エピローグ『まだ何者にもなれない僕たちは、夜空に新星の夢を見る――』 Side智幸

「お待たせ。宗也くん、智幸さん」


 勢いよく屋上の扉が開いたかと思うと、弾むような元気のいい声を出しながら美晴ちゃんが顔を出した。


 シートの上に腰かけていた僕と宗也くんの視線が、ほぼ同時に彼女へと集められる。にこやかに笑む彼女の手にはコンビニのレジ袋が提げられていた。


 衣替えも終わって、もうじき本格的に冬がやってくる。分厚い冬服のセーラーについた胸リボンを揺らしながら、美晴ちゃんは僕たちの傍へと駆け寄ってきた。


 それから少し遅れて菜摘ちゃんもやってきた。美晴ちゃんの様子とは違い、息を切らせながら胸に手を当てている。菜摘ちゃんは、どうにか呼吸を整えようと息を深く吸っては吐いてを繰り返していた。


「ふう、やっぱり速いね。息も切らしていないだなんて、テニスをやっているだけのことはあるよ」

「あたしの勝ちですね。じゃあ、このふんだん野菜サンドは頂きます」

「むう、仕方ないか。駆けっこで早い者勝ちだって言いだしたのはわたしだしね」


 持っていたレジ袋からサンドイッチを取り出した美晴ちゃんを見て、菜摘ちゃんがため息交じりに肩をすくめる。


 美晴ちゃんは嬉しそうにサンドイッチを眺めながら、宗也くんの隣に腰を下ろした。レジ袋の中にある夜食用のおにぎりやパンを取り出し、いくつかを手にとって宗也くんに勧めている。


「あ、あの。宗也くんはどれがいい? これとか、美味しそうだよ」

「梅干しかあ。俺あんまり好きじゃないんだよな」

「あ……じゃ、じゃあこっち。このピリ辛鶏五目」

「おお、なんかそれは美味そうだな。じゃあそれもらおうかな。俺、辛いの好きなんだよ」


 宗也くんの言葉に美晴ちゃんは強く頷き、持っていたおにぎりを手渡した。


 そんな二人の後ろから、蚊帳の外だった菜摘ちゃんがうらめしそうに顔と口を挟んでいく。


「辛味っていうの味覚じゃなくて痛覚なんだってね。つまり、辛いのが好きな人は痛みが好きってことだね。ということは痛いのが好きというわけで、それはつまりドMってことかな。だから宗也くんはドMってことだね」

「お、おい。ふざけるな!」


 けらけらと笑いながら言う菜摘ちゃんに宗也くんが怒り返す。

 そんな二人のやり取りを、美晴ちゃんは楽しそうに笑って眺めていた。


 心なしか、近頃の美晴は宗也くんとの接し方に微細な変化を見せているように思える。まだぎこちないながらも、彼女なりに努力している様子がよくわかった。


 だが、変わったのは彼女だけではなかった。


 菜摘ちゃんも、ちょうど美晴ちゃんとは正反対に、宗也くんを挟むような形で座りこんだ。膝を抱え込み、埋めるようにあごを置く。足の先はそっぽを向いていたが、視線だけは横目に宗也くんを捉えていた。


 見つめるまなざしはまるで恋する女の子のようだ。彼女の顔が赤みがかっているのは、西の山並みに沈みゆく夕陽のせいでも、運動したばかりで上気してしまったせいでもないだろう。


「宗谷くん、味はどうだった?」

「けっこう美味かったぞ。秋川も今度食えばいいよ」

「そっか。わかった」


 手が届かない憧れの存在ではなくなった宗也くんに、美晴ちゃんは自分なりに近づこうと努力をしている。


 楽しそうに話す二人に菜摘ちゃんはつまらなさそうにぶうたれている。


「なんだか眠そうな顔をしているね。観測中に寝てしまわれても困るからカフェインを取って目を覚ますと良いよ」


 我慢ならなくなったのか、口を尖らせるようにして菜摘ちゃんが宗也くんに言った。美晴ちゃんの傍に置かれていたレジ袋からペットボトルのコーヒーを取り出し、半ば強引に押し付ける。


