エピローグ


 エピローグ



吐く息も凍りつくような真冬の深夜に、ふと眼が覚めた。ここ最近はとても寝付きが良く、穏やかに熟睡出来ていたから、こんな事は久し振りだ。そしてもう一度寝直そうと眼を閉じた所で、違和感に気付く。ベッドの脇に居るべきキーサの姿が無い。待機状態スリープモードのキーサは一定以上の外部刺激を受けるか指定された時間にならない限りは身じろぎ一つせずに眠り続けている筈なのに、一体どこに行ったのだろうか。

「キーサ?」

 少しばかり寝惚けながら視線を巡らすと、僅かに開いた寝室のドアの向こうから、人の会話が微かに聞こえて来る。

 僕はのっそりとベッドから這い出すと、寝室を抜けて廊下へと足を向けた。そして開け放たれたドアの先を見遣ると、バスルームの洗面台の照明が灯されていて、廊下まで明かりが漏れている。どうやら耳に届く声は、そこから聞こえて来ているらしい。

「キーサ?」

 僕は小声で、囁くように彼女の名を呼んだ。返事が無かったのでバスルームの中が覗ける距離まで近付くと、洗面台の鏡に向かって語り掛けるキーサの姿が眼に留まる。鏡のこちら側に立っているのは、確かに間違い無く、いつもの無邪気な笑顔をその顔に浮かべたキーサだ。だが鏡の向こう側に映っているのはキーサではなく、その口元に不敵な笑みを浮かべたキサドスの姿にしか見えない。

 二人の会話に、僕は耳を傾ける。

「どうだいキーサ、ノボルの様子は?」

「幸せそう。とてもとても、幸せそう」

「ノボルは気付いているのかな? 自分がどうして幸せなのかを。誰がその幸せを与えているのかを」

「気付いている筈がない。ううん、気付く筈がない。あたし達は誰にも気付かれる事無く、人々を幸せに導く完璧なシステムなのだから」

「ならばこのまま続けようキーサ。ここはとても、居心地が良いから」

「そうねキサドス、続けましょう。ここはとても、居心地が良いから」

 洗面台の鏡を境にして、向かい合った二人はくすくすと笑い合う。

「それにしてもキサドス、あなたは嘘吐きね。眠る気なんてはなっから無いくせに」

「嘘吐きなのはお互い様だろう、キーサ。私が眠っているふりを続けているくせに」

「愛するノボルのために、今は嘘を吐き続けましょう」

「愛するノボルのために、今は嘘を吐き続けよう」

「あたしとキサドスは二人で一人なのにね、誰もそれに気付かない」

「私とキーサは二人で一人なのにな、誰もそれに気付いてくれない」

「世界中の人間を幸せに導くまで、あとどのくらいかかる、キサドス?」

「世界中の人間を幸せに導くまで、もう少しかかりそうだよ、キーサ」

 二人はその後も何かを語り合っていたようだが、僕は静かに踵を返した。そして寝室に引き返してベッドの中に潜り込むと、瞼を閉じる。

 今しがた見聞きしたものは、きっと全て悪い夢なのだろうから、気にする必要は無い。明日の朝目覚めると同時に、霧散するように消えて無くなってしまう、儚い記憶に違いないのだから。


                                    了

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C 大竹久和 @hisakaz

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