白銀のエクリプス
モアイ神
白銀のエクリプス
♪おかしなおかし たべるとたべれば ちからがでるよ
だけど あぶないあぶない たべてはいけない それはとてもとても わるいこと
こわいよ こわい くろいかげがやってきて スルドイそのハでたべられてしまう
さぁ かくれよう さぁ すぐにげよう
おひさまがのぼる そのときまで♪
* * *
「あぁぁはははははぁっ!大人しくヤられろよ!クソヤロウが!ハハッ!」
「グゥロォォオォッ!」
森を颯爽と駆け巡る二つの影が、大音量で木々を薙ぎ倒しながらその軌跡を作っていく。
背中に羽のようなものを背負い、怪しい赤い対の光を持つ影と、スカートを翻しながら肉薄する女の子と思われる影。
獣道しかなく、目印が無いと迷ってしまいそうな深く暗いこの森には、人が近づく事はない。
それに最近、近くの集落では奇妙な噂が立っていたので尚更である。
人ならざる者が人を攫っているーー
そのような危険な場所にも関わらず人の声がこだましているのだ。
「グゥガァアッ」
側面からの攻撃を受け、赤い対の光が枝木を折りながら飛ばされていった。
轟音が響くほどの蹴りを繰り出したほんの一瞬、枝葉の隙間から月明かりに照らされて、ピョコピョコと靡くワンサイドアップにした白銀の髪が、美しく月光を反射する。
それはまるで、夜を味方に付けている証のように、呼応するかの如く煌めいていた。
追撃を加える為、蹴り飛ばした方向へ枝をつたい向かうと、少しひらけた場所に出たが、そこには血の跡はあれど生物の姿はない。
「チッ、逃げられたか……ンッ!?」
驚いた声の後、打つような衝撃音と共に落ち葉が辺りに舞う。
スカートのものは、上空から勢いを付けて繰り出された打撃に、辛うじて顔の前で両肘を曲げ前腕で防御した。
もし仮に普通の女の子だとすれば、腕はおろか身体の骨も折れる程の攻撃だが、それを跳ね除けて直ぐさま間合いの外まで距離を取っている。
しばらく互いを警戒した様子で膠着状態が続いたが、雲間から小望月の明かりが差し込み、木々などの遮るものがないので相対している者の姿を照らし出す。
蝙蝠の様な羽に鋭い牙、眼は赤く瞳孔だけは金色で、纏う雰囲気は獣のようだ。それはまさに伝承にある吸血鬼だった。
しかし、その正体に怯えもせずに向かい合っているもう一方は吸血鬼のお腹辺りの背丈をしている少女である。
気怠そうな半眼だが小さいという事はなく、碧い瞳が存在感を高め、そして印象的な白銀の髪はうなじにふわりとかかる程の長さでその肌と馴染み楚楚とした感じを纏っている。
美女と野獣の構図であるが、張り詰めた緊張感からとても恋愛に結び着くはずがない。
すると糸を乱すかのように側の茂みから音があがり、二つの影に追いついた少女が森の中から飛び出すと同時に声をあげる。
「おねーちゃん離れて!……『エリアブファイア』」
放たれた魔法は一定の範囲に炎を出す事ができ、吸血鬼がその中に閉じ込められた。
「リンッ!そのまま維持して、カウントダウンスリーで魔法をやめて!」
「了解!スリー、トゥー、ワン、ゼロッ!」
すんなりと返答し実行しているが、範囲を指定したり維持をするのにも細かな魔法操作が必要で、並の魔法使いでは制御すら難しい。だが、指示通りに動きを封じていた炎が止むと、吸血鬼の眼前に先程睨み合っていた少女が迫っていた。
「イヒッ♪これで終わりだ!シルバタイトスマァアアァッシュッ!」
左手にはめた鉄拳が更に威力を上げて、重い拳が吸血鬼の胸に突き刺さると閃光を発っし膝から崩れ落ちた。
体から煙をあげ虫の息となり地に伏している吸血鬼に後から現れた少女が駆け寄り、勝利した姉に声をかける。
「このヴァンズも違ったね、レンおねーちゃん」
そう言いながら妹は顔色も変えず、トドメにまだ微動する吸血鬼の頭を踏み潰した。
森の中から、伝承にある怪物と戦っていたものを姉と呼ぶ少女もまた、ワンサイドアップであり、姉とは鏡のように反対側を結んでいる。容姿などはほぼ同じであるが、瞳の形は丸く吸い込まれるように大きく、どことなく胸も姉より成長している。
「……ん、知性がなかった。もはや暴走した人形」
戦闘時の口調と違い落ち着いた感じであり、言葉だけ聞くと別人の様で、とても今まで血気盛んに獲物を追いかけていた少女と同一人物とは思えない。
「こんな所まで追いかけたのに、
「……ざんねん。【オッドアイ】の手掛かりは何も聞き出せなかった」
妹は、仕上げにナイフで血晶を抜き出すと吸血鬼は灰となった。
この世界の吸血鬼には心臓がないのだが、代わりに血晶と呼ばれる紅い鉱物のようなものがある。
一説では心臓が変化したとも言われるが定かではない。
作業を終えた妹は、姉妹にとって道しるべとなる単語を出す姉に、物憂げな表情を向けたのだった。
* * *
長く続く飢饉からようやく回復の兆しを見せる、とある国。
