第4話 異界処理班と須磨海浜水族園に行く
井守が家に帰ると、玄関前に誰かが立っている。おしゃれな黒いスーツ。でもちゃんと頭があった。
スーツの男は振り返り、微笑みながらこう言った。
「わたくし、広島県警の異界処理班の者です。北条が来れなくなったので代わりに此方に参りました」
「北条?」
「ほら、イチゴパフェ、イチゴパフェ」
「あぁ~」
タチウオやらなんやらですっかり忘れていた。そうだ、言うべきことがある。
「俺さ、あの水で出来た変な奴、飼うことにしたから」
「飼う?!は?!お前、何言ってんの?!」
あんたこそ、さっきまでの丁寧な口調はどうしたの、井守は心の中で呟いた。
「ちゃんと面倒見るよ」
ハムスターを飼うときに親に言った言葉が、井守の口からするりと出てきた。やっぱり中学生と大人は違うな。親は異界処理班に、ハムスターは異形の存在に変わった。
「名前だって、もう決めてあるんだ」
宮島水族館からの帰り道、風吹き荒ぶフェリー、夕焼けの空に混じる海、その瞬間、井守の頭に閃いた。
「ミナモ。あいつの名前はミナモだよ」
井守はにっこり笑いながら言った。異界処理班はため息をついた。今日はため息デーだな、井守はそう思った。
「こっちも仕事なんで、異界の住人を回収しなくちゃいけないんですよ。でも、まあ、個人的に異界の住人をペットにするのは興味がありますね。だから、一部だけなら飼っても良いですよ」
「一部?」
井守は五つのパーツに分かれた異界の住人をゴミ袋から出して庭に転がした。右手。左手。右足。左足。それから胴体。
「胴体と足はダメですね。右手か左手のどっちかだけにして下さい」
「じゃあ、左手にするよ」
そう言って井守は異界の住人のキンキンに冷えた左手を手に取る。自分の左手と握手させる。
「よろしくな、ミナモ」
「ひっ」
誰かの悲鳴。それは井守の隣人、吉松さんの物だった。隣の家の庭で気絶している。
「だから家の中でしませんかって言ったんですよ」
「でも、知らない奴を家に入れたくなかったんだ」
異界処理班は舌打ちをした。警察の人って舌打ちしていいの?井守はそう思ったけれど口には出さなかった。
異界処理班は大きな白い袋に異界の住人の左手以外のパーツを詰め込んだ。
「井守冥朗……さん」
「何だい、サンタクロースさん」
「明日、兵庫県の水族館に行くんですよ。良かったら一緒に行きませんか」
井守は知らない奴に二つ向こうの県の水族館に誘われるのは初めてだった。なんだか嫌な予感がした。
「俺、今日も水族館行ったから、やだ」
「須磨海浜水族園にはワニがいますよ」
ワニ、それは海賊の天敵。白兎の皮を剥く者。得意技の名はデスロール。夢占いによると、ワニの夢は自らに危険が近付いていることを示す。
そんな素敵な動物を、嫌いな奴がいるだろうか?
「水族館に、行くんじゃないの」
井守がそう言うと、異界処理班は、まあまあ、はぶてないで、と返した。
朝早くから新幹線に一時間半乗って、やって来たのは兵庫県。の、産婦人科病院。なんで?という言葉が井守の頭に浮かぶ。
異界処理班は受付の者に面会に来ましたと告げると、すたすたと入院患者用の個室に向かう。
「姉さん、入るよ」
ドアを開け、二人は個室に入る。そこには三十代らしき女性が一人。
「どうぞ~。あ!この子、噂の冥朗くん?」
「そうそう」
「あのさ~、無痛分娩やばいよ。産後の元気度が全然違う。まじ、やばい。旦那もびっくりしてる」
「前のお産の後、姉さん顔真っ白だったもんな~。今回は元気そうで良かった」
井守は知らない奴の姉から無痛分娩の凄さを語られるのは初めてだった。なんだか不思議な気持ちになった。
廊下に出て、ガラス越しに見せて貰った赤ん坊は、小さくてしわしわだった。井守はふと思う。本当にこの世に生きる全ての人が、一度はこの状態を経ているのだろうか?お金持ちの次郎も?物知りの健介も?泥棒の谷岡も?
