第3話 宮島水族館に行く

――ピンポーンピンポーン


 玄関のベルが鳴り響く。その音で井守はベッドから飛び起きる。枕元に置いていた鉈を拾い上げ、玄関へ向かう。


「デジャヴだ。ひょっとして逃げたのか?」


 井守は玄関へ向かうのを止め、リビングの冷蔵庫の扉を開けた。異界の住人はきちんと五つのパーツに分かれて冷蔵庫に詰まっている。


「ということは……二体目?」


 鉈に書いてある読めない文字を確認して、強く握り締めた。玄関の扉を勢い良く開ける。


「うわっ!!井守さん、家の中くらい鉈持ち歩かないで下さいよ」


 茶色い髪の青年が呆れた顔をして言った。見慣れた顔のせいで井守の戦意は風船のようにしぼんだ。


「ぷすー」


「は?井守さん?」


 こいつまたピアス増やしたな、井守はそう思いながら鉈の背で青年を小突いた。一回、二回、三回。青年のピアスはその三倍はあった。俺は耳に九つも穴なんか開けたくないね、心の中で呟いた。


「おい!やめろ!危ない!こんなことして面白いんですか?!」


 青年は顔を真っ赤にして叫んだ。


「うん。子供が大人のふりしてるのを見るのは面白いよ。……何しに来たんだ?」


 言い終わると井守はあくびをした。もう少し昼寝をしていたかったからだ。冷蔵庫の中の異形もきっとそう思っている。ああそうだ、そろそろあの異形に名前を付けなければ。何かを飼うのは目の前にいる奴以来だ。こいつが十三の時に拾って十四になって家に帰して……今こいつが十九だから……五年ぶりかな?


「何しに来たって……前から約束してたでしょう!宮島水族館に行くんですよ!」




 フェリーは海を進んで宮島に向かっている。風が心地よかった。


 井守はポラロイドカメラで海に建つ大鳥居を撮った。出てきた写真が風で飛ばないように、すぐにポケットに入れる。その時、青年がこちらを見ているのに気付いた。


「引率の先生はカメラを持ち歩かないとな」


 井守はにこにこ笑いながら言った。だがそれに対する言葉は冷たかった。


「あなた無職でしょう」


「無職じゃありませ~ん。精霊狩りで~す」


 青年はため息をついて、呆れた顔で井守を見た。いつもの見慣れた顔。


「ため息なんかつくなよ!ほら、健介も使ってみろ。なんなら宮島にいる間はずっと持ってても良いぞ」


 井守はカメラを健介に手渡す。


「もちろん。あなたの物はぼくの物。ぼくの物はぼくの物です」


 呆れた顔から打って変わって、得意気な顔になった。子供って感情豊かだよな、井守はそう思った。


「ジャイアンかよ」


「それは違いますね。今の言葉は元々はシェイクスピアの物ですよ」


 それを聞いて井守は思わずクスクスと笑う。健介が笑う井守を睨みながら言った。


「何を笑っているんですか」


「だってお前そんな見た目なのにシェイクスピアとか言うから」


「人を見た目で判断してはいけませんよ」


「そうだよな、ジャイアンだってシェイクスピア知ってるんだもんな」




 宮島水族館の歴史が1959年に始まっていることを知る者は少ない。今年でちょうど60周年だ。


 井守が宮島水族館に来たらするべきことは決まっている。タチウオだ。タチウオを見るのだ。




 井守には夢が三つあった。


 一つ目は、死ぬまで精霊を狩ること。


 二つ目は、谷岡からゲームボーイアドバンスを取り戻すこと。


 三つ目は、死んだ後、タチウオに生まれ変わること。


 井守はタチウオが好きだった。タチウオは上ばかり見ている変な魚だからだ。他の魚に見向きなんかしない。他の魚を羨ましく思ったりしない。きっと泥棒もしないだろう。


「それ、おかしくないですか?タチウオの目は側面に付いてるんだから、横だって見てると思うんですけど」


「うるさいなぁ。俺の夢を壊すな」




 中のカフェでカレーを食べて、二人は水族館を後にした。


「スナメリも、ペンギンも、カワウソだっているのに、タチウオだけずーっと眺めて、変な人ですね」


「まあね。俺さ、死んだらタチウオになって宮島水族館に住むよ。次郎とお前で、たまに会いに来てくれよな」


 健介は呆れた顔で井守を見た。

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