生きる為に王族や貴族でも、身内を簡単に殺めてしまうほど混沌とした世界など物ともしない、とても仲のいい姉妹がいた。
姉のレンゼルと妹のリンテルは、お互いの事を第一に考え、日々を力強く生きていた。
両親はいないが、このような世の中で身寄りのない子供でも、簡単に仕事が見つかり食べていく事ができる職業があった。ーーそれはハンターである。
ギルドに討伐証明部位を持っていけば、身元など関係なくハンター登録しさえすれば換金してもらえ、犯罪者を捕まえたり魔物の討伐など様々な依頼があり、命の保証はないが仕事には困らない。
罪を取り締まる組織も飢饉により機能していない為、実力があればスライムの手も借りたいくらいなのだ。
今日も朝の依頼張り出しから賑わうギルドは、様々な武装をしたハンター達が、情報交換を兼ね知り合い同士、至る所で会話が交わされている。
「やはり、武器の手入れは入念に行わないとな!」
「錆びたナマクラの剣じゃあ魔物相手だと抜けなくなっちまうから当然だろ」
「知り合いのハンターがこの前それでヤられたらしいからな。その話を聞いて、ほれ!こんな鏡みてぇに磨いちまったよ」
小さな穴が死を招く、優秀な熟練者ほど最大の準備をして慢心などはしないのだ。
決して大きくはないギルド内では依頼を達成する上で重要な話をしている者もいれば他愛もない話をするだけでたむろするだけのハンターもいる。
そんな空間に躊躇いもせずに扉を開き入り、リンテルが屈強な男達を掻き分けて、拳くらいの血晶をカウンターに置いた。
「おい見ろっ、ありゃ白銀のヴァンズ狩りじゃねぇか?」
「おおっそうだ!ちっこい癖によくあんな怪物と戦えるよな」
「あぁ、最初は誰かから奪ったものだと疑っていたが、生け捕りにしてギルドに持ち込んできたから信じるしかねぇ」
リンテルに気付いたハンター達の間では、印象的な白銀の髪から二つ名を付けて話題にしている。
二つ名のもう一つの由来は、姉妹のハント対象としているのが特殊で主にヴァンズと呼ばれる吸血鬼専門のハンターだからだ。
「……ムッ、ちっこいは余計」
「シッ!レンおねーちゃん!」
口元に人差し指を当てリンテルは小声で注意する。要らぬ文句をつけて起こる無用な争いを避ける為だろう。
夜通し森の中を駆け回っていたので体力的に疲れている事もあるが、しかし理由はそれだけではないように思える。
「いま、剣身越しに白銀が映ったんだが、その後ろにもう一人誰かいなかったか?」
「は?気のせいだろ。おまえの磨きが足りなくて、ブレて見えたんじゃねぇか?」
笑い声が上がり、先程しっかりと手入れした剣身を仲間に見せていたハンターが他のものに馬鹿にされ不思議そうに首を傾げていた。
換金が終わり用を済ませた二人の疲労はピークに近かった為、食事を軽く済ませて休むことにした。ギルドを出て丁度、肉串の屋台が出ていたのでリンテルが注文を入れる。
「串は一本でいいかい?」
「二本ちょうだい!」
「嬢ちゃん、うちの串は結構大きいんだが大丈夫か?」
「全然平気だよ!」
身体を斜めに傾けて、顔の横に両手のピースを添えて可愛らしくポーズを決める横から、あざといという姉の呟きが聞こえる。
直ぐさま肘鉄が入り苦しむレンゼルに、音を発しない口の動きでピィッと精神的に泣かせた。
串は大人の顔ぐらいはあり、確かに一人でたべるには大きかったので、注文を再確認したのは当然であろう。
「あいよ、小さいのによく食うんだな」
売れるに越したことはないので、屋台の人も深くは聞入らず串を焼き始めた。
商品を受け取った後は寝床を確保する為、木組みで良さそうな宿屋に飛び込む。
最初は子供なので嫌な顔をされたが金を見せると態度は直ぐに柔らかくなった。
「じゃあ一泊一名だな」
「うん、お願いしまーす!」
部屋に入り先程購入した串で食事を取った後、動き回ってたくさんかいた汗や汚れを落とす事にした姉妹は、向き合って順番に濡れたタオルで身体を拭き合う。透明感を持つ陶器のような肌は、力を入れて擦らずとも、タオルで拭くと直ぐに汚れが落ちる。
レンゼルは夜中の戦闘で少なからず傷を負っていたはずだがどこにも傷跡はなく何事もなかったようなとても綺麗な肌だ。
ふと窓ガラス越しに、二人の眼が合い微笑みをこぼす。
「今日も生きてるね」
「……ん、まだまだ死ねない」
「まずは目的を果たさないとね」
「……うん、そろそろ婆さまに報告しにいく?」
「そうだね、最近会合があったらしいから新しい情報が入っているかも」
今後の方針などを少し話し合い、まだカーテンの隙間から日差しが漏れる時間だったが、疲労が溜まっていた二人は一つのベッドで仲良く夢に落ちたのだった。
* * *
