日々の生活に喰らいついていくのだ

「で、結局宮仕えの話は断ったと」


 休日ではない日曜日だが、いつものように三吉が遊びにきていた。こちらは忙しいのだが、そんなことはお構いなしだ。


「うん、向こうもおれの年齢勘違いしてたみたい。履歴書も出してないし。『あと15歳若かったら』って言われたけど、今そういうこと言ったらいけないんじゃなかったっけ?」

「相手によるんじゃないですかね」


 せせら笑うとはこういう感じなのだろうなと三吉の表情を見て思う。


「まあ、こうして上司のいない、人間関係でいえば貴様くらいしかストレスにならない職場の方が、おれには向いてるんだ」

「でしょうね、もうこの先、8時間以上他人と顔を合わせているの、絶対無理でしょう」

「そうだな、多分無理だな。このまま死ぬまで個人事業主でいいや」


 たとえ食うや食わずでも、という言葉を飲み込み、モニターに向かった。進行中の作業があるのだ。

 だが、依頼主から届いたメールを読んでおれは悲鳴混じりに天を見上げた。


「どうしたんですか?」

「全替え来やがった。個人で依頼してきてるのに、全替えの必要あるか?」

「頭イッてるんですかね」


 さすがに守秘義務があるので詳細は言えないが、都内の老人とだけ伝えた。この被害を三吉の会社も受けるかもしれないのだ。

 しかしメールをよく読むと、今までの作業費は払うとある。趣味の世界にそこまで潔くカネを払えるものなのか。そんなにカネが余ったジジイが日本にいるのかと、つい遠くを見てしまう。


「なんですか、内容は。盆栽教室のお知らせですか」

「いや、バンド」

「へえ。孫がバンドやってるんですかね」


 メールの指示を読む。バンド名変更に伴い、イメージを若々しさ満開のものから、枯れた知的な雰囲気にして欲しい、か。バンド名は「Old Holmes」。


「老人ホームズか」

「なんです?」

「いや、うん、なんでもない。ちょっとコーヒー入れてくれない?」


 少し笑った。ホームとズの間に探偵の影絵でも入れてやりたいくらいだ。

 台所に行った三吉が大きい声を出した。


「カップどころか小鉢もありませんが」

「茶碗ないか」

「探してみます」


 じゃあそれで、とおれはモニターに向き直った。仕事をやらなければ家賃も住民税も払えない。国民年金もあるし健康保険料もかかってくる。まったくもって夢もロマンもない話だが、それでもこういう生活を望んだのは自分だ。日々の生活に喰らいついていくのだ。


「茶碗ありません」

「いつもの大皿は」

「一番下にあるのでめんどくさいです」

「がんばればいいんじゃねえの」


 どうせほとんどがプラスチックの食器だから割れはしない。割れはしないのだが、不器用にがんばったせいか、戸棚の全てがひっくり返ったような音が聴こえてきた。


「これだからド素人は使えねえ」


 やってもらっておいて我ながらひどい言い草だとは思うが、言い終わる前には立ち上がっていた。そしてこれ以上被害が拡大する前に急いで台所へ向かったのだった。

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知命のバイク乗り、近所を走る 桑原賢五郎丸 @coffee_oic

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