探した方が早いから」

「それでいきましょう。……紫苑、矢竹のこと頼んだわよ」

「分かってるって」

 役割分担を決めた一同は、各々やるべきことをやるためにそれぞれ目的地へと向かった。

 この時から合流するまで、かなりの時間を要することになるとは誰も思っていなかったのだった。




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