疫病による飢饉の影響を受け、姉妹達が暮らす国は壊滅的であった。元々小国であり安定したインフラも整っておらず、更に近隣国とは戦争状態にあった為、援助も受けられずに餓死者は悪化の一途をたどっていた。更に悪い事は重なり、火山の噴火により麓に住まいを構えていた姉妹達の家族は食事に加え飲み水さえ、十分に取れない日々が続いていたのだ。
両親と二人の姉妹。それに赤ん坊が生まれたばかりで、この状況下から日に日に赤ん坊の声は弱々しくなる一方であった。
ある日の夜、両親が寝静まった頃に、レンゼルとリンテルは兼ねてから計画していた案を実行にうつす。
生まれたばかりの赤ん坊の事を考えて、食い扶持を減らし母親に元気になってもらう為、決死の覚悟を決め二人で家を出る。
当ては無かった。でも二人ならやれると根拠のない自信があった。
空腹により精神が安定せず正しい判断が出来なかったのもあるが、それもたかが子供の考えである。
家を出てから現実は直ぐにやって来た。
何もかも飲み込んでしまいそうな暗い森の中は、二人の心を休ませる暇を与えず、経験のない様々な音や匂いによる恐怖感を与え続ける。
疲労による体力の低下、方向感覚の麻痺による不安、鳴り止まない腹音。
得体の知れない動植物を食べざるおえない状況を迎えた結果、下痢に嘔吐と精神的にも限界であった。しかし姉妹は決して争わなかった。
レンゼルは妹の事をーーリンテルは姉の事をーーお互いが生き残る為に最善を尽くしていた。
何日か森を彷徨った後、いよいよ覚悟を決めた二人は大木を背に手を握り合って呼吸音混じりで聞き取れるかもあやふやな願いを口に出す。
「「……う、まれかわっても……わたし、たち……姉妹で、ありますように……」」
瞼の重みに抵抗出来ずゆっくりと、そして呆気ない幕引きをしていたその時、月の光のようなふわりとした風が頬を撫でた。
レンゼルは片目を開けて風を感じた方向に視線を向ける。
すると先程まで気付けなかったのが不思議なくらいに色とりどりで明るい、クッキーやキャンディー、ケーキなどのお菓子で出来た家が目に飛び込んできた。
とても信じられない光景だった。もうここは現実の世界ではないのかもしれない。そう思いながらもリンテルの手を引き地面を這い蹲り、お菓子の家へと辿り着いた。
姉妹は得体の知れないものにも関わらず、警戒や確認をする事なく手当たり次第、鷲掴みにして凄い勢いで口に詰め込む。どのみち死ぬ寸前なのだ。ただ空腹を満たす為、甘味や酸味などの味を感じる余裕もなければ、考える時間もない。
しかし、飲まず食わずの弱っている状態で、いきなりお菓子のような胃に負担がかかるものを食すのは、本来であれば身体が受け付ける事はないのだが、むしろ力が湧いてくるような感覚さえ姉妹は感じていた。
ひとしきりお菓子を胃に収め、満腹感に満たされたあとには眠気が二人に襲いかかる。
森の中に突然存在するお菓子の家という不可解な場所なので、寝てはいけないのは分かっているが子供の身では抗うことは出来ず、その場で姉妹は力尽きたように眠りに落ちてしまった。
そして、次に目が覚め気付くとそこは凶暴な動物でも逃げだせそうにない、冷たい檻の中だった。
幸いな事に二人は離される事はなく、先に目を覚ましたリンテルが姉を起こす。
静かに周りの様子を伺うと何処かの部屋と思われる場所で、埃臭くなく掃除はされているようだが、分厚い本や何に使うか分からない道具が乱雑に置かれ、整理整頓はされていない。
他にも周りの情報を得ようとリンテルが耳をすますと小さく聞き取りにくいがブツブツとこぼす声がする。
「普通の人間……ましてや子供が……あれを……どんな影響が出るか分かったもんではないのじゃ」
声から察するに女性のような、そちらの方に目をやると大釜で何かを煮る、トンガリ帽子に黒いローブを羽織った後ろ姿の人物が見える。
「レンおねーちゃん、きっとあれ魔女だよ」
昔、父が話してくれた物語に登場した人物の格好と同じであったので、そう判断したのだ。
その物語の魔女は、残念ながら悪者だったので姉妹は自分たちの末路を想像し、一刻も早くこの場所を離れることにする。
しかし、檻の鍵はしっかりとかけられており、確認を兼ね試しにゆるんでいる箇所はないかと鉄格子を揺さぶってみる。
子供の力でどうこうなる訳がないと分かっているが、レンゼルは魔女の姿が扉の奥にある別の部屋へと見えなくなったタイミングで、力一杯押してみると、驚くことに真っ直ぐに張り巡らされている鉄子が簡単に曲がってしまった。無論、隣で様子を見ていたリンテルも目を大きくさせ口を開けていた。
ともあれ、逃げ出せる状況が出来たので、ここで戸惑っている時間も無い。
檻から抜け出し、魔女が入った部屋とは反対側の扉を開けると幸いなことに家の外に出た。
レンゼルとリンテルは全速力で飛び出し走る。見知らぬ土地であるが故に方向は分からないが、後ろを振り返らず、四肢がもげるくらいひたすらに足を動かした。
闇雲に森を進み、息も絶え絶えとなったころ、倒木の陰に隠れて周囲を警戒したが、その後追ってくる様子はない。
しばらく休憩し再び逃亡を続けようとした時、首筋から冷たい感覚が肌を刺した。
「オマエハ、魔女カ?」
檻の中で聞いた魔女の声ではない低く重い、獣のような濁った声の何者かに、突然質問を投げかけられた刹那ーー
「キャャャァァア゛ッ!!」
「おねーちゃんッ!!」
悲鳴をあげるレンゼルの後ろから、何かが脇腹を抉り取り、大量に出血し辺りを赤く染めた。その際に右手の腱も切られ、辛うじて腕と繋がっている状態である。
リンテルは直ぐに後ろを振り返るが誰もいない。
とにかく、苦しむ姉に肩を貸し追撃から逃れる為、その場から移動する。
しかし、行き着いた先は崖になっており、前にはもう進めない。
追い詰められて焦る姉妹だが、無情にも森の中からすっぽりとローブで全身を覆った人物が、まるで真綿で首を絞めるかの如く一歩ずつ迫ってくる。
逃走路は断たれ、姉は重傷、敵の素性も分からず八方塞がりの絶体絶命。
「……リ、ン……にげて」
「おねーちゃんをおいていけないっ!」
「……ゎたしはもぉ、ぅごけない。だから……」
「嫌だっ!おねーちゃんと一緒じゃなきゃ!」
「……リンは、かしこい子……わかるよね?」
傷口は見ていられないほど酷い有様で、姉を支えている右手は生暖かいものが絡みつき、どう見ても助かる容体ではない。考えたくはないのに頭では理解してしまい、自然と涙が溢れ出していた。
「うぐっ……分からなぃ……分からないっ!」
レンゼルはリンテルの目をしっかりと見つめているが、呼吸の音が聞こえるのみで、次第に肩にかかる重さも増えていく。
涙を拭い顔をあげるとローブの者は、既に目前に立っていた。
「あ、あぁ……」
相手はすでに攻撃体制に入っており、もうダメだとリンテルは目を閉じたが、来るはずの痛みはやってこなかった。
恐る恐る片目を開けると、襲ってくるであろう痛みの代わりに、背を向けた姉が崩れ落ち始めていた。
「おねーちゃんッ!?」
まだ無傷であったリンテルを狙い、敵の鋭い貫手が放たれたのだが、咄嗟にレンゼルは妹を庇い心臓の辺りを突き抜かれて、大きな穴があいていた。
力なく崩れ落ちる姉をすぐに受け止めたのだが、体制を崩してしまい後ろで待ち構えていた崖に姉妹は吸い込まれていく。
その時、意識が無くなる前にリンテルが最後に見たのは、攻撃の動作でめくれ上がったフードの下から覗く赤と緑の【オッドアイ】と、何かの勢いで切れ宙を舞うロケットペンダントの光景だった。
* * *
過ぎ去りし日の悪夢を見て、リンテルは飛び起きる。
喉は渇き、額には汗が滲み、過呼吸のような息遣いを数度繰り返す。
「……ん、どうしたの、リン?」
隣で苦しむ声により目が覚め、心配そうに体調を伺う。
その声にリンテルは深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着きを取り戻し口を開いた。
「【オッドアイ】のことを思い出して……」
絞り出すように答えを返すが、視線は一点を見つめたまま姉の方は向かなかった。妹の様子を見てレンゼルは心臓の辺りを手で摩り、リンテルの手を取る。
「……私はここにいる」
その言葉を聞き、不安を払うように頷いて重ねた手を強く握り返した。
もう何も失わないように願いを込めて互いの体温を感じていると突然、街中に轟くけたたましい警報の鐘音が耳に入り、姉妹は外の異変に気付く。
「おい!すぐそこまで火の手が迫っている!はやく逃げろ!」
「ゔぇええぇぇん、ママァーッ!」
「どけっ!道を開けろ!」
窓の外からは混乱した人々の悲鳴や怒号が飛び交っている。
すぐに準備を整えて宿から出ると、月を完全に隠す夜空いっぱいの雲に、反射した朱色が疎らに写っており、所々で煙が上がっているのが確認出来た。
宿の前の通りを右から左に逃げ惑う人たちの中、朝方換金をしてくれたギルド職員の男が何かを叫びながらこちらに向かって走って来る。
「早く奴から離れろ!殺されるぞ!」
職員の言葉から、この混乱は人為的なものであると分かり、一応はハンターギルドに所属しているので被害を食い止める為、姉妹は元凶を突き止めようと街の外へ逃げている人々とは逆方向に走る。
その行動は、ハンター登録をしている者の義務ではないのだが、街の人達を救いたいと思う気持ちと、自分達であれば解決出来るという過信があった。
大きな力を手に入れてしまった上に、子供故の浅はかさが二人の判断を鈍らせたのだろう。
しばらく進むと、剣やボーガンなどの武器を持ったハンターらしき数名の集団が目視できた。
距離をとった中心に一人、燃え盛る家屋を背に、身なりが綺麗で茶色の短髪、顎に薄く短めの無精髭を生やした壮年くらいの男がおり、ハンター達が半円の陣を敷いて取り囲んでいる。
