第4話 雪の降る日に



 長靴を履いて、久々に、雪の残る田んぼ道を歩いてきました。

 

 もっと雪が降ってくれれば、キュッキュッと新雪を踏む音も心地よかったのですが、今年の二月の雪は、さほどに降りませんでした。

 

 しかし、気温は相当に低いようです。

 ですから、道端のアスファルトに積もった雪は凍っていて、滑りやすくなっています。

 そこで、転んで骨折なんて洒落にもなりませんから、私、そこは慎重に足を運びました。

 

 そんな天気なので、いつも白菜を収穫する外国人実習生もお休みのようです。

 

 なぜ、久方ぶりに田んぼ道を歩いたのに、そんなことがわかるのかといえば、畑の片隅に、プラケースが並べられ、恐らくはダンボールが置かれているのであろうそこには、青いビニールがかけられていたからです。

 昨日は、この畑に大勢の外国人実習生たちが作業をしていたに違いないのです。

 

 これだけ寒ければ、白菜は売れます。

 あたたかい鍋料理に白菜は欠かせませんから。

 

 私は、滑りやすいアスファルトから畦の方へと足を踏み入れました。

 今日は長靴です。

 多少の汚れなど気にする必要はありません。

 畦の雪は凍っていませんでした、地熱があるのでしょう。今度は、雪に滑らないようにしなくてはなりません。

 

 そんな風に歩いていますと、雪の降る日というのは、大きな事件が起きているなんてことを、自然思い出したのです。

 私の記憶にあるだけでも、すぐ浮かんでくるものが二、三あります。

 

 二二六事件。

 あの陸軍将校たちの決起です。悲しい哉、彼らは叛逆者となり、銃殺刑に処せられるのです。

 

 桜田門外の変。

 水戸浪士による井伊直弼暗殺事件です。

 直弼は首を刎ねられ、水戸浪士たちも討ち死にしたり、捕縛され斬首されました。

 

 そうそう、忠臣蔵を忘れてはなりません。

 あの討ち入りの日も雪でした。雪の積もった江戸の町を隊列を組んで歩く映画の名場面を思い出します。

 その彼らもまた切腹となりました。

 

 そして、もう一つ、私には一つの事件が雪の日になされていることの記憶があるのです。

 

 私の『一門』という作品を書くために念入りに調べたことがあるそれは事件です。

 実朝の右大臣就任の祝賀の折のことでした。

 その日は二尺の雪が降り積もる日でした。一尺がおよそ六十センチですから、相当な積雪です。八幡宮での拝賀を終えた実朝に向かって、親の仇と斬りつけてきたのは甥の公暁でした。

 実朝は首を刎ねられます。

 そして、程なく、公暁も追手に斬られるのです。


 しかし、歴史は、実朝の首のありかを未だ知らずにいるのです。

 

 公暁は実朝の首をどこに隠したのか、そんなことを私は畦の中で、また、思い起こしたのです

 

 雪は、ことを起こすものたちからすれば、隠れ蓑になります。

 しかし、よくよく考えてみますと、あの将校たちが、あるいは水戸浪士、それに大石内蔵助も公暁も、雪の日を待って、ことを起こしたという話は聞いていません。

 

 それに、そのほかの歴史的事件がいつも雪の日に起こっていたわけではありません。

 雪の日以外にも大事件は起こっているのです。

 

 ですから、畦の途中で、そう思ったのは思ったのですが、私の結論としては、たまたま、その日が、雪に当たっていたというに過ぎないとなり、私の脳裏から、この件は淡雪のごとく消え去っていったのです。

 

 まもなく、家に着くという頃、一旦はやんでいた雪がまた降ってきました。

 空を見上げると、薄灰色の空から、細かい雪がハラハラと落ちてきています。

 

 そうだ、あの日も、そうだった、と私思い起こしたのです。

 

 生徒たちとグラウンドに出て、自分たちの校舎がまるでおもちゃのように揺れる様をみながら、私たちのグラウンドに雪が降ってきたのを。

 

 切なかったなって、思い起こしたのです。

 

 雪は、決して、事件や災害を誘発はしない、でも、人間の感情に底知れぬ怖さ、いたたまれない不安を与えるものであると、そう思ったのです。

 

 そうだとするなら、あの雪中の、歴史上の者たちは、きっと底知れぬ何かを感じとったに違いないと、私、雪降る門のそばで、そう思ったのです。

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抱かれて息のつまりし 中川 弘 @nkgwhiro

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