「いや、別にそこまで眠たくないんだけど」


 苦笑しながら受け取る宗也くんは、しかしとても楽しそうだった。


「青春だねぇ……」


 なんだか孫を見るような気分で僕は眺めていた。

 あの輪の中に入るには、僕にはちょっと年齢が厳しすぎる気がする。


 と、そんな僕に気付いたのか、美晴ちゃんが立ち上がって駆け寄ってくる。


「智幸さんはどれがいいですか? なんでもありますよ。あ、ちょっと減っちゃってますけど」

「ありがとう。美晴ちゃんは優しいね」

「わたしも優しいよ」


 何故か対抗意識を燃やしだしたのか、菜摘ちゃんも別のコンビニ袋からおにぎりなどを差し出してきた。


「こ、こんなにいっぱいは食べれないよ」

「残念」


 菜摘ちゃんは本気で落ち込んだ風に肩を落とす。

 それを見て宗谷くんが笑った。


「そういうところが子供なんだよ」


 呆れた口調で言う彼に、菜摘ちゃんはとびきりの笑顔を浮かべて言葉を返した。


「いいじゃないか。だって、子供なんだもの」


 彼女の笑顔は東の空に浮かんだ一等星のように眩しくて、僕は思わず、何気ない幸せなこの一瞬を切り取るように、雑誌取材の仕事用の一眼レフに収めたのだった。


 宗谷くんたちに貸したカメラが壊れてからもう一週間が経っている。

 あれからつつがなく日々が過ぎ、こうして無事、観測会を再開することができた。


 一時はどうなる事かと思ったけれど、きっともう、大丈夫。僕たちはまた前へと歩き出せているのだ。


「智幸さん、今日はどんなことを教えてくれるんですか」


 宗也くんが僕の隣へと移ってきた。

 ぼんやりと傍観していた僕の顔を、嬉々とした表情で覗きこんでくる。


 合わせるように、菜摘ちゃんと美晴ちゃんの目線も僕へと集まっていた。


「今日は、また別の星座の神話が聞いてみたいな」


 言ったのは菜摘ちゃんだった。

 あたしもです、と美晴ちゃんが続いて頷く。


 なんだか僕は、それだけで心が満たされていくような感覚だった。僕も何かしら彼らの影響を受けてしまったのかもしれない。


 嬉しくてたまらなくなった。


 そうだね、と僅かに考え、それから僕は大きく口を開いた。


「じゃあ、今日はこんな話をしてみようか――」


 輪を描くように並んだみんなの顔が僕へと近づく。


 東の空には、小さく、だけどはっきりと一番星が輝いていた。





『――そうして彼らは、また新しい星を探して夜空を見上げる。いつか本当に新星が見つかる日を夢見て。次の観測会がたのしみだ』


 よし、と僕は頷き、キーボードのタイピングの指を止めた。深く息をついて、ノートパソコンの電源を切る。


「智さん、仕事中にあんまり他のことしないでくださいよ」


 アルバイトの男の子が、疲れ目を指で押さえて座りこむ僕に言う。注意するだけ無駄だと、彼もわかっているのだろう。もう諦めているのか、けらけらと笑いながら注意だけはしておこう、といった軽い調子だ。横目に声だけをかけ、棚の整理を丁寧にこなしている。


 最近はいつものことだ。ついつい筆が進んで熱中してしまう。それもこれも、いろいろと話題に事欠かない少年少女たちのおかげである。


 

「店長に見つかったら説教食らいますよ」

「それは恐いね。でも、あいにくもう勤務時間外だ」


 苦笑を洩らしながらも、僕は壁に掛かった古時計に目をやった。


 もう昼の四時を過ぎる頃合いだった。今日の僕のシフトはあがりである。


 よっこらしょ。とジジくさい声を漏らしながら立ち上がった。


「どこに……ああ、いつものやつですね」

「うん。ちょっと出かけるからあとはよろしくね。すぐに親父が来るとおもうから、面倒な雑務はそっちに回しちゃっていいよ。僕がサボってるのを見逃してくれたから、店長の息子権限で勝手にちょっと休むのも可」


「智さんみたいに不真面目な子どもじゃないんだから、俺はそんなことしませんよ」

「ははっ、違いない。いつも助かってるよ。ありがとう」


 自嘲を浮かべつつ、店を出る。

 ノートパソコンを鞄に詰めて、僕は店先に停めていた自転車にまたがった。


 ふと、店先の陳列棚に並ぶ雑誌コーナーに目がいった。

 その端に置かれていた月刊誌を手に取り、ぱらぱらと開く。


 地元密着型のローカル誌。その隅に、僕の名前が載っていた。男の子と、二人の女の子が一緒に写った、満点の星空写真を携えて。


 題名は『夢を見上げる子供たち』


「じゃあ、行ってくるよ」


 雑誌を元の場所に戻してサドルに深く腰掛けると、僕は地面を強く蹴った。


 暑さも引いて冬の寒さを思わせ始める風が吹く道を、一歩ずつ踏みしめるように、車輪は勢いよくまわっていった。



 終

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ホシノミタユメ -まだ何者にもなれない僕たちは、夜空に新星の夢を見る― 矢立 まほろ @yatatemahoro

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