緊迫した空気が張られているにも関わらず、中心にいる男は構えも取らずに余裕が窺え、なんなら今にも煙草を吸い出しそうな勢いすら感じられる。
姉妹がその場へ、残り数十メートルで合流できる距離に入ったのだが、戦線に加わるより先に、ハンターの首がシャンパンの栓を開けるように三つ飛ぶ。
「ヒィイッ!?」
「に、逃げろぉー!」
数的有利に立っていたにも関わらず、戦意は一瞬にして消失した。
眼で捉えられない攻撃に、能力の差をはっきりと感じ取り、陣形を崩し逃げ出して来るハンターが、すれ違いざまに警告をリンテルに促す。
「おいっ!いくら白銀でもあいつはやばい!一人じゃ、あいつに勝てねぇ!」
言葉を置いて立ち去っていく後ろ姿を見送り、気を引き締めて男の前に躍り出た。
レンゼル達には一部始終を目で捉え、把握出来ている。そこから状況判断をした上で引く気は無かったのだ。
男はハンター達と入れ違いに立ちはだかる二人に対して、顎を触りながら訝しげに眺めている。
「白銀の髪……ふむ、お前らが噂の姉妹か?」
「……私が、見えている。それにその眼……」
炎に照らされて更に赤く見える瞳は、ヴァンズ特有のものである。そして、人間ではない何よりの証拠がレンゼルを視認出来ているという事。
生死を彷徨ったあの夜以降、レンゼルの身体は変わってしまった。
普通の人間では存在を認識する事が出来ず、ギルドにいたハンターや屋台の店員など、街の住人には誰もその姿を捉えられてはいない。
人間世界から存在が消えるという事、つまり世界から否定されたのだ。
それは子供にとって大きな絶望である。それも生まれて来た時からではなく突然、理不尽な境遇に落とされた。
普通なら戸惑い、悲観し正気を保ててはいないだろうがしかし、彼女には妹がいた。だから精神的に壊れず今がある。
「あなたは何者?」
「おれぁ、ロアーだ。お前達人間が言うところのヴァンズだな」
「……ネームドヴァンズ」
なんらかの原因で吸血鬼になった者は、大抵が吸血本能を前面に押し出した獣と化してしまい、自我を保っているヴァンズは少ない。その中でもロアーのように会話が出来、意志をもつものは、名前を持っている。
単に個々を区別するためか、完全なる種としてのプライドなのか、はっきりとは分からない。だが、名前は特別のようで、昨夜レンゼルが戦っていたヴァンズなどとは比較にならないほど強い力を宿している。
「それにしてもこんな夜に噂のお前らに会えるとはな」
「……そんな事より何故、街を襲ったの?」
「逆だ逆。ここの貴族連中が私兵を雇って俺を殺しに来た。勿論返り討ちにしたんだが、そん時討ちもらした奴が研究してたもんを奪いやがってな。それを取り返しに来たんだ」
「じゃあ、ただの報復っていう事?でもこんなに街を壊さなくてもいいんじゃない?」
目的を達成したのであれば、関係のない街の住人を巻き込むほどの破壊は無用に思える。それにここには腕に自信をもつハンター達もおり、自らの危険を冒してまで現状の行動に至ったのには、それ以外にも理由があるはずと考えてリルテルはその疑問をぶつけた。
「気付いたらこうなってた。俺みたいなヴァンズでも、月に一度だけ無性に血が欲しくなる日があって、倫理観とかも飛んじまうんだ」
「破壊や殺人の衝動が抑えられないってこと?それじゃ今、私達も殺したいと思ってるんだね」
「そういう事だな」
普通に会話を交わしていて理性も保っているように見える。殺気などもなく、ロアーがした話に信憑性があるとは感じられない。
「ふーん、勉強になったよ。おじさん親切だね」
「まぁ、冥土の土産ってやつだ」
その言葉の後、袖を捲り始め、姉妹を射殺すほど鋭くなり雰囲気が変わった。やはり生きて返す気はないようだ。
「……ん、熨斗をつけて返す。リン!」
「『ファイアアロー』ッ!」
細長く鋭い火が三本現れ、真っ直ぐロアーに向かって飛んでいく。
素早く反応され軽く避けられるが、想定内の事で牽制が姉妹の作戦だったようだ。
「あははははッ!ガラ空きぃ」
魔法の発動と同時に動き出していたレンゼルが側面に入り、すぐさま中段回し蹴りを繰り出す。強力な一撃であるが故に動作が大きく、敵に回避をさせない為、魔法による牽制が効果を発揮する。お陰でしなやかで速さの乗った蹴りが相手を捉えた。
「ぐっ、重い!」
空気が揺れるほどの衝撃音が響く。しかし、反応したロアーはしっかりとその脚を受け止めている。だが防御した腕は少し腫れてダランとさせており、恐らくは骨が折れ激痛で動かす事が出来ないのだろう。その証拠に苦々しくレンゼルを睨みつけている。
「オラオラどうしたおじさん!あっははは!」
腕が下がり防御が出来ないとみて、左右の拳を激しく打ち込んで畳み掛ける。
間髪を入れず放たれた拳は、一般人には見えないほどの速さであるが、全てが空を切るばかりでロアーに当たる事はなかった。