自分も?
「考え事ですか?」
異界処理班が微笑みながら井守に話しかけた。今気付いたけど、こいつ、イケメンだな。むかつく。姉とはあんまり似てないのな。
「うん。でもあんたが来たら雑念が混じった。考え事の邪魔しやがって」
二人は病院を後にして、須磨海浜水族園に向かった。
電車はごとごと揺れて、窓の向こうには海が見えた。新幹線に一時間半も乗ったのに、違う県にやって来たのに、この海は昨日見た海と一緒なんて、変なの、と井守は思った。
「今日、一緒に来てくれてありがとうございます。オレ、元々姉さんと赤ちゃんに会いに姫路に行こうと思ってたんですけど、井守冥朗さんと異界の住人を追って来たってことにして、経費で落とせますからね」
「イケメンのくせに、嘘つきで、けちんぼなんだな」
井守がそう言うと、異界処理班はにこにこと笑った。
「スタンプラリーしましょう」
水族館に入ってすぐ、異界処理班はスタンプラリーのための紙を井守に差し出しながら言った。
「子供かよ。あんた何歳?」
「今年の八月二十日で二七になります」
同い年だ、一つ目のスタンプを押しながら、井守は心の中で呟いた。ガチャンと音がした。
異界処理班も一つ目のスタンプを押す。井守の時と同じ、ガチャンという音。けれど、この男は、おしゃれなぴかぴかの黒いスーツを着ていて、井守のように高校生の時から着古した服など着ていなかった。
井守は手にかいた汗をジャケットでそっと拭う。スタンプのインクが手に付いていたらしく、ジャケットに青いしみが出来た。
「ちぇっ。このジャケット、気に入ってたのに……」
小さな声で呟いた。そして、大きな声でこう聞いた。
「この水族館、タチウオ、いる?」
タチウオは他の魚に見向きなんかしない。他の魚を羨ましく思ったりしない。井守は今すぐタチウオになりたかった。
「いませんよ。タチウオを飼育している水族館は珍しいですからね」
「ちぇっ……」
「でも、カピバラはいます」
ワニとカピバラを見たので、井守はなんとか平静さを取り戻した。
水族館を大方回り終えた頃に井守の腹が鳴ったので、二人は買ったフランクフルトを、外のテーブルで食べることにした。
ばさばさと音がして、足下を二羽のハトが通る。ハトにエサをやらないで下さいという貼り紙の側で、三歳ほどの子供がハトにポップコーンを与えていた。
「井守冥朗さんは、経歴によると今現在、無職でいらっしゃるんですよね?」
「無職じゃない。精霊狩りだ」
「異界に行くことの出来る人は限られています。そのせいで異界処理班は常に人手不足。宜しければ、助っ人として協力して頂けませんか?」
「やだね。俺の仕事は、精霊を狩ること。異界だとかは管轄外だ」
「今現在、牧原次郎さんから援助を受けて生活しているとか」
「……俺はあいつの命の恩人だし、あいつは金持ちだから、いいんだよ」
「勿体無いと、思うんですよ。普通の人間は貴方のようにすぐさま異界の住人と戦えるものではありません。我々、異界処理班は、井守冥朗を必要としています」
異界処理班の目がぎらぎらと光る。力強いまなざしが井守に刺さる。
「ありがとう……。でもダメだ。仕事をするってことは、それだけ精霊を狩る時間が減るってことだからな」
「……そうですか。とても残念です」
二人は会話を止めて、フランクフルトを食べるのに専念する。
また大きくばさばさと音がして、二羽のハトが一粒のポップコーンをめぐって奪い合いを始めた。そして、片方がそれを勝ち取り、ごくりと飲み込んだ。
同じタイミングで、異界処理班もフランクフルトを食べ終えて、まだ食べている井守にこう言った。
「オーケーって言えば、ゲームボーイアドバンス返してやろうと思ったのに」
異類る円居る 八ツ波ウミエラ @oiwai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異類る円居るの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。