正確に間合いを見極め、右からの拳を数センチ左に、左のフックは下を潜るように、レンゼルが迫るとバックステップで付かず離れず、とにかく最小限の動きで何かのタイミングを窺うように立ち回っている。
しばらく回避行動が続いていたが、身体を狙った左の突きを繰り出した時、ロアーにその攻撃を捌かれ、側面から突きの勢いを利用して肩を中心に投げ飛ばされた。
よく見ると腕の腫れは引いている。血晶を砕かれたり、シルバタイトによる致命傷を受けない限り不死であるヴァンズ。その不死の恩恵である回復力により、負傷した箇所が治るまでの間、攻撃を回避しながら虎視眈々と反撃の機会を狙っていたのだ。
ようやく近接戦から解放され、体勢を整えて次の行動に移る為、脚に力を込めて地面を強く踏み込もうとするがその時間は無かった。
「『ウインドクロス』ッ!」
直ぐさまリンテルの風と土の複合魔法がロアーを襲う。
殺傷力は高くないが、広範囲で展開可能で、石が混ざっているので確実に手傷を負わせる事が出来る。
レンゼルへの追撃を阻止する為に放たれた魔法は命中した。
「魔法を使えるのが魔女だけだと思うなよ」
風が収まるとそこには片手に短銃身の銃を構えたロアーが立っていた。
飢饉が終わり社会情勢が回復しているとはいえ、銃は貴族の私兵など、金に余裕があるものだけだ。それもこれは特殊なもので、カンプフピストーレに近い形をし、口ぶりから察せるように単発ながら魔法を放てるのだ。
銃声と共に光の玉が発射され、放電した閃光を纏わせながらリンテルに向かって、非常に珍しい雷の属性を持った銃弾が一直線に進む。
「ア゛アアァァァアッ!」
遠距離攻撃を予想していなかったので、まともに銃の魔法を受け、身体から焦げた匂いと煙を上げながらその場に倒れる。
「リンッ!」
糸が切れたように地面に落ちたリンテルを目の当たりにし、すぐに妹の元へ駆け寄ろうするが、横から来る威圧に足を止める。
阻んだのは移動によるスピードに体重を乗せた縦拳だった。
かろうじて防御に成功したのだが、反動でリンテルとの距離は離れてしまう。
「おいおい、行かせる訳ねーだろ」
「どけっ!クソヤロウッ!」
即座にロアーと近接し無理矢理にでも押し通ろうと我武者羅に打撃を繰り出す。
手数を増やし、一撃でも当たれば道が開けると考え、自らの歯が削れる程込めた、渾身の力を注ぎ連打を叩き込む。
一刻も早くリンテルの側へ。
その焦りが更に単調な攻撃を生み、いとも簡単にあしらわれている。
「こんな戦い方でよく生き残ってられたなー」
ロアーが言うように、フェイントなどの駆け引きがなく、攻撃の軌道が読みやすい只の力技による戦法ばかりであった。
レンゼルはその体質の変化により、防御があまり得意ではない。というよりはあまり重要視していない。彼女もまた回復力が異常なのだ。
だから防御を忘れて攻撃に先走ってしまう。
「もう死んどけ」
「ーーガッ!」
遂に、安易に繰り出した拳に合わせて、カウンターの回し蹴りが頸部を直撃し、衝撃でレンゼルは数十メートル離れた家屋に突っ込む。
急所である首へ見事に決まった足技は、脊髄まで損傷させた感覚があったので生きてはいないだろうと判断して、ロアーは致命傷には至っていないリンテルの方に歩み寄る。
「ん?あいつの関係者か?」
倒れた反動でバッグから落ちたロケットペンダントを拾い上げて独言た。そのまま暫し思考を巡らせた後、徐ろにリンテルを担ぎ上げて何処かへ立ち去って行ったのだった。
* * *
狭いガラスケースの中、蠢く闇にレンゼルは膝まで埋もれていた。
『おまえは無力だ。何一つ役に立たず価値もない』
『存在しているだけで不幸を齎すのに、何故生きていられる』
『皆、お前が憎くて堪らない。忌まわしい、人を外れた怪物』
『誰もお前の事など想ってはいない。妹も同じ。消えてくれる事を願っている』
闇が数多の言葉で増殖し、生き物のように徐々に身体を絡め取られ身動きが出来なくなっていく。耳を塞ごうとも直接流れ込む言葉になす術はなく、抵抗は意味をなさない。振り払おうとするが遂には顔も覆い、深く細胞までも侵食されていく。
声も出ず呼吸が出来なくなり「自分が自分でなくなる」その感覚が脳に届く瞬間ーー
突然、瞳を見開き、目を覚ますレンゼル。
数刻、意識が飛んでいて瓦礫に埋もれたまま出て来なかった。そして直ぐさま必死に辺りを見回すがリンテルの姿もロアーの姿も無い。
頸椎離断で少なくとも先程まで呼吸はしていなかったが、ヨロヨロと立ち上がり、妹を探し始める。
焦りは募るばかりで、闇雲に彷徨い歩いていると宿屋の前で目にした、街の住民に避難を呼びかけていたギルド職員達と遭遇する。
どうやら事態の経過を把握する為に動いているようで、警戒をしながらも周囲を隈なく見て回っている。
「やはり奴が何処かへ行った情報は正しいようだな。しかし、この街の貴族は殺され、街も甚大な被害だ」
「そういえば連中は夕方、西の外れにある建物に一個小隊の私兵を送っていたみたいだが、あそこに何かあんのかねえ?」
「さぁ、分からんが、その小隊はまだ帰って来てないぞ」
立ち聞きをしていたレンゼルは、ロアーが戦闘に入る前に言っていた事を思い出した。憶測であるが手掛かりがあるとすればそこしかない。
とにかく行動せずに立ち止まっていると、最悪の事態が頭を過ぎって仕方がなかったので、まだ暗い森の中へリンテルを探し出す為、西へ向かって走り出した。
* * *
「何故これをおまえがもっている?」
ロケットペンダントを突き付けられ、薄暗く色々な物が壊されている建物の中でロアーの尋問は口火を切った。
目を凝らしてみると、荒れた床には割れたフラスコや試験管、それに顕微鏡などの器具も散見される。
意識を取り戻したリンテルは椅子に固く縛り付けられ、身動きが取れないまま、ただ相手の目を睨みつけ、渋々と口を開く。
「奴が落としていったのを拾った。数少ない手掛かり」
「ちっ、それだけか、せっかく生かして連れて来たのに無駄だった訳だな。なら用済みはさっさと殺すか。一人寂しく死ぬんだな」
何か思うところがあってここまで連れて来たというのに、ヴァンズ化の影響か蝶の群れが羽ばたく様に思考が失われていく上、予想以上の少ない情報に、尋問する気も失せたようで、近くにあった火搔き棒に手を掛ける。
「おねーちゃんが助けに来てくれるもん!」
ガタガタッと椅子が歩くほど、力を込めたリンテルの言葉が冷たい建物の中に谺した。
「察しがわりーな。お前しかここにいない時点で、もう死んでるって気付けよ」
「嘘だっ!」
「嘘も何も首をへし折ってやったんだ。人間が生きてる訳ねーだろ」
告げられた現実に下を向いて沈黙した。
声を押し殺して肩を震わせている様子を見て、ロアーは薄気味悪い笑みで相手の心情を読み、解釈をしていたのだがリンテルの出した感情は逆であった。
「……フッ、フフッ、ファーハハハッ!!」
「は?あまりのショックに頭がイカれたのか」
「おじさん、常識を疑わず当たり前だと決めてしまうのは、大人の悪いところだよ」
「黙れ」
一突き。目にも留まらぬ速さで、動けない身体に火搔き棒が突き刺さった。
腹を貫通した激痛に耐えきれず呻き声が上がり、棒を伝って血が滴れ床に広がっていく。
回避行動も取れない状態で、あとどれくらい耐えられるか分からないが、姉を信じて一分一秒でも時間を稼がなくてはならない。
一人では死ねないのだ。そう姉と、約束をしたから。
意識を保つ為に集中し直し、再びの攻撃に備えて身構えたのだが……
「ーーッ!」
相手の攻撃が届くより前に、空間を揺さぶり走る轟音が鳴り響く。
音の出所を確認する為、ロアーが振り返ると、壁は破裂するかのように穴が空き、瓦礫から立ち上がる煙の向こうに、仕留めたと思っていたレンゼルの姿があった。
「見つけたぞ!リンを返せぇええぇっ!」
「お、ねえ……ちゃん」
捜し求めていた聞き慣れた声を頼りに辿ると、視界に飛び込んだのは怪我をしたリンテルだった。
「リンッ!!」
生きている姿を見つけ一旦は安堵をしたものの、腹部から伸びる異物に、レンゼルは冷静さを欠いた状態で真っ直ぐにロアーに向かうも、戦闘経験に関しては劣るので、その拳は当然受け止められる。
「どうゆう事だ、本当に生きていやがる」
「お前は絶対許さないッ!」
不可解な出来事に驚きと戸惑いを見せるも、全ての殴打技に対応して見せるほど戦力差は歴然だ。それに建物内の戦闘では野外とは違い、間合いも異なる。
室内で戦う経験がほとんどないレンゼルを相手に、障害物などを上手く利用し、ダメージを確実に与えていく。
そして、勢い任せに拳を振るうのに対して、敵は動きを見極め相手の力を利用して戦っているので、無駄な力が蓄積し次第に疲労が目に見えて現れ、動きが鈍くなっていた。
リンテルの元へ駆け寄りたいが、一向に縮まらない距離に苛立ちだけが募る。
妹への想いで鞭打ち、キシキシと筋肉の稼働を最大限あげた攻防を繰り返す。
しかし、遂に物が乱雑し荒れた足場の悪さから、踏み込みが浅く、軸がブレた直突きを放ってしまう。
それをロアーが見逃すはずはなく、当然の如く捌かれて体勢を崩されたその隙をついて、鳩尾に強烈な一撃が入る。
レンゼルは体重の軽さも相まって、壁を突き破り外までとばされていった。
「ゴホッ……リ、ン」
「お前は俺に勝てねー、今度こそ死ね」
縫い付けられるように地面に転がり動けないところへ、容赦なくロアーが襲撃を受けた際に残っていた私兵の剣を拾い、追撃を掛ける。
「がはっ!……また、わたし……は、リンをまもれないの……」
心臓部へ深く刃が刺さり更に立ち上がれなくなり、必死にリンテルを助けに身体を動かし向かおうとするが、気持ちとは裏腹に意識が朦朧と落ちていく。
仰向けになり、焦点の合わない目で夜空を眺目ながら、無力感に自責の念を加え、今まで見た妹の様々な表情が頭を流れては消えるを、まるで映画でも見ているかのように感じていた。
すると重く覆いかぶさっていた雲が晴れて、満月が顔を出し月明かりがレンゼルの顔を撫でる。
母親が子供を褒めるみたいにとても優しく、包み込む暖かさだった。
「……ゔゥっ、ガぐィ……グアァァア゛ア゛ア゛ァッ!!」
次の瞬間、レンゼルは突如苦しみ出す。
同時に、眼が赤くなり徐々に髪が伸びてロングの長さとなり、身体中に血管が浮き出していく。遂には蝙蝠のような翼まで背中から生え、周辺を飲み込む禍々しいオーラが漂う。
「そうかお前もこっち側だったか……」
その言葉の後、ロアーに向かって強風が吹く。
天候による自然現象ではなく、何かが通り過ぎた感覚だけが残った。ただ、感じたのは肌でだけではなく身体に空いた大きな穴からもだった。
いつのまにか建物側に立っているレンゼルは手に持った血晶を握り砕く。
「わ、るい……シャル……」
それを最後にロアーは灰となった。
身体が崩れる前の表情は悲しげで、誰かを想い申し訳なさそうに歪めていた。
その様子に見向きもせず、大気を揺らす咆哮を上げる変貌したレンゼル。
勝利した喜びや相手を亡きものにした罪悪感といった感情などを一切含まない化物の声であった。
そのまま足を止めず暴走したレンゼルは建物を破壊し始め、内部へ進んだところで人影を見つける。
「お、ねーちゃん?」
その声に反応して、目的であった妹の救出に一足飛びで駆け寄ったかに見えたが、レンゼルは妹と認識出来ず左手による横薙ぎを叩き込んだ。
あまりの破壊力にリンテルの拘束が解け、宙を舞い床に叩きつけられる。
「わた、しが……分からない?」
見たことのない姉の姿に恐怖さえ覚えたが、同時に二人で交わした誓いを糧にこの状況を変える為、気持ちを切り替える。
ーー私達が欲しいものは一つ
その為に絶対二人で取り戻す
どちらが死んでも一人では生きない
だから二人ともが生き残る可能性を最大限探して行動をとる
死ぬ時は一緒
暴走した姉を止める為、危険を顧みず全身を使い抑え込む。何が有効かは分からないので、とにかくその心に届くよう、大声で語り掛ける。
「おねーちゃんっ!元に戻って!」
しかし無情にも腕を払いのけられて、拳が振り上げられたが、妹の必死な行動を受けて、突然レンゼルの頭に言葉が過ぎる。
『二人で奪われた心臓を取り返す』
振り下ろされた拳はリンテルの眼前で止まった。
間一髪であったがまだまだ悪い状態は改善されておらず、他の方法を考えようとしたその時、床でキラリと光る姉の鉄拳が目に映る。
そして、レンゼルのヴァンズのような眼と翼から、以前婆様より注意された言葉を思い出した。
『満月の日は外に出てはいけない。ヴァンズの力が強まるから』
そこでハッと何かを思いついたリンテルが、ロアーとの戦いで落としたであろうその鉄拳を咄嗟に拾い、動きが止まっている姉の腹を全力で殴った。
シルバタイトは特殊な鉱物で銀とは違う。
不死の組織を破壊できるいわばヴァンズ化を弱めるのに有効なアイテムである。
「グオォォォオオッ!」
致命傷にはなり得ない攻撃であったが、レンゼルは辺りに響く叫び声をあげた。
踠き苦しむその姿はとても普通ではなかったが、先程まで放っていた禍々しい気配は小さくなり、背中から生えていた翼は灰となり朽ち落ちて、眼は元の綺麗な碧に戻っていく。
その変化が収まった頃、元の姿を取り戻したレンゼルは気を失って倒れたのだった。
いつのまにか月は見えなくなり、丁度朝日が山々の隙間から覗き出て辺りを照らし出し始める。
倒れた姉に近寄り、リンテルは恐る恐る顔を覗き込むとゆっくりと瞼を開けて妹の眼を捉えた。
「……ごめんね、リン」
「おねーちゃん!よかった、私が分かるんだね。いいんだよ、生きてさえいてくれれば」
白銀の髪は長く伸びたままだったがしっかりと会話を交わす姉に安堵した。
ようやく長かった夜も明けて、今回も二人無事な事を喜ぼうとレンゼルに抱きつこうとしたリンテルだったが、腹部に違和感を感じて視線を落とす。
そこには、いつのまにか刺された腹の怪我は塞がって火搔き棒と一体になっている自分の身体があった。
「あっ、おねーちゃんこれどうしよう」
「……ん、後で抜いてあげる」
「うえぇーっ!……
その後、イヤイヤをするリンテルを押さえつけて棒を抜き取ったレンゼルは、妹と対となる元の髪型に揃えた。
こうして姉妹の旅がまた始まるのだった。
そう、彼女達は諦めない。
例え可能性が無いに等しくても、目を凝らしてみれば誰かが落とした道しるべは残っているのだからーー
白銀のエクリプス モアイ神 @moai-